37話『毒蜘蛛の罠』
黒井紫織。元ストーカーにして同じクラスの少女。
俺はそんな彼女について少しだけ調べた。どうして自分みたいな男にストーカーしてきたのか気になって。
その結果、俺との一つの共通が見つかった。
それは――根暗な性格だ。
休み時間はずっと本を読んでおり、誰かと楽しそうに話している姿は見たことがない。
前髪が長く目に掛かっているせいか暗い印象があり、ボソボソと喋るせいも相まって近づく人は少ない。
友達らしい相手は居らず、いつも淡々と授業を受けている。
似ている。朴念仁と呼ばれる俺にそっくりだ。
そう思っている時期が俺にもありました。
「一応聞こう。どうしていきなり――俺を押し倒した?」
俺は今、空き教室の床に寝転んでいた。いや、寝転ばされたというのが正確かもしれない。
なにせ教室を出ようとした瞬間に、いきなり背後から襲われたのだから。
凄まじい動きだった。腕を引っ張られたと理解した次の瞬間には、俺は見事に床へと組み伏せられていた。
九条といい黒井さんといい、なんで最近の女子は皆こんな動きができるのだろうか。
是非ともご教授願いたい。無事にここから帰れたら。
「貴方様が悪いのですよ? 私の話を無視して逃げようとするから……」
「別に逃げようとしたわけじゃない。俺はただ奴らが戻ってこない内にだな」
「嘘です。ストーカーである私の事を気味悪がって逃げようとしたはずです」
「そ、そんなわけないだろ。実際に黒井さんは、あの日以降は一度もそういう行為をしていないだろ?」
「………………はい」
「絶対してる間じゃねぇか!」
最悪の答えに俺は暴れるが、跨がる彼女の拘束は強固だった。
力を入れる前にその動きを封じられる感じだ。武術の達人かよ……。
「よし、わかった。望みはなんだ?」
俺は諦めて全身から力を抜いた。
黒井さんだって何か理由があって俺を拘束しているのだろうから。
「私の望みはただ一つです」
「そ、それは……?」
「貴方様とお友達になりたいんです!」
「……え?」
これには俺も間抜けな声が漏れる。
なにせストーカーまでしてきた相手の望みが友達になりたいだけだと?
これが前に会った時のようなたどたどしい雰囲気の少女だったら信じていたかもしれない。
しかし今の黒井さんは別だ、しっかりとした意志の元で喋っている。
つまり油断はまだできないということだ。
「えっと、つまり今ここで友達宣言をしたら解放してくれると?」
「宣言だけでは駄目です。人は嘘を吐ける生き物ですから」
「なら具体的にどうするば解放してくれる?」
「そうですね、最低でも――合鍵をください」
「嘘……だろ?」
ほら来た。厄介な提案が。
どこの世界に合鍵を渡す友達がいるんだ。
恋人同士だって相当な信頼がなければ厳しいはずなのに。
それをこのストーカーは気軽げに言いやがった。それも真面目な顔で。
「さ、流石に合鍵は……な?」
「そうですか。それなら別のものでもいいですよ」
「本当か! 合鍵以外なら割となんでもいいぞ!」
合鍵以上に渡してやばいモノなど想像ができない。
故に安請け合いした。その結果――
「では、キスしてください。今この場で、私の唇にしっかりと」
「はいっ!?」
「特別に選んでいいですよ。キスか接吻、それともチューか」
「全部同じ意味なんだけど!?」
マズイ。このままでは俺のファーストキスが蹂躙されてしまう。
まぁ正直にいえばそれはどうでもいいんだが、危惧すべきはその後だ。
キスという行為を許してしまったら、ストーカー気質の彼女がそれ以上の暴挙に及ばないとは限らない。
つまり俺の選択はただ一つしかなかった。
「わかった……合鍵で勘弁してくれ」
分かっている。合鍵を渡した際の危険性は。
しかし今優先するべきは、この状況から抜け出すこと。
拘束を解いた状況なら、合鍵の件を反故にだってできる。
そう考えての答えだった。これが最適解のはず。
「合鍵を選ぶなんて不用心ですね。私としては嬉しいですけど」
「は、ははは……」
「それでは合鍵がご用意できましたら、このアカウントにご連絡お願いしますね」
黒井さんはそう言って二つ折りの紙を俺のポケットに捻じ込んだ。
自分の連絡先を書いた紙を用意している辺り、この状況を予測していたとでもいうのだろうか。
もしもそうなら恐ろしいほど正確な予測だ。
だが、この勝負は俺の勝ちだ。
「あ、あぁ……必ず連絡するよ」
俺はできるだけ真剣な顔を浮かべ、今か今かと黒井さんが退くのを待つ。
そうしてやっと黒井さんの腰が浮いた瞬間――微かに俺の頬が緩んだ。
その瞬間だった。彼女の紫色の目がギラリと輝いたのは。
「あ、ちなみにですけど、もしも今の発言が嘘だった場合――暴露しますから」
浮き上がったはずの彼女の腰が、またも俺の身体の上に戻ってきた。
しかしそれよりも気になる事を言った。
「ば、暴露? それってなんの?」
「部屋が隣同士、水族館、ゲームセンター、携帯ショップ、そして屋上」
急に黒井さんは淡々と単語を口にした。
その全てが場所を示した言葉だが、そこに関連性はない。
一つの可能性を除いて。
「ま、まさか……」
言葉を吐く唇が震える。
そんな俺を見たからなのか、彼女は静かに笑った。
獲物を追い詰めた獣の如く、その笑みからは確かな悦が感じられた。
「九条さんと凄く仲がいいのですね。屋上で抱きつき合う程度には」
黒井さんはそう言って一枚の写真を取り出した。
そしてそこには――抱き合っている俺と九条の姿が映っていた。
「なっ!?」
「ご安心を。これをばら撒こうなどと考えていません。少なくとも貴方様が嘘を吐かない限りは」
黒井さんはそんな言葉を最後に、俺の上から退いてくれた。
しかし俺は動けずにいた。彼女が出ていった後も。
「……どうしよ」
ストーカーという存在を舐めていた。
もっと九条の忠告を真剣に聞くべきだった。
だが、既にもう遅い。黒井紫織という名の毒蜘蛛、その巣に俺はもう捉えられていたのだから。




