追放聖女が隣国の王子に溺愛される話かと思ったら違った(下)
地下へ繋がる長い階段を下りて、俺達は洞窟の中を歩いていた。
――今頃、城はどうなっているんだろう。すでに魔物達に蹂躙されてしまったんだろうか。
この隠し通路もいつ見つかって追手が来るか分からない。そんな焦りから自然と早足になった。
「あの……、レーンド様……」
前を歩く俺を、不意にアイラスが呼び止めた。
「ああ、ごめん。……疲れたかい?」
「……いえ、あの。足音が……」
「えっ……」
俺は足を止めた。耳を澄ましてみると、確かに俺達以外の足音がこちらに近づいてきていた。
――まずい、もう追手が……!?
「に……、逃げよう……!!」
「……はい!!」
俺はアイラスの手を引いて走った。
しかし、足元は岩場で滑りやすく、まともに走れない。
俺達がモタモタしているうちに、足音はどんどん近づいてくる。やがて、連中の持っている松明の明かりが背後に迫ってきた。
後ろを振り返って、俺は追手の姿を確認した。
人間の大人より一回り以上大きな体格。筋肉質な体つき。皮膚は緑がかった灰色で、口からは大きな牙が覗いている。――オークだった。
皮鎧を身にまとったオークが数体、俺達を追いかけてきている。
――くそっ、どうする……!?
残念ながら、俺は攻撃魔法が使えない。武器も持っていない。
仮に武器があったところで、剣術の訓練もまともにやっていない俺に勝ち目があるとは思えなかった。
――せっかく王家に生まれて人生勝ち組だと思っていたのに、俺はこんな所で死ぬのか? 嫌だ……。まだアイラスと夫婦らしいことを何もしていないのに、こんな所で死にたくない……!!
俺が絶望しかけたその時だった。
不意に、アイラスが言った。
「レーンド様、……私、猫を被るのはもうやめます」
「――――えっ?」
彼女が何を言っているのか、俺には分からなかった。
おもむろに、アイラスは着ていたドレスのスカートを豪快に引き裂いた。
「アイラス……!? い、一体何を……」
「――下がっていて」
大胆に生足を露出した彼女は、覚悟を決めた表情で俺にそう言った。
そして、追ってくるオーク達の目の前に自ら躍り出る。
「あ、アイラス……!! 危な――」
俺のその声は、彼女の雄叫びに掻き消された。
「オルアアアアアアアァァァァァァァァ!!!!」
雄叫びと共にアイラスが放った拳が、オークのみぞおちに突き刺さる。
――どう見ても、素人の技ではなかった。彼女の拳は正確にオークの体の芯を捉えており、その証拠に、オークの巨体は盛大に後ろに吹き飛んだ。
「かかって来いやデカブツどもがああぁぁぁ!!!」
――えっ……、ちょ……。アイラスさん……?
先ほどまでの可憐でおしとやかな美少女は一体どこへ行ったのか、豹変した彼女はドスの効いた声でオークを挑発した。
オークは、重そうな棍棒を彼女に向かって振り下ろす。
だが、鈍重な棍棒は空を切り、何もない地面を叩いた。
棍棒を紙一重で避けたアイラスは、オークの手首を両手で抱えるように掴み、自分の両足を振り上げてオークの首に足をかける。そして、全体重を使ってオークの肘を引き延ばした。
――う、腕ひしぎ十字固め……!?
プロレスであれば相手のギブアップを待つところだが、当然そんな生ぬるいことはしない。彼女はオークの肘関節を逆方向に曲げ、そのまま骨をへし折った。
ゴキン……と生々しい音がすると同時に、オークの絶叫が洞窟の中に響き渡る。
――ひ、ひええぇぇ。
俺は背筋が寒くなった。
骨をへし折ったオークの鼻面に膝蹴りを入れて完全に黙らせ、アイラスは不敵に笑う。
「ふふ……、ようやく体が温まって来たぜ……、さあ、どんどんかかって来いやああぁぁぁ!!」
どう見ても体格で勝るオークを格闘技で圧倒するアイラスの姿を、俺は呆然と眺めていた。
――お、俺は一体何を見せられているんだ……?
というか、あのアイラスは本当にさっきまでの美少女と同一人物か? 大人しくてか弱い聖女様じゃなかったのか……?
親友だと思っていた男が実は魔族で裏切者で。
薄幸の美少女だと思っていた聖女様が実は脳筋だった……?
今日だけで色々なことが立て続けに起こりすぎて、俺の脳はもう完全にキャパオーバーだった。
――――うん、逃げよう。
俺は思った。もう駄目だ。こんな現実は受け止めきれない。
オーク達を相手に獅子奮迅の激闘を繰り広げるアイラスを尻目に、俺はこっそりとその場から逃げ出した。
だが、少し行った所で不意に後ろに引っ張られるような謎の力を感じた。
――何だ?
後ろを振り返ってみるが、そこには何もない。
その時、俺の目の前に何かが飛んできた。――アイラスにぶん投げられたオークの巨体だった。
オークの体は頭から壁に激突し、壁にめり込むように突き刺さる。
「ひ……、ひえぇ……」
俺は思わず情けない声を上げてその場にへたり込んだ。
「ちょっと……? もしかして私を置いて逃げようとしたの……?」
言葉に怒気を滲ませて、アイラスが俺の方に歩いてくる。何体かいたはずのオークは、全てアイラスにボコボコにされていた。
「ち、違っ……、違うんだ……!! その……、そ、そうだ、退路を確保しようと思って……!!」
惨めに言い訳をする俺を、アイラスは睨みつけた。
――こ、殺される……!!
「ひどいじゃない!! 『君だけでも守りたい』とか言ってたくせに!!」
「お、お前みたいな女をどう守るって……!?」
「お前みたいなってどういう意味よ……!! 私はあなたのために戦ったのに!!」
「そ、それは感謝してるけど……、というか、何でそんなに強いんだよ!? ファリスの聖女じゃなかったのか!?」
「そっ……、それは……」
アイラスは言いにくそうに口ごもった。
「し……、信じてもらえないかもしれないけど……、実は私、前世の記憶があるの……」
「えっ……?」
俺は驚いた。
「もしかして、君も転生者なのか……?」
「え……、まさかあなたも前世の記憶があるの……?」
――何てこった。そんな偶然があるか? 運命のいたずらと言うか、悪意のようなものすら感じる。
「えっと……、ちなみに前世はどこ出身?」
「千葉県だけど」
――日本かよ!! しかも千葉か……!!
「あなたは……?」
「い……、茨城……」
「ふぅん、そう……」
「あ、……い、いま馬鹿にしたか!? 茨城を馬鹿にしたか!?」
「し、してないわよ!! コンプレックス強すぎなんじゃないの……!?」
――いや、出身地なんてどうでもいい。今はそんな話をしている場合じゃない。
「そ、それで……、前世で何をしたらそんなに強くなるんだ?」
気を取り直して、俺はアイラスに尋ねた。
「実は私……、前世では女子プロレスラーだったの……」
「は……、はああぁぁぁ!?」
「プロレス以外にも、空手、柔道、ボクシング……、格闘技は一通りやったわ……」
「い、いや、待て待て。でもそれは前世の話だろ……? 今世では体鍛えてないのにあんなにパワーがあるのはおかしくないか……?」
当然の疑問を、俺はアイラスに尋ねた。どれだけ前世で強かろうと、今世でフィジカルが弱ければ話にならないはずだ。
「私、魔法が使えないせいでずっと家族から虐められてて……、ストレス解消に隠れてめちゃくちゃ筋トレしてたの……」
――な、何じゃそりゃ……!! 俺は心の中で全力でツッコミを入れた。
もしかしてドレスの下は腹筋バキバキなのか……?
「そ、そうだったのか……。うん、君が強い理由はよく分かったよ。……じゃあ、俺はこれで……」
「ちょっと待ちなさいよ!! どこに行く気……!?」
さりげなくその場を去ろうとした俺の肩を、アイラスがつかんだ。
「い、いやほら。早く逃げないと……」
「逃げるなら一緒にでしょ!! 私たち、婚約者じゃない……!!」
左手の薬指に嵌めた『愛の指輪』を見せながら、アイラスは言った。
――う、うぐぅ……。確かにそうだが、こんなの詐欺では? 婚約相手がフィジカル最強だなんて聞いてないんだが……!?
「わ、分かった。逃げよう、二人で……!!」
俺は言った。冷静に考えてみれば、安全圏に辿り着くまでは彼女と一緒にいた方がいい。俺には戦闘手段がないからな。
「ええ、レーンド。……私たち、ずっと一緒よね?」
アイラスが俺の手を握って微笑んだ。
彼女が力を込めると、俺の手の骨がきしんでミシミシと音を立てる。
「あ……、ああ……」
引きつった笑顔で、俺は頷いた。――やっぱり詐欺では?
***
無事に地下洞窟を抜けた俺達は、レーイライドの城壁から離れた森の中に出た。
だが、まだ安心はできなかった。森の木々の間に、チラチラと松明の明かりが見える。
――まずいな。俺達のことを探してるのか……?
「夜が明ける前に森を抜けましょう」
アイラスが言った。
「あ、ああ……。でも、どこに向かえばいいんだ……?」
「ファリスには戻れないし、……とりあえず、アルネイア共和国に向かうのはどうかしら」
アルネイア共和国はレーイライドの西隣にある大国だった。人口も多く、商人や冒険者の行き来も盛んだ。旅人のふりをして行けば、怪しまれることもないだろう。
「なるほど……。そうだな」
俺は頷いた。――今はとにかく、レーイライドから離れなくては。
こうして俺は、生まれ育った国を追われて逃亡の身となったのだった。