対決・怪盗ルノワール!!波乱の舞踏会!!(後編)
【一】
「――それで、どこへ向かうの?」
怪盗の出現によって混乱する大広間を抜け出して、アイラスは尋ねた。
「さっき怪盗ルノワールが飛び去っていった方角の、反対側に何があるか分かるか?」
俺はアイラスに尋ね返す。
「え……?」
さっきの怪盗騒ぎは、どう考えてもおかしかった。
まるで自分を見てくれとでも言わんばかりの派手な演出。あんな演出をする必要がどこにある?
絵画をかすめ取ることだけが目的なら、大広間の明かりを落とすだけで十分だったはずだ。
ただの愉快犯でないとしたら、あんな風に自分の存在を誇示する理由は――
「……多分、あれは囮だと思う」
俺は言った。屋敷内を警備していた冒険者たちを引きつけるのが目的なんだろう。
「つまり……、怪盗ルノワールの目的は他にあるってこと?」
「ああ、多分な。囮によって人を引きつけている間に、別の何かを狙っているんだと思う。……だから、大広間とは反対側の方に何かあるんじゃないかと思ったんだ」
「えっと……、そっち側にあるのは、ブルックリン公爵の私室とか書斎かしら……」
「……なるほど」
怪盗ルノワールの本当の目的は、ブルックリン公爵が持っている『何か』である可能性はある。
俺達はとりあえず、ブルックリン公爵の私室がある方へと向かった。
*****
騒がしかった大広間とは一転して、屋敷の反対側は静まり返っていた。
みんな、怪盗ルノワールの探索に出払ってしまったのだろう。
窓から差し込む月明かりを頼りに暗い廊下を歩いていると、前を歩いていたアイラスが不意に足を止めた。
「……どうした?」
俺は小声でアイラスに尋ねる。
「ドアが開いてる……」
見ると、確かに廊下の先にある部屋のドアがわずかに開いていた。――あの部屋がブルックリン公爵の私室か?
俺達は足音を忍ばせて、そっとドアへと近づいた。そして、開いたドアの隙間から中を覗き込む。
部屋の中で、黒装束を身にまとった何者かか戸棚の中を物色しているのが見えた。
――何てこった、ビンゴかよ。あいつが本物の怪盗ルノワールか……?
ここは一旦引いて、誰か人を呼びに行った方が……。俺がそう思った次の瞬間、アイラスはドアを開けて部屋の中へと飛び込んでいた。
――あ、アイラスうううぅぅぅ!!!
アイラスは、何の躊躇もなく黒装束の人物に飛びかかる。――まあ、アイラスの戦闘力なら簡単に取り押さえられるだろう……、という俺の甘い考えはすぐに吹き飛ばされた。
黒装束の人物は、不意打ちで襲い掛かってきたアイラスに即座に反応した。
取り押さえようとしたアイラスに、振り返りざまに肘打ちを入れる。
だが、アイラスの反射神経も負けてはいなかった。肘打ちを紙一重で避け、拳を繰り出して反撃する。。
二人は互いに牽制し合いながら攻防を繰り広げた。アイラスは隙あらば関節技を狙っていくが、相手は素早く動いてその隙を与えない。
――う、嘘だろ……!? 体術でアイラスと互角……!?
黒装束の身体能力の高さに驚いた俺だったが、すぐに気が付いた。――いや、こいつ、魔法で身体を強化しているのか……!!
「アイラス!!」
俺は、即座にアイラスにも『身体強化』の魔法を付与した。これまでの『攻撃力強化』に加えて敏捷性もアップする上位互換の魔法だ。
魔法の効果を受けて、アイラスの攻撃の速度が上がる。
メイド服のスカートを大胆にひるがえし、アイラスは相手の頭部を狙って上段回し蹴りを放った。
黒装束は咄嗟に体を引いてその攻撃を避ける。――が、蹴りの風圧が覆面の布を引き裂いた。
引き裂かれた布から、プラチナブロンドの長い髪が溢れ出る。
――えっ、女……?
それには、アイラスも驚いたようだった。
その一瞬の隙を突き、黒装束の女は身をひるがえして窓の方へと跳躍した。そのまま窓ガラスを突き破り、夜の空へと身を踊らせる。
――お、おい、ここ三階だぞ……!?
俺は慌てて窓に駆け寄って下を見る。女は防御魔法で落下ダメージを軽減して身軽に着地し、そのまま森の中へと姿を消した。
「待っ……!!」
咄嗟に追い駆けようとしたアイラスを、俺は引き止める。
「やめとけ、……深追いしない方がいい」
女の正体は気になるが、危険を冒してまで追いかける意味はない。
――それにしても、あの女はこの部屋で一体何を探していたんだ……?
【二】
「わ、私の自室に侵入者……だと……!?」
俺達は、大広間に戻ってブルックリン公爵に黒装束の女の件を伝えた。
話を聞いて、ブルックリン公爵は真っ青になる。――心なしか、『星影の乙女』が奪われた時よりも青くなっている気がする。
「そ、それで、その女は逃がしたのか……!?」
「はい……、すみません……」
アイラスがそう答えると、ブルックリン公爵は露骨に舌打ちをした。――何だ、感じ悪いな。
「あの状況では仕方なかったんです。女は魔法で身体を強化していましたし……」
俺はアイラスを庇ってそう言った。
「わ、分かった……。その女についても捜索部隊を編成しよう……。私は、何か盗まれたものがないか確認してくる……」
ブルックリン公爵は、そう言ってフラフラと自室へと去って行った。
大広間に残っていた貴族達は、口々に怪盗ルノワールの噂話をしていた。まるで、良くできたショーでも見たかのように興奮気味に語り合っている。
「怪盗ルノワール……、噂には聞いておりましたけど、本当におりましたのね……」
「ええ、私達も気をつけないと」
「……でも、公爵には申し訳ないけれど、良いものが見られましたわ。ドキドキしましたもの」
――のんきなものだな。
しかし、実際あの演出はまるでショーのように出来すぎていた。――やっぱりおかしいよな。
ブルックリン公爵の私室に忍び込んでいた女が本物の怪盗ルノワールなのか?
いや、それとも……
考え事をしていると、マリエラお嬢様がつかつかと俺に歩み寄って来た。
――まずい、忘れてた……!!
「ちょっと!! この私を放り出して一体何をしておりましたの!?」
「す、すみません……!! ちょっと非常事態で……!!」
「……まあいいですわ。舞踏会ももう終わってしまいましたし」
マリエラは言った。
思ったよりも怒られずに済んで、俺はホッとする。
「ところでレーンド……、あなた、本当は高貴な生まれだって言ってましたわよね?」
「あ、ああ……。それが何か……?」
「も、もし良かったら……、わ、私の……」
顔を赤らめながら、マリエラは言う。
「私の、――あ、愛人にしてあげてもよろしくてよ……!?」
「え……!?」
俺が何かを言う前に、アイラスが俺とマリエラの間に割って入ってきた。
「ごめんあそばせ、お嬢様。……レーンドは私の婚約者ですの」
にっこりと微笑んで、アイラスは言う。
「なっ……、何ですの、このメイド風情が……!!」
一瞬、二人の女の間に火花が散った。
――や、やめて二人とも、俺のために争わないで……!!
あわや大惨事かと思われたが、意外にもあっさりと引き下がったのはマリエラの方だった。恐らく、俺とアイラスの薬指にあるお揃いの指輪を見て何かを察したのだろう。
「ふん……、冗談ですわよ。由緒あるロイマール侯爵家の娘であるこの私が、没落貴族の息子なんて相手にするわけないじゃない……」
そう言い捨てて、踵を返す。
「帰りますわよ、セバスチャン!! 馬車を回してちょうだい!!」
「かしこまりました、お嬢様。……レーンド様、報酬は後ほどギルドの方へお届けいたします」
老執事はそう言って、俺に向かって頭を下げた。
「おう、よろしくな」
――さようなら、マリエラお嬢様。今度こそいい男を見つけてくれよ。
【三】
「そういえば、グエインはまだ怪盗ルノワールを探し回ってるのかしら?」
ふと思い出したように、アイラスが言った。
「かもな。……ご苦労なことだな。怪盗ルノワールなんて、存在していないかもしれないのに」
小さな声で、俺は言った。
「えっ……? どういうこと……?」
俺は念のため周囲を見回した。大広間の中には、まだちらほらと人が残っている。
「……人がいないところで話すよ」
アイラスと一緒に、俺は屋敷の中庭に出た。――ここなら誰もいない。
空には美しい星空が広がっている。
「……さっきのはどういう意味? 怪盗ルノワールは存在しないって……」
アイラスが俺に尋ねる。
怪盗ルノワールのあまりにも派手で芝居がかった演出から、俺は当初、それが囮だと考えた。
実際、大広間から離れたブルックリン公爵の私室には、黒装束が忍び込んでいた。
――だが、それがもしただの偶然だったとしたら?
あの女が、そもそも怪盗ルノワールとは無関係だったとしたら……?
「アイラスはどう思った? 怪盗ルノワールが現れた時、大広間の明かりが落ちてから回復するまで、一分もかからなかった。その間に『星影の乙女』は消えていた。……奴はどんなトリックを使ったと思う?」
「分からないけど……、魔法とか……?」
「まあ、魔法を使えば実際何でもありだけどな……。魔法なんて使わなくても、それが可能な人間があの場に一人だけいるだろ」
「えっ……、誰……?」
「――ブルックリン公爵本人だよ」
俺は言った。
最初から額縁に仕掛けでも作っておけば、あの短時間で魔法のように絵画を消すのも簡単だったはずだ。
「え……!? で、でも、何のためにそんなことを……!?」
「……証拠がないから、これは推理というよりただの妄想だと思って聞いてくれ」
アルネイア共和国には、主に金持ちを対象にした美術品専門の保険会社が存在する。高価な美術品に保険をかけ、もし盗難などの被害にあった際には保険会社から金が降りるのだ。
俺はその話をアイラスに説明する。
「それってつまり……、最初から保険金目当ての自作自演……ってこと……!?」
「声が大きい……!! その可能性もあるってだけの話だよ」
予告状の話を聞いた時からおかしいと思っていた。
泥棒が自分の存在をわざわざアピールし、犯罪予告までする必要がどこにある?
ただの愉快犯でもない限り、何か理由があるはずだ。
――つまり、怪盗ルノワールはブルックリン公爵が作り出した虚像。
大広間に現れたのは、金で雇われた魔法使いか何かだろう。
公爵は絵画が盗まれたことにして保険会社から金を巻き上げ、ついでに、集まった貴族達にも適度な娯楽を提供できて一石二鳥だ。
もしかしたら他にもグルになっている貴族がいるのかもしれないが、まあそこまで首を突っ込む気はない。――万が一これが本当だったら、俺がブルックリン公爵に消されかねないしな。
世の中には下手に触れない方がいい真実もあるのだ。
「でも……、それじゃあ、あの女の人は何だったの……?」
当然の疑問を、アイラスは口にする。
怪盗騒ぎに便乗し、ブルックリン公爵の私室に忍び込んで『何か』を探していた女。
今回の件で、それだけが公爵にとってイレギュラーだったのだろう。
俺はブルックリン公爵の保険金詐欺疑惑よりも、黒装束の女の正体の方が気になっていた。
「そこまでは分からん……。でも、それを調べるのは俺達の仕事じゃないだろ……?」
「それは……、そうだけど……」
「――まあ、探偵ごっこはここまでだ。俺の仕事は終わったし、今日はもう帰ろうぜ。グエインもそのうち戻ってくるだろ」
俺は中庭から屋敷内に戻ろうとした。
しかし、アイラスが俺の服の裾をつかんで引き止める。
「ま……、待って……」
「……何だ? まだ何か気になることでもあるのか?」
「違うの、そうじゃなくて……」
「…………?」
アイラスにしては珍しく歯切れが悪い。
「わ……、私とも、踊ってほしいの」
「えっ……?」
突然の申し出に、俺は困惑する。
「だってその、私……、舞踏会って参加したことなくて……」
「え? でも、アイラスもファリスではお姫様だったんだよな……?」
「魔法も使えない出来損ないの娘よ……? 参加させてもらえるわけないじゃない」
――ああ、そうだった。悪いことを聞いたな……
俺が舞踏会で他の女と踊っているのを、アイラスはどんな気持ちで見ていたんだろう。それを考えると、俺はアイラスに申し訳ない気分になった。
「そ、そうか……。分かったよ。じゃあ……」
手を差し出した俺に対し、アイラスは首を横に振る。
「そうじゃなくて、もっと王子様っぽく……!!」
――注文が多いなぁ。まあ、仕方ない……
俺はその場にひざまずき、アイラスに向かって手を差し伸べた。
「姫様、私と一曲踊って頂けますか……?」
「……はい、よろこんで」
アイラスはそう言って微笑み、俺の手を取った。
彼女の腰に手を添えてゆっくりとステップを踏むと、俺の目の前でアイラスの銀髪が揺れる。
星明かりを受けて、彼女の銀髪はまるで輝いているように見えた。
何となく、俺はアイラスにプロポーズした日のことを思い出す。
「綺麗だな……」
「……何が?」
「ほ、星空が……!!」
「そうね……」
――まずい、心臓が……!! 心臓の音でステップが乱れる……!!
アイラスに出会った頃のときめきを思い出し、俺の心臓が高鳴る。――あの頃は、まさかこんなことになるなんて微塵も思っていなかった。
その時、俺の脳裏に前世の記憶が蘇った。
***
「みっちゃん……!! 僕、大きくなったらみっちゃんと結婚する……!!」
「え~、どうしようかなぁ」
みつきは、いたずらっぽく笑ってそう言った。
「……大人になって、ゆうちゃんが私より強くなったら、結婚してもいいよ?」
前世の俺の名前は、勇人といった。
「ほんと!? 約束だよ……!!」
「うん、約束」
俺はみつきと小指を絡めて指切りをした。
しかし、みつきは小学三年生くらいの頃に引っ越してしまった。――確か、千葉に。
みつきの両親が離婚して、彼女は母方の実家に戻ることになったという話は大人になってから知った。
「みっちゃん、僕、大きくなったらみっちゃんのこと迎えに行くから……」
「……うん、約束だよ」
別れ際に、そんな約束をした気がする。――でも、その約束は果たせなかった。
みつき。俺の前世の初恋の少女。
――アイラスは、みつきの生まれ変わりなのか?
***
俺の回想は、茂みに隠れてこちらを伺っているグエインの姿を見つけたことで中断した。
二人きりの世界に浸って踊っていた俺達の様子は、いつの間にか戻ってきていたグエインにばっちり見られていた。
――恥ずかしい。いっそ殺してくれ……!!