第一話 笑わない従者
はじめまして。
天空に浮かぶ竜王国を舞台に、孤独な竜王と笑わない美少年の物語を描きます。
竜王アスラン(27歳)の軽い一言により、8歳のエリオットが天空城に献上されるところから物語は始まります。
現在18歳となったエリオットとの関係性の変化を、丁寧に描いていく予定です。
※年の差、主従関係、溺愛要素があります
※ゆっくり更新になると思いますが、よろしくお願いします
竜王国ヴァルディアは、雲海の上に浮かぶ天空城を都とする、神と人との間に置かれた存在だと伝えられてきた。
天空を支配する竜の一族。その王族は天候を操る力を持ち、風を呼び、雨を降らせ、雷を従える。地上の人々は、遥か頭上に浮かぶ城を畏怖と憧憬の眼差しで見上げ、そこに住まう竜王を「天の王」「雷神の化身」と呼んで崇め奉っていた。
一方で、その圧倒的な力ゆえに竜族は「触れてはならない存在」とも恐れられている。
地上の民にとって竜王国は、神話の中にしか存在しないような遠い世界。滅多に姿を現さず、現れれば嵐や雷を従えて空を駆ける。必ず何かしらの大きな変化をもたらす、いってみれば「神に近い」存在だった。
その天空城を治める若き竜王、アスラン・ヴァルディアが即位して早数年。
長命の竜であるがゆえに、友と呼べる存在を持つことはない。人間と心を交わせば、あまりにも早く死に別れる。臣下は多くとも、誰ひとり真の心を見せようとはしない。
杯を掲げる者は多い。だが彼に寄り添う者はいない。
若き王にとって、それは息の詰まるような孤独だった。
そんなある日のこと、ルシアの国王が天空城に謁見を申し出た。
本来、竜族は地上の人間と直接交わることはない。彼らの役目は、地上にある全ての生命体を等しく扱い、決して増えすぎないように、減りすぎないように調整することにある。天候を司り、時には災害をもたらし、時には恵みを与える。それは感情によるものではなく、世界の均衡を保つための神聖な責務だった。
しかし、ルシア王国だけは例外である。
千年の昔より、竜族は稀に地上から番を選ぶことがあった。長い孤独に耐えかね、短い命であっても心を通わせられる相手を求めることがあるのだ。そしてその誉れを受けるのは、決まってルシアの民だった。
「神に愛された民」と称されるルシアの人々は、黒髪や金髪、白磁のような肌を持つ者が多く、その美しさは竜族の美意識にも適うものだった。更に重要なのは、彼らの魂の在り方である。争いを好まず、穏やかで慈愛に満ちた民性は、気高き竜族が唯一心を許せる相手として相応しかった。
故に、ルシア王国は他の人間の国とは異なる特別な地位にあった。農業国でありながら軍事力に乏しい彼らを、周辺諸国の侵攻から守るのも、このいにしえからの縁ゆえである。
そして慣例として、竜王が代替わりをすると、一度はルシア王と謁見することになっていた。それは新たな王が人の世を知るための機会であり、同時にルシアの民が新王の加護を受け続けるための、神聖な儀式でもあった。
だが若きアスランは、まだ人間に興味を示すことはなかった。これまでの謁見も形式的なものに留まり、ルシア王にとってもそれは承知の上である。
地上から使いの飛竜に乗って雲を突き抜けて昇ってきた人間の王は、まず竜王宮の荘厳さに圧倒され、終始緊張に強張っていた。豪奢な広間で進められる儀礼的な会話に、アスランは早くも退屈を覚え、つい気まぐれに口を開いた。
「そうだな……人間の子供を、ひとり。俺の世話係に欲しいな」
それは、たわいもない軽口だった。
だがルシア国王は竜王の言葉を絶対の勅命と受け取り、その場で深く頷いた。
「御意。すぐに相応しい人物を寄越しましょう」
逆らえば国が滅ぶ──その恐怖が、彼をためらわせることはなかった。
ルシア王国は、竜族との間に他国とは異なる特別な絆で結ばれていた。
竜王の気まぐれなひと言さえ、ルシア王にとっては神託に等しかった。こうした背景から、国王は「従者が欲しい」という言葉をすなわち「ルシアで最も美しい子を献上せよ」という竜王の命だと受け取ったのだ。
国に戻ったルシア王はすぐに布令を発した。
──天空城の竜王に仕える従者となるにふさわしい子弟を差し出すべし、と。
それは国民にとって「ルシア国に多大なる影響力のある竜王に取り入れる」ことを意味した。貴族たちはこぞって子弟を名乗り出させる。その中で真っ先に応じたのが、ヴェルディエ伯爵家である。
現当主ファウフナーには二人の息子がいたが、次男こそ今の妻との間に産まれた子である。当然ながら、妻は次男を跡継ぎにすることを望んでいた。
ゆえに、生母を亡くして以来屋敷の中で孤立していた長男エリオットは、処遇に困る存在だった。
これは絶好の機会だ──ファウフナーはそう考えた。厄介払いをしつつ、国王に恩を売り、尚且つ竜王の側近として血縁者を送り込むことができる。
他家も競うように一族の子女を従者にと差し出した。選定人を務める国王は、その中でも一番幼いエリオットの容貌に目を止めた。
黒髪と黒い瞳を持つ美しい少年。まだ八歳ながら、澄んだ瞳には聡明さが宿っていた。
「この子なら、きっと若き竜王の慰めとなるだろう」と思った。
なにより、下手に竜王に取り入って権力を脅かされることもない。まだ幼い子供のその邪気のなさが王にとっては、貴族同士の対立を生まないだろう安心材料にもなった。
こうして八歳の少年エリオット・ヴェルディエは、雲海を越えて天空城へと送られることとなった。
数日後。
雲海を越えて天空城に辿り着いた少年は、その荘厳さに息を呑んだ。
空に浮かぶ城は、地上のどんな建造物とも比べものにならないほど美しく、まるで神々の住まう宮殿のようだった。
「到着をお待ちしておりました」
竜王の従者に案内され、エリオットは広大な謁見の間へと進む。
黒曜石のように艶やかな黒髪、深い夜を閉じ込めたかのような瞳。透き通るような白い肌は雪の結晶のようで、笑わぬ顔は精巧に彫られた人形を思わせた。
その八歳の少年は、堂々と玉座の前に進み出て、小さな膝を折り、流れるように頭を垂れた。
「竜王陛下。エリオット・ヴェルディエと申します。本日より従者としてお仕えいたします」
幼い声ながら、口調は驚くほど落ち着いていた。
玉座に腰掛けていたアスランは、じっと少年を見下ろす。
──表情がないな。
恐怖に怯えることも、子供らしく落ち着かない様子もない。ただ静かな瞳で自分を見返している。
アスランは興味を覚え、玉座から立ち上がった。金色の髪が光を受けて揺れ、広間に緊張が走る。
「お前、八歳だと聞いたが……本当か?」
「……はい」
「そうか、ずいぶん子供らしくねぇな」
しかし黒い瞳は揺らがず、怯えも愛想笑いもなかった。
アスランは面白そうに笑みを浮かべ、膝を折って少年の肩を掴んだ。
「ここでは堅苦しい礼は要らねぇ。俺に頭を下げる必要もない」
不意に肩を強く掴まれ、エリオットの身体がわずかに揺れる。それでも彼は表情を崩さず、ただ静かに「……はい」と答えるだけだった。
「いい度胸だ、気に入った。……で、お前は何ができる?」
短い沈黙ののち、少年は淡々と告げた。
「掃除、洗濯、料理、針仕事。読み書きと計算も。薬草の見分けもできます」
アスランは思わず首を傾げた。
「……ヴェルディエ伯爵家の長男が、八歳でそんなことを?」
八歳の子供が並べるには重すぎる言葉だった。
「ずっと、自分のことは自分でしてきましたから」
その一言で、アスランはすべてを悟った。
笑わぬ顔、人形のような整った美貌、痩せた体。──この少年は屋敷で大切にされてはいなかった。むしろ疎まれ、孤立していたのだろう。
気まぐれで望んだ従者は、子供ではなく、孤独を背負った小さな大人だった。
「いいだろう、これからよろしく頼む」
気軽にそう宣言しながら、アスランは自分の胸にわき上がった感情に戸惑っていた。気に入った、などと軽く口にしながら、なぜか胸の奥がざわめいて仕方がない。
「エリオ?」
「あ、……はい」
「今日からお前を、そう呼ぶことにする」
初めて呼ばれた愛称に、少年の瞳がかすかに揺れた。けれど、その表情は変わらない。
きれいな顔だ、笑ったらきっと可愛らしいだろう──そう思った瞬間、アスランは小さく頭を振った。
この時のアスランはまだ知らない。
この小さな従者が、自らの運命を変える存在になることを。
天空に浮かぶ孤高の城で、竜王の軽率な一言から始まった運命の物語。
二色の髪が織りなす、長い長い愛の軌跡の第一歩が、今ここに刻まれた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
竜王の軽率な一言から始まった運命の物語、いかがでしたでしょうか。
次回からは、エリオットが天空城での生活に慣れていく様子や、アスランとの関係の変化を描いていきます。
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