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6話『決着』

 ゴキブリの急な登場に混乱した九条は跳んだ。

 それも壁キックというゲームでしか見たことのない華麗な技も披露して。


 しかし問題は最終着地点が俺ということだ。

 常識的に考えて跳んでくる人一人の人間をキャッチするのは難しい。


 だが、これでも俺はスポーツ推薦を取る為に過酷なトレーニングをしてきた。

 全筋肉を総動員すれば、少女一人をキャッチするくらいは可能だった。


 そして実際にキャッチすることに成功した。

 だが、問題もあった。


 それは――キャッチした体勢だ。


「うん……これは流石に良くないな」


 九条は万が一にも地に足をつけたくなかった。

 だからこそ俺目がけて跳んだ――しがみつく形で。

 

 そしてそれを真正面から受け止めたということは、抱き合っている体勢になるというわけだ。


 首に手を回し、足でしっかりと腰をホールドされている。

 赤ん坊を抱っこしている体勢に近いかもしれない。


 つまり超密着しているということだ。


 顔のすぐ側に九条の綺麗な髪が揺れていて、甘くて良い匂いが漂ってくる。

 これが女の子の匂いという奴か。


 そんな思春期まっしぐらな感想を抱きつつも、周りにあるのがゴミとゴキブリというのを思い出して冷静になった。


「九条、俺が非力な男だったら今頃ゴミの上にダイブしていたぞ。運が悪ければゴキブリを潰していた可能性も――」


「貴方は命の恩人よ……」


 ギュッと首に回れた腕の力が増した。

 そのせいで更に密着具合が増した。


「わ、わかったから……一旦降りてくれ。このままじゃゴキブリ退治もままならな――」


「お願いだから降ろさないで! 今降ろされたら死ぬわ!」


 巻き付く足の力が増した。

 九条は制服、つまりはスカートだ。


 流石に色々とよろしくない。


「く、九条さん、流石にちょっと近いというか――」


「ち、近いってゴキブリ!? 早く逃げないと!!」


 ゴキブリの恐怖に脳を支配された九条は言葉の意味を勘違いした。


 そのせいで地面から逃れるように上へと移動する。

 木をよじ登るような感じで、頂上を目指して。


 その結果、俺の視界は真っ黒に染まった。


「おい……」


 声がくぐもっている。

 それも当然だ。今俺の視界を塞ぐのは、おそらく九条の身体そのものなのだから。


 異性に身体を密着させる事など気にせずに、彼女はチンパンジーよろしくといった風に俺の身体を登っていった。


 制服が迫ってきた、そう思った次の瞬間には視界は真っ黒になり、そして息がしづらい事に気づいた。


 柔軟剤の匂いだろうか?

 爽やかながらも微かに甘い香りが肺の中を支配する。


 そして問題は今顔に触れているこの柔らかい感触がどこかということだ。


 最後に見たのはまさに――九条の胸だった。


 しかし凄い勢いで迫ってきたので柔らかさを感じる間もなく、すぐに擦るように上へと移動していったはず。


 そのことから考えるに、この柔らかさは胸より下の部位という事になる。


 加えて肩や首後ろに妙な締め付け感がある事を考慮すると――


「逆肩車……だと?」


 つまり俺の視界を塞いでいるのは――スカートという事になるのだろうか?


 それはマズイ。恩義の会長の娘相手だからとかではなく、普通に年頃の男女としてもマズイ。


「く、九条……今すぐ離れてくれっ」


「いやいやっ! お願いだから降ろさないで!」


 強引に引き剥がそうと身体のどこかを掴んでみるが、そのせいで九条からの締め付けが更に増した。

 

 呼吸がままならないほどの圧迫感だ。しかし全力で呼吸するのは憚られる。

 女の子の衣服を通して呼吸するなど変態みたいだから。


 しかしこのままでは窒息する。それを理解した俺は感覚だけで歩き出した。

 ゴキブリを踏む可能性もあったが、死ぬよりはマシだと割り切って。


 そうして何とか玄関のドアノブに触れ、そのまま外に脱出することに成功した。

 そのことを多少の時間を掛けて九条に伝え、そしてやっと俺は解放されるのだった。


「ま、まぁあれだ……今のは事故ということで忘れるから……」


「うぅ……本当に忘れてくれる?」


「え、あぁ……うん、頑張るよ……」


「もうむりっ…」


 またも膝を抱えて座り込む九条には悪いが、流石に先のあれを忘れる事は難しい。


 それから数分後、羞恥に震えていた九条だったが、心の整理が出来たのか顔を上げた。


 その顔は未だに少しだけ赤み残っているが、そこは触れてやらないのが優しさというものだろう。


「情けない姿を見せたわ。ごめんなさい」


「まぁ気にするな。ある意味では役得……なんでもない」


 九条の視線が鋭くなったので要らん事はもう言わないでおこう。


 そうして切り替えたらしい九条は立ち上がった。

 その碧い目を玄関へと向けながら。


「それじゃあ続きをやりましょうか」


「いやいや……もうやめておけ。後は俺が一人でやるから」


「だ、大丈夫よ! さっきはゴキブリの存在を忘れていたからで、次は常に意識しながらやるから!」


 それを言うならせめて足の震えを止めてからにして欲しい。


 しかしそれを伝える前に九条は一人で勝手に動き出した。

 まるで先ほどの事を忘れる為にがむしゃらに行動しているかのように。


「せめてさっきのゴキブリを退治してから入ってこいって」


「駄目よ! あのゴキブリは私がやっつけるの! この私にあんな恥ずかしい思いをさせたのよ――万死に値するわ!」


 どうやら九条は復讐が目的らしい。

 ならばもう止めることはできない。


「簡単には殺さないわ……私が受けた屈辱以上の痛みを与えてから――」


 憎しみに燃える彼女は扉を開けた。

 そして見た。扉の裏に張り付いていた――憎きゴキブリを。


「――――――キュウ……」


 力なく後方へと倒れる九条、俺はそんな彼女をそっと受け止めた。


 目を回したまま動かなくなった九条を見て、俺は溜息と共に言葉が零れた。


「駄目だこりゃ」


 こうして九条は負けたのだった。たった一匹のゴキブリに。

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