悲しみは仄めいて②
いつものように学校へ行った日だったのに、今日という日は、平穏とは縁遠い日常だった。
「はあ、疲れたあー」
その日の夜、サトルはバクの存在を周りにバレず無事に普通の生活を送れたコトに対し、すっかり安堵して、ソファに横たわり、あくびをしながらテレビを点けた。
オカルトを特集しているようで、幽霊や死後の世界について専門家たちがマジメな顔で談義を繰り返している。以前は面白半分にしか思わなかったが、今日を境に他人事に感じられなくなった。
果たして、この専門家たちを信じていいものか怪しいが、ワラにもすがる思いで釘付けになっていると、
「なにをいまさら、キミは憑かれてるだろう。ワタシに」
バクは朗らかに言った。
「ほら、口は災いの元ってな」
「……ははッ。ユーモアたっぷりだな。いやー、退屈しないよ」
「フフ、そう褒めてくれるな。こそばゆいじゃないか」
「皮肉で言ったの!」
「そうだったか。わかりづらいな、照れ損じゃないか」
「ムダに素直!」
強めではあるが、トゲはない語勢でバクに物申した。そう言っている反面、サトルは一日の付き合いで安心したコトがあった。それは、バクにはホントに敵意がないというコトだ。悪ふざけはするが。
それ以外は相変わらず謎の存在だが、サトルにとってはそうとわかっただけ、多少なりとも気が楽になった。
そんなバクに、サトルは意を決して朝聞きたかった質問を切り出した。
「親睦も深めたコトだし、あらいざらい吐いてもらおうか。おまえの目的を!」
「目的? ううむ、目的か……」
バクに意外そうに聞き直して、少し考え込んだ。やがて結論を導いたようで、口を開いた。
「ないかな、そんなモノ」
「おいおい、パチこけよ。なんでオレの背中に憑いたんだってハナシだよ」
「気がついたら『空妖』として、キミの背中にいたんだ。本当だぞ、ウソだったら舌を抜いても構わないぞ、それくらい本当だ」
「マジに? そんなに言い切れるのか?」
「ワタシから舌を抜いたら、なにが残ると思ってる。キミの背中に渦巻くブラックボールだけだぞ」
「いや怪しいな。舌抜かれても生きてる前提で言ってやがる」
このバクが巣食ってから今朝の異変が起きたのだ。怪しいものである。
「そう、生きてる。それだよ。こんなナリでもワタシだって一応は生きているんだ。目的なんざ生きるためで充分だろう?」
「まあ……そうかもな」
そう言われると、疑念を捨て信用せざるを得なかった。生きる目的など、自分ですら答えられないのだから。
「というワケでキミ、さっきの発言」
「ああ取り消すよ、冗談にする。怪しくないよ」
「ワタシを見て怪しくないって言うのも、ちょっとオカシイぞ」
「めんどくさいな!」
「フフ、冗談だ」
話していると、サトルのスマホから着信音が鳴った。画面には父と書かれてある。
「なんだろ……。はい、もしもし」
『おう、俺だ』
「うん、久しぶり。なんかあった?」
サトルの父――崇は転勤が多い公務員だ。そのため単身赴任でサトル達とは離れて生活している。
滅多に連絡を寄こさないのに、それに加え柄にもなく、電話口の向こうで、サトルも視聴しているオカルト番組が聞こえてくる。いつもと様子が違うのは明白であった。
『あまり大声じゃ話せないが……。母さんは?』
「今? 風呂」
『そうか。なら好都合だ』
どうやら、久美子には聞かれたくない話のようだ。
「その様子だと、もしかして……」
『どうせ、いい人でも見つけた? とか訊いてくる気だろう』
「まさか」
サトルは首筋を掻いてはぐらかした。
違うとなると、やはり気になるのはオカルトを信じないこの父が、何故そんなものを観ているか、である。考えるうちに頭をよぎるのは、今朝の夢であった。単刀直入に訊こう。
「幽霊が視えるようになった、とか?」
『……ああ、そうか、それじゃあサトルもそうなのか』
予想はあたってしまった。静かに驚く崇はそれから、
『まさか、ウチに伝わる昔話が真実とは、思いもよらなかったがなあ』
「なにそれ。もしかして、鬼みたいなヤツと先祖が戦ったやつ?」
『おまえには教えてなかったハズだが、どこでその話を?』
「父さんは夢を見てないのか?」
『俺はもうそんな歳じゃないぞ。夢なんて見れたモンじゃない』
「え?」
『え?』
食い違ったところで、サトルは昨日の夜に見た夢の内容を簡単に説明した。『禅院真光』と呼ばれる武士が、『かるま』という御伽噺に登場するような、鬼の攻撃を受けて『呪い』をかけられたというコトを。
それを聞いた崇は、話の要所ごとにうんうん、と相槌をうった。
『俺がガキの頃に聞いた話と全く一緒だ。その夢を見る前に、なにか予兆のようなものはなかったのか?』
「いや、唐突に。そんなコトより、誰からその話を聞いた?」
『じいさんからだよ、ほら』
「ああ、なるほどね……。いや、じゃあなんでオレには教えてくれなかったんだよ」
『あー……そんなものは俺自身、単なるフザけたホラ話と思って、今の今まで忘れていたからだ』
「かわいくない子供」
『じいさんの目にもそう映ったろうな』
電話口の向こうで、苦笑いしている父の顔が目に浮かんだ。
「そういえば、父さんはどこで幽霊を視たの?」
『ああ。街中を歩いていたら、な。肉まんを歩き食いしてたら羨ましそうに見てくるんだよ、子供の幽霊がな』
「羨ましそうに? 恨めしそうにとかじゃなくて?」
サトルには、自分が視た女子生徒の霊とはまるで違う目をしていたコトが気がかりだった。
『もし、おまえがそんな霊と目が合ったりしたのなら、もうそこには近づかない方がいいだろう。オカルトとかはよくわからんが、取り憑かれるかもしれん』
視たとは明言しなかったのに、心配されてしまった。予想と違っていたのが口調に出ていたのだろうか。
「うん、気をつける」
『それじゃあ切るぞ。もしもウチの歴史を詳しく知りたいのなら、明後日の土曜日に、じいさん家に行くといい』
「えっ、それは遠いって……」
『冗談だ。気をつけろよ、サトル』
崇は用心するように念を押して、電話を切った。サトルは通話終了と書かれたスマホを見ながら、黙って親子の会話を聞いていたバクの名を呼んだ。
「話は終わったか。それにしても聞くに、明日は厄介なコトになりそうだ。確信したよ」
「どういう意味だ」
「今朝の幽霊だよ。あれはきっと未練タラタラ、恨みもマシマシの『悪霊』になってしまったのだろう」
「悪霊……。それがヤバいのか?」
「生きている者に取り憑き、最終的に悪霊自身が死んだ方法で取り憑いた対象を殺す。こうして悪霊が移り替わり、『死の輪廻』の完成ってわけだ」
「そうなると明璃はッ!?」
「屋上から飛び降りて――死ぬ。そしてアカリが新たな悪霊になる」
バクは悪霊の知っていることを手短に話した。非現実的な恐怖にサトルはうつむくしかなかった。
だが悪霊になるのも無理はない。ウワサが正しければ、自殺した彼女の死因を辿ればいじめに行き着く。
学校という環境はある意味、野生的だ。理不尽な暴力に、恐喝、自殺教唆。それらを括っていじめで済ます。陰湿であれば、いじめを行った当事者たちが断罪されるコトはほとんどないだろう。
だからこそ群れたりして自衛しなければならないのだが、なぜ彼女は死という結果を迎えてしまったのか。
しかし、どんな事情があろうが同情などしていられない。大事な友達が殺されようとされているのだから。
「クソッ、逆恨みが過ぎる。なあ、なにか対策はできないのか」
「そればかりはわからない」
「例えば……塩を撒くとか。いけそうだと思う?」
「そんな安い恨みとは思えないがね」
「オレもそう思った」
焦燥感に駆られる中、テレビはクレジットが流れたところで、司会のお笑い芸人が「長々と大マジメにありがとうございました」と茶化した。
その一言でスタジオは笑いに包まれ、番組は終了した。専門家達ですら笑っていた。社交辞令のいけ好かない作り笑い。知りたかった幽霊についての有益な情報などは一切なかった。
「ああもう、時間のムダだったッ!」
「あのニンゲン等が笑うのも無理はないよな。ありえないと承知の上で、さもそれっぽく夢物語を語っていたんだからな」
「ホントに夢だったらいいのに。杞憂で済めば、なにも……」
その言葉は本心だった。黙ったままでは悲観的な感情に支配されるのはわかっている。
「いや……ダメだ、こんなんじゃ!」
気分が完全に沈みかけたとき、リビングに乾いた音が鳴った。
「サトル?」
「気合い、入れ直した!」
その音を発したのは他の誰でもない、サトルだった。サトルは己を奮い立たせるために頬を全力で引っ叩いたのだ。今朝にも増してかなりの痛さだったが、おかげで気持ちは回復した。
「自分で立ち直るとは、よくできてるというか、愚直というか……」
「これから起こるコトは絶対になんとかする。動かなきゃな」
「フフ、頼もしいな。ワタシもできる限り協力するよ。傍観者にはなりたくないからな」
「気持ちだけでもうれしいぜ、ありがとう。まずは調べるところからだ」
「どうやって?」
サトルは自室に向かい、ベッドに寝転がると、コンセントに挿さりっぱなしの充電コードをスマホに挿した。
「人類の叡智、インターネットで!」
「……あれ? 思ってた動くと違ったな。ワタシもまだまだ、ニンゲンへの理解が足らないか」
サトルはスマホ上で指先を動かす。期待薄と自覚しながら、明日に起こるかもしれない悲劇を避けるために。