冒険者稼業は楽じゃなかった(下)
【一】
「いっ……、いやあああぁぁぁぁぁ!!!」
珍しく、アイラスが女の子らしい悲鳴を上げる。
とりあえず簡単そうな依頼を受けた俺たちは、センタの街の郊外にある森の中にいた。
この森に低級の魔物が湧いて近隣の住人たちが困っているので退治してほしい、というのが依頼の内容だった。
その魔物とは、スライムだった。
犬や猫くらいの大きさの、半透明で不定形の魔物だ。
スライムなんて雑魚中の雑魚、楽勝だろ……。と思っていたのだが、甘かった。
アイラスの繰り出した拳がスライムに当たる――が、スライムはその不定形の体で衝撃を吸収し、逆にアイラスの拳にまとわりついた。
「いっ、いやああぁぁぁ!! 取って取ってぇ!!!」
アイラスは腕をぶんぶん振り回してスライムを振り払おうとするが、スライムは彼女の腕に引っ付いて離れない。
いつの間にか、彼女の体にはたくさんのスライムがまとわりついていた。
――都合よく服だけ溶かすスケベスライムであれ……!!
一瞬そんなことを願った俺だったが、当然そんなことはなかった。というか、スライムにまとわりつかれているのは俺も同じだ。
攻撃力が低いため大して痛くはないが、鬱陶しいことこの上ない。
「お、落ち着くんだアイラス!! 魔法で何とかする……!!」
「は……、早くしてね!!?」
スライムが物理攻撃無効だなんて、誤算だったな……
俺は慌てて魔導協会の売店で買った『五歳から始める魔法入門』のページをめくる。
――あった、これだ。『魔力効果付与』。
武器などの対象に魔力をまとわせることによって、物理攻撃にも魔法攻撃と同等の効果を与えることができる魔法だ。
俺はアイラスのグローブとブーツに『魔力効果付与』の魔法をかけた。これで、物理無効の敵にも攻撃が通るようになるはずだ。
「行け、アイラス……!! それで殴れ……!!」
「オルアアァァァァ!!!」
溜まった鬱憤を吐き出すようにアイラスが繰り出した拳が、スライムを直撃する。
スライムは一撃で水風船のように弾け飛んだ。
――ひぇ……、やっぱり攻撃さえ通ればワンパンなんだな。
アイラスはそれから怒涛の勢いでスライムを潰しにかかった。
とはいえ、数が多いためアイラスだけに任せるわけにはいかない。俺は自分の短剣にも『魔力効果付与』の魔法をかけ、地道にスライムを攻撃した。
俺のへなちょこ攻撃でも、スライムであれば何回か当てれば倒せる。
アイラスが大暴れするかたわらで、俺は地道にスライムのHPを削る低レベルな戦いを繰り広げた。
俺達は黙々とスライム退治を続け、結局全部退治するのに丸一日かかってしまった。
――こんなの、攻撃魔法が使えたら一瞬で終わるんだろうなぁ。
「うぅっ……、スライム嫌い……」
スライムの体液まみれになったアイラスは半ベソをかいている。人間や人型のモンスター相手には無双できる彼女にも、意外な弱点があったようだ。
――冒険者ってもっと簡単に稼げると思っていたけど、案外楽じゃないな……
この調子じゃ、金を貯めるのにいつまでかかるんだろう……
【二】
冒険者稼業は楽じゃなかった。
俺達は四苦八苦しながらも、アイラスの強さのおかげで何とか依頼をこなしていた。
「何か……、結局私ばっかり戦ってない……?」
下宿のリビングで体の傷を手当てしながら、アイラスがぼそりとそう言った。
「うっ……、そ、それは……」
「レーンドは全然戦ってくれないし……」
「ぜ、全然戦ってないわけじゃないだろ。俺だって一応頑張ってるじゃないか……!!」
――残念ながら、俺は弱い。剣はまともに使えないし、攻撃魔法も使えない。
必然的にアイラスが前線に立ち、俺が後方支援するという形になる。……まあ、まともに使える魔法が少ないせいで、現状ではその後方支援すらままならないわけだが。
おかげで最近のアイラスは生傷が絶えない。
――俺だって、申し訳ないとは思ってるよ。
「そうだけど……、危なくなるとすぐ私を置いて逃げようとするじゃない……!!」
「に、逃げてない……!! あれは、退路を確保しようとしてるんだ……!!」
「もう、そうやって言い訳ばっかり……!!」
アイラスの溜まった不満がついに爆発してしまった。俺に対する感情がマイナスに振れて、『愛の指輪』の負の効果が発動する。
「えっ……!?」
急に、アイラスの体が俺の方に引っ張られた。バランスを崩した彼女は俺の体にぶつかって、俺達はもつれ合うように床に倒れる。
「いってぇ……」
咄嗟にアイラスの体を押しのけようとした俺の手が、何か柔らかいものを掴んだ。
「ちょっ……、どこ触ってるのよ……!?」
不可抗力で、俺はアイラスの胸を鷲掴みにしていた。ちょうど手の平に収まる程度のサイズ感だった。
――な、何という典型的なラッキースケベ……!!
しかし、俺は猛獣の尻尾を踏んでしまった時のような命の危機を感じた。
ヒュッと風を切るような音が聞こえた次の瞬間、俺の顔面のすぐ横の床板にアイラスの拳がめり込んでいた。
――こ、殺される……!!
「い、今のは不可抗力だろ!? というか、床を壊すなよ……!!」
「馬鹿馬鹿、レーンドの馬鹿……!! 離れなさいよ……!!」
俺達はもみ合って離れようとするが、指輪の効力で体が引き合って離れられない。アイラスの腕力をもってしてもどうにもならなかった。
――ああ、やっぱり喧嘩するとこういう事になるなるんだなぁ……
力尽くで離れようとして振り下ろしたアイラスの拳が俺の体にめり込む。普通の女の子なら可愛らしくポコポコという擬音が出るところだが、手加減していてもアイラスの一撃は重い。内臓にダメージが入る。
「うぐぅ……!! や、やめろアイラス……!! お、落ち着くんだ……!!」
俺は何とかアイラスをなだめようとした。
――こういう時、どうするのがいいんだろうな。女の子の扱いって難しい。
「わ……、悪かった。俺が悪かったよ……!! もう、絶対アイラスを置いて逃げたりしないから……!!」
「……本当に?」
「あ、ああ。もう絶対逃げたりしないし、俺も自分にできることを頑張るから……」
「約束してくれる……?」
「ああ。や、約束する……!!」
どっちみち、指輪が解呪できない以上俺とアイラスは運命共同体だ。何とか上手くやっていかなければならない。
「……指切りして」
「え……? ああ……」
俺はアイラスと小指を絡めて指切りをした。
その瞬間、前世の記憶が俺の脳裏にフラッシュバックする。
――前世でも、俺は誰かとこうやって指切りをした。誰と、何を約束したんだっけ……?
「あのね、私、レーンドが側にいてくれたらちゃんと頑張れるから……。だから、私を一人ぼっちにしないで……」
俺の瞳をのぞきこむように見つめながら、アイラスはそう言った。
――ああ、そうだった。アイラスは、家族に見放されて厄介払いされるように俺の所に嫁いできたんだった。そのことを、俺は今更ながら思い出した。
アイラスには他に行く場所がないし、頼れる相手もいない。
――そんな彼女のことを放り出そうとしていた俺は、思えば結構最低なことをしていたな……
「分かった……。アイラスを一人にしたりしないよ」
「……うん。約束してね」
ようやく指輪の効果が収まって、自然に体が離れる。
俺は自分の不甲斐なさを反省した。
――アイラスに負担をかけすぎないように、もっと魔法を勉強するか。