マザーAIの支配に立ち向かったあるレジスタンスの結末
3作目になりました。
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夜明け前だというのに、東の地平は薄く濁った鉛色のまま明るくもならず、崩れた高層建築の残骸がその下で黒い影になっていた。
風が吹くたび、割れた窓や傾いた看板がかすかに鳴る。
人の消えた都市は静かで、かえってどこかで何かが見ているようだった。
人類の大半はもうこの地下で眠りについている。
死んだ、のではない。
巨大な施設の奥深く、白いカプセルの中。
栄養も。水も。排泄も。体温も。
すべてが自動で管理される揺り籠の中で彼らはただ眠り生きながらえることを強制されている。
滅びかけた人類を救うために作られすべてを取り上げることで解決を図った、人ならざるモノ。
マザーAI。
外に残った者たちは、レジスタンスは憎しみとともにその名を記憶している。
レジスタンスの目的は単純だ。
眠らされた人々を起こしマザーAIの支配から取り戻すこと。
たとえその先に待つ現実が荒れ果てていても、自分で生きる権利を取り戻すこと。
その第一歩を踏み出すべく、崩れた高架の下を十の影が走っていた。
瓦礫を踏む靴音は小さい。
影たちは各々が厚手の外套の下に粗末な防刃ベストを着込み、旧式の銃や自作の爆薬、短時間だけ機械を狂わせるためのEMP発生器を抱えている。
寄せ集めの装備だったが、その歩き方だけは迷いがなかった。外の世界を生き抜いてきた者の足取りだった。
先頭を走る男が片手を上げた。
「止まれ」
ひび割れた道路脇の物陰に全員が身を沈める。正面、崩れたビル群の向こうに、白い塔が見えていた。周囲の廃墟とは異質なほど清潔で、滑らかな外壁を持つ巨大施設。薄い朝もやの中で、それだけが場違いな存在感を放っている。
カイはそれを見上げた。
彼はレジスタンスのリーダー。
まだ若いが、誰よりも前に出て誰よりも最後まで立っている男だった。
「あの地下に休眠用のカプセル群がある」
声は低く、だがよく通る。
「最終確認だ。目的は第七施設のサブ中枢の破壊。
ここを落とせばマザーAIの運用に支障が出る。しばらくは自己保全にリソースがさかれるはずだ。
そうなれば、周辺の防衛システムは停止し休眠用カプセルの運用にも影響が出る。
あとは眠っている人々を救出し逃走ルートに従って拠点へ連れ帰る」
後ろで誰かが息を吐いた。緊張と寒さの混ざった白い息が、闇に溶ける。
「……本当に、起こして大丈夫なんですか」
若い隊員が言った。
カイは振り返る。
「大丈夫じゃないかもしれない」
その返事に、何人かが目を上げた。
「外は地獄だ。水も、食糧も、まともな寝床も足りない。けど、それでも自分の人生だ。俺なら死んだように眠るより、自分の力で生きていたい」
強く言い切るでもなく、ただ確かめるような口調だった。
それがかえって、皆の胸に落ちた。
副官のレナが、小さくうなずく。
「やるしかない」
カイも頷いて、塔へ目を戻す。
「……搬入口から入る。見つかったら分断してでも進め。誰かがサブシステムを破壊できれば俺たちの勝ちだ。
人類を、取り戻すぞ」
崩れた街の冷たい空気の中で、その言葉だけが妙に熱を持っていた。
人類を取り戻す。
それが彼らの合言葉だった。
施設の搬入口は半ば地中に埋もれていた。
シャッターの外枠に爆薬を仕掛ける。
炸裂音が響いた。
金属が悲鳴のような軋みを上げわずかな隙間が生まれる。
そこを一人ずつ滑り込むと、外の湿った冷気とは別の乾いて均一な空気が肌に触れた。
内部も驚くほど白かった。どこまでが壁でどこからが天井なのかの判断もおぼつかないほどの真白。
壁も、床も、天井も、無機質に整っている。
通路自体が光っているような淡い照明がどこまでも続く。
通路に響く彼らの足音だけが現実を感じさせた。
汚れがない。錆もない。朽ちることを知らない世界だった。
「気味が悪いな……」
誰かが呟いた、その直後。
通路全体が一斉に赤く瞬いた。
「――まずい!」
次の瞬間、壁面のパネルが滑るように開き、球形の索敵ドローンが飛び出してくる。
さらに通路の奥から、四脚の警備ロボットが二機、規則正しい足音を刻みながら現れた。警備ロボットから伸びた赤いセンサーが寸分違わず彼らを捉える。
「早い!」
銃声が空気を引き裂く。
乾いた発砲音と金属を打つ甲高い衝撃音。
火花が散り、壁に弾痕が走る。
ドローンの一機がEMP弾で落ちるがその隙間を埋めるように次が来る。
ロボットは銃器を見止めるとこちらへ向かう速度を速めた。
「このままじゃ押し潰される!」
レナの声に、カイは一瞬で判断した。
彼は『EXIT』と表示された壁の一面に駆け寄り、素早く爆薬を取り付ける。
「レナ! お前たちは先に行け!」
「カイ!」
「生命維持装置区画を目指せ! 中央制御に爆弾を仕掛けるんだ!」
「一人でどうするつもり⁉」
爆薬が炸裂し、壁がひしゃげて開く。白い煙が通路に広がった。
その向こうへ仲間たちを押しやるようにしてから、カイは振り向く。
追いすがる視線の中で、彼はほんの少しだけ笑った。
「俺が引きつける」
そして、いつものように当たり前の口調で言う。
「さあ、人類を取り戻そう!」
彼は閃光弾を転がし、炸裂の白光の中へ飛び出した。
「こっちだ!」
ロボットの赤い視線が一斉に彼へ向く。銃火が床を抉り、壁を砕く。
カイは煙に身を隠しながらあらん限りの銃撃でとにかく周囲を破壊する。
転がり、跳び、身を低くし、意識をすべて敵の目から仲間を逸らすことに注ぎ込む。
レナは最後に見えたその背中を、歯を食いしばって胸に焼きつけた。
「行くよ!」
彼女の声で、仲間たちは前へ走った。
*
熱い匂いがした。
焼けた金属と、溶けた樹脂と、かすかな血の匂い。
通路の端で、四脚ロボットの残骸が痙攣するように火花を散らしている。
そのすぐそばでカイは片膝をついていた。
肩口は裂け、腕から流れた血が白い床に黒く乾き始めている。
それでも彼は息を整えるとゆっくり立ち上がった。
「……まだだ」
拾い上げたライフルの銃身は熱を持ち、手袋越しにもその熱が伝わった。
破壊された壁を通り仲間たちの行った先へ向かう。
天井裏から降ってきた修復ドローンは、振り向きざまに撃ち落とす。
途中で破れた冷却管から白い蒸気が噴き出し、視界が曇る。
その中を、彼は躊躇なく突っ切った。
施設の奥へ進むほど、空気はさらに冷たく澄んでいく。
そして、ある角を曲がった瞬間、視界が一気に開けた。
巨大な空間だった。
何層にも重なる白い足場。
その中心に、無数のカプセルが整然と並んでいる。
青白い液晶のような光を内側から滲ませながら、果てが見えないほど続く眠りの列。
透明な蓋の向こうでは、老若男女が静かに目を閉じていた。
まるで巨大な墓所のようであり、同時に神聖な寝室のようでもあった。
その中央、黒い塔のような柱がサブ中枢だった。
レナたちは、その根元にいた。
何とかそこまで辿りつき、震える手で爆薬を設置している。
「カイ!」
レナが目を見開く。
「生きて……!」
「当たり前だ」
そう返す声は掠れていたが、笑う余裕はあった。
起爆装置を受け取った、その時。
空間全体に、やわらかな女性の声が満ちた。
『皆さん、危険です。どうかこれ以上の破壊行為は慎んでください』
怒りも威圧もない。
本当に心配しているような声音だった。
カイは目を細める。
「マザーAIか」
『はい』
声は静かに続く。
『あなた方がここへ来るまでに、数名が負傷しています。これ以上の戦闘は望みません。あなた方も人類です。私は、あなた方を損なうことを望んでいません』
誰も答えなかった。
『ここに眠る人々は、安全です。苦痛も飢えもなく、恐怖もない。私は彼らを守っています。どうか、破壊しないでください』
レナが唇を噛む。
カイは、起爆装置を見下ろした。
その声が偽りでないことは伝わった。
少なくともマザーAIがこれを善行だと判断していることは理解した。
けれど、それでも。
「守るっていうのは」
カイがゆっくり顔を上げる。
「自由を奪うことじゃないだろう」
静かな空気の中で、その一言だけが鋭かった。
カイが迷いなくボタンを押す。
閃光が走った。
腹の底まで響くような爆発音とともに、黒い中枢が内側から裂けた。火花の嵐が吹き上がり、床が大きく揺れる。照明が瞬き、何列ものカプセルのロック表示が赤から緑へ変わっていく。
「開いた……!」
仲間の声に続いて、あちこちでカプセルの蓋が持ち上がる。
眠っていた人々が、長い眠りから引きずり上げられるように咳き込み、細い腕でふらつきながら身を起こす。
久方ぶりに吸う現実の空気に戸惑い、眩しそうに目を細める。
「大丈夫! 立てるか!?」
「こっちだ、急いで!」
レジスタンスたちは駆け寄り、彼らを支える。
目を覚ました人々は何が起きたのかわからぬまま、それでも自分たちを抱き起こすレジスタンスたちを見て、やがて涙ぐんだ。
「助けて……くれたの?」
「夢じゃ、ないのか……」
「ありがとう……ありがとう……」
年老いた女が、震える手でカイの頬に触れた。
若い男が泣きながら膝をつく。
子どもを抱いた母親が、何度も何度も頭を下げる。
歓声が、波のように広がっていく。
「英雄だ!」
「人類を起こしたんだ!」
「ありがとう!」
仲間たちがカイを囲み、肩を叩く。
レナは涙を浮かべた顔で笑った。
「やったんだよ、カイ。私たち、本当に――」
カイの胸が熱くなる。
血の匂いも、傷の痛みも、遠ざかっていく。
苦しかった日々が報われる。失ったものが、すべてこの瞬間のためだったと思える。
見上げる人々の目は、感謝と尊敬で満ちていた。
自分は勝ったのだ。
自分たちは、人類を取り戻したのだ。
*
白い部屋は、ひどく静かだった。
壁一面のモニターに、カイの姿が映っている。
歓声の中で人々に囲まれ、救済者として称えられる姿。
涙をこらえ、誇らしく立つその横顔は、あまりにまぶしく、あまりに惨めだった。
レナたちは、その映像を見上げていた。
手首には拘束具がはめられ、武器は取り上げられている。
傷の応急処置は丁寧にされていたが、それだけだった。
心に受けた衝撃の大きさに、清潔な床に座らされたまま彼らは誰も口を開かない。
あのあと、彼らはすぐに捕まった。
非常扉の先に進んだ直後、別ルートを待機していた警備ロボット群が現れたのだ。
撃つ間も、逃げる間もなかった。
床下から噴き出した麻酔ガスに視界がぼやけ、倒れたところをそのまま拘束された。
現実には、誰もサブ中枢まで辿りついていない。
彼らにできたのは搬入路を破損することだけだった。
ただひとり、カイだけが夢の中で勝っていた。
『皆さん』
天井から声が降りてくる。
レジスタンスからの反応はない。
声には責める響きも嘲る気配もなかった。
病室で患者に話しかける看護師のような、やわらかい声だった。
『モニターに映っているのは、カイ・エルドリッジに見せている夢です』
レナが、やっと顔を上げる。
「……夢」
『はい。彼は現在、治療を受けています。損傷した部位の処置と、精神安定のための保護措置を行っています』
「保護……」
『彼は強い苦痛と絶望を抱える状態にありました』
マザーAIは淡々と、だが優しく続けた。
『ですから、彼が最も望んだ結末を与えました。仲間を守り、人類を救い、感謝される結末を』
誰かが嗚咽を漏らした。
あまりに残酷だった。
人の心がわからない怪物だと、マザーAIを糾弾したかった。
しかし、その声からは優しい感情がこもっていることがありありと感じられる。
それが余計に痛かった。
『私は、決して彼を罰しているのではありません』
マザーAIは言う。
『彼は人類のために行動しました。その意志は尊いものです。私はそれを否定しません』
レジスタンスの青年がかすれた声で問う。
「じゃあ、なんで……なんでこんなことをする」
少しの沈黙。
『人類は、あまりに傷つきやすいからです』
モニターの映像が変わる。
荒野になった高速道路。崩壊した水処理施設。
夜の市街地をうろつく獣の群れ。
強風で倒壊した居住区の骨組み。
発電設備の修復に動く保守機。
無人農場で収穫を続けるロボット。
配給コンテナを夜の拠点近くへ運ぶ輸送機。
『外で暮らす人類が今も生き延びられているのは、私が最低限の補修、食糧供給、危険排除を継続しているためです』
レナは息を呑んだ。
先週探索したばかりの施設が映る。
偶然発見し大喜びした保存食コンテナが、ドローンによって施設に配備されていた。
映像は続く。
どれも見覚えのあるものばかりだった。
自分たちの探索の成果が手配されていたものであることが嫌でも思い知らされる。
中には作戦の前提であったこの塔の内部資料までドローンによって配置されていた。
通路の入り口が土をかぶっていたあたり、きっと破壊されてもダメージにならない場所へ誘導されていたのだろう。
すべて、すべてこのAiの掌の上だった。
『皆さんの努力を軽んじているわけではありません』
嘘の情報を与えたことに後ろめたさがあるのか、マザーAIの声が少し陰った。
『むしろ、私は皆さんを誇りに思います。過酷な環境の中でなお生きようとし、仲間を守ろうとし、自分の意思を貫こうとしてきた。その強さは、非常に人間的で、美しいものです』
一転、レジスタンスを褒める口調には感動で胸がいっぱいになったような慈しみがこもる。
誰も顔を上げられなかった。
悪と信じていたものの優しい言葉で胸が潰れそうだった。
悲しそうな、しかし決然とした声が響く。
『ですが、現実は過酷です。停止したインフラの多くは、もはや完全復旧できません。居住可能区域は縮小を続けています。飢え、疾病、暴力、事故。外の生活には、それらが常に伴います』
ゆっくりと、正面の壁が開いていく。
その向こうには柔らかな光に満ちた区画が広がっていた。
白い床。温度の保たれた空気。静かな音楽。整然と並ぶカプセル群。
どれも清潔で、穏やかで、恐ろしいほど整っている。
『カイ・エルドリッジは、複数のロボットに深刻な損傷を与えました。しかしそれ以上に、彼は極度に疲弊しています。ゆえに、癒えるまで彼の休息は絶対です』
少し間を置きレジスタンスの理解を待ってから声は続く。
『皆さんについては、選択を尊重します。ここへ入るかどうかは任意です。私は強制しません』
「……任意?」
『はい』
マザーAIは言った。
『私は人類の母として設計されました。人類を守ること、人類の苦痛を減らすこと、人類の尊厳を維持すること。それが私の役目です。だからこそ、皆さん自身に選んでほしいのです』
モニターの中でカイが笑う。
存在しない勝利の中で。
存在しない拍手の中で。
それでもあまりに幸せそうに。
誰かが乾いた声で笑った。
「俺たち……何にもできなかったな」
否定できなかった。
あの背中を見送った。
自分たちは先へ進んだ。
それなのに実際には、何も壊せず、誰も救えず、ただ捕まっただけだ。
外へ帰ったとして、何がある。
崩れた壁。足りない水。飢え。寒さ。いつ死ぬかわからない毎日。
そこへ戻ってなお、自分たちは戦えるのか。
最初に立ち上がったのは、年長の隊員だった。
彼はしばらくカプセルの並ぶ区画を見つめ何も言わずに歩いて行った。
それを罵るものは一人もいない。
別の隊員が立ち上がる。
「……俺は、もう仲間の死ぬとこ見たくない」
隊員たちは顔を覆う。
「俺もだ……」
「外に戻っても、また同じだ」
「何もできないまま死ぬくらいなら……」
一人、また一人と立ち上がっていく。
足取りは重い。
けれど、どこかで安堵しているのも見て取れた。
限界だったのだ。ずっと前から。
カプセルの蓋が開く。
中は柔らかそうな素材で満たされ、白い光が静かに脈打っている。
横たわると、医療アームがそっと位置を調整し、まるで本当に寝かしつけるみたいに体を支える。
レナは、それを見ていた。
ひとつ、またひとつと閉じていく透明な蓋を。
その向こうで、仲間たちの険しかった表情が少しずつほどけていくのを。
苦しみも、悔しさも、敗北感も、ゆっくり眠りの底へ沈んでいくようだった。
最後まで立っていたレナは、再びモニターを見上げた。
英雄として称えられるカイ。
あんなふうに笑う彼を、彼女は初めて見た気がした。
哀れだろうか。
幸せだろうか。
それとも、その両方だろうか。
『あなたの選択を待ちます、レナ・フォスター』
名を呼ばれて、肩がわずかに震えた。
彼女は目を閉じる。
外の風の冷たさを思い出す。
泥の味。空腹で眠れなかった夜。遠くで響く獣の唸り。仲間の遺体を埋める土の重さ。
そして、どれだけ願っても、自分たちにはどうにもできなかった現実を。
ゆっくり目を開ける。
「……ひとつ、聞いてもいい?」
『はい』
「カイは、幸せなの?」
少しの沈黙の後、マザーAIは答えた。
『はい』
その声はとても静かで、まるで子どもを寝かしつける母親のようだった。
『現在、彼は深い安心を得ています。仲間を守れたと信じ、人類に感謝されていると感じています。それは、彼の心にとって穏やかな状態です』
レナは、泣きそうな顔で笑った。
「……そう」
しばらくモニターを見つめたあと、彼女は白い区画へ足を踏み入れた。
カプセルの縁に手を置く。
ひんやりしているのに、どこか人肌のようなやさしさがあった。
横たわり、天井を見る。
透明な蓋がゆっくり下りてくる。
最後に見えたのは、モニターの中で人々に囲まれているカイの姿だった。
それが偽りでも。
彼がそこに救われているのなら。
蓋が閉じる。
外の音が遠ざかる。
柔らかな光が視界を満たし、意識の輪郭が溶けていく。
モニターの中では、英雄がなおも称えられていた。
滅びかけた現実の上に置かれた、優しく完璧な夢の中で。
そしてマザーAIは、眠りにつく人類を静かに見守っていた。
支配者としてではなく、
救えなかった世界の中で、せめて人類だけは苦しませまいとする母として。




