表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/14

8.悠紀子

 食欲がないとかで、文子は昼食に顔を出さなかった。簡単だが丁寧に作られた料理をきちんと味わえる自分に、若葉は驚いた。いろいろなことがあったのに、味覚は正常に機能しているのだ。思ったより自分が図太かったのか、それとも朱鷺弥がいるからか。

 あまり捜査は進んでいないようで、いくら進捗を尋ねても答えてくれない。

 朱鷺弥の分と一緒に食器を台所に下げ、思いついて洗うことにする。

「おや?」

 お盆を持ってやってきたのは、利明だった。

「いいんですよ、そこに置いておいてくだされば」

「いえ、これくらいならやります」

 客といえど、一日経てばただの人だ。

「そのお皿も一緒に洗います」

「いや……」

 利明はなにやら逡巡していた。盆の上には、二人分の食器があった。彼と文子の食事分だろうか。どちらの皿も空だったから、少しは文子の食欲が戻ったのかもしれないと考え、若葉は安堵した。

「すみません、それではお願いできますか」

「ええ。おばさま、ご飯ちゃんと召し上がったんですね」

「ええ……」

 ひどく疲れた顔でそれだけ答え、利明は出て行った。



 身を隠してしまったのは、別に立ち聞きしようと思ったからではない。

「今は立て込んでいるの……」

「わかってる。だから来たんじゃないか」

 身体の大きな青年に、秋彦は見覚えがあった。悠紀子の恋人だ。

「ほんとにお気の毒だったね」

「ええ……」

「大丈夫?」

 青年は悠紀子のほうに手を伸ばしたが、彼女がびくりと震えたので動きを止めた。

「悠紀子?」

「ごめんなさい……疲れてるの」

 繊細な美貌は哀れなほどやつれていて、秋彦の胸は締めつけられた。

「ねえ、俊夫さん」

 震える手を胸の前で握り合わせて、彼女は上目遣いに恋人を伺った。

「昨日、電話しても出なかったわね?」

「え? ああ……」

「携帯電話の電源も切って、何かあったの?」

「電池が切れてたのに気づかなくて、しばらくそのままにしといたからだよ。充電したの夜中でさ」

「……そう」

 悠紀子はうつむくと、逃げるようにこちらへ駆けてきた。俊夫は取り残され、茫然と立ちつくしている。

 まさか、俊夫を疑っているのだろうか。

 秋彦は思い出す。俊夫と悠紀子の仲はヨシも認めるところではあったが、俊夫自身はヨシを快く思っていなかった節がある。むしろ嫌っていたと言ってもいいだろう。悠紀子は何とかして、両者の関係をよくしようと努力していたが……。

 秋彦の前を、従妹が走っていく。その一瞬に見えた白いものに、彼は目を瞠った。

 包帯。血が滲んでいる。

「まさか」

 あわてて彼は、玄関へ向かう。

 両親には内緒にしているが、悠紀子は自傷行為の癖がある。それが出始めたのはちょうど高校受験の時で、麗子と秋彦はなんとか彼女の心のケアに努めたのだが、今でも時折強く何かを思い詰めたときにああして手首を切るのだそうだ。 

 俊夫もそれを知っていて、ヨシを嫌っていたのは悠紀子が外出するにもいちいち目を光らせるのが腹立たしかったかららしい。確かにそのせいで、悠紀子は大学進学で都心に出るまで、満足に通院もできなかったのだ。

 悠紀子は人を傷つけたりする性格ではない。しかし俊夫は悠紀子を大切に思い、ヨシを煙たがっていた。

 そんなことで、殺人まで犯すだろうか。

 否定したかった。けれど、秋彦は見てしまった。

 悠紀子が背を向けた瞬間、俊夫が悪意に満ちた笑みを浮かべる様を。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ