八高線③
八高線高架下に戻ってきたころには日も傾いて、野球少年たちも既に帰宅していた。
よく見れば脱線事故に関する記述の看板と、車輪らしきものが野ざらしに展示されている。
ふむふむ……。
「おーい、春奈?」
「あ、今行きます。でもこの辺りも妙な感覚はしないですね」
「そりゃね。依頼元の婆さんは凄腕だったし、それに人からも霊からも好かれていた。戦乱の時代を生き延びたのもあって肝も据わっている。なるべくしてなったような霊媒師だった」
「つまり……やばいのは既に対処されていると?」
「いや、やばいのが来ないように対処されているというべきかな。あとは根気強く霊とお話しして納得してもらい成仏に導いたって感じらしい。そういう人なんだよ」
根気強く……少なくとも私には、訂正、私達には無理だろう。
まず千秋さんは面白がるだろうし、霊を積極的に使い倒す。
それこそ陰陽師が使っていたとされる式神のような真似もしているくらいだ。
たしか管狐がどうのという話も聞いたことがあるな……。
犬神はさすがに無理だったらしいけど。
そんな人が根気強くとか冗談にもならない。
対して私だが、これでもかなりの怖がりだ。
表情筋が鈍いだけで心臓は蚤のようなものだ。
怖がってる相手にまともなコミュニケーションができるかと言われたら、大半の人間がノーというだろう。
霊の場合もっとわかりやすい。
彼らは恐怖心を抱いている人間を前にした場合本能で動く。
肉体という枷と共に、イドとエゴの天秤も外れてしまったらしい。
顕著なのは子供の霊だが、本能のままに行動してくる。
わかりやすく言うならくすぐりを覚えた子供がどんな時でも、例えば包丁を持って料理しているお母さん相手にもくすぐりを決行するようなものだ。
危険とか、その後どうなるかとか考えずに行動に移すのだ。
少なくとも私相手なら滅茶苦茶有効な手段なのだが、千秋さんという存在が後ろにいる以上パシリに使われるだろう。
「という事は私達がやるべき事って……」
「線香と祝詞、それとお経くらいだな。春奈はどれくらい覚えた?」
「えっと、まだ般若心経だけで……」
「おいおい、祝詞の一つくらいは覚えておきなさいよ。それにお経だって宗派によって結構違うんだから」
「そうは言いますけど、梵字で書かれたお経で一文字一文字意味を理解しながらとなると……」
「その方が効果あるんだよ。それに怯えながら読むな、敬意と思いやりを持って読め」
どの口が……と言いたいところだけど、千秋さんがお経とか祝詞を口にする時は場の空気が清められるほど集中している。
その領域に至るにはどれほどの修行が必要なのか皆目見当もつかないが、浄霊の時だけは本気で祈りを込めている。
……二重人格なのかと疑うレベルで対応が違うんだよなぁ。
「まぁいいさ、今回は私が手本を見せる。それを見ているといい」
そう言って河原沿いに降り、お神酒を振りまいてからお線香に火をつける。
手順ややり方はほとんどオリジナルらしい。
自分の力を最も発揮できる方法を選ぶべき、というのが千秋さんの持論だ。
そして始まった。
まずはお経、手を合わせ数珠を軽く鳴らしながら唱えるそれは以前親戚の法事で聞いたモノよりも凛としていた。
続けて祝詞だが、その前に一度立ち上がった千秋さんは深呼吸をした。
それからバッグに入っていた羽織に袖を通してから鈴を鳴らす。
シャランという音と共に舞が始まった。
暗がりで、黄昏時と呼ばれるような時間帯に踊っている女。
遠目に見ればそれ単体が恐怖体験のようなものだろう。
しかし間近で、そして私達の世界で見る光景としては凄まじく神々しいものに見えた。
そのままポツリと、小さな声から始まった祝詞はまるで土地そのものを浄化しているかのようだ。
奇麗だ。
ただそれ以外の言葉が浮かんでこない。
しばらく舞を続けた千秋さんが最期の言葉を唱え終わると同時に周囲に気配がした。
「千秋さん」
「大丈夫だ。河原沿いという事もあって無関係なのも集まってきたんだろ。アンコールってやつだな」
そう言いながら額の汗をぬぐい、もう一度舞を始めた。
そして最後にもう一度読経。
こうして八高線高架下における浄霊の儀は終えたのである。
……普段もこんな感じで真面目にやってくれたらいいんだけどな。
「さて、興が乗ったし八王子城址行って吹上トンネルの強行軍したらホテルで爆睡しようぜ!」
なんで奇麗に終われないかな、この人。