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20話『激励と恐怖』

 九条が逃げるように帰り、一人で天井を見続けていた俺。


 そんな俺の頭の中にはとある一言だけが巡っていた。


「どえらいことをしてしまった……」


 嘘を見破られない為に女の子を相手にデリカシーのない発言。


 それだけならまだしも、倒れてきた九条の胸をがっしりと掴んでしまった。


 訴えられた普通に負ける。この年にして世界に変態クソ野郎と報道されてしまう。


「まずは謝らないと」


 許してくれるかは分からない。しかしまずは謝罪だ。


 次こそは避けずに受け入れよう。それが拳ではなく蹴りだろうと。


 そうして俺は九条の部屋の玄関前に待機。


 呼び鈴を押して、すぐに玄関前で正座の体勢に入る。


 訪れる沈黙。その数秒後に玄関扉が小さく開いた。


 最初に姿を現したのは防犯チェーン。警戒されているのがよく分かる。


 そしてその小さな隙間からゆっくりと九条の顔が覗いた。


 冷気を感じさせるほど冷たい表情の九条、隙間から覗くその碧い目は軽蔑が滲んでいた。


「本当に悪かった。どんな罰でも受けるから許してくれ!」


 土下座だ。謝罪界隈においての最上級。


 どうぞ踏みつけて下さいと言っているようなものだ。


「………………」


 許すも許さないも返ってこない。


 それでも俺は待つ。軽い頭を地面に擦りつけたまま。


 すると――


「はぁ……もういいわ。私も隙を見せたのが悪かったから」


「九条っ!?」


「ただし! 罰としてまたカレーを振る舞いなさい! 前に食べたカレー……凄く美味しかったから」


 そんな九条の言葉に俺はバッと顔を上げた。


「もちろんだ! 料理くらい幾らでも振る舞う!」


 俺は許された事に安堵して正座のまま何度も頷いた。


 そんな俺の姿を見てなのか、隙間から覗く九条の顔に笑顔が咲いた。


「ふふ、なんだが貴方……犬みたいね?」


「ワンワン!」


 こうして嬉しくて吠えた後、俺は再び九条を家に招き入れた。


「じゃあ俺は買い物に行ってくるから、九条は留守番を頼むな」


「えぇ、貴方がいないうちにプレーヤーをセットしておくわ。またお尻を触られたくないし」


「尻は触ってねぇよ!」


 そんな一幕の後、俺はカレーの材料を買いにスーパーへと向かった。


 しかしその道中、携帯電話が鳴った。


 画面を見るとそこには――会長という名が表示されていた。


「やぁ新道君、依頼の方は順調かね?」


「会長……まぁそうですね。昨夜にも送った報告書通り、最低限の仲にはなれたと思います」


「ふむ、流石に優秀だな。たった一週間であの子から信頼を勝ち取るとは。君を選んだ私の目に狂いはなかったようだ」


「いえそんな、これも全て会長のご助力のおかげです」


「ははは! その年で謙遜を覚えているとは将来が楽しみだな」


「ありがとうございます」


 褒められた。それに関しては嬉しい。


 しかし今の俺の心は不安だけが渦巻いている。


 だって変だ。毎晩俺は会長に送っている。九条に関しての報告書を。


 一週間の終わりである明日に関してはそれを纏めた詳しい報告書まで送る予定になっている。


 それなのに前日である今日に態々電話を掛けてきた。


 ただの激励だとは思えない。


 そう身構えていると、案の定と言った様子で会長は重苦しい声でいった。


「して、どうだ? 私の可愛い愛娘に変な虫はついていないだろうな?」


「変な虫ですか?」


「男だよ男。あの子は可愛い、それはもう神に愛された程だ。そんな天使のような娘にすり寄ってくる虫は多い」


「天使って……」


「覚えているだろうね? 君の役目は娘に普通の学園生活を送ってもらう為の手助け。そして――」


「九条彩華に彼氏ができないように守る……ですよね?」


 そう、俺が受けた依頼は二つなのだ。


「まぁあの子の事だ。そう簡単に他人、それも異性を相手に心を開くとは思えん。だが、何事にも例外というものは存在する。君がたった一週間であの子と仲良くなったようにな」


 そう呟く会長の声が非常に鋭く聞こえた。


 それがどんな意味を含んでいるのかは分からないが、俺はただ言うべき事を口にする。


「誤解ですよ。私が娘さんと仲良く……というより、接点を持てたのは、全て会長の手助けがあったからです。つまり私を含めて手助けなしで娘さんと仲良くなるのは難しいかと」


 そもそも会長からの依頼がなければ、俺と九条が交わることなどなかった。


 だから俺が特別に凄いんじゃない。会長の根回しが凄いだけだ。


「はは、やはり君を採用してよかった。ただ降ってきた功績に溺れるような者など二度とごめんだからね」


「……?」


 会長が何の話をしているのか分からない。

 

 それでも会話は続いていく。


「だが、忘れないでくれよ。我が娘に彼氏ができないようにする。その中には君もしっかりと含まれていることをね」


「勿論です。どれだけ仲良くなろうとも、その一線だけは越えないように徹底します」


 そもそも九条と俺が付き合うなどありえない話だが。


「その言葉を聞けてよかったよ。私も優秀な協力者を竜宮城に招待したくはないからね」


「竜宮城……?」


「はは、なんでもないさ。それじゃあ引き続き娘を頼むよ、くれぐれもね?」


「あ、はい……お任せください」


 そうして電話が切れた。


「結局……今の電話はなんだったんだ?」


 これといった用件はなく、ただの激励と警告を伝えられただけ。


 つまり明日の報告すら待てないほど娘である九条の事を心配だったのだろう。


「親馬鹿だな」


 過剰な愛情に振る舞わされる九条に同情しつつも買い物を済ませた。


 そうして家に帰ると、九条はソファーに座ってテレビを見ていた。


 足を浮かしてぷらぷらと揺らし、顔には微笑むような優しい笑顔が。


 どうやら無事にプレーヤーを接続できたらしい。


 その証拠にテレビの画面には見覚えのある黒い犬が映っていた。


「見てみて! クロ公が必死に泳いでいるわ! 可愛いわね!」


「確かに可愛いな……あ、そうだ」


 画面に映る海を見て思い出した。会長のさっきの言葉を。


「なぁ九条、竜宮城に招待するって言われたらどうする?」


 あの言葉の真意を九条が知っているとは思えない。


 それでも気になる。だからこそ遠回しに聞いた。


 すると、笑顔だった九条の顔が急にギョッとしたものになった。


 まるで信じられないような言葉聞いたと言わんばかりに。


「あ、貴方それって……」


 マズイ。もしかしたら九条家に伝わる秘密の言葉だったのかもしれない。


 俺はすぐに誤魔化そうと口を開こうとしたが、それよりも先に九条が叫んだ。


「私を海に沈めたいってこと!?」


「……はい?」


「だってそうでしょ! 竜宮城って海の深く底にあるのだから、そこに招待するって事は海に沈めるってことじゃない!」


「えぇ……」


 もしも九条のその考えが正しいものだと仮定しよう。


 その場合、会長は俺にこう言っていたことになる。


 儂の愛娘に手を出したら――海の底に沈めてやると。


 そしてその脅しには身に覚えがあった。


「まさかもう用意したの!? 私が前に命令した――ドラム缶と生コンを!?」


「勘弁してくれ……物騒親子共め……」


 こうして俺は真実に気づき、震える手でカレーを作るのだった。

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