3.朱鷺弥
笈川秋彦は、いらだった気持ちで車を走らせていた。過去に何度も通ってきた道だが、なぜだか酷く進むのが遅い気がする。
凹凸の多い道路が、ささくれ立った気持ちをさらに刺激する。眉根を寄せて、彼はアクセルを踏んだ。
「うわっ!」
あわてて足の位置を変え、思い切りブレーキをかける。シートベルトが慣性を抑えてくれたが、ハンドルすれすれにまで前屈みになる。
「危ね……」
急いで顔を上げて、フロントガラス越しに周囲を見回す。驚いた顔で立ちつくす細身の青年の姿を確認し、秋彦は深い溜息をついた。
急いでいたとはいえ、こんな田舎道を歩く人などいないだろうと高をくくっていたとはいえ、もう少しで人身事故を起こすところだった。
すぐに車の外に出て、秋彦は青年に駆け寄った。
「申し訳ありません。こちらの不注意で……。お怪我はありませんでしたか?」
「大丈夫です。そちらは大丈夫でしたか?」
「ええ。……もしかして、榊原家にご用ですか?」
道の先にはもう祖母の家しかないので尋ねると、青年は軽く目を瞠った。
男の秋彦も目を奪われてしまうほど、整った顔立ちだった。切れ長の聡明そうな瞳に高い鼻梁、ほっそりした頬に黒い髪が寄り添っっている様は艶めいていて、纏う雰囲気は夜闇の中の月を思わせる。
「榊原家の方ですか?」
「ええ」
問いにうなずくと、青年は少し思案するようなそぶりを見せた。
「厚かましいとは思うのですが、同乗させていただけませんか? 妹が今榊原家にいるので……」
「そうだったんですか」
秋彦は快く青年を助手席に乗せた。走り出してしばらくしてから、名乗っていなかったことを思い出す。
「僕は笈川秋彦といいます。榊原ヨシは祖母です」
「そうですか。俺は――」
青年は、初めて微かな笑みを見せた。
「朝倉朱鷺弥といいます」
文子は伏せっているというので、秋彦は伯父と悠紀子だけに挨拶を済ませた。祖母の遺体は検死に回されるというので、すでにこの場から運び出されたという。だが気になるのは、もう一人の従妹が顔を見せないことだった。
「麗子はちょっとな……」
伯父は言葉を濁すだけで、悠紀子に至っては一言も発する様子はなかった。顔色も優れず、秋彦は部屋で休むように勧めたのだが、黙って首を振るだけだった。
「眠ったら、怖い夢を見そうだし……第一眠れそうにないんです」
祖母の遺体を発見したショックが大きいのだろう。秋彦は黙って従妹の肩を抱いた。励ますように何度か身体をさすってやると、徐々に触れている箇所から緊張が解けていくのを感じた。
「秋彦兄さん、さっきの男の方は?」
「ん? ああ」
利明に挨拶したあとすぐ、朱鷺弥は客間のある棟へ飛んでいった。よほど心配だったのだろう。悠紀子は放心していて、よく話を聞いていなかったらしい。
「朝倉朱鷺弥さんと言って、妹さんがここに来てるって話だったけど」
「じゃあ、若葉のお兄様なのね」
そんな話をしていると、足音が近づいてきた。からりと襖が開き、今話していた朱鷺弥と若葉が遠慮がちに会釈してきた。
「悠紀子、大丈夫?」
「うん。ごめんね、取り乱して」
兄妹は部屋に入り、利明と悠紀子の前にきちんと正座した。
「この度はとんだことで、お悔やみ申し上げます」
口を開いたのは朱鷺弥で、落ち着いた所作で深々と頭を下げる。利明と悠紀子は、それにつられたようにぼんやりと同じ仕草をした。
「何かとあわただしいとは思いましたが、妹が心配でこうして参りました。ご迷惑であることは承知しておりますが……」
「いいえ、とんでもない。せっかく来てくださった妹さんをこんな事に巻き込んでしまって、申し訳なく思っています」
利明の方が呑まれた様子で、しどろもどろになっている。
聞けば二十歳だというのだが、秋彦より五つも年下とは思えないほどの落ち着きぶりだ。同い年のはずの悠紀子ですらずっと幼く、頼りなく見える。若葉という娘も似たようなものだが、すっかり安心しきっているように見えるのは、この兄が来てくれたことによるのだろう。
「これ以上部外者がいては迷惑になると思いますし、妹を連れて帰ろうかと相談していたところです。もちろん、警察の方から許可がいただければということになりますが」
「そうですね。それがいいでしょう。こんな所にお引き留めするのは申し訳ない」
理屈上はその通りだと秋彦も思ったのだが、心細げに若葉を見ている悠紀子の様子は痛々しくて、このまま彼女が帰ってしまうと倒れてしまうのではないかと心配になった。若葉の方もうすうす察しているのだろう。ちらちらと悠紀子に視線を送っている。
そのとき、玄関の呼び鈴がけたたましく鳴り響いた。
秋彦が出てみると、スーツを着た厳めしい男が数人立っている。様子からして警察のようだった。
「あなたは?」
「亡くなったヨシの孫で、秋彦といいます」
「そうですか。みなさんは?」
「居間に……」
面食らいつつ彼らを案内する。刑事はそこにいた朱鷺弥に少々驚いたようだったが、いたって事務的に用件を述べた。
その内容に、秋彦はくってかかりそうになった。
「ヨシさんの死因は頸部圧迫による窒息。ですが、自殺とは考えにくい要素が明らかになりました。首の圧迫痕の位置が、自分で首をつった場合のそれとは一致しない。明らかに、後ろから何者かがヨシさんの首を絞めたものであるという見解です。凶器は、首つりに見せかけた時に使用されていた赤い紐ですが……麗子さん自身が、ご自分のものであると認めています」
「刑事さん、それは――!」
「殺害については否定しています」
今度こそ、悠紀子は真っ青になって気を失った。彼女を支えていたから、秋彦は逆上して刑事に殴りかからずにすんだようなものだ。
麗子がそんなことをするはずがない。
いくら憎んでいたとしても、彼女に殺人などは似つかわしくない。




