交流しよう!②
視線に耐えられなくなった樫見はトイレへ逃げ込み、個室にこもった。
(やっぱりムリだよ……!)
別にひとりになれるのならどこでもよかった。きっと保健室に行ったら、また禅院くんが迎えに来てくれるのかも。だからこそ、それがつらい。目に見えて気を使わせているのがわかってしまうから。
それにしても、また逃げてしまった。人目につくのは慣れない。奇妙なムシを見るような、あの視線。せめていっそのコト、無視してほしかった。構わないでほしかった。
樫見は便座カバーを上げ、ゆっくり腰を下ろし、また考えた。
これで禅院くんにまで嫌われたらどうしよう。また、保健室で須藤先生と過ごそうか。そうすると進級は? お母さんお父さんはどう思うのかな。
(……わたしだけ、どうしてこんなにダメなんだろう)
今あふれている涙が、せめてこんな弱さだけでも洗い流してくれればいいのに。
ふと視線を下げると、便器に汚れがついていた。樫見は清掃用具を取り出し、キレイにした。
「トイレは偉いね。なにも言わず、なんでも水に流してくれて……」
キレイにすれば、白いままキレイに保てる。樫見は掃除するコトで、トイレに敬意を払っていた。なにかをしないと余計なコトを考え続けるのも、理由のひとつ。
「わたしも、なんでも水に流せればいいんだけど……」
「――夕七ちゃん、あーそびーましょっ」
「……ひッ!?」
ノックとともに聞いたコトのない女の子の声。つい今、掃除用具の片づけるためここから出たハズなのに、まったく気づかなかった。しかも下の名前呼びで、この誘い方って――
「あなたは、トイレの花子さん……?」
「ええ、そうよ」
ちゃんと答えてくれた。禅院くんが言ったとおり、ホントにいるんだ! 外から誘ってくるパターンがあるなんて。これじゃまるで、わたしが花子さんになったみたいだ。
「あまり気にしなくても平気よ。禅院サトルも嫌ってなんかいないし、夕七もアイツをもっと雑に扱っても大丈夫だから」
「そ、その言い方だと、仲は悪いんですか?」
「まあ、アイツが無神経にトイレトイレうるさいんだけど、今の夕七の考え方を聞いて、花子も自信が持てるようになったの。ありがとうね」
「いえ、そんな……」
というか、いきなりなんで禅院くんが出てきたんだろう。まさか……。
「あのぅ……、わたし、ひとりごと言ってましたか?」
「えっ? あー、そうね。バッチリ。盗み聞きしてごめんなさいね」
「うう……」
また悪いクセが出てしまった。
「水が合わなくても、周りが合わせてくれるならいいじゃない」
「でも、それじゃダメなんです。わたし、変わりたいのに……」
「あらあら。じゃあ、自信のつけかたって知ってる?」
「え? ……いいえ」
「それはね――」
花子さんはそう言うと、電気がつき、蛇口をひねる音が一瞬だけ聞こえた。
「ほら、上を見て」
言われた通りに見上げると、シャボン玉のような泡がふわふわと浮かんでいた。ひとつだけではなく、ふたつ、みっつと増えていく。
「わあ……」
泡が照明に反射してキレイだった。見とれていると、頭上に被さった瞬間、そのひとつがハジけて顔を少しだけ濡らした。
「わっ!」
「ふふっ、驚かせてごめんなさいね。いい? それはね……。『自分を好きになるコト』なの」
「好きに? そんなの、そんなコト……」
テストのどんな問題よりも、わたしには難しすぎる。
「でも、そんなのどうやって……」
「カンタンよ。自分だけのモノを持てばね」
「自分だけのモノ……?」
そんなモノ、自分で探しても見当たらない。ダメな部分だけはいっぱい挙がるけれど。
「そうね。最近、誰かに褒められたりしなかった?」
「禅院くんが数学の教え方がうまいって言ってくれました。つい今です」
「それで?」
「え……。うれしかったです」
「いいじゃない。教え上手なんじゃないかしら」
「いや、そんな……」
「あとはね……、あなた物を大事にしようとする心が伝わったわ。こんなふうにトイレを使ってくれるなんて、なぜかうれしくなるの」
「そうですか……?」
「うん。見つかったわね、夕七ちゃんのいいところ。花子もそうだったけど、自分だけじゃなかなか見つけられないモノよね。でも、花子やアイツは知っているわ」
「花子さん……」
「さあ、変わりましょう。花子たちと一緒に、ね?」
「……うん!」
勇気を持ってトイレから出ると、そこには誰もいなかった。禅院くんの言った通りだ。『人形の空妖は視えない』って。
そう思っていると、突然、入っていたトイレのドアが閉まった。やっぱりいるんだ!
「よかった。出てくれたわね。鏡を見てごらん」
言われるままに鏡を見ると、目じりから頬にかけて、しずくのマークが青く光りながら浮かび上がっている。
「え? え?」
「これは私の気持ち。あなたに涙は似合わないわ」
たしか禅院くんから聞いた。不思議なチカラを共有しているサイン……。人面犬のときは足跡が浮かんだって言ってたっけ。じゃあ、わたしも――
「――えいっ!」
蛇口から水を出して、登れ! ってねんじると、その水柱は天井を濡らした。
「す、すごい……」
水は低いところへ流れるのに、上に昇るなんて! でも、このびちょびちょはどうすればいいんだろう。
「安心して。同じように水受けに入れ! って思えば――」
「あ、わたし、またひとりごと!?」
「ううん。共有の印が浮かび上がっていると、心も私とつながってるの。隠しゴトはできないわね」
そう言う花子さんからは、楽しい気持ちが伝わった。ウソじゃないみたい。
「一人称、花子なんだっていうのも伝わるわよ」
「あわわ……。隠しゴト、できないですね」
「気にしないわよ。さっ、掃除の時間。天井から垂れてる水を受けに戻してごらん?」
言われた通りにねんじると、水受けの中心に吸い込まれていった。床もまったく濡れていない。
「できたわね。さ、遊びましょ。そうね……。中庭の花壇に水をやるのはどうかしら? 実はバケツの中にいっぱい水を用意したの」
「それ、スゴく楽しそうです!」
「それじゃあ行きましょう!」
樫見は心からワクワクしていた。今さら授業を放っても構わない万能感に包まれた。
花子さんもよくある話で聞くような怖いヒトじゃないし、むしろいいヒトだ。真っ先に須藤先生に自慢したかったけど、この不思議な奇跡を使ってみたいから、中庭に直行しよう!
一方、樫見が希望を持ってトイレから出た頃、中庭では――
「ごぼ、ごぼぼぼ――」
サトルが人知れず、そのゴミ箱に顔を突っ込んで溺れていた。




