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第05話:異形の悪魔の自己紹介

俺たちは闇の中で朝を迎えた。


意識がゆっくりと覚醒するのに伴い、身体の感覚が遠い彼方から戻ってくる。

背中に感じる硬すぎる地面と、腕の中の暖かく柔らかなものの感覚に、すぐに昨日どんな状況で寝たかを思いだす。


そうだ、昨日は大変な目にあったんだ。


朝起きたら変な女がいて(と言っても俺が拾ってきたんだが)、そいつとやかましく会話しながら歩き続けて、順調に寝床についたと思ったらトラブル発生。暗く冷たい地下通路の中苦肉の策でこうして抱き合って眠ったんだったな。


その女は俺の体に乗っかりすやすやと寝息を立てている。安らかな寝顔を浮かべている奴を起こすのは些か気が引けるが、一晩中コンクリートの上に寝転んでいたせいで背中がガチガチだ。悪いが起きてもらおう。


「おい…サキ?」


「ぅ…ん……。………………おはよ…。」


彼女の肩を軽く揺さぶるとすぐに目を覚ましたのか頭をあげて返事をするが、再び頭を倒してしまう。そして俺の胸にぐしぐしと顔を擦りつけ…彼女の側頭部から生える角が当たってちょっと痛い。

彼女はそのままゆっくりと動きを止めて、また静かに寝息を立てる。いや起きろよ。


「サキ、起きろ。」


「んん……。」


「そろそろ背中が痛くなってきたんだが。」


「ぁぁ……ごめんね……すぐ起きるわ…」


ようやく目を覚ましたのか俺の上からゆっくりと起き上がる。

俺は軽くなった身体にふっと溜息をつき、凝り固まった筋肉でなんとかして起き上がるため寝ころんだまま力を蓄える。


「こんなに暗いとわかりづらいけど……もう朝になったみたいね…。」


数メートル先のメンテナンスドアの方を見ると、ドア枠と壁の間に僅かな隙間があるのか白い明かりが少しだけ漏れていた。


「そうだな。無事に朝を迎えられてほっとしたよ。おっと、そのドアはまだ開けるなよ。」


「わかったわ………。ん"~~~っ!」


彼女は身体を伸ばしているのか変な声を出し、ブルブルと空気が揺れる音がする。

はぁ、と心地よさそうに息を吐くのを聞き、ようやく俺もその感覚を享受しようと凝り固まった身体を起こす。


「さて、一晩経ったわけだが…。まあ外から音はしないな。」


「さすがにあの子たちはもういなくなったかしら?」


「いや、わからないな。居なくなったと思うが、外が見れない以上どうなってるかは…。万一ドアを開けたときに待ち構えられてたら、もう撃退方法がないぞ。」


「え、じゃあ……。」


「さあ、どうするかな。」


簡単に背筋を伸ばした後、今度は肩をゆっくりと回しながら会話する。

彼女の声色が不安に包まれたものになるが、なぜだか俺はこの状況を心配に感じていない。睡眠の効果だろうか。


「覚悟決めてドア開けるか、覚悟決めて下水トンネルを進むかのどっちかだな。」


「…まぁ、私はあなたの言う通りにするわ。」


ドアを開けてもまず大丈夫だとは思うが、奴らは執念深い性格だ。万一まだドアの前にいたらと思うと喜んでドアを開ける気にはなれない。

一方このトンネルは非常に静かだから脅威は少ないように感じるし、もしほかの出口に通じているならそこから出たいところだ。


「せめて明かりさえあれば下水トンネルを進むのも良いかもしれないな…。」


「明かりがあればいいの?」


「……もしかしてなにか持ってるのか?」


それは考えてなかった。いや、まあ昨日ずっと一切の装備品もなく手ぶらでいた彼女なんだ、てっきり何も持っていないと思っても仕方ないだろう…だがライターくらいならどこかに隠し持っていてもおかしくはなかったか。


「いえ、明かりになるようなものは持ってないわ。でも少しのあいだ明るくすることならできるわ。」


どういうことだろう。まさか笑い話でもして「ほら、明るくなっただろう」とでも言うつもりか。そんなことしたらさすがに女相手でも張り倒すぞ。

そんな様に考えていると、彼女は「ちょっとまってね」と言い俺から距離をとる。そうして、なにやら腕か何かを動かしているのを気配で感じるが、彼女が英語ではないよくわからない短い言葉を呟いた。


するとぽわっ、と紫とピンクを混ぜたような色の明かりがついた。

久しぶりの明かりに目を細めると、揺らめくピンクの炎に照らされる彼女の顔が見える。明かりの色も相まって、寝起きで一筋の髪の毛を頬にひっつけたままの彼女の姿が艶やかに見える。

そこでふと明かりの発生源を見ると、彼女はライターを持っているわけじゃなかった。彼女の手のひらの上に、この怪しげな色を纏った炎が揺れていた。


「ほら、これでどう?」


「…なんだこれは?いったいどうなってる?」


「ふふ、すごいでしょ♪」


「ああ、よくわからんが確かにすごい。ライターじゃないのか?」


「魔法よ、魔法。」


「は?」


「だから魔法だって。普段あんまり使わないからちょっと不安だったけど、ちゃんとついて良かったわ♪」


魔法、というとあの魔法だろうか。

なにもないところから水を生み出したり、なにやら分厚い本をブツブツ読み上げるとなんかすごい攻撃ができたり。そんなコミックじみた幻想にちなんで、まるで信じられなかったようなことを実現すると魔法のようだ、と言われたりもする。


ああ、つまりはなんか手品用の品を持っていたんだな。


思えば最初に会話したときもどこからともなくあんなに瑞々しく新鮮な果物を取り出した彼女だ、やる気になればこんな事も出来るのかもしれない。

すると、彼女はもしかしたらこれで生計を立てていたのだろうか?


あの美味い果物に引き続き、虎の子の炎仕掛けまで使わせてしまったことに一抹の申し訳なさを感じながらも、背に腹は代えられず。

いや、そもそもここで寝るハメになった原因はコイツだしそんなこと感じる義理もないか。


俺と彼女はこの明かりを頼りにして下水道を進むことにした。




◇ ◇ ◇




「昨日の夜はロマンチックだったわね♪」


「は?どこが?」


「真っ暗な世界で二人きり、抱きしめあって眠るなんて!きゃー☆」


「野生動物に襲われて、命からがら逃げ込んだ暗くて狭くてクソ寒い下水道の硬いコンクリートで仕方なく抱き合って眠るのがロマンチックなのか?ロマンチックってそういうものだったか?」


「もう、違うわよ!そんなことじゃなくて、大事なのは二人が強く強く抱き合って心が一つになったってところ!」


「確かに二人して暖を取りたいとは考えてただろうけど、そんなに強く締めた覚えはないぞ?」


「そうじゃなくってね!」


くだらない会話をしながら俺たちは歩く。

下水トンネルは本当に静かで、小さなネズミも、大きなクリーチャー化したネズミも居なかった。まあもっと深い所までいけばどうかはわからないが、深入りせず地上への出口を見つけたらすぐ脱出するつもりだ。

サキが掲げてくれているのは変な色をした炎だが、真っ暗な空間では十二分に照明の役割を果たしてくれる。これだけ明るければ歩くことに支障はない。


思ったよりも快適な道のりに、ふと「これがあったなら昨日ここで寝る必要もなかったのでは?」という重要な事実に俺は気付いてしまったが、目の前でなにやらよくわからない話を熱く語るサキを見てこのことは俺だけの最重要機密にしておくことにした。得てして重要な情報は闇に葬られるものだ。


下水道は揺らめく炎によって揺れる俺たちの影以外に動くものはなく、人の出入りした形跡や罠の痕跡は見られない。ただただ無音で淀んだ空気の中を歩くだけだ。

そんな状況に気が緩んだのか、ついふと湧き出た疑問をサキに尋ねてしまう。


「でね、この話はここからが凄いんだけど、そこで男の子が女の子の手を取ってすかさずこう――」


「なあ、そういえばお前はどこから来たんだ?」


「…。」


その言葉と共にサキの顔を見やるが、彼女はなぜか立ち止まってこちらを半目で睨んできた。なんだよ?

彼女がそんな表情をする原因を考えると、そういえばたった今まで彼女が何か喋っていたような気がする。すまん、完全に聞いてなかった。


「えっと……。」


「いいですよー。さっきまでのは独り言ですよーっ。私は壁とお話してましたもーん!壁のみなさーん!今日もお元気ですかー!?イエーイ!」


「…なんかすまん。」


「まあ、薄々わかってたけどね。私の話聞いてないってのは。…で、何かしら?私がどこから来たか、だっけ?」


「そ、そう。気になっちゃってな。」


そういうと彼女はふーっ、と小さく息を吐き、「まあ隠す理由もないしね」と呟く。聞いてはいけないことだっただろうか。


「まず言えるのは、私は自分の力でここに来たわけじゃないってことかしら。」


「どういうことだ?」


「さぁ。ただ、気が付いたら岩の上でベッドに寝ていて、起きたらあなたが居て、それからよくわからないけどとりあえずこの世界を見て回ってるって感じかしらね。」


「なんだそりゃ。全然意味が分からないぞ。」


「ふふっ、じゃあここでクイズね♪じゃん!私の身体にあってあなたの身体にないものはなんでしょう?」


彼女はおどけたように両手を広げ、ぴょん、とその場で跳ねる。

彼女の身体にあって俺の身体にないもの……まあ色々あるだろうが、順当なところでいうとその角、羽、尻尾…だろうか。


「ぴんぽーん(^^)!正解!!じゃあ次、こんな角と羽を持つ女の子が、この世界のことを何も知らなくて、手から炎を出せるような女の子が、果たしてあなたと同じようにこのあたりで生まれて、育ったのでしょうか?」


「………」


それは俺も少し考えていた。今までいろいろこいつの正体について仮説を立てていたが、正直この終末後の世界で生まれた人間とは思えない。あまりの常識の無さも、その異形の姿も。


「まさか、お前は…この世界の、人間じゃないとでも?」


「ん~んん~、たぶん、ぴんぽーん!その通りです!」


だが、終末後の世界で生まれた人間じゃなければどうだろうか。

人類が毎日生きるのに必死だとも知らず、世界が危険に満ちているとも知らず。であれば終末前の人間だろうか?否、200年もの間、これほど若い見た目を保てる人間はいない。それにこの角と羽だ。これは遠い昔、ガキの頃に語り聞いた――


「もしかして、お前は悪魔なのか?」


かつて牧師の男から聞いたこと。人ならざる異形の存在が、善き道を生きる人間たちを唆し誑かし悪と堕落の道へと引きずり込むのだという。彼らは世界の裏側に隠れているが、常に人々を破滅に導かんと虎視眈々と狙っているのだと。


尤も、今考えればその牧師も古い本から得た知識をドヤ顔で語ってただけのように思えるが、当時は彼の主張は恐ろしくも実体感があるものに感じた。なにせ世界がこんな有様だ、よっぽどのことが起きたに違いないからな。

それから何年も経って大人になるにつれ、自然とそんな見えない存在は信じるだけ無駄と思うようになった。ただ、俺の目の前にいるこいつが悪魔だとしたら、世界はこいつが滅ぼしたんだろうか?俺もあの牧師と同様、破滅に追い込まれてしまうのだろうか?


「う~ん、半分ピンポン、かしら。悪魔と呼ばれることはあっても、悪魔の一種というか、悪魔と言ってもちょっと違うと言うか…。」


「じゃあ、悪魔っていう呼び方じゃなくてもいい。お前らはなんて呼ばれる事が多いんだ?」


「それなら、悪魔というより夢魔、"サキュバス"かしらね♪」


「…………。」


「あれ?ピンとこない?」


「まったく。悪いが聞いたこともない。」


俺の知識が足りないからかもしれないが。

まあどっちにしろ悪魔の一種、と覚えておけばよいのだろう。


「うそ、サキュバスがなにかってところから教えないといけないの…?」


「まあ正直悪魔でもさきゅばすでもどっちでもいいんだよ。大事なのはお前の目的だ。やっぱり世界を滅ぼしたり、人間を堕落させたりするのか?」


「そんなまさか。そんなことしてたのは私が生まれるよりずっと大昔よ。まあ、サキュバスと一緒になった人間は堕落しちゃう、ってのは見方によってはそうかもだけど♪」


「そうなのか。」


「ええ。だから、少なくとも私はあなたに危害を加えるつもりはないわ♪」


いたずらっぽくウインクして答える彼女だが、その言葉はある程度信用できるのではないだろうか。

まだ1日と少ししか行動を共にしていないが、手の早い奴なら既に寝首を掻かれている。彼女の行動が俺の不利益となったのは、彼女の知識の無さに起因したトラブルだけだ。あれ、それだけでも結構迷惑じゃね?


「なるほど。でも、結局お前は何がしたいんだ?よくわからないままキャピタルにやってきたとしても、わざわざ俺について回ることもないだろう?」


「それは……秘密♪」


「おい、ここまできてそりゃないだろ。」


「お互い様よ♪。私もあなたの事全然知らないし。あなたの事教えてくれたら私のことも教えてあげる。それまでは秘密♪」


「…それは悪魔の取引ってやつか?怖いな。」


「あら、悪魔だって優しいのよ。気が向いたらサービスしちゃうかも♪あ、ほら、これがさっき言ってた"まんほーる"につながる梯子じゃない?」


そうこうしている内に俺たちは待ち望んでいた出口を見つけることができたようだ。

この錆びた梯子を上って重い蓋を開ければ外のはず。普段あれほど恨めしく思っている太陽光がとても恋しい。


彼女の出自は結局煙に巻かれてしまったが…とりあえず彼女がこのキャピタル出身じゃないと明確に分かったので、今後は1から10まで教えるつもりで会話しなくては。

まだ全然わからないことはあるが、どうやらこいつは俺にしばらく付きまとうようだし、気まぐれなサービスとやらに期待してみるか。


「あ、でもいまの話を教えてあげた代わりに一つ教えてほしいわね。」


「なんだ?」


「あなたの名前。聞いてもいいでしょ?いつまでも"あなた"じゃ呼びづらいわ。や、別の意味での"アナタ♪"ならそれはそれでも………///」


「………。」


名前か。

彼女の言うことは尤もだ。名前がないと数多の人間を識別できないし、呼びつけることすら叶わない。

それにしても俺の名前か。

自分の意思と反して意識がわずかな時間過去に飛んだ。名前、名前…。俺はなんと呼ばれていただろう。ここしばらく、自分の名前なんて意識することはなかった。

どんな名前が俺にふさわしいだろうか。どんな名前であれば俺達は…。


「…あ、どうしてもダメならいいわよ、無理には聞かないわ。ただ、代わりに私も何かしらあだ名付けて呼ばせてもらうけど♪そうね、ぶっきらぼうだけど実は優しい、みたいな感じで…そこに運び屋?っていう職業を追加して、"はこb―」


「いや、教える、教えるよ。ひとつの秘密の対価だ。悪魔に借り作ったらなにされるかわからん。」


ほんの一瞬だけ昔のことを思い出していたつもりだったが、サキの顔を見るに数秒経過していたようだ。

黙り込んだ俺の態度を拒絶と受け取ったのか彼女は悲し気に目を伏せたが、別にムキになってまで秘密にすることではないため観念して答える。決して彼女のどこかおかしいネーミングセンスによる命名を恐れたわけじゃない。


「あら、そう?うふふ、じゃああなたの名前を教えて♪」


「…長い方と短い方、どっちが良い?」


「え、なにそれ。二つ名前があるの?」


「冗談だ。…"ビル"って呼んでくれ。」


「"ビル"…建物の"びる"、じゃないわよね?」


「れっきとした人の名前だよ。普通は…ウィリアム、を略してビルになるな。」


「あ、じゃあ"ウィリアム"って名前なのね!ウィリアム、うぃりあむ…♡うふふ、名前きいちゃったー♪で、ウィリアムを略して"ビル"、ね。…?……あれ…ウィリアム……を略して………ビル…?………???」


「………。」


彼女と出会って3日目…正確に言うと行動を共にしてから2日目、ようやく彼女に俺の名前を名乗った。

実は生まれた時につけられた名ではない。が、別に構わないだろう。要は人を呼ぶときに誰のことか判別できれば良いのだ。

適当に言葉を紡ぐと、彼女は疑念の目を向けてくることもなく頬に手を当てて満足げに俺の名前を復唱していた。なぜだか真実でないことを騙し伝えているかのような気分になり、今からでも本当の事を洗いざらいぶちまけないといけないかのような錯覚に陥るが、口に出る前に仕舞い込む。


まぁ、彼女も本名名乗ってないし別にいいだろう。


「…まあそういうわけだからジョンって呼んでくれて良いぞ。」


「なんでよ!全然かぶってないじゃない!普通に"ビル"って呼ぶわよ!……あれ?もしかしてジョンの方が本当の名前だったり?」


適当なジョークを言うと子気味良く反応を返してくれた。それでいい、そのくらいがいい。

考えても仕方のない昔話に意識を向けてもなにも得られるものはない。コイツと適当に話している方がずっとマシだ。

そんなことを考えて気を取り直していると、彼女のほうが早く地上への梯子に足をかけた。


「…おい、ちょっと待て。」


「え?何?ここから外に出られるんでしょ?」


「多分な。でも俺が先に行く。お前は後から来い。」


長いようで短く感じた地下通路の散歩を終わらせるべく、俺が先導してマンホールの蓋を開けに行った。




◇ ◇ ◇




ジャリジャリギギギ、と砂をすり潰すような音を鳴らしながらマンホールの蓋をずらし開ける。少しだけ開けてしばらく外の様子を伺い、身近に危険がないことを判断する。

重い蓋を脇にずらし、腕の力で身体を穴からするりと抜く。その後に続いてきたサキの手を取って引っ張り上げてやる。


久しぶりの娑婆に俺たちは目を細めて辺りを見回すと、すぐに昨日寝床にしようとしていた小屋が見つかる。若干警戒しながらも近づくが、あの忌々しい甲殻類がうろついている様子はない。


「じゃあ荷物を回収してくる。少し待っててくれ。」


「わかったわ。」


外にサキを待機させて小屋に入ると、昨日置いて行ってしまった装備品や探索の成果物はまだそこにあって少し安心する。

サキから回収して身に付けていた外套を脱ぎ、改めて旅の道具を装備していく。上着も一枚だけ代えの物が荷物の中にあったのでそれを着る。昨日タオル代わりにした服は適当に丸めて背嚢に括り付ける。

仕上げに、護身用具として弾が切れた銃の代わりに重い棒状の工具を取り出しやすい位置に吊り下げておく。


そうして小屋に置いた全資産を回収し、旅の再開に向けて気を引き締める。

果たして今日は何が起こるのだろうか。まあ半分以上はロクでもないことだろう。


いつもの小汚い放浪者の姿に戻った俺は小屋を出る。

外はいつも通りくすんだ太陽光が世界を明るく照らしていた。さすがに目が慣れたのかこの明るさにもう何も感じることはない。辺りを見回すとあいつがいないが、どこにいった?


若干また嫌な予感を感じながら小屋をぐるりと周ってサキの姿を探す。リスクがある以上、大きな声で名を呼ぶのは最終手段だ。

だがその必要はなく、彼女は十メートルほど離れた河沿いのコンクリートの土手の上にいた。何か下の方をじっと見つめている。


「おい。」


「あ、終わった?」


「なにしてんだ。」


静かに彼女の横に並び、彼女に倣って彼女の視線の先を見る。すると――マッドラーカーがいるじゃねぇか!!

どきりと心臓が跳ねるが、すぐにおかしいことに気づく。乾いた地面の上に1体のマッドラーカーが、複数の脚を投げ出して丸まっている。そいつはぴくりとも動かず、よくよく見ると頭部の一部が欠損していて流れた体液が乾きかけている。


「昨日のあの生き物が。一人でずっと動かないから…」


「…死んでるのか。」


このマッドラーカーはおそらく昨日俺が銃撃した奴じゃないだろうか。顔面に弾丸を食らっていただけあって、即死はしなかったもののダメージは確実に受けていたらしい。この感じだと、昨日の夜俺らが消えた下水ドアの前でしばらく待ち構えていたものの、寝床に戻る気力もなくここで力尽きたように見える。


辺りを見渡すが、他のマッドラーカーはいない。おそらく直射日光と乾燥から身を守るため再び泥の中に潜ったのだろう。


俺は慎重に土手を滑り降り、マッドラーカーに近づく。


「え、なにしてるの!?大丈夫?」


「……。」


自分の呼吸すら止めてしまいそうなほど静かに近寄り、そいつの身体を注視する。硬い殻が全体を覆っているためわかりずらいが、目玉や触角はピクリとも動かない。

ゆっくりとしゃがみこんで適当な瓦礫のかけらを拾い、マッドラーカーに投げてみる。コン、と硬い殻にはじかれて瓦礫は虚しく地面に落ちるが、マッドラーカーの身体は瓦礫が当たった衝撃でわずかに傾く。少しも動かない。


どうやらこいつは確かに絶命しているらしい。


昨日の決死の行動を幸運の女神が気に入ってくれたのか、俺に褒美を寄越してくれたようだ。こいつを丸ごと持っていって売ることができればそこそこ金になるだろうし、後でこいつの肉を堪能しても良いかもしれない。

俺は警戒を解いてマッドラーカーの死体に近づき、その体を引っ張ってみる。クソ重いが、なんとか持ってけるだろうか。


いきなり蟹野郎の死体をペタペタ調べ始めた俺を見て心配したのか、慌てた様子でサキがやってくる。


「ちょ、ちょっと、大丈夫なの?」


「ああ、こいつはもう死んでいる。」


「そう…。でもなにをしようとしてるのよ?」


「決まってるだろ。こいつを持っていくんだよ。そこそこ金になる上に、こいつの肉は結構うまいらしいぞ。良く見つけたな、サキ?」


「……そ、そう。まあ私も役に立つでしょう?」


「ああ、大収穫だ。」


心なしかどこか引き気味のようだが彼女はふふんと胸を張る。それを尻目にこのでかい戦利品をどう持ってくかあれこれ思案するが……。

仕方ない、そのまま引き摺っていくか。当然動きが遅くなるからいざというときは捨てるつもりだが、あらかじめ持てる部分は持っておくことにしよう。


俺はおもむろにマッドラーカーの腹に足を乗せて抑え、力任せにブギッ、と脚を1本1本もぎ取っていく。隣でサキが完全に言葉を失っているが関係ない。このでかい鋏も剥ぎ取っていきたいがさすがに太すぎて素手では無理だ。俺は刃物を持ってないが、サキならどこからともなく取り出してくれるかもしれない。


「おい、なんか切れるもの持ってないか?」


「……うぇ、結構ワイルドなことするのね…。」


「なんだ、料理とかしたことないのか?そんなことより、何か持ってないか?」


「残念だけどなにも持ってないわ。」


「そうか。」


残念だ。もぎ取った6本の脚を紐で束ねて背嚢に吊るす。残った胴体は依然として重たいが、他の紐をでかい鋏の1本に結びつける。これでなんとか運んでいけるだろう。


「よし、じゃあ行くか。」


「…え?それ(胴体)も持ってくの?」


「当たり前だろ。売れるんだから。」


「もうちょっと何とかならないのかしら……。」


終始テンション下がり気味の彼女を見るに、こういったことは慣れていないのかもしれない。

ズルズルとマッドラーカーの重い胴体を引っ張ってみるが、身体が丸いことと殻が硬いためそんなに重い抵抗は感じない。上出来だ。


太陽の位置をみるにまだ時間に余裕はある。着実に目的地へ向かうとしよう。




◇ ◇ ◇




乾いた地面を一歩一歩踏みしめて歩く。地面をなぞるように一陣の風が吹いて砂埃を巻き上げ、わずかな間つむじ風となって消える。

風の行く先を目で追って顔をあげると、そろそろ陽が落ちて赤っぽい光が見渡す限り遠くまで照らしている。

川沿いの小屋を出発したのが遅かったからか、気づけばもう夕暮れ時だ。


俺の後ろでは物言わぬ肉となった甲殻類がズルズルと俺の手によって引き摺られている。肩に紐が食い込んで不快だが、こんなのでも食料は食料、貴重だから見合った報酬が得られるだろう。

そして俺の横ではテンションが回復した悪魔が次々と話題を振ってくる。特に何もないのにどこか嬉しそうに話すのは彼女が楽観的な性格ということなのだろうか?


「…でね、どう思う?先生×生徒と、お兄ちゃん×妹、どっちの方がインモラル?」


「そりゃお前、兄妹同士でする方が背徳的だろう。ただまあ、責任って意味なら、教師が生徒に手を出す方がヤバイな。」


「でしょでしょ?やっぱりそうよね!兄妹同士は背徳的とかいうけど、どちらかというと純愛寄りよね♪先生と生徒の方が、普段の立場がある以上そういう雰囲気になったらドキドキしちゃうんじゃないかしら!」


俺たちはいったい何の話をしているのだろう。


もう何度目になるかもわからない疑問が頭をよぎる。さっきから大体こんな話ばっかだ。やれ男と女がどうだの、やれ情欲を掻き立てるシチュエーションはどうだの。本人も言ってたが色恋沙汰がよほど好きらしい。ただそれにしては彼女の興味の方向性はやや下ネタ寄りでまるで思春期のマセたガキが図体だけ大人になったみたいだ。

まあ、もう諦めた。彼女の話題に脳死して付き合うことにしよう。


なんでこんなことになったかって言うと、どうやら彼女は黙っているのが苦手らしい。まあそれは昨日散々喋り通されたあたりから容易に想像できるんだが、昨日と違い今日の道のりは会話のネタがなかった。


道行く瓦礫、廃墟、道路標識、何の使い道もないゴミ。何マイルも変わり映えのしないいつものウェイストランドの景色を昨日の彼女は興味深そうに見回していたが、既に大抵のものは説明してしまったため再び話題には上がらない。時たま初めて見るものについては尋ねられるが、そうそう真新しいものに出くわすこともない。


次の話のネタとしては彼女のいうに"世間話"とかが順当らしいが、俺と彼女は生まれも育ちも別であるため共通の話題は多くない。まず会話らしい会話が成り立たなかった。というか悪魔と世間話できる奴なんているのか?


で、最後の手段として彼女に話題を任せてみることにしたら、何を間違えたのか猥談をし始めた。これも会話に発展するとはとても思えなかったが、彼女はどうやら話の前提を俺の常識に合わせてくれているらしく、何とか俺でもコメントできたことで会話が成り立ってしまった。


そんな感じで、俺達は乾いた瓦礫を踏みしめながらこのようなよくわからない趣味の話を続けていた。別に誰が聞いてるってわけじゃないが、一文交わすごとになにか人として良くない方向へ向かっている気がする。

もしかしてあれか、こうして俺の価値観を歪ませて人の道を外れさせるってのがポストアポカリプスの悪魔のやり口なのか。


そんなくだらないジョークを思いつくが、特に言葉にはしない。話題は次の遠いようで近い、一見関係ないようで結局男女の話になって、彼女がハイテンションで話すのをゆっくりと聞く。


「それで私考えてみたんだけど、この世界って爆弾が落ちて滅んじゃったんでしょ?でもこんなに人がいたわけだし、いざというときに備えて身を隠せるような洞窟とか作られててもおかしくないんじゃない?」


「ああ、シェルターのことか?たしかにあるだろうな。」


「そう、しぇるたー!でね、しぇるたーにある男性が駆け込むと、そこには同じ職場で嫌いあっていた女性が既にいるとかどう?外には放射能もあるから二人は最初仕方なく一緒に生活するんだけど、薄暗い空間で男性は女性の隠れた魅力に惑わされて、二人はある日気の迷いで一夜を共にするの♪そしてその時女性は自分の中の恋心に気づくのよ!」


「ああ、そうだな。」


「で、で、一夜の過ちを犯した、って翌朝気まずくなるんだけど、二人は互いに以前より意識し始めて、協力して生活する上で互いの良いところに惹かれて行って、ついにカップルになるのよ!」


「ああ、そうだな。」


「それからは世界が終わっても寂しくないよ、って二人抱き合って眠るの。毎日お互いを想いあって、そう、外を探索して見つけた果物とかも男性は『君に譲る』って言うけど女性は『あなたのほうが身体が大きいから』と互いに譲りあって、譲り合いが終わらないから仕方ない、って言って口移しで分け合っちゃったりするのよ!すっぱいはずの果物なのに甘い甘い口づけだった、とかって――」


「ああ、そういえばあの時の果物はどこで採れたんだ?」


基本的に話を聞き流していたせいか我ながら壊滅的に下手な会話の入り方だったが、それにも彼女は慣れたのか、特に怒ることもなく答えてくれる。


「あの果物、って…昨日あなたにあげた果物のこと?」


「ああ。美味かったってのもそうだけど、見たことない果物だったからな。」


「あれは私の故郷の果物よ。ふふ、美味しかったなら良かったわ♪」


「悪魔にも故郷があるんだな。あれ、というか悪魔の果物を食っちまったのか俺。大丈夫なんだろうな、コレ。泳げなくなったりしないか?」


「まあまあ、美味しかったならいいじゃない。あ!ほら、何か見えてきたわ!」


俺達は馬鹿話しながら登ってきた丘で立ち止まり、その場所を見下ろす。


茶色く煤けたキャピタルの大地に、ぽっかりと大きな穴…いやクレーターがあった。

直径100mほどだろうか。それはすり鉢状に深く落ちくぼんでおり、その斜面には何かが密集している。

普通のクレーターなら内部は瓦礫と砂や泥しかないはずだが、それらの上にガタクラを寄せ集めたかのような建物がいくつも建っている。

中心部の汚れた水たまりを覆うようにそれらのボロ小屋がぐるりと立ち並び、放射線状に階段や通路が整備されている。


その家々は、深く落ちくぼんだ立地のために、吹き荒れる風、砂塵、そして太陽光を幾分か軽減し、クレーターによって守られているようだ。

そして、既に夕陽の赤い光が差し込まないそこには、まばらに黄色っぽい明かりが瞬いている。電気だろうか?それとも暖炉か?

その街は、仕上げにぐるりと外周部に廃材で構築した粗末すぎる防壁で守りを固めることで成り立っていた。この様相は"運び"の依頼を請けた際に聞いたとおりだ。


どうやら目的地についたらしい。長い上に疲れる旅路だったが、ようやく一区切りついたというところだろうか。


「ねぇ、あれは街?人が居るわ!」


「…そうらしいな。あそこが目的地だ。」


俺たちは夕陽を背に受けながら街へ足を踏み入れた。







彼のSpeechスキルは18%くらいです。たぶん彼女のスキルが高いから会話が成り立っているのでしょう。

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