19話『男の夢』
リビングに設置された巨大なテレビ。サイズにして五十インチ以上はあるだろう。
これも会長のお金で買った……というわけではなく、元から部屋に置いてあった。
ソファーやベッドなどの生活に必要なものは全て最初から揃っていたという訳だ。
他にも必要ならお金は幾らでも使っていいと会長は言ってくれたが、既に贅沢はさせてもらっているので出来るだけ節制していきたい。
だからDVDプレーヤーも持っていなかった。
そのせいで今九条が必死になってプレーヤーをテレビに接続している。
こういった機械系は苦手なので眺めていることしかできない。
「どうだ? 接続できそうか?」
「えぇ大丈夫よ。それにしても中々良いのを買ったわね」
「まぁ大きいよな」
「大きいのもそうだけど、これ液晶じゃなくて有機ELじゃない」
「有機EL……?」
初めて聞いた単語だ。液晶と並べて語るからには画面の種類だろうか?
そんな疑問に頭を悩ましていると、九条の白い頭がテレビの裏からヒョコッと出てきた。
「なんで自分の部屋にあるテレビの性能を知らないの?」
なにやら訝しそうな目でこっちを見ている。
マズイ。よく分からないが怪しまれている。
流石にここから依頼の件がバレるとは思えないが、これ以上疑われるのは避けよう。
「あぁ……それはあれだ、最初から部屋にあったからよく知らないんだ」
これなら詳しく知らなくても可笑しくない。
そう確信しての言葉だったのだが、何故か九条の目が更に細まった。
「最初から? このマンションにそんな家具付きのプランあったかしら?」
「こここ、これがあったんだなぁこれが……やっぱり他より安かったから人気だったんだろ」
「ふ~ん、でも家具付きの部屋って普通は他より高いはずなのだけど? テレビだってこんなに良い物だし」
「ま、まぁそれは色々あるんだろ……あっほら、心理的瑕疵とか!」
俺はどんどん墓穴を掘っている気がして冷や汗が止まらない。
しかしここで止まることなどできない。
「心理的瑕疵ね……そうだったの?」
「ど、どうだろうな? 正直に白状すれば、ここを借りたのは俺じゃなくて親だからさ。もしかしたらそのテレビも親が用意してくれたのかも? うん、そうに違いない!」
「なるほどね、それなら納得もいくわね」
そう言って九条はテレビの裏に消えていった。
「ふぅ……危ねぇ……」
「え、何か言った?」
「何を仰っていませんけど!?」
「そう? 凄く動揺している感じだけど……何か隠してる?」
これには俺も唾を呑み込んだ。
分かりやすく動揺したせいだ。完全に九条の目が疑念によって濁りだした。
ここで何もないと言っても疑いは消えないだろう。
かといって正直に話すなどありえない。
「そ、それは……はっ!?」
額から溢れ出る汗によって俺のズボンがビチョビチョになり出した時だ。
俺の目が引き寄せられるようにとある物体を捉えた。
まさに言い訳に最適な物体。しかしこれを言い訳に使うと九条は怒る。
それでも俺は唯一の助かる道に駆け出すしかなかった。
「本当に悪い。決して悪気はなかったんだが……その……テレビからはみ出る――九条の尻が気になって仕方がなかったんだ!!」
「――え?」
嘘だ。九条の尻なんかに一切の興味はない。
しかしテレビの裏に潜り込んで、必死に接続しようとしている九条の尻がはみ出ているのは事実。
九条の履いているスカートはロングなので、下着など見える可能性は皆無だ。
それでも布の質のせいなのか、尻のラインがくっきりと浮き出ている。
そしてそれを、九条自身も首を捻って確認した。
「な、な、な……わぁ!?」
一瞬で顔が真っ赤に染まった。
そして慌てて尻を隠そうとしたせいだろう。
九条はテレビ台から転げ落ちた。
「く、九条! 大丈夫か!?」
俺は急いで駆け寄って声を掛ける。
すると――
「この変態っ!」
「危なっ!?」
顔を真っ赤に染めた九条による鋭い拳が飛んできた。
ここで俺もその拳を受け入れればいいものを、直感的に避けてしまったのだ。
九条に駆け寄った体勢から無理をして避けた。顔に目がけて飛んできたから頭を強引に下げて。
その結果、俺は尻餅をつく形で後ろに倒れた。
「あ、ちょっとっ!?」
そして無理な体勢から強引に動いたのは九条も同じだった。
俺が避けたせいで拳は空振り。そのせいで勢い余った九条はそのまま俺の上に被さるように転んだ。
「危ないっ!」
九条が怪我をすると思った。
だから俺は降ってくる九条を受け止めようとした。
迫る小さな肩を掴むように。
「……ふにゅ?」
掴んだ……それは間違いない。
しかし手から伝わってくる感触がどうにも柔らかすぎる。
女の子の肩とはこうも柔らかいのか。
それを確かめるように手を動かすと、指が沈むような感覚に襲われた。
そして――
「ひゃうっ!?」
頭上から可愛いらしい鳴き声のようなものが聞こえた。
それが何なのか確かめるように、視線を音のした方に向ける。
そこには、人形と見間違うほど整った顔があった。
「綺麗だ」
九条の顔だ。それもお互いの息が届くほどの距離。
宝石のような碧い大きな瞳が俺をしっかりと映した。
そして雪のような真っ白な顔が徐々に紅くなっていき、数秒後にはリンゴと見間違うほど紅一色に染まった。
「ぴ――」
「ぴ?」
「ぴゃあぁぁぁぁぁ!!」
九条が壊れた。そう錯覚するほどの甲高い声が九条の口から飛び出し、凄まじい身のこなしで俺の上から退いた。
そのままリビングを駆け抜け、玄関の方へと全力ダッシュしていった。
一人取り残され俺は寝転んだまま自らの手を見た。
既に掴んだものがない。あれがなんだったのかは分からない。
それでも一つだけ確かな事がある。
間違いなくあれは――
「男の夢だ」
俺はそう呟きながら、手に残った感触を思い出すのだった。