転生王子と追放聖女(下)
【一】
その日も、レーイライドは良い天気だった。
ゆったりと流れる雲を眺めながら、俺は城の庭でウトウトしていた。
「レーンド様……!!」
そんな時、一人の青年が俺を探しに来た。――イードだ。
俺と兄弟のように育った彼は、現在では俺の優秀な部下である。
まだどことなく少年っぽい外見をしている割に、大人よりよく働いている。正直、優秀すぎて俺の出る幕がないくらいだ。王位継承に伴う仕事の引き継ぎやら面倒な手続きも全てイードがそつなくこなしてくれた。
イードが何でもやってくれるのをいいことに、俺はイードに仕事を丸投げしてサボりまくっていた。
「またこんな所でサボってたんですね……」
俺の姿を見つけて、イードは呆れたような顔をする。
「イード、……何か用か?」
「何か用かじゃありません。あなたはもう王子じゃないんですよ。先日お父上が亡くなられて、この国の王位を継いだんです。もう少し自覚を持って下さい」
「わ、分かった。分かったよ。……で? 何か用事があって俺を探してたんじゃないのか?」
イードの小言を遮って、俺は尋ねた。
「ああ、はい。――ファリス聖王国から親書が届いております」
「ファリスから……?」
ファリス聖王国はレーイライドの隣にある大国だ。そんな国が、うちみたいな小国に何の用だ……?
イードに手渡された書面に、俺はその場で目を通した。
親書の内容は、意外なものだった。
長いのでざっくり要約すると、ファリス聖王国の王族の血を引く娘を嫁にもらう気はないか? というものだった。
「よ……、嫁……? 俺に……?」
俺は動揺した。
――なんでファリス聖王国のお姫様がうちみたいな田舎に? いや、それ以前に、いきなり嫁と言われても……
俺の父親であるハラルド王は厳格で真面目な人だった。母が俺を生んですぐ亡くなってからも後妻を迎えることもなく、側室もいなかった。
そんな父親は当然のごとく俺の女性関係にも厳しかった。みだりに女人に触れることも許されず、俺は女の子と手を握る機会もないまま十七歳になっていた。
前世でも今世でも、俺はまだ女の子と付き合ったことがない。
「ど……、どう思う……?」
俺はイードに尋ねた。
動揺しすぎて頭が真っ白になったので、とりあえず誰かの意見を聞きたかった。
「どうと申されましても……、相手はあのファリス聖王国ですからね。文面ではお伺いという形式を取っていますが、こちらに拒否権はないでしょう。向こうの思惑は分かりませんが、お受けするしかないのでは……?」
イードはあくまで冷静に、的確な答えを返してくれる。
大国であるファリスと小国レーイライドでは国力が違いすぎる。逆らうリスクは大きいし、リスクを負ってまで逆らう意味もない……か。
「そ……、そうだよな。受けるしかないよな……!!」
――そうだ。別に嫁をもらって俺が損をすることは何もない。もし相手が好みのタイプじゃなかったら、側室を作ればいいだけの話だ。
考えてみれば、もうあの父親はいないのだから愛人でもハーレムでも作り放題じゃないか。
「よ、よしイード、早速ファリスにお受けする旨の返事を送ってくれ……!!」
「――かしこまりました」
俺の言葉に、イードは頷いた。
【二】
その馬車はファリス聖王国から山を越え、はるばるレーイライドまでやって来た。――ファリス王家の血を引く姫君、アイラス=アルフィール。
彼女がやって来る日を、俺は心待ちにしていた。
気が気ではなくて、しばらくまともに仕事も手につかなかったくらいだ。
――まあ、もとから仕事は大してやっていないが……
一刻も早く彼女の顔を拝みたくて、俺は城の入り口まで彼女の馬車を迎えに行った。
馬車の扉が開き、従者に手を引かれて一人の少女が姿を現す。
輝くような長い銀髪が風に揺れて広がる。水面のように澄んだ碧い瞳。瞳の色に合わせた青いリボンが、彼女の銀髪によく似合っていた。
彼女の美しさに、俺は息を飲んだ。そして、心の中でガッツポーズをする。
――やっっった!! 美少女だ!! SSRの美少女だ……!!
だがそんな内心は決して表に出さず、俺はあくまで爽やかに紳士的に、彼女に声をかけた。第一印象が大事だからな、こういうのは。
「初めまして、アイラス様。私はレーンド。レーンド=ウィル=エスト=レーイライドと申します」
「レーンド様……、あなたが……」
俺の顔を見て、アイラスはわずかに頬を赤らめる。
――よっしゃ、どうやら好印象を与えたようだ。
「長旅お疲れだったでしょう。……どうぞこちらへ。ファリスと比べれば何もない田舎ですが、ゆっくりなさって下さい」
「いえ、そんなこと……、素敵な所ですわ……」
俺はアイラスの手を取って、城の中へと彼女をエスコートした。
美少女と手を繋いで内心では天にも昇るような気持ちだったが、決して表には出さない。
――あくまで自然に振舞うんだ、俺……!!
ファリス聖王国の王家の血を引く女性は高い魔力と浄化の力を持ち、「聖女」と呼ばれると聞いている。
その聖女様がどうしてこんな小国に嫁がされたのか知らないが、きっと何か事情があるに違いない。
俺はこういうシナリオに覚えがあった。
――これってあれだろ? 虐げられて理不尽に追放された聖女様が隣国の王子に溺愛されるやつだろ?
自慢じゃないが前世でウェブ漫画は浴びるほど読んだからな。俺は詳しいんだ。
だとしたら、俺は「理想の王子様」であらねばならない。そして彼女を溺愛して思う存分イチャイチャするんだ……!!
愛人だとかハーレムだとか、そんな考えは俺の中から吹き飛んでいた。
俺はアイラスに一目惚れしていた。
【三】
教会を中心として大きな都市が形成されているファリス聖王国と違って、レーイライド王国には城以外に目立って大きな建物もなく、城下町もこじんまりしている。
ファリスのように厳しい戒律があるわけでもなく、人々はみな自由に生きているようにアイラスには見えた。
アイラスは、すぐにこの国の雰囲気が好きになった。
ファリスを追い出されて知らない国に嫁げと言われた時は絶望したが、今ではレーイライドに来てよかったとすら思えた。
アイラスの夫になる予定のレーンドという青年は、彼女のことをとても気遣って優しくしてくれる。
――どうして、私なんかにこんなに優しくしてくれるのかしら。
アイラスに早くこの国に馴染んでもらおうとしているのか、レーンドは城の周辺の色々な場所を案内してくれた。
その日は馬に乗って少しだけ遠出して、アイラスはレーンドと共に城下町が一望できる丘の上にやって来た。
その丘には、青い花が一面に咲き乱れていた。まるで青空の絨毯のようだ。
「すごい……、綺麗……」
アイラスは思わず呟く。
「蒼玉草といって、この国の固有種なんだ」
レーンドは青い花を一本手折って、アイラスに差し出した。
「アイラス、……君の瞳の色に似てる」
「レーンド様……」
彼の深緑色の瞳に見つめられて、アイラスは自分の鼓動が高まるのを感じていた。
「……その、前から気になっていたんだけど、どうしてファリス王家の血を引く君がこんな小国に?」
レーンドはアイラスにそう尋ねた。
「そ……、それは……」
アイラスは口ごもる。――どうしよう。魔力がないことを知られたら、また失望されてしまうんじゃ……
「あ……。別に、言いたくないなら無理に言わなくても……」
アイラスの表情が曇ったのを見て、レーンドは慌てて言った。そんな些細な気遣いですら、アイラスには嬉しかった。
アイラスは、レーンドに自分が追放された理由を打ち明ける決心をする。
「いえ、聞いてください。……実は私、聖女なのに魔力が無いんです……」
「……ああ、なんだ。そんなことか」
拍子抜けするほどあっさりと、レーンドはそう言った。
「えっ……」
「ここではそんなことを気にする人はいないよ。俺……、いや、私だってそんなに魔力が強い方ではないし……」
そう言って、レーンドは屈託なく微笑む。
「レーンド様……」
アイラスは嬉しかった。魔力が無いということを卑下するでも憐れむでもなく、自然に受け入れてくれたことが。
アイラスは、レーンドに恋に落ちていた。
【四】
アイラスの心を射止めた確信をして、俺は心の中でガッツポーズをする。
魔力が無いとかそんなことは心底どうでも良かった。――もっとヤバい理由があったらどうしようと心配していたから、むしろその程度で安心したくらいだ。
この世界で全く魔力が無い人間というのは珍しいが、別に魔法が使えなくても死ぬわけじゃないし、何の問題もない。
今のところ、万事が順調で怖いくらいだった。
前世では就活に失敗して結婚なんて夢のまた夢だったのに、何の苦労もなくこんな美少女を嫁にもらっていいのか……?
――やっぱり人生は運で決まるのか。王族というセレブに生まれた時点で勝ち確なんだな。
思う存分アイラスとのデートを楽しんで、俺は城に戻って来た。
俺に惚れてる女の子と二人でいるだけでこんなに楽しいんだな――と、幸せの余韻を噛みしめる。
城に戻ると、不満げな顔をしたイードが待ち構えていた。
「レーンド様……、アイラス様と仲良くするのは構いませんが、仕事が溜まってますよ?」
――まずいな。つい浮かれすぎて仕事をサボりすぎたか。
「ああ、うん……。書類仕事はお前に任せるよ。何か確認が必要な時だけ言ってくれ」
「えっ……、ちょっと……」
イードはまだ何か言いたげだったが、俺はそそくさと逃げた。
――すまん、イード。俺はアイラスの好感度を上げるのに忙しいんだ……!!
実際、書類仕事は俺がやるとミスばかりで結局後からイードに直してもらう羽目になる。だったら、最初からイードに任せた方が効率的だろ……?
俺は昔からそうやって面倒な仕事はイードに丸投げしてきた。
イードは優秀な奴だ。だいたいのことは何とかしてくれる。今までだってずっとそうだった。
俺は兄弟同然に育ったイードのことを信頼していた。
【五】
レーイライド城の執務室には深夜まで明かりが灯っていた。
山積みになった書類を、イードは一人で黙々と片付けていた。
「おつかれさまです、イード様」
見かねたメイドの一人が、お茶と簡単な夜食を用意して執務室を訪れた。
「ああ、ありがとう」
書類から顔を上げて、イードは微笑む。
「……レーンド様もひどいですよね、イード様にばかり仕事を押し付けて」
お茶を入れながら、メイドは愚痴を言った。
レーンドのサボり癖は使用人のほとんどが知っている。それで今まで何も問題が起こってこなかったのは、補佐役のイードが全てカバーしているからだ。
「構わないよ。それが僕の仕事だからね」
そう言って、イードは入れてもらったお茶を口に運ぶ。
「イード様……」
彼はレーンド本人に小言を言うことはあっても、陰で周囲に愚痴を漏らしたことは一度もなかった。
「夜食ありがとう。君ももう休んでいいよ」
「はい……。おやすみなさい、イード様」
頭を下げて、メイドは執務室から出て行った。
幼い頃からレーンドと一緒に育ってきて、彼の人となりをイードは誰よりもよく理解していた。
――怠惰で無責任。それが彼の本質だ。
特にアイラスが来てからは、盲目的に彼女の事しか見えていない。――まあ、その方がこちらとしては都合が良い。以前から準備していた計画を実行に移すには絶好のタイミングだ。
「いつの時代も、愚王は美女で身を亡ぼすものなんですね……」
イードは小さく呟いた。
――今はせいぜい楽しんでいて下さい、レーンド様。