7話『親切にする理由』
ゴキブリに敗北した九条。
そんな彼女を抱えた俺は、悩んだ末に自室のソファーに寝転ばせることにした。
勝手に俺の家に招き入れるのもどうかとも思ったが、まだゴキブリがいる彼女の家に運ぶよりはマシだろうと判断した結果だ。
それから俺は一人で残りのゴミと這い回るゴキブリを退治して回った。
といっても、流石に玄関先以上に許可無しで入るのは憚られるので、玄関先のフローリングだけを掃除した。
後は九条に任せようと部屋に戻ると、九条がソファーの上でうなされていた。
白銀の髪を酷く乱れさせて。
「うぅ……こ、来ないで……く、黒い宇宙人がっ……!」
夢の中でもゴキブリから逃げているようだ。
あまりにも哀れな姿に俺は決心した。
「ゴキサンを買いに行ってやるか」
ゴキブリ殲滅最終兵器――ゴキサン。
密閉した部屋に設置して起動するだけで、噴射された煙が部屋の隅から隅まで入り込み、隠れ潜んでいるゴキブリを駆除できるという代物だ。
まさにゴキブリの恐怖に震える彼女に相応しい一品だ。
そうして俺はゴキサンが売っているであろう薬局で凄まじいものを発見した。
「ノンスモークタイプ……だと?」
ゴキサンの面倒な所は煙を使うが故に火災警報器などが反応したり、家具などに匂いが付くことだ。
しかしこのノンスモークは煙ではなく霧タイプらしく、その両方の心配ないと書いている。
「これなら九条でも使えるだろ」
科学の進歩に感動しながら俺はそれを購入して帰路についた。
するとーー
「あ、いた。私を部屋に連れ込んだ挙げ句に放置するなんて良い度胸ね?」
マンションのエレベーターを出ると、俺の部屋の扉から白銀の頭を出している九条がいた。
俺を見つけるや否や凶悪な笑みを浮かべている。
「はいはい、文句は部屋に戻ってから受け付けるから」
「ちょっと、なによその態度は? この私をあしらうなんて万死に値するわよ」
「すぐに殺そうとするなよ、物騒だな」
「もうっ!」
怒りながらも顔を引っ込めた九条。
その姿はまるで子供だった。
「面倒だな……」
子供は理屈ではなく感情で動くので苦手なのだが、高校生の九条がそうじゃないこと願いながら玄関を抜ける。
するとそこには、腰に手を当てて立っている九条が待っていた。
まるで仁王像だ。
「どこに行っていたの?」
「ちょっと買い物に……」
「どうして私が貴方の部屋で寝ているの?」
「九条がゴキブリに負けて気絶したからだろ」
「負けてないわよ!」
完膚なきまでの負けだったと思うのだが、これ以上言っても怒らせるだけだ。
故に俺はぷんぷんと怒っている九条の横を通り抜け、リビングへと向かった。
「ちょっと、話はまだ終わっていないのだけれど?」
「まぁまぁ、それよりもカレー食うか? 二日目だから美味しいぞ」
「……それってつまり、貴方の手作りってこと?」
「そうだが、嫌なら食べなくていいぞ」
「誰も嫌とは言ってないでしょ! 食べるわよ!」
「なんで一々切れ気味なんだよ……」
俺は呆れながらも冷蔵庫からカレーを取り出した。
入学式の用意が済んで暇になったから、暇つぶしにスパイスから作った本格カレーだ。
料理は嫌いじゃない。作れば妹が喜んでくれるからだ。
普段からずっと笑顔の妹だが、俺の料理を口にした時の笑顔はそれはもう眩しい。
俺はあの笑顔を見るだけの為に料理の腕を磨いたといっても過言ではない。
「はぁ……会いたいなぁ」
家を出てからまだ数日だが、既にホームシック……いや、これはもうシスターシックといってもいい。
俺の中の妹成分が枯渇している。このカレーだって本当は妹に食わせたかった。
しかし文句をたれても仕方がない。
今の俺がすべき事は九条に――
「おい、一人で何をしてる?」
人が妹に会いたい衝動に襲われている時に、九条は何故かソファーに裏に隠れていた。
そして疑わしそうに細められた碧い目は、何故かゴキサンの入った袋に向けられていた。
「き、気のせいだとは思うのだけど、袋の中にゴキブリが見えた気がするの……」
「ゴキブリ……あぁ、なるほど」
おそらく九条が見たのは、ゴキサンのパッケージに描かれたゴキブリの絵だろう。
俺は鍋を温める火を止め、机の上の袋からゴキサンを取り出した。
そしてそれを見えやすいように九条の方へと掲げてやる。
「なによ、その悪趣味なパッケージの商品は?」
「そんな事をいってもいいのか? これはまさに九条が喉から手が出るほど欲しがるものだぞ?」
「わ、私が……それを?」
「これはゴキサンといって、その効力は――」
それから俺は分かりやすくゴキサンについて説明した。
そして全てを語り終えた頃には、九条の目はキラキラと輝いていた。
「ゴキサン……人類の叡智だわ!!」
「そうだろ、これがあればゴキブリを一網打尽だ」
「素晴らしいわね! あ、まさかこれを買いに外へ?」
「まぁな。これで九条も安心して自分の部屋に帰れるだろ」
「あ、貴方は……どうしてここまでしてくれるの? 今日出会ったばかりなのに……」
これはマズイ。九条の目に明らかな疑いを感じる。
おそらく九条は疑っている。俺が会長の回し者だと。
そもそも九条が友達を作らなくなった要因の一つは、中学時代に友達だと思った相手が会長に派遣された人材だったということ。
つまり俺が会長の回し者だと知られれば、今後九条と仲良くなる未来はないだろう。
「ね、ねぇ……まさか貴方も……」
不安げに碧い瞳を震わせる九条。
これは本格的にマズイ。
彼女の脳裏には既に最悪の答えが浮かんでいるだろう。
この状況で真っ赤な嘘を吐いた所でバレる可能性の方が高い。
故に俺は決心した。
嘘偽りのなら真実を伝えようと。
「く、九条……真実を伝えても怒らないか?」
「怒らないわ。私と貴方はまだそこまでの関係でもないもの」
「そうか、それなら冷静に聞いてくれ。俺はただ――」
「貴方はただ?」
静まるリビングで俺は唾の呑む。
そして鋭くなっていく九条の目を真っ直ぐと見て言った。
「さっさと用事を済まして――九条に一秒でも早く帰って欲しかっただけなんだ!」
俺は心の底から本音を叫んだ。
そしてそれを聞いた九条は――
「万死に値するわ!」
顔を引きつらせながら拳を振り上げているのだった。