35話『屋上』
九条に見られながらも、俺はうどんを食べ終えた。
少し残った水で喉を潤させていると、九条が急かすように人のトレーを持ち上げた。
そこまで急ぎの用事なのだろうか。
「悪い、そういう訳だから先に行く」
「うん、またあとで!」
相変わらず気の良い宮原、こっちを見てこそこそと話しているギャル達。
そして今すぐにでも逃げ出したそうな山田を置いて、俺は先に行ってトレーを返却している九条を追いかけた。
「で、なんの用なんだ?」
「いいからこっちに来て」
食堂を出るや否や、九条は人の腕を掴んで歩き出した。
九条は良い意味でも悪い意味でも有名だ。
そんな相手と廊下を歩く、それも腕を掴まれた状態で。
「え、九条さんが男子と歩いてる!?」
「誰だあの男は……」
「我らが女王に腕を掴まれるなど……羨ましい!」
「で、でもさ……九条さんの表情からして、体育館裏でボコられる可能性も……」
「俺はそれでも良い! ていうか蹴られたい!」
「うわ……」
などと、色々な反応が聞こえてきた。
しかし九条はその全てを無視して歩く。まるで興味ないと言わんばかりに。
そうして歩いて辿り着いた先は、屋上へと繋がる扉だった。
「あれ、屋上って立ち入り禁止だろ。そもそも鍵が掛かっているし」
そんな俺の疑問に、九条はポケットから取り出した鍵を見せてきた。
「ま、まさか……」
「えぇ、そのまさかよ」
そういって九条は鍵を差し込んだ。屋上に繋がる扉へと。
「盗んできたのか……?」
開かれた扉を見て、俺は九条にそう訪ねた。
すると彼女は堂々した態度で言った。
「失礼ね、普通に借りてきたのよ」
「いや、普通は借りられないんだけど……」
「そうなの? 職員室で鍵を貸して欲しいって言ったら、幾らでもどうぞって快く貸してくれたけど?」
「そ、そんな馬鹿な……」
そもそも屋上への出入り禁止は落下などの危険性があるからで、それを貸して欲しいからと鍵を渡してくれるはずがない。
ならば何故、先生は九条に鍵を貸したのか。
「ちなみに鍵を貸してくれたその先生は?」
「校長だけど?」
「校長……あっ」
俺は理解してしまった。というか、冷静に考えれば答えは一つだった。
急な入学、席の配置、学校指定の靴ではなくブーツを履き続けている九条。
それらを許しているこの学校、ひいては校長はまさに――会長の操り人形。
「会長の権力はここまでなのか!?」
会長の娘である九条のお願いを校長が断れるはずもなかったのだ。
改めて会長の恐ろしさを噛みしめていると、九条が怪訝そうな顔を浮かべていた。
「いま、貴方の口から会長って言葉が出た?」
「ひゅ――」
九条の言葉に俺の喉が引きつった。
それはそうだ。動揺していたとはいえ、勢い任せに危ない発言をしてしまっていたから。
そしてそれを九条が聞いた。うん、非常にマズイ事態だ。
全力で誤魔化さなくては。
「か、会長? それってなんの? 俺が言ったのは校長だ」
「嘘よ、絶対に会長って言ったわ」
「え……そうだっけ? あ、でもそうか! うんうんそうだった! 俺は確かに会長って言った、そう――PTA会長ってね!」
「PTA会長?」
「まさかPTAを知らないのか? 保護者や教員が協力して子どもの健全な育成を図る団体のことだよ!」
「それは知っているけど……」
「つまり俺が言ったのは、一個人に対して甘い対応するのは健全な教育に反するじゃないのか『会長』って思って口にしただけだ」
「ふ~ん、そういうことね」
「そうそう! それよりもほら、早く入って本来の目的を聞かせてくれよ!」
俺は焦る気持ちのまま九条を屋上に押し込んだ。
急いで話題を変える為に。そして先ほどの話と関連のある扉から離れる為に。
「ちょっと、急に押さないで! 倒れちゃうでしょ!」
「だ、大丈夫だって、ほら、俺がこうやってしっかり支えているからさ!」
「あっ!?」
俺は押していた九条の肩を慌てて抱くように引いた。
そのせいで九条はバランスを崩し、俺の胸の中へと倒れ込んできた。
「えっと……悪い」
「べ、別にいいわよ……これくらい」
「えぇ?」
予想以上に優しい反応に驚きの声が出た。
それはそうだ。俺は九条の身体を揺すって倒したようなもんなのだから。
なのに九条は許してくれた。顔を俯かせて、小さな声でだ。
「な、なによ……?」
「いえ、いつもの優しい主人で安心しただけです」
「ふん、そうでしょ。ていうか、なんで敬語なの」
「べ、別に深い訳はないです……いや、ないぞ?」
「怪しい……やっぱり何か隠しているんじゃないの!」
九条は人の背中にもたれかかったまま、顔だけを上げて鋭い目を向けてきた。
「そ、そんな訳ないだろ……」
「なら、何をさっきからそんなに焦っているの?」
「そ、それは……」
強引な行動が裏目に出た。
もっと自然に話だって変えられたはずだ。
だが、既にもう遅い。何を言い訳しようが疑いは残るだろう。
しかしそれは――相手が冷静だったの話だが。
「き、聞いてくれ。俺はただ――」
俺は睨み付けてくる九条の、その華奢な身体を後ろから抱きしめた。
「九条と一秒でも早く二人きりになりたかったんだ!」
大きな賭けだった。賭けに負ければ、俺は今頃ぶっ飛ばされていただろう。
しかし勝った。その証拠に九条の顔が火を噴くほど真っ赤に染まっていた。
「え、えぇ……っ!?」
勝機はあった。九条は異性への免疫がない。
そんな初心な少女が急に異性から抱きつかれたら冷静ではいられない。
その高ぶった感情が怒りに変わることだけが恐ろしかったが、どうやら動揺の方に運良く向いてくれたらしい。
これも日頃の行いだろう。
「な、なによ急にそんな!? だ、抱きつくなんて駄目よ!」
「そういうな。俺はずっと我慢していたんだ、今日こそ九条と学園で一杯話せるって」
「う、嘘よ! 昼食だって他の人……それも他クラスの女と食べていた癖に!」
「あれはあっちから来ただけだ。九条だって見てただろ?」
「見てないわよ! 私はもうストーカーは卒業したもの!」
「そっか、俺はずっと九条だけを見ていたんだけどな……」
俺はそう言ってため息を零す。いかにも残念そうに。
すると九条は慌てた様子で身体を捻り、俺の方へと身体を反転させた。
そしてそのまま抱きしめ返してきた。
「わ、私だって貴方の事だけを見ていたわよ! だから私も……貴方と二人きりになりたくて……屋上に連れてきたんだからっ」
「あぁ……そういう……」
「で、でもまさか貴方も同じ気持ちだったなんて!」
「え……うん、そうだな! やっぱり俺たちは最高のパートナーだ!」
「パートナーだなんて……もう! 気が早いわよ!」
「そ、そうか?」
いまいち九条の言っている意味が分からないが、とりあえずこれで話は逸れた。
しかし同時に不安が一つ増えた。
「幾ら何でも素直過ぎないか……?」
「え、何か言った?」
「い、いや、ただ九条が可愛いなって」
「ふふん、ありがと!」
「………………」
不安だ。敵意や隠し事には敏感なのに、それが好意になるだけで一気にチョロくなるのだから。
誤魔化すとはいえ、そんな彼女の弱点を利用したことに罪悪感が湧く。
しかし依頼を隠し通すことが優先だから仕方ない。
その代わり――
「よしよし」
「あぁそれ……気持ちいいかも……」
九条が喜ぶ事を沢山してあげようと、にへらと笑う純粋な少女に誓うのだった。




