アイドル小説家、美谷佳奈
「アイドルって、なんなんだろう」
パソコンの画面を睨みつけながら、私はため息をついた。
私は美谷佳奈。小説を書いている。
今もこうして愛用のノートパソコンを前に、あーでもない、こーでもないと一人で格闘していた。
頭の中では物語の登場人物たちが動き回っているのに、それを言葉に落とし込もうとすると、途端に指が止まってしまう。
時計を見ると、すでに深夜の十二時を回っていた。
私は軽く背伸びをして、固まった肩をぐるぐると回す。
「ダメだ、煮詰まった……」
そんなときは、コーヒーに限る。
立ち上がり、キッチンへ向かった。
私はインスタントコーヒーではなく、豆を挽くところから始める派だ。
豆の重さを量り、コーヒーミルで挽いていく。
ガリガリガリ——
静かな部屋に響く音が心地いい。
三回に分けてお湯を注ぎ、好みの濃さになったコーヒーをカップに注ぐ。
湯気の立つカップを両手で包み込みながら、一口。ほっと息を吐く。
「ふぅ~……やっぱり息抜きにはコーヒーだよねぇ~」
独り言をつぶやいてみたが、当然ながら返事なんてない。
なんだか急に寂しくなって、テレビをつけた。
画面には、アイドルたちがバラエティ番組で盛り上がっている様子が映っていた。
お笑い芸人が司会を務め、アイドルたちが体を張った企画に挑戦している。
「ふふっ、由美ちゃん、相変わらずだなぁ」
私の目に映るのは、一人の女性。
早川由美。
同期でアイドルグループに入った、かつての仲間。
彼女は箱の中身を当てるゲームに挑戦していた。
恐る恐る手を突っ込み、何かを触るたびに悲鳴を上げる。
その姿に、スタジオの笑い声が響く。
「変わらないなぁ……」
アイドルは、歌って踊るだけじゃない。
こうしていろんなことで人を笑顔にする。
彼女こそ、まさにアイドルそのものだ。
私は——なれなかった。
⸻
由美ちゃんとは、グループに加入した日からの仲だった。
私はガチガチに緊張しちゃってて誰とも話せてなかった。
そりゃあ私もオーディションを勝ち抜いてきたし、自信はあったよ?
でもみんなの気迫というか、お互いの実力の探り合いをしてるような姿に気圧されてしまったのだ。
グループだし、みんながみんなトップアイドルになれるわけじゃない。
そんな私を紐解いてくれる優しい女の子がいた。
「今日からあなたも私もアイドルだね!」
誰もが争い、上になろうとする世界。
そんな中で、彼女はにっこりと私に微笑んだ。
それは心の底からこれからの事を楽しみにしてる笑顔だった。
それが早川由美ちゃんとの出会いだ。
最初に話しかけてくれたのも、最初に一緒にご飯を食べたのも、最初に「仲良くなりたい」と思ったのも彼女だった。
――
とある日のデビューソングの練習の帰り道。
「佳奈ちゃんはどんなアイドルになりたいの?」
「うーん……誰かの支えになれるような、みんなを笑顔にできるアイドルかな」
「私も! 私たち、きっと素敵なアイドルになれるね!」
そう言って、彼女は私と手を繋いで笑った。
私も釣られて笑って一緒に同じ帰り道を歩いていった。
だけど、気づいたら彼女は遠い存在になっていた。
由美ちゃんは、すぐに頭角を現した。
ダンスもうまいし、トークもうまい。
何より、彼女には人を惹きつける魅力があった。
気づけば、私は彼女のファンになっていた。
由美ちゃんが前に立ち、スポットライトを浴びるたびに、私は彼女を応援する気持ちと、自分がそこに立てない現実に押しつぶされそうになった。
「私には無理だ……」
そう思った瞬間、私はアイドルを辞めた。
⸻
アイドルを辞めてから、私はただ部屋に引きこもるだけの日々を送っていた。
辞めると話した時は、みんなすごく心配してくれたし、引き止めもしてくれた。
でも、一度折れた心は立ち直ることはなかった。
気づけばみんなとは疎遠になっていった。
由美ちゃんとも、逃げるように私は去った。
「私、これからどうすればいいんだろう……」
スマホをいじっても、ニュースには由美ちゃんたちの活躍ばかりが流れてくる。
あのグループの一員だったことが夢のように思えた。
そんなとき、ふと実家から上京したときに持ってきたノートを開いた。
そこには、まだ私がアイドルを夢見ていた頃に書いていた小さな物語があった。
「アイドルを夢見る女の子が、ライバルと切磋琢磨しながら成長していく話」
夢を語っていた頃の私が、大切にしていた物語。
——書いてみよう。
その日から私は、小説投稿サイトに物語を載せ始めた。
最初は誰にも読まれなかったけど、少しずつ「いいね」が増えて、コメントがつくようになった。
「この物語、大好きです!」
「続きが気になります!」
「素敵なアイドルですね!私も負けてられない!」
誰かが私の物語読んでくれる。
それだけで、少しずつ、救われていく気がした。
そしてある日、衝撃的な出来事が起こる。
「書籍化しませんか?」
有名な小説家が私の作品を推薦してくれて、そこから出版社との話が進んだ。
アイドルとしては挫折た私が、今度は小説家として、アイドルの夢を叶えようとしている。
⸻
初めてのサイン会。
対面方式でサインをしていく予定となっている。
初めての顔出しで、デビューしたときみたいに緊張して手や足が震えた。
緊張をほぐそうとチラリと会場の様子を伺ってみる。
「すごい、本当にたくさんの人が……」
会場には多くの読者が並んでいた。
緊張で手が震えそうになるのを必死に抑えながら、一人ひとりと向き合う。
「小説、すごく面白かったです!」
「応援してます!」
読者の言葉が心にしみる。
やってきて本当によかったと思える瞬間だ。
そして、ある人物の番になったとき——
「……!」
彼女は黒いキャップを深くかぶり、マスクをしていた。でも、目を見た瞬間に分かった。
——由美ちゃんだ。
「……佳奈ちゃん!?」
由美ちゃんの驚いた声に、胸が詰まる。
サインを書きながら、私は震える手でペンを握った。
「……由美ちゃん、もしかしてずっとコメントくれてた?」
彼女は黙って頷いた。
サイン会が終わった後、二人でカフェに入る。
コーヒーを飲みながら、私たちは久しぶりに言葉を交わした。
最初はお互いの近況報告をしていたが次第に私が辞める時の話になった。
「私、由美ちゃんがどんどん人気になっていくなかで、挫折しちゃったんだ……私じゃアイドルは無理だぁーって」
彼女は最初とても驚いた顔をしていた。
「悩んでるのに気づいてあげられなくてごめんね」
でもすぐに真剣な表情になり、まるで私に気づかせるように語り出した。
「でもね、私は佳奈ちゃんはアイドルだと思うよ!」
「私が……アイドル?」
「うん! 少なくとも私は、佳奈ちゃんの小説にたくさん救われたし、笑顔になれた。だからね、佳奈ちゃんもアイドルなんだよ!」
そう言って彼女はアイドルらしく微笑んだ。
その笑顔は、彼女と初めて会ったときと同じ笑顔だった。
⸻
書籍はどんどん人気になり、多くの人が私の物語で笑顔になってくれた。
映画化も決まり、主演は今をときめく人気アイドル、早川由美。由美ちゃんだ。
彼女が猛烈にアピールして決まったらしい。
「2人で同じ舞台に立てたね!」
そんな由美ちゃんの言葉が、とても嬉しかった。
――
私の物語が、時には誰かの心の支えになり、時には誰かを笑顔にする。
気づけば、それは私が憧れていたアイドル像そのものだった。
歌って踊るだけがアイドルじゃない。
物語を紡いで、誰かを笑顔にすることだって、立派なアイドルの形だ。
私はもう、迷わない。
——私は、アイドル小説家、美谷佳奈だ!