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4話『黒いあいつ』

 九条彩華に敵認定された後、これ以上刺激しないために静かに過ごした。


 そうして初日の学校が終わり、俺は生活に必要なものを買ってから帰路についた。


「お帰りなさいませ」

「あ……どうも」


 マンションの中に入ると、スーツ姿の男の人に挨拶される。


 彼はコンシェルジュという職種の方なのだろうが、これがどうにも慣れない。


 大理石か何かのおしゃれな床や、座り心地の良さそうな椅子があるエントランス。

 まるで高級ホテルみたいだ。


 そんな庶民的な感想を抱きながらエレベーターに乗り、最上階のボタンを押す。


 ただの学生が高層マンションの最上階に住むなど分不相応も甚だしい。


 しかしこれにも理由がある。


 それは――


「……九条?」

「えっ?」


 エレベーターを降りると、見知った姿が見えた。

 俺の部屋のすぐ隣、その扉の前に体育座りをしている九条がいた。


 つまりはそう、九条が住む部屋の隣に俺は住んでいるというわけだ。


「こんな所で合うなんて奇遇だな」


「……ストーカー?」


「気持ちは分からなくもないが、残念ながら俺もここの住人というだけだ」


 あながち彼女の言葉も間違いではないのだが、決して俺の意思で隣に住んでいるのはないのでセーフだろう。

 いや、アウトか。


「学生で高層マンションの最上階なんて贅沢な話ね」


「その言葉をそのまま返してもいいか? って、それよりも何してるんだ?」


 あまりこの話題で深掘りされたくないので話を進める。


「貴方には関係ないでしょ」


「まぁそうだが、あからさまに困った様子のクラスメイトを無視はできないだろ」


「別に困っていないわ」


「それは嘘だろ……」


 膝を抱えて座るその姿は今にも泣きそうな子供のようだ。


 家の鍵を無くした? いや、それならコンシェルジュさんにお願いすれば済む話だ。


 しかしそれ以外に自分の部屋の前で座り込む理由が分からない。


「本当に困ってないのか?」


「………………えぇ」


 凄い間があった。

 だが本人が困っていないというのなら仕方がない。


「そうか、じゃあまた明日な」

「――あっ」


 鍵を解除してドアノブに手を掛けると、隣から悲しそうな声が聞こえてきた。


「……なんだ?」


「べ、別に……」


「そうか」


 次こそドアノブを捻ると――


「うっ……」


 今にも泣き出しそうな声が隣から漏れた。


 俺はなんだが馬鹿らしくなってきて、ドアノブから手を離した。

 そして膝を抱えたまま座る九条の前に立った。


「それで、困っている原因は?」


「だ、だから困っていない――」


「そういうのいいから……意地を張った所で事態は解決しないぞ?」


「………………」


 沈黙が廊下を支配する。


 九条は考え込むように抱えた膝に頭を乗せる。


 艶のある白銀の髪を無言で眺めていると、すっと碧い目が俺を捉えた。

 全身を微かに震えさせて。


「へ、部屋の中に怪物がいるの……」


「怪物?」


「そう、あれは怪物よ。全ての飲み込むような黒くて艶々のボディに、宇宙と交信でもしていると思われる二本の触覚、加えてあの速度! どうしてあのサイズであんなにも素早いのよ!」


「あぁ……」


 九条が怪物と呼ぶ正体が分かった。

 どうやらこのお嬢様は――


「ゴキブリが部屋に出て困っているということか」


「そうよ!」


 それなら話が早い。

 たしか部屋にゴキブリ滅殺スプレーがあったはずだ。


 そう考えて部屋にそれを取りに行こうとすると、制服の裾を凄まじい力で掴まれた。


「ねぇ! まさか私を見捨てる気なの!?」


「え、いや、そういうわけじゃなくてだな」


「私に貴方を責める権利はないわ……もしもこれが逆の立場なら私は全力で逃げるもの。それを加味したうえでのお願いよ――私を助けてっ」


 それはまさしく懇願だった。

 真っ赤なカーペットの床に膝を突いて、揺れる瞳で俺を見上げている。


「そんなにゴキブリが怖いのか?」


「当たり前じゃない! あれは絶対に宇宙からの侵略者よ! そうじゃないとあんなにも気持ちの悪いフォルムをしている訳がないわ!」


「わ、分かったから……あんまり大きな声を出すな。それと部屋にはゴキブリスプレーを取りに行くだけだから」


「え……助けてくれるの? 敵である私を?」


「敵認定しているのはそっちだけだから……」


 俺は呆れつつも部屋からゴキブリスプレーを持ってきた。

 そして九条の部屋の扉の前に立つ。


「もしも無事に帰ってきたら、今日から貴方は英雄よ」


「そんな大袈裟な……」


「ご武運を」


「はいはい」


 九条のテンションに付いていけず、俺はさっさと扉を開いた。

 そして見てしまった。


 重なるようにして積み上がる――大量のゴミ袋を。


「うっわ……」


 俺はそっと扉を閉じた。

 認めたくない現実から逃げるようにして。

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