愛の指輪は呪いの指輪だった
【一】
レーイライドは山脈に囲まれた国である。
アルネイア共和国に向かうためには、山を越えて行かねばならない。
「ええ……、この山越えるの……? 徒歩で……?」
旅人の往来も多いため、馬車が通れる程度に道は整備されている。とはいえ、坂道を延々と歩き続けないといけないことに変わりはない。
歩き出す前から俺は心が折れそうだった。
「弱音吐いてる場合じゃないでしょ。行くわよ……!!」
アイラスに叱咤されて、俺はしぶしぶ歩き出す。ろくな装備もないのに、大丈夫なのか……?
山道を歩くことしばし。案の定、すぐに俺は音を上げた。王宮生活で怠惰を貪ってきた俺の体力のなさを舐めないでほしい。
「お……、俺はもう駄目だ……、俺を置いて先に行ってくれ……」
「ま、まだ大して進んでないじゃない……!!」
アイラスは呆れて声を上げる。
――勘弁してくれ。昨日の夜からほとんど休まず歩き続けてるんだぞ? お前はどうしてそんなに元気なんだ……?
俺がぐったりしていると、どこからか悲鳴のような声が聞こえてきた。
「な……、何だ……!?」
俺が何かを言う前に、アイラスは悲鳴のした方に駆け出していた。
――元気すぎるだろ……!!
仕方なく、俺も遅れて彼女の後を追う。
木々の間から様子を伺うと、そこには数台の馬車が魔物の襲撃を受けていた。
馬車を襲っている魔物は、小さな体躯に醜悪な容貌、そして緑色の皮膚、――ゴブリンだった。
人間側も武器を持って応戦しているが、ゴブリンの方が数が多く、苦戦を強いられている。
――巻き込まれたら面倒だ。ここは気づかれないように逃げ……
「オルアアアアアァァァァァ!!! 何してやがるテメェらあああぁぁぁぁ!!!!」
次の瞬間、戦闘スイッチの入ったアイラスが全力でゴブリンに殴りかかっていた。
――あああ、アイラスううぅ!!
彼女の全力パンチを顔面に食らったゴブリンは、回転しながら数メートル吹き飛ばされる。
突然の乱入者に、ゴブリンの集団は浮足立った。
アイラスは、槍を振りかざして襲い掛かってくるゴブリンの腕をつかんで投げ飛ばす。投げられたゴブリンは仲間のゴブリンに激突し、数体がドミノ倒しになって倒れた。
投げた直後のアイラスに、背後から別のゴブリンが忍び寄る。――隙を狙ったつもりだったのだろうが、アイラスは即座に気配で気づいて回し蹴りを叩きこんだ。容赦ない蹴りを受け、ゴブリンは肋骨を粉砕されて悶絶する。
戦闘モードのアイラスにはオークですら敵わなかったのだ。ゴブリンなど、何体いようが敵ではなかった。
「……が、頑張れ~。アイラス~」
彼女の八面六臂の大活躍を、俺は木の影に隠れて応援した。
アイラスの加勢によって、人間達がゴブリンを押し始める。引き際と判断したのか、ゴブリンの集団は馬車の積荷を諦めて逃げ去って行った。
ゴブリンを撃退した人間達から歓声が上がる。リーダーらしき中年の男性が、アイラスに礼を言った。
「ありがとうございます、本当に助かりました……!!」
「い、いえ……、当然のことをしたまでです……」
アイラスは先ほどまでの剣幕が嘘のように、急にしおらしい態度になった。
俺はここぞとばかりに隠れていた木陰から姿を現わした。
「アイラス……!! 怪我はないかい? まったく、無茶なことをする……」
「レーンド……、ええ、私は大丈夫……」
「レーンド? はて、この国の王様が確かそんな名前だったような……」
男の言葉に、俺はギクリとする。魔族に追われて逃亡中の身なのに、正体がバレるのはまずい。
「ぐ、偶然名前が同じだけですよ……!! 俺達は、ええと、旅の武芸者なんです……!!」
咄嗟にそう言って、俺は誤魔化した。
「な……、なるほど。だからそんなにお強いんですね」
男はそれで納得してくれたようだ。
彼らは旅の行商人だった。何と、これからアルネイア共和国に向かう途中らしい。渡りに船とはこのことだ。
「実は俺達もアルネイア共和国に向かっているんです。良かったら馬車に乗せてもらえませんか? 護衛はしますよ!!(アイラスが)」
行商人達は、その申し出を快く了承してくれた。
俺達は行商人の馬車に揺られて山を越え、レーイライド王国を後にした。
【二】
アルネイア共和国の首都センタは大きな町だった。
石畳で綺麗に舗装された大きな道を馬車が行き交い、市場は人々で賑わっている。大きな石造りの建物も多い。畑と牧草地しかなかったレーイライドとは大違いだ。
ここまで乗せてくれた行商人達とは、街に入ったところでお別れした。彼らと一緒だったおかげで国境も怪しまれずに通過することができた。
――さて、とりあえずレーイライドを脱出してここまで来たものの、これからどうすればいいんだろうな……
そんなことを考えていた時、アイラスが言った。
「あの、レーンド。私、ちょっと行きたい所があるんだけど……」
「え……?」
「ほら、この格好のままだと、さすがにちょっとね……」
布を引き千切ったスカートの裾を広げて、アイラスは言った。
「ああ……、確かにそうだよな。でも、お金は持ってるのか?」
着の身着のままで逃げてきたので、残念ながら城からは何も持ち出せなかった。完全に無一文である。
何か金策を考えないと、今日食べる物すらない。
「ええ、それは何とかするわ。……レーンドはここで待ってて」
アイラスはそう言って、商店が立ち並ぶ方へと歩いて行った。
――何か換金できる物でも持っているんだろうか?
俺は、町の広場に一人で残された。
――待てよ。ここまで来ればもう安全だ。魔族の連中だって、こんな所まで追っては来ないだろう。であれば、俺がアイラスと一緒にいる意味はもうないのでは……?
あんなバーサーカーみたいな女とは縁を切り、この町で第二の人生を歩んだ方がいいのでは……?
――よし、逃げよう!!
俺の決断は早かった。足早にその場を離れ、彼女とは逆方向に歩き出そうとした。
しかし。
何かが俺の行く手を阻んだ。
まるでそこに見えない空気の壁があるかのように、俺はその方向に一歩も進めなくなった。
――え? な、なんで……?
行く手を阻まれているのは俺だけのようで、他の通行人は何事もなく俺の横を通り過ぎて歩いて行く。
意味が分からなかった。手を伸ばして触ろうとしても、そこには何もない。
はたから見れば、俺は何もない所でヘタクソなパントマイムを踊っているように見えたことだろう。
奇妙なものでも見るような通行人の視線が痛かった。
ついには、前に進めないどころか後ろの方へズルズルと引っ張られ始めた。先程アイラスが向かった方向へ、見えない力が俺を引っ張っていく。
――な、何だ……!? 一体何が起こっている……?
意味の分からない状況に、俺は慌てふためいた。
その時、ふとあることに気がつく。俺の左手の薬指に嵌められた『愛の指輪』が、ぼんやりと光を放っていた。
――こ、これはもしかして、『愛の指輪』の魔力……なのか……?
『愛の指輪』には強力な魔法が込められており、その指輪を交換したカップルは永遠に離れられない運命で結ばれると言われている。
「永遠に離れられない」というのを、俺はてっきり精神的な繋がりのことだと思い込んでいた。だが、もしかして物理的に離れられないという意味なのか? 指輪の魔力で、俺はアイラスの方に引っ張られているのか……!?
俺は慌てて左手の薬指に嵌められた指輪を外そうとした。
だが、全く外れない。まるで、皮膚にぴったりと張り付いているかのようだ。
――装備解除不可ってことか!? の……、呪いの指輪じゃねーか!!
げんなりして、俺は道端の花壇のレンガの上に座り込んだ。
――に、逃げられない。俺は、永遠にアイラスから離れられないのか……?
そのまましばらくぐったりしていると、小走りで駆け寄ってくる足音が聞こえた。どうやら、アイラスが戻って来たようだ。
「お待たせ……!!」
彼女の声に、顔を上げた俺は驚いた。
アイラスは、長い銀髪をバッサリと切っていた。腰ぐらいまであった髪が、肩の上まで短くなっている。
「えへへ……、切っちゃった。どうかな……?」
「あ、ああ……。短いのも似合ってるよ」
その感想は嘘ではなかった。顔が整っている彼女は、どんな髪型でも良く似合う。
薄幸の美少女という印象だったのが、髪が短くなったことで活発で愛嬌のある印象に変わった。髪型一つでこんなにイメージって変わるんだな。
服装も動きやすそうな格好に変わっていた。シンプルな半袖の上着に、ショートパンツから伸びる白い太ももがまぶしい。
ようやく、俺は気がついた。
「……もしかして、髪の毛売ってきたのか?」
「うん。思ったより高く売れたから、服を買っても余っちゃった。今日の宿代くらいにはなると思う」
アイラスはそう言って微笑んだ。
「何か、悪いな……」
彼女を置いて逃げようとしたことに、俺は一抹の罪悪感を覚えた。
「いいのよ、さっぱりしたし。とりあえず今日はどこかに泊まって、これからのことを考えましょう?」
***
俺達は安宿に部屋を取った。
レーイライドから逃げ出してアルネイア共和国に辿り着くまで数日。馬車に乗せてくれた行商人達のおかげで道中はそれなりに楽しかったが、やはり連日の野宿は体にこたえる。
俺は久しぶりにベッドで横になれる幸せを噛みしめた。
ちなみに、金がないのでアイラスと二人で一室だ。
最低限のプライバシーを確保するため、シーツを天井から吊るして部屋を区切った。
シーツ一枚隔てた向こうでアイラスが服を脱ぎ、水に浸した布で身体を拭いている音が聞こえる。公衆浴場に行く金もないので、そうやって体を清潔に保っているのだ。
女の子と相部屋という本来なら最高にドキドキするシチュエーションだが、残念ながら俺は別の意味でドキドキしていた。
――猛獣と同じ檻に入れられた気分、と言えばお分かり頂けるだろうか。
「これからどうする……?」
不意に、シーツの向こうからアイラスが俺に尋ねた。
――そんなのは俺が聞きたい。
国を追われて、全てを失ったという実感が今更のように襲ってきた。同時に、イードに対する怒りもふつふつと湧き上がってくる。
「……レーイライドを取り戻す」
俺は、そう答えた。
せっかく王族に生まれて人生勝ち組だと思ったのに、こんなのはあんまりだ。
イードを倒して国を取り返し、俺はセレブ生活を取り戻す……!!
「どうやって……?」
「そうだな……、魔族と戦えるような強い仲間を集めるか、金を稼いで強い冒険者に依頼するか……」
「……そうね、私達だけじゃどうにもならないものね」
今の俺達には何もない。明日飯を食う金すらないのだ。
「まあ、まずは明日からの事を考えようぜ……」
俺は言った。何よりもまず金を稼ぐ手段を考えないと、路頭に迷うことになる。
――日雇いの仕事でも探すしかないか……?
「それもそうね……」
「あ……、そうだ。冒険者ギルドに登録してみるのはどうだ?」
「……冒険者ギルド?」
「ああ。ギルドに登録して、依頼をこなして報酬をもらうんだ」
オークも素手で倒せるアイラスなら、魔物退治も楽勝に違いない。きっと楽に金を稼げるはずだ。それに、ギルドで仲間探しもできて一石二鳥だ。
「いい考えだと思うけど……、それって、魔物を倒したりするんでしょ? 誰が戦うの?」
アイラスが俺に尋ねる。
――くっ、アイラスのフィジカルチートにタダ乗りしようとしているのがバレたか?
「も、もちろん俺も一緒に戦うよ。君を一人で戦わせたりしない。……アイラス、君の力は世のため人のためになると思うんだ。二人で協力して、困っている人達のために戦おうじゃないか」
「……分かったわ、レーンド。それじゃあ、明日一緒に冒険者ギルドに行きましょう」
アイラスは頷いた。
――フッ、ちょろいな。
「あ、それと……、魔導協会にも行ってみたいんだけど、いいかな?」
「魔導協会……? 何しに行くの?」
不思議そうに、アイラスは尋ねた。
「実はその……。この指輪には魔法がかけられているみたいなんだ」
アイラスに何と伝えるべきか迷ったが、俺は正直に言うことにした。
「そうなの? どんな……?」
「……実は、俺もよく知らないんだ。だから、一度ちゃんと調べておきたい。アルネイア魔導協会には優秀な魔道士が多いらしいし」
「そう……、分かったわ。どうせ、他に用事があるわけでもないしね」
魔導協会は、文字通り魔道士たちの元締めだ。魔力の測定や魔道具の鑑定を依頼することもできる。
この指輪にかけられている魔法をちゃんと調べて、できるなら解呪してもらいたい。
――『愛の指輪』はとんだ呪いの指輪だった。
絶対に解呪して、自由になってやるからな。そして国を取り戻した暁には、女の子を集めてハーレムを作るんだ……!!
次回、「魔導協会の会長はエルフのお姉さんだった」
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