11話『謝罪』
「――でっ?」
たった一音。それもお姫様と呼ばれるほどの麗しく姿をした少女からの問いかけだ。
それなのに、恐怖で足が震えるのだから不思議だ。
「さっきも言っただろ、気づかなかっただけ――アイタっ!」
蹴られた。それも震えて不安定な膝裏を。
そのせいで俺は床に正座する羽目になった。
ここまで綺麗に座らせられるとは、恐ろしく正確な蹴りだ。
「もう一度聞くわ。どうして私を無視したの?」
「だ、だから――ちょ、まだ何も言ってないだろ!」
正座している俺の太股の上に、九条の足が乗っかった。
いや、踏まれていると言ってもいい。
それも九条が立っているのは玄関先、つまり黒く鋭いブーツを履いたままということだ。
そう、刺さっているのだ。俺の太ももにブーツのヒール部分が。
「目が合ったわよね?」
「……」
「閉めるボタンを連打していたわよね?」
「…………」
「間に合えって叫んでいたわよね?」
「………………すみません」
否定するにはあまりにもボロを出しすぎた。
自分の非を認めると、何故か九条の視線が鋭くなった。
「それで、どうして私を無視したの? もしかして……怒っているのかしら?」
「ん?」
あまりにも予想外な言葉に俺の頭は傾いてしまう。
なにせ怒っているのはどう考えても九条の方なのだから。
「ほら、あれよ、放課後の……蹴ったやつ」
「え、あ、あぁ……うん?」
「な、なによ」
「これは確認なんだが、九条は蹴った事に対して俺が怒っている、そう心配してるんだよな?」
「だとしたら……?」
「じゃあなんで、今まさに俺を蹴ったうえに踏みつけているんだ? どう考えても今の方が酷い仕打ちだろ」
放課後の時は避けれたので、実際は蹴られていない。
しかし現在は蹴られうえに屈辱まで与えられている。
どう考えても今の方が酷い。
それなのに何故か九条は呆れたように目を細めて俺を見下ろしている。
「貴方ってお馬鹿よね」
「おい」
「だってそうでしょ。今の貴方がこんな目に遭っているのは、私を無視したっている罪を犯したから」
「罪って……」
「けれど放課後の件で貴方に罪はなかった。それなのに私は貴方を蹴ろうとした。ね、全然違うでしょ」
なるほど。確かにそう言われれば納得できる。
しかし彼女の言い分からすれば、放課後の件は百で自分が悪いと認めている。
それなのにどうすれば人の事を馬鹿呼ばわりした挙げ句に、どうよと言わんばかりの澄まし顔ができるんだろうか。
「それで、結局貴方は怒っているの? もしもそうなら謝ってあげてもいいわよ」
「なんで謝ろうとしている奴が上からなんだよ……」
「なに? 貴方はこの私に犬の様に這いつくばって謝罪しろって言うの?」
「そこまで言ってねぇ……もういいよ、別に謝まらなくても。怒っていないし」
なんだか面倒になってきた。
それに俺からすれば謝罪よりも、一刻も早く帰って欲しいのが本音だ。
しかしそれを本人に伝えたら昨日みたいに怒るだろうし、何故か九条が納得していない様子だ。
その証拠に口をピッタリと閉じたまま、俺の事を睨んで固まってしまっている。
「本当に怒ってないから、謝りたくないなら別にいいぞ」
「誰も謝りたくないなんて言ってないわ」
「それなら早く謝ってくれ」
「無性に謝りたくなくなってきたわ」
「そうか、それならさっさと退いてくれ」
いつまでも正座の体勢はキツいので、俺は九条の足を持ち上げて脱出した。
「ちょ、ちょっと! 話はまだ終わっていないのだけど!」
「はいはい、なにか話があるなら明日以降で頼むよ。これから用事があるんだ」
「ま、待って! 最後に一つだけ言わせて!」
「え……じゃあどうぞ」
言いたい事があるというから言葉を促してやった。
それなのに九条は口をモゴモゴとさせながら、白銀の髪を指でクルクルと弄っている。
何を言うつもりなのかは知らないが、どっちにしても早くしてくれないだろうか。
昨日は結局、九条のゴキサン起動のせいで妹との電話ができなかった。
つまり今日こそは、一秒でも早く電話をすると決めているんだ。
「…………」
それなのに永遠に口を開こうとしない九条。
俺は我慢できずに追い出すことにして、足を踏み出そうとした瞬間。
九条の碧い目がしっかりと俺を捉えた。
そして白銀の頭がふいに下がった。
「ごめんなさい。喋りかけられただけで恩のある貴方に酷い事をしたわ」
「え、あ、あぁ……」
予想外の言葉に俺は変な声しかでない。
だってあの九条が頭を下げたのだから。
まさか言いたい事が謝罪だったとは。
「勘違いしないで欲しいのは別に貴方が嫌いだから蹴ろうとした訳じゃないの。ただあの場で貴方と普通に話していたら、周りの連中が勘違いしていた可能性があるでしょ」
「俺と九条が仲良しだって?」
「ち、違うわよ! そもそも私と貴方の関係はお隣に住んでいるだけのクラスメイトで、決して友達でも仲良しでもないんだから!」
凄まじい剣幕だ。蹴りが飛んでこないのが不思議なくらい。
しかし肩で息をするほど否定するのも少し酷い気がする。
「わかったから落ち着けよ、ちょっとした冗談だろ。それで勘違いって?」
「あぁもう……だから、貴方からの会話に快く対応したら、周りの連中も真似して話しかけてくるようになるでしょ」
「別にいいだろ、それくらい」
「駄目よ! こっちが少しでも譲歩したら、あっちは調子に乗って攻めてくるの!」
おそらくそういった経験があるのだろう。
だからこそ断言。しかしそれを加味しても――
「そんなに嫌か? 話してみれば気の合う連中だっているだろ」
「興味がないの。それに私はもう……友達を作らないって決めているの」
決して勢いだけの発言ではないのだろう。
彼女の過去を知っているからこそ分かる。
しかし、それでは困るのだ。
依頼の達成のためには、少なくとも友達の一人や二人は作ってもらわないと厳しい。
だがそれを九条に伝えた所で意味はない。
「ま、今はそれでいいじゃないか。人生何があるかわからないし、どこかで考えも変わるだろ」
「なんか貴方って……爺臭いわね」
「失礼な」
前途多難ではあるが焦ることはない。
なにせ九条の学園生活は始まったばかり。
これからゆっくりと変わっていけばいいのだから。
「そういうわけで……さっさと帰ってくれ」
「ま、まさか貴方の用事って妹さんへの電話――」
「はいはい、また明日な」
「このシスコン~~~~!!」
そうして俺は全力で叫ぶ九条を玄関の外へと追い出すのだった。