17話『主従関係』
九条の無言の圧に負けた俺は、席に戻ってペンや教科書を返す。
それを受け取った九条は一度頷き、そして満面に笑みでこっちを見た。
「で、なんで私を無視したの?」
表情や声色は優しげなものだが、言葉からして絶対に怒っている。
「無視したつもりはない。俺はただ目の前の用事を済ませてから、九条の方に向かおうと思っていただけで」
「つまり後回しにしたと?」
「言い方が悪いな。結果的にそうなっただけで、近くに九条がいればそっちを優先していた。つまり距離的な観点からの行動であってだな……」
「そう」
俺の必死の言い訳に、九条は納得したようにそう呟いた。
しかし――
「まぁそれはいいわ。それよりも、どうしてあそこの席の女に声を掛けようとしていたのかしら?」
そう言った九条は返却したばかりのペンで、先程声を掛けようとしていた女子を指した。
「別に九条には関係ないだろ」
「関係が有る無しなんてどうでもいいの。私が答えなさいと言ったら答えるべきでしょ」
凄まじい暴論だが、ここで否定したところで話が長引くだけだ。
それにひた隠しにする話でもないので、俺は天才的な作戦を話した。
すると全てを聞いた九条は不思議そうに言った。
「貴方って本当に馬鹿よね」
「失礼な。この作戦なら間違いない同伴者をゲットできるはずだ」
「そうね、私だってその作戦が失敗するとは思っていないの」
「え、じゃあなんで俺が馬鹿になるんだ?」
「そんな簡単な事も分からないから馬鹿なんでしょ? その作戦が仮に成功したとして、友達でもなく、ましてや他の男が好きな女を連れていって、貴方自身が楽しいわけがないでしょ」
「ぐっ……」
そう言われると確かに楽しそうではない。
宮原が誰を連れてくるかは分からないが、確実に俺の相方は宮原の方へと行く。
下手すれば三体一の構成が出来上がるかもしれない。
そうなれば俺は間違いなく隙を見て帰るだろう。
「やっと理解したようね」
「た、確かに九条の言う通りだ。でも、それでもいい」
元々俺は楽しむ為に宮原と約束したわけじゃない。
ただ二度も断った手前、一度くらい遊びに付き合おうと思っただけなんだから。
「つまり楽しくなくてもいいってこと? 本当に馬鹿ね」
「べ、別にいいだろ、俺の勝手なんだから」
「駄目よ」
「なんでだよ! 友達でもない九条には関係ないだろ!」
売り言葉に買い言葉だった。
勢いに任せて攻めた発言をしてしまった。
もしかしたら蹴り飛ばされるかも、そう思って九条を見ると――
「そうね、私と貴方は友達ではないわ」
予想よりも冷静だった。怒った気配もなく、悲しんでいる素振りもない。
ただ事実だけを口にしているようだった。
「な、なら……俺の行動に文句をつけないでくれるか?」
「嫌よ」
「だからなんでだよ……じゃあ九条はどういう立場から文句を言うつもりだ?」
友達という関係を否定するなら、俺たちの関係は何なんだ。
そんな俺の問いに九条は迷いなく言い切った。
「主人よ」
「……は?」
「前にも言ったでしょ。私が主人で、貴方が従者だと。だから私は貴方の主人として――」
「いや待て待て! 主人? 従者? なんの話だよ?」
頭が混乱する。それほどまでに九条の発言は突拍子がないものだった。
それだというのに九条はまるでこっちが悪いかのようにため息を零した。
「これだから学のない朴念仁は困るわね。主従関係っていうのは――」
「それくらい知ってる! 俺が言いたいのは、いつから俺達の間にそんな物騒な関係が築かれたんだってことだよ!」
「いつからってそんなの決まっているじゃない。私が貴方を――気に入った時よ」
「そんな馬鹿な……」
主従関係とは双方の同意があって結ばれるものじゃないのか?
そもそも現代に主従関係とか意味が分からないし、従者になって俺になんの得があるのだろうか。
そうした疑問をぶつける前に、九条は眩しいぐらいの笑顔を浮かべた。
「誇りなさい。私みたいな完璧美少女の従者になれたことを。そして誓いなさい、私以外の人間に尻尾を振らないことをね」
「……………………」
これには俺も絶句するしかなかった。
話に一切ついていけないからだ。
まるで知らない本の物語を途中から聞かされているくらいに頭に入って来ない。
つまりどういうことだ?
九条の中で俺は勝手に従者にされており、それも犬のような扱いまでされている。
俺はどう反応するのが正解なのだろうか。
「どうしたの? 早く誓いなさい。さっきみたいに知らない女に尻尾を振らないと。私が呼んだら最優先で駆けつけると」
一人で勝手にどえらい事を言っている。クラスメイトを相手に。
「ち、ちなみにだが……それを誓って九条の従者になった場合、俺に何か得はあるのか?」
「それは勿論あるわよ。だって私、これでもペットを大事にする方だもの」
「やっぱり犬扱い!? せめて人間扱いしてくれよ……」
驚きと呆れた、そして情報過多の受け入れがたい現実が俺を襲う。
その結果、俺は一周回って冷静になった。
自分の席に腰を下ろし、ジッと返事を待っている九条を見つめ返す。
「でもそうか……」
冷静になって考えてみれば、意外に悪い話ではないのかもしれない。
普通なら唾棄すべき提案だが、俺の置かれた状況は普通ではない。
俺の目的は九条の学園生活の手助けであり、その為に彼女の傍にいた方が都合がいい。
だが、今までの九条を見ていたら分かるが、友達になれる可能性は極端に低い。
それならば、不名誉ではあるが従者として行動を共にした方がやりやすい。
そう結論づけた俺は九条に受け入れる旨を伝えようとした。
しかしその前に九条が先に口を開いた。
「ま、まぁあれね……そこまで嫌なら下僕でもいいけど……」
「それ従者より下だろ」
「あ、わかったわ。それなら私の写真を一枚上げる。それをスマホの待ち受けにすることを許してあげるわ」
「別に要らねぇよ……あと俺はスマホなんか持っていない」
「あぁもう! じゃあ何がお望みなの! どうしたら私の従者になってくれるのよ!」
否定続きでとうとう怒ってしまった。
昼休みで教室に人が少ないとはいえ、まばらにはクラスメイトがいる教室の中で。
「あれ、なんか九条さんが揉めてる……」
「相手は……確か新道だっけ?」
「従者とか聞こえたけど、小説の話かな?」
「あの二人って偶に喋ってるよな……」
そんな周りの声が聞こえてきて、九条は慌てて席に座り直す。
しかしその碧い目だけはしっかりと俺を睨んでいた。
どうやらこれ以上焦らすのはマズそうだ。
「わかった。これから俺は九条の従者になるよ……あ、ただ――」
俺は慌てて言葉を付け足す。
「宮原とのお出かけに付いてきてくれ! 主人ならそれくらいしてくれもいいだろ?」
我ながら最高の提案だった。思いついた自分を褒めてやりたい。
そして九条の反応はというと――
「はぁ……いいわ。貴方の主人として付いていってあげるわ」
「よっしゃ!!」
俺は嬉しくなってガッツポーズを取った。
今になって考えれば、今回の話し合いの結果は完全に俺の一人勝ちだからだ。
宮原との一件もこれで片付き、九条の学園生活のサポートもやりやすくなった。
「ふふ、そんなに私の従者になれて嬉しいの?」
「まぁな」
「あら、素直で偉いじゃない。じゃあ早速だけど、さっき私を無視した罰から始めましょうか?」
「嘘だろ……」
こうして俺は九条の従者になった。
早計だったかもと不安に駆られながら。




