12話『忠犬』
昨夜は間違いなく最高の一時だった。
リハビリで大変ながらも、妹は明るい未来へと突き進んでいると語っていた。
兄としてはこれ以上ないほど嬉しい報告だ。
つまり俺は満たされ、焦燥感が抜けた。
そして冷静になった。
「九条には悪い事をしたな……」
すっきりとした頭で考えて理解したのだ。
なんで昨日、九条がマンションのエントランスで待っていたのかを。
おそらく九条は謝るために俺を待っていたのだ。
それを俺は無視した挙げ句に、最後には家から追い出してしまった。
妹が元気になった要因である会長、その娘である九条を相手にだ。
恩知らず、そう言われても否定は難しい。
だから九条に何か埋め合わせしたいのだが、いかんせんガードが固い。
遊びに誘っても断られるだろうし、いきなりプレゼントを贈るのも難しい。
色々と考えたが、残念ながら何も思いつかなかった。
最後の手段として俺は本人に直接聞く事にした。
「というわけだ、何か埋め合わせをさせてほしい」
「あら、そんな事を気にしていたの? 別にいいのに」
「そうか。それなら今の話はなかったことに――」
本人が大丈夫と言うなら仕方がない。
俺はそう割り切って話を切り上げようとしたが、何故か九条が無言でスマホの画面を見せてきている。
「犬のぬいぐるみ?」
九条のスマホに映っていたのは、兜や鎧を装備した犬のぬいぐるみ。
なにかのキャラクターだろうか。
「まさか知らないの?」
「残念ながら」
「ほ、本当に? ネットとかでも結構人気なのよ?」
「そんなことを言われてな……俺ネットとか見ないし」
「………………」
黙ってしまった。それも目を大きく見開いて。
「嘘よね? インターネットが普及したこの時代にネットを見ないって……最近はお年寄りだって見ているのよ?」
「そうなのか。でもインターネットって、パソコンとかいるんだろ。俺はパソコンとか持ってないしな」
「え、冗談はやめてよ。普通にスマホとかで見れるじゃない」
「あぁ……スマホって結構便利らしいな。なんかゲームとかもできるんだろ?」
「ちょっと、ふふっ、なによその質問……」
俺の質問に九条は答えない。
それどころか急に机に顔を埋めだした。
プルプルと肩を振るわせながら。
「だ、大丈夫か?」
急な発作だろうか?
しかし資料に持病があるなどの情報はなかった。
だが、実際に九条は机に頭を預けるほどだ。
俺は心配になって椅子から立ち上がるが、それと同時に九条の手がこちらに伸びてきた。
まるで大丈夫だと言わんばかりに、掌で俺の動きを制止させた。
そしてその後すぐに顔を上げた。
いつもの澄まし顔を貼り付けて。
「大丈夫よ、ただ少し我慢できなくなっただけ」
「我慢?」
「いいの、気にしないで」
「まぁ九条がそう言うならいいけど……」
なんか釈然としないままだが、本人が気にするなというなら仕方がない。
「それでスマホの話なんだが……」
「駄目、その話はやめましょう。そろそろ顔の筋肉が痛くなってきたわ」
「うん? そ、そうか……?」
「えぇそうよ。それよりも忠犬クロ公よ」
「忠犬クロ公……?」
聞いた事のない言葉に俺は混乱する。
しかしすぐに答えを示すようにスマホの画面を見せてくれた。
「この子が忠犬クロ公。最近人気を博している漫画の主人公よ」
そこに映っていたのは、さっき見せてきたぬいぐるみにそっくりの黒い犬だ。
犬なのに鎧などを身につけていることから同じキャラクターなのだろう。
「そうか……それでその犬がどうした?」
「可愛いと思わない?」
「まぁ」
「こんなに可愛いクロ公、そのぬいぐるみが出たってなったら手に入れたくなるのが自然でしょ?」
「うん……そういうものか?」
「えぇ、そういうものよ」
そこで会話が終わった。
しかし九条の碧い目はずっと俺を見ている。
まるで何かを待っているかのように。
「えっと、つまり九条はさっきのぬいぐるみ欲しいと?」
「端的に言えばね」
「なるほど、つまり俺は昨日の贖罪として、それを九条にプレゼントすればいいのか?」
全ての点と点が繋がった。
そう確信しての問いに九条は首を横に振った。
「はぁ……全然違うわ。それじゃあ私が貴方にたかっているみたいじゃない」
「違うのか?」
「違うわよ! 私はただ付いてきてもいいわよって言っているの!」
「ど、どこに?」
「決まっているじゃない。このぬいぐるみが置いている――ゲームセンターよ!」
「えぇ……」
こうして俺の放課後の予定が半強制的に決まるのだった。