25話『誓い』
「~~~~~~♪」
鼻唄が聞こえる。何の曲かは分からないが、その者がご機嫌なのは確かだ。
「んん……眩しいな」
目を開いて最初に飛び込んできたのは、オレンジ色に染まった空だった。
つまり家じゃない。そして少なくとも天井のある場所でもない。
寝起きの頭で冷静に分析していくが、答えが出る前に真実を知る者が現れた。
「おはよう、よく寝ていたわね」
「……九条?」
声が聞こえて意識を向けると、すぐ近くに九条の顔があった。
それも真上に、覆い被さるよう体勢で。
「混乱しているって顔ね」
「起きたらすぐ近くに女神のご尊顔があるんだ。混乱するのが普通だろ」
状況が分からない。だから俺はとりあえず褒めておく。
すると九条は花を咲かせたような眩しい笑顔を浮かべた。
「ふふ、本当に私が好きなのね。従順な従者は可愛いものね」
そう言って九条は俺の頭を撫でた。
まるで膝に乗った猫を撫でるように。
「ん、膝か……なるほど」
身体の感覚と視界に広がる空。
そのことから俺は寝転んでいる可能性が高い。
そして視界に映るのは空だけではなく、布に包まれた大きな果実が二つ、そしてその上から覗く九条。
つまり――
「膝枕?」
「正解よ。泣いて喜んでいいわ。女神にして完璧美少女であるこの私に膝枕をしてもらっているのだから」
相変わらず不遜な態度だが、膝を貸すという行動には優しさしかない。
俺の後頭部が痛くないのも全て九条のおかげだということだ。
「よく分からないが助かった。最高の寝心地だった」
「そうでしょうね。まさか夕方まで眠るとは思わなかったわ」
「あぁ……そうか」
俺は身体を起こしながらも思い出した。
眠る前の記憶を。
どうやら俺は本当に水族館が寝てしまったらしい。
「宮原と西崎さんは?」
「帰ったわ。貴方をここまで運んだ後にね」
そう言われて周りを見ると、見覚えのある公園だった。
確かここは水族館の近くにあった公園だ。
どうやら俺はそのベンチで眠っていたらしい。
「俺のせいで解散になったのか」
「いいんじゃない? 水族館も大体見たし」
「そうか? それにしても九条はずっと残っていてくれたんだな」
これが宮原とかなら納得できる。
しかし目の前にいるのは九条だ。
人嫌いと言っても過言ではなく、他人のせいで迷惑被るのも極端に嫌う。
そんな彼女が夕方になった今でも辛抱強く待っていてくれた。
自らの膝を貸してまで。
「従者の面倒を見るのも主人の勤めだもの。それに……嬉しかったから」
「ん?」
「まさか貴方があそこまで私を想ってくれていたなんてね。少しくらい返したいと思うのも仕方はないでしょ……」
そう言って九条は頬を赤く染めた。
それが夕日のせいならよかったのだ、どうやら本当に照れているらしい。
誤解だと説明するのがしんどい。
「あぁ……その、なんだ。水族館で言ったことなんだが……」
「なに? 嘘だって言うの?」
言いにくそうにしていたからだろう。
勘違いした九条の目が鋭くなった。
「いやいや嘘じゃない! ただ少し、伝えたかったニュアンスがズレていただけで」
「ニュアンス?」
「そうだ、俺は確かに九条に後悔のない学園生活を送ってもらいたい。九条の笑顔だって好きだ」
「うん? やっぱり私にゾッコンに聞こえるけど?」
不思議そうに首を傾げる九条、その口が微かに吊り上がっているのが気になる。
「好きは好きだが、恋愛的な好きじゃないってことだよ。人間的……というか、ん……なんだろ?」
人間的に好きかと聞かれると頷きにくいのが正直だ。
傲岸不遜で自己中心的。すぐに蹴ってくるし、すぐ怒る。
ただそれでも九条と一緒にいると楽しいのも事実。
この感情をどう表現したらいいのかと悩んでいると、九条がビシッと手を伸ばしてきた。
手のひらをこちらに見せてくるように、まるでそれ以上は何も言わなくていいと言わんばかりに。
「別にどっちもいいわ。私は貴方を気に入っている、従者にするくらいにはね」
「それはどうも……」
急な褒めに少し気恥ずかしくなる。
「そして貴方も私の幸せを望むくらいには好意を寄せてくれているのよ?」
「まぁそうだな」
俺の答えを聞いて九条は頷いた。
そして眩しいほどの笑顔を咲かせて言った。
「ならそれでいいじゃない! 色恋とか関係なく、それでもお互いを想い合っている。それってまさに理想の主従関係でしょ!」
「……なるほど」
主従関係と言われて納得した。
友達ではないから友情ではない。それなら恋愛的な感情しか残っていないと考えていた。
しかしまだあったようだ。その二つ以外にも負けないほどの繋がりと絆が。
「だからね、お願いだから誓って。どうかこの先なにがあっても、絶対に私を――裏切らないって」
裏切り。その言葉に俺の心臓が締め付けられる。
会長の指示で近づいた時から俺の裏切りは確定しているのだから。
だから誓うべきではない。既に守られていない約束など。
「はぁ……くそ」
俺は言葉にならない程の小さな声で呟いた。
どうしても我慢できなかった。
だって見てしまったから。
いつも自信に満ちた彼女の目が不安そうに揺れていることに。
そして自らの手をギュッと握って、静かに返事を待っている健気な姿を。
「九条――」
過去はもう消えない。それに何度繰り返しても俺は妹の為ならなんだってするだろう。
だから俺が九条を裏切るのは変えられない。
それでも俺は――目の前の主人を悲しませたくはない。
「俺はここに誓うよ。これから先なにがあろうとも、俺だけは九条を絶対に裏切らないと」
不安げに震える九条の手を握って、俺は心の中で誓った。
いつかバレるその時までに、俺の裏切りなんて屁でもないほど楽しい学園生活を送ってもらおうと。
だからその時まで九条彩華の従者として頑張ろうと。
「ふふっ! これからよろしくね、私の従者!」
「あぁよろしくな、俺の主人……」
こうして俺達の間に確かな絆が結ばれた。
そんな絆を信じて彼女は微笑んだ。
「ちなみに裏切ったから殺すからね?」
「………………はい」
やっぱり会長との秘密は墓まで持って行こう。
俺は心の底でそう誓うのだった。




