伝わらなかった恋心
「一級フラグ建築士」という言葉があるが、桜岡麻里はまさにそれだと誠二は思っている。
麻里の、こと恋愛面における鈍さについては誠二も身に染みてよく知ってはいたが、それについてもここ最近の麻里の、誠二に対するフラグ建築士っぷりは非常にすさまじい。
休日に二人でどこかに行こうかと聞けば、素直に頷いてついてくる。
学校の友人たちと何人かで遊園地に出かけた時も、麻里は、誠二に何の確認をすることもなく、誠二と二人で観覧車に乗って来た。
それだけでなく、たいていの二人乗りのアトラクションにおいても、麻里はさもそれが当然だろうといった様子で、何の疑いもなく誠二の横に座ってくる。
それが、誠二にとっては嬉しいと思う反面、なんとなく煮えきらなくて、どうしていいかわからなくなるのである。
観覧車に麻里と二人で乗った時などは、観覧車が一周する20分の間、もう、本当にどうしていいかわからなかった。
だからある時、ついにたまりかね、誠二は麻里に言ったのだ。
「ねえ、麻里。お前にその気がないことはよくわかってるから、幼馴染として忠告しておくんだけど、外であまりそういうことをしないほうがいいよ」
「そういうこと?そういうことって、どんなこと?」
麻里は、麻里に似合いのショートボブの髪をゆらしながら、誠二を見て首をかしげた。
かわいい。
そんなことを思いながら、誠二は頬をかき、視線を泳がせる。
「なんていうのかなぁ。そういう、相手に変に気を持たせるような態度は取らないほうがいいよ、っていう話なんだけど。誤解する相手は誤解しちゃうから」
「ふうん」
誠二のあいまいな説明に、麻里はわかったようなわからないような表情で頷いた。
どうみても、誠二の言いたい事なんて、四分の一も伝わっていない。
けれども、他に言いようもなくて、誠二は話を切り上げた。
だって今さら、どう伝えたらいいのだろう。
俺はお前が好きだから、そういう変に期待を持たされるような態度を取られるときついなんて、素直に言えるわけもない。
だからそれ以上何も言えずにいた誠二であるが、……やっぱり麻里には誠二の真意なんてまったく伝わっていなかった。
誠二がそういう話をした後も、麻里はことあるごとに、誠二に期待を持たせる態度を取り続けるのである。
学校の帰りに、一つ学年が上の誠二の授業が終わるのを、ずっと図書館で待っていたり。
学食で宿題をしていたら、差し入れだと言ってお茶を買ってきてくれたり。
休日、二人で出かける時に、おいしいお弁当を誠二の分も作ってきてくれたり。
外出先でおいしそうなお菓子が売っていると、「誠二が好きそうだと思った」と言って、とても嬉しそうな顔で買ってきてくれたり。
あげく、他の誰かとの約束が被ってしまいそうな時も、「その日はもしかしたら、誠二との予定が入るかもしれないから」と言って、まだ確定もしていない誠二との約束を優先してくれるのである。
これで誤解するなというほうが、おかしい。
誠二は、頻繁に麻里から思わせぶりな態度を取られることに、だんだんと疲れて来てしまった。
相手に対する好意が強い分、つらい。
(………あ~、疲れた。片想いってこんなに大変なんだっけ……)
誠二がそんなことを思いながら、ある日の放課後、中校庭の隅のベンチでうたた寝をしていると、ふいに誰かが傍に来る気配があった。
はっとして目をあけてみると、麻里だった。
麻里は制服姿のまま、誠二のそばに立って、きょとんしたように誠二の顔をのぞきこむ。
「そんなところで寝ていて、寒くないの?」
寒いか寒くないかで言えば、正直ちょっとだけ寒い。
麻里が少し困ったような顔で、持っていた少し厚手のストールを誠二の膝の上にのせた。どうやらこれで暖を取れということらしい。
そのストールは、普段は麻里が教室のロッカーに入れているはずのもので。
どうやらここでぼんやりとしていた誠二を見つけ、わざわざ自分のロッカーから、持ってきてくれたらしい。
そのやさしい心遣いすら、今の誠二にはしんどかった。どうしてこれで、麻里は俺のことをなんとも思っていないのだろう……。
誠二がそんなことを思ってため息をつくと、麻里は困ったように苦笑して、誠二から一人分あけたスペースに、ちょこんと腰をおろした。
それからちらっと誠二の顔を覗き込み、花がほころぶように笑う。
「最近、ずいぶんと疲れているね」
「……あ~、まあね」
ほとんどお前のせいなんだけど。
誠二が口には出せない本音を心の中だけで呟くと、麻里は笑って、肩にかけていた鞄から水筒を取り出した。
蓋をあけて、コップにし、中の飲み物を誠二に差し出してくる。
受け取ってのぞいてみると、湯気のたっているあたたかいお茶だった。
わざわざ、どこかで買って、入れてきたのだろう。
お茶の入った水筒の内蓋を受けとり、誠二は心からため息をついた。
「あのさ、麻里」
「なに?」
外蓋に自分用のお茶を注ぎながら、麻里が返事をする。
誠二は熱いお茶をふうふうと冷まして一口飲んだ後で、横目でちらりと麻里を見やった。
「前にも言ったけどさ。そういうの、本当にやめた方がいいよ」
「何の話?」
「だから、こうやってストールを持ってきてくれたり、熱いお茶を入れて来てくれたりってやつ」
「私が好きでやっているのだから、誠二にとやかく言われる筋合いはないでしょ」
「そう言われると反論できないんだけど。……でも、すっごい誤解したくなるよ。普通の相手だったら」
「誤解?」
長いまつげにふちどられた、黒い大きな目がぱちりとまばたきして誠二を見た。
誠二は、麻里から視線をそらしながら、頷いた。
「そう。“あ~、こいつ、もしかして俺のこと好きなのかな”とか、“特別に思ってくれているのかも”とか、そういうこと考える人も出てくると思うから。それでトラブルに巻き込まれるのは、言っとくけどお前だからね」
「めったな相手にしなければいいんでしょ。現に私が、ここまで面倒を見ているのは誠二くらいしかいないんだから大丈夫よ」
「だから、それが良くないんだって」
なんだよ、その面倒を見るって。誠二くらいしか、って。
そういう特別扱いは、本当にやめてくれ。
心底心臓に悪い。
誠二が少し腹立たしげにそういうと、麻里は驚いたのだろう。目を丸くして誠二を見た。それから少し眉をひそめ、
「もしかして、迷惑だった?」
誠二は大きくため息をついた。
「いや、迷惑じゃないけどね。ああ、もう本当になんて言ったらいいのかなぁ」
「何でそんなに途方にくれた顔をしているの」
「お前があんまりにも鈍いから、どうしたらいいんだろうと途方に暮れているんだよ、俺は!!」
「鈍いって、そこまで鈍くはないでしょ?」
「はぁ!?もしかして本気で言ってる?ちょっと辞書を引いたほうがいいと思うよ。絶対に“鈍い”のところにお前の名前が出てるから」
「そんな辞書があるなんて聞いたことない!」
麻里が、楽しげに笑い出す。
誠二は疲れてしまってがっくりと頭を落とした。
これはもう無理だ。
自分の力ではどうしようもない。
そもそも、麻里から気にかけてもらうのが嬉しいために、彼女からのすべての善意を撥ね返せない自分がいけないのだ。
ああ、助けて神様……。
「あ~、だからね、麻里。なんていうのかなぁ」
「なんなのよ、さっきから」
「だからさ~。ううん、なんていうのかな。つまりね、もうホントに、好きでもない相手に期待を持たせないでってことなんだけど」
「誠二のことは大好きよ」
「だから、そう言うんじゃなくて」
誠二はついに力尽きて、がっくりとうなだれた。
どうして麻里は、ラブとライクの違いすらわからないのだろう。
箱入りとはこういうやつのことを言うのだろうか。
だとしたら、三つ子の魂百までとも言うし、誠二には本当に、打つ手なしである。
誠二がうなだれたまま動かないでいると、麻里も不思議そうにベンチに手をついて、誠二の顔をのぞいてきた。
「好きよ、誠二のことは」
「ああ、それは本当にありがとう」
「………ずいぶんと投げやりねぇ」
「いや、投げやりというか、疲れちゃってね。あのさ、麻里。日本語で言う『好き』という言葉には、二つの意味があるんだけど、それはわかる?」
「二つの意味?」
「そう。まあ、簡単に言っちゃうと、ラブとライクの差なんだけど」
「はぁ?」
麻里が要領を得ない口調で頷いた。
誠二はよろよろと身体をおこし、麻里を見た。
「でね、俺が麻里に向けてる感情が、その『ラブ』の方だから、お前にうかつにこういうことをされると本当に参るんだよ。頼むから、そういう期待を持たせるような態度を取らないで!特に俺に!!」
もはや自暴自棄になりそうな勢いで誠二が言うと、麻里は驚いたように目をまん丸くした。
その表情を見て、誠二は心の中でもう一度ため息をつく。
自分で言うのもなんだが、誠二はこれまでに、本当に外から見てもあからさまになっていたであろうほどに、麻里に対しては特別な態度を取ってきたのだ。
だから親しい友人たちには、誠二の麻里への想いなんてすべて筒抜けだったし、最後にはもう、憐れみのような、労わりのような、なんとも表現の仕様がないまなざしを向けられていたというのに、肝心の麻里はこの驚き様である。
いったい麻里は、誠二が麻里のむけてきたこれほどまでにあからさまな態度をどう解釈してきたのだろう。
ああ、もう本当に勘弁してくれ……!!
誠二が心の中で、心からそう叫んだ時。麻里がやはり目を丸くさせたまま、
「だけど、誠二だって、私にはものすごくあからさまな態度を取るじゃない」
「それは、俺がお前を好きだからだよ!ああ、言っちゃった!こんな場所で、こんな状況で言いたくなかったのに!!」
「………誠二がそういう気持ちなら、ますます私が責められる理由はないでしょう?私だって誠二のことがが特別だから、色々と考えて行動しているのに」
「だからその好きにはラブとライクがあって……!って、………え?」
「……え?って、なによ、今さら」
「ちょっと待って!ちょっと待って、麻里!ごめん、一つだけ確認させて。まさかと思うけど、麻里って俺のことが好きなの?」
「……そう言わなかった?さっき」
「言ってたけど……。え?ライクじゃなくて、ラブのほうで?」
「そのライクとラブのニュアンスの違いがよくわからないのだけど……」
「だから、俺が特別かどうかってことだけど」
「少なくとも、私がここまで気にかけている相手は誠二だけよ」
「……………」
誠二にとっては青天の霹靂とも言える麻里の爆弾発言に、誠二はしばらく動けなくなった。
麻里が困ったような顔で、誠二の顔の前で手をパタパタとゆらしたり、途方にくれたようにあちこちを見ている気配を頭の片隅でぼんやりと認識しながら、誠二はしきりに今の一連のやりとりを整理する。
「…………もしかして、両想いだったりするのかな」
「誠二が、私のことを好きなら、そういうことになると思うけど」
麻里のいまいち自信のなさそうな言葉に、誠二はがっくりと頭を落とした。
「どうしてそこで俺がお前を嫌いかもしれないという結論が候補にあがってくるのか、俺としては不思議で仕方がないよ。ここまであからさまな態度をとりまくってたのに」
「それは………。私が何をやっても、あなたがちっともいい反応を返してくれなかったからだと思うわ」
麻里のさらりとした口調に、誠二は、今度こそ、大きな大きなため息をついた。