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【ハイスピード・オブ・ザ・デッド】

 ドライブと聞くと楽しそうな響きだと感じるだろう。

 家族とのお出かけ、恋人同士の逢瀬、友人同士の遠征、少なくとも遊びというイメージが強い。

 少なくとも上司と揃って職場に行く事はドライブと言わない、言いたくない、言いたくなかった……。


「楽しんでいるかい、春奈」


「楽しめると思っているんですか? 」


 がっちりと掴まりながら私の師匠にして上司である千秋さんを睨みつける。

 やってられるか、とまで口に出さなかったのはせめてもの気遣いだ。


「仕事を楽しめるようになって一人前だというのに……まぁいいさ、そろそろ目的地だぞ」


 目的地、ようやくだろう。

 そうようやくだ。

 事の発端は数時間前になる。


「はい……それはまた、なるほどなるほど……ではいつも通りに……はい、失礼します」


 いつも通り、事務所と銘打っている建物に入ってすぐに聞こえてきたのは千秋さんの声だった。

 骨董品としか言いようのない携帯電話を使って誰かと話をしている様子だった。


「千秋さんが敬語使ってるの初めて見ました」


「失礼な、私はこれでも礼儀をわきまえた社会人だぞ」


「はぁ……」


 まさしく、はぁ、としか言えない。

 はっきり言えば千秋さんは頭に駄目とつく部類の人間だ。


「その目は疑っている目じゃないな、決めつけて見下している目だ! 」


 指をさして子供のように叫ぶ千秋さんだが、しかし大袈裟にポーズをとっているだけだ。

 この人は感情を表に出さないように努めているし、どんな修業を積んだのか精神の波は常に一定に保たれている。

 こういう物言いをする時は、本当に怒っている時じゃない。

 むしろ楽しむ方面で感情の高鳴りを押さえられない時だ。

 だからこそ、いやな予感がする。


「いやしかしだ、春奈が私を疑うのならば師匠として誤解を解かねばいけないな」


「いえ結構です」


 即答、どころか食い気味にそう言った。

 私の体は昔の大事故で障害が残っている。

 数年間の眠りと消えない傷跡、見えない右目に、鈍い手足。

 しかしそれを補うために鍛えられた反射神経がいかんなく本領を発揮した。


「遠慮するでないぞ春奈君、今日の仕事は……珍しい物がみられるのだからな! 」


 語尾にアクセントをつけて、瞼を一切動かさずに、口だけで笑みを作る師匠。

 千秋さんのこの表情は、いつもきまって私の不幸に繋がっていた。

 そう、いつも、いついかなる時も、こちらの事情はお構いなく。

 そう、決まって、どうあがいても、こちらの事情を顧みないで。

 こうして半ば強引に車に詰め込まれた私はシートベルトを装着する。

 毎度のことながらこの車に乗る度に、止まっているうちに逃げた方がいい、今ならまだ間に合う、等と無駄な事を考える。


 一度だけ逃げた事がある、3秒で捕まって車の中に逆戻りだった。

 満面の笑みで次逃げたらトランクに押し込むというありがたい忠告もいただいた。

 千秋さんの言う次が、どういう意図での次だったのか私にはわからない。

 逃げたその日の間だったのか、生涯現役で通用する脅しだったのか。

 どちらにせよ、シートベルトを使いたいかと聞かれてしまえば私は大人しく車に乗るしかなかった。


「いやぁ、今回は儲かるぞ」


 いつになく声の弾んでいる千秋さんだが、これは本格的にまずいかもしれない。

 横目でチラチラと私の様子をうかがっているのは体調を気にしているわけではないだろう。


「わき見運転駄目絶対」


「大丈夫だって」


 軽口を叩きながら、荒々しい動きを車に伝える。

 遠心力で振り回されるのもお構いなしに、むしろ楽しんでいるかのようだ。


「前! 前見て! 」


 とっさに声を荒げてしまう、速度を示すメーターが80を超えて、少なくとも一般道では警察のご厄介になる速度を出しておきながらわき見運転をしている。

 当然危ない。


「大丈夫大丈夫ぅ」


 グンッとシートに押し付けられる、更にアクセル踏みやがったこの女。


「ひっ」


 漏れたのは悲鳴なのか、それとも肺から洩れた吐息だったのか。

 一瞬視界が曇った気がした。


「あ、ほら春奈、あれ珍しいよ」


 ハンドル位しっかり握ってくれ、と叫ぶ余裕も残っていない。

 交通法違反の共犯者になるのも心苦しいが、今は物理的に苦しい。


「あぁ! ブレーキ! ブレーキぃ! 」


 ちらほらと、人影が見える夜道を爆走しているのだ。

 危なくないはずがない。

 昔私が事故にあった時と同じような状況だが、加害者側にはなりたくない、なにがあっても。

 いっそサイドブレーキを引いて無理やりにでも止めるべきか、いや流石にそれは危険だ。

 ならば警察に通報してしまうか、それも少し……。

 などと考えている間にも千秋さんはアクセルをふかしていく。


「人! そこ人います! 」


 あわや大惨事、事故の加害者に……事件の加害者になってしまったと思いながら

 道行く人に謝罪の念を送ろうとした瞬間、するりと車を通り抜けていった。


「ありゃ通りすがりの幽霊だ」


 何事もなかったかのように言ってのけて、振り返ることなくその場を後にした。

 いや振り返られても困るが、通りすがりの幽霊って……猫じゃあるまいし。


「こんな時間に、この道を歩いているのは幽霊か遭難者か自殺志願者だけさ」


「いや……3分の2は生身じゃないですか」


「撥ねてまずいのは3分の1だから問題ない」


 大問題極まる発言だ。

 何が問題ってこの人の場合どれ撥ねても大丈夫だとか言い出しそうなのがまずい。


「ほら、次も幽霊だ」


「ひぇ」


 短い宣言の直後に車体が揺れる。

 ドンっという衝突音が社内に響いてきた。


「いや生きてましたよね! 撥ね飛ばしましたよね! 流石に止めてください! 」


 今の衝撃は肉体がない幽霊の物じゃない、そう言い切れるほどに生々しかった。


「んー、いやだから幽霊だって。後部座席の窓見てみ」


 涼しい口調で促されて、見ない方がいいと思いながらも目が引き寄せられた。

 まず千秋さんの背後、道路の向こう側に広がる林と、更にその向こう側に広がる夜景。

 100万ドルとまではいかないが、10万ドルくらいの夜景だと思う。

 こんな状況でなければスマホで写真に残したいくらいの感想は抱いたと思う。

 しかし何もない。


「そっちじゃないんだなぁ」


 そっちであってほしかった。

 千秋さんの後ろ、運転席の真後ろではない。

 ということは、助手席の、つまりは私のすぐ後ろという事になる。


「早く見ないと、消えちゃうよ」


 消えていい、見えなくていい、そう思い視線を足元に落とし……床から腕が生えている事に気づいて背筋に冷たい物が走った。


「お、気付いた? さっきすり抜けた女の置き土産」


 いらない、本当にいらない。

 感覚的にゴキブリを見つけてしまった時のあれと似ている。

 全身の産毛が逆立つ感覚、見なかったことにしようという防衛本能と、目を逸らしたらやられるという闘争本能のぶつかり合い。

 かろうじて勝利したのは防衛本能だった。

 最悪極まる勝利だったと思う。

 視線を上げた先で、誰かと目が合った。

 フロントガラスにべったりと張り付いた、顔の潰れた誰か。

 明らかに生きていないはずの傷、顎が千切れ、額から脳を露出させ、鼻が存在するべき場所はえぐり取られたように窪んでいる。


「………………千秋さんのお知り合いで? 」


「いんや、初顔。邪魔だねぇ」


 そういいながら慣れた手つきで煙草の箱を取り出して、何かを考えてからしまいなおしていた。


「運転中にタバコは危ないか」


 もっと危ないこといっぱいやってるしいっぱい起こってる、と文句を言うのは許されないのだろうか。

 どこまでマイペース何だろうこの人と思っているとフロントガラスに水がかかった。

 そしてガコンガコンと音を立ててワイパーがそれを拭う。

 どうという事はない、張り付いた誰かを邪魔に思った千秋さんがウォッシャー液を噴出したのだろう。


 実に淀みのない動きだった。

 迷うことなく幽霊に水をかけてワイパーで殴りつけた。

 本当に怖いものなしかこの人。


「まぁあの程度は怖くないかな」


「……ファイナルデッドコースターに乗った気分です」


「なんだっけそれ」


「死の予知夢を見るって内容の映画で、何度も死にかけるって話ですよ」


「あぁ、あのジェットコースターが逆向きに走ってる映画か。あれは笑えたねぇ」


 笑えない、今のこの状況も含めて何も笑えない。

 大量の幽霊を乗せて走っている事も、少しでもハンドル操作を間違えれば死にかねないこの状況も、何もかもが笑えない。


「んー、さすがにこの時間だと眠くなってくるねぇ」


「これ以上笑えない要素を追加しないでください、本当に」


 すでに役満級の問題行動をとっているのだ。

 ダブル役満はローカルルールであり……ではない、そんなことを考えている場合ではない。

 ひとまず落ち着こう、混乱している事を理解して、大きく息を吸って、高鳴る心臓を抑え込む……よし、大丈夫だ、うん、もう一度10万ドルの夜景を見て気分を変えよう。


「………………」


「………………」


 再び、見知らぬ誰かと目が合った。

 眼前で。


「あのぉ、千秋さん……イメチェンしました? 」


「天井から生えるなんて、器用なまねできないよ」


「ですよねぇ……」


 助手席と運転席の、とても狭いスペースに天井から身体をねじ込ませている誰か。

 近距離過ぎてピントが合わない。

 そして近い。

 逆さまになっているから絵面としてはマシに見えるが、あと数センチで唇が額に触れそうな距離だ。

 ホラーでよかった、幽霊とのラブコメは遠慮したい。


「鬱陶しいなぁ……」


 ガコガコとギアを切り替える千秋さんが、長く垂れ下がった髪をかき分けているのが目に映った。

 それを見てようやく、あぁこの人女性なんだと認識することができた。


「ほれ、どいたどいた」


 グイっと、天井から生えてる女性を押しのけてようやく千秋さんの顔を見る事ができた。

 そしてその先にある、はずだった夜景は無数の手形で遮られていた。

 子供の手だろうか、小さなそれがびっしりと運転席側の窓を埋め尽くしている。


「あーもう、昨日洗車したばっかなのに……」


 さすが、慣れていらっしゃる……。

 なんだか彼女を見ていたらどうでもよくなってきた……。


「それにしても……さすがに幽霊多すぎじゃないですか? 」


 霊感のある人間は幽霊に集まられやすい。

 特に霊媒と呼ばれる体質の、私や千秋さんのような人間は餌のようなものだ。

 だからといってもこの数の心霊現象は流石におかしい。


「んー、車が悪いのかね」


 ざわりと、妙な勘が働いた気がする。

 千秋さんは所謂コレクターだ。

 特定の物品を収集している。

 問題はその【特定の物品】が、世間的に言うオカルトグッズであり、専門的にもオカルトグッズだという事。

 つまりは、俗な言い方をするなら呪いのアイテム。

 装備したら外れなくなるとか、夜な夜な前の持ち主が恨み言を呟くだとか、持ち主が次々と怪死していくとか、そういった物を集めたがる。


 金さえあればホープダイヤモンドやバズビーズチェアも買いたいと話している程に。

 前者はフランスのルイ16世等偉人や金持ちの手に渡り不幸をばらまいたとされる呪いの宝石、後者は座ると死ぬという逸話を持ち事実60人以上の死人を出した呪いの椅子だ。

 どちらも博物館に展示される程の一品で、特にバズビーズチェアはうっかり誰かが座らないように天井からつるされている。

 当然購入できるようなものではないが、それ以外にもアメリカでもっとも有名な幽霊屋敷であるウィンチェスター館を欲しがったり、エアーズ国立公園のウルルという岩の欠片を欲しがったりと正気の沙汰ではない事をしでかす。


 だから、もしかしたらという思いと、まさかなという願いを混ぜこぜにして尋ねてみた。


「この車……曰くつきですか? 」


「私ジェームズ・ディーンの大ファンでね」


 名前だけは聞いたことがある、気がする。

 しかしこのタイミングで切り出すという事は、なにかしらのオカルト話が絡んでくるのは間違いない。


「彼の乗っていた車と、それに使われていたパーツを乗せた車は必ず事故を起こしてる。日本でも彼の車由来の事故が起こってる」


「……そのパーツを? 」


「いや、さすがに本物はブラックマーケットにも出てなかったからレプリカを」


 レプリカでよかった、本当に良かった、本物でなくてよかった。

 などと言えるはずはない。

 模造品と聞けば呪いは薄まると思うかもしれないが、実際は呪いまでコピーしてしまうというのもままある話だ。

 絵画や彫刻ではレプリカが微弱な呪いをばらまいたというのも珍しい話ではない。

 というかブラックマーケットってなんだ、闇市か、どこでだ、インターネットか。


「あとは事故車の無事なパーツを見繕ってちょちょいとくっつけた」


「パッチワーク……」


 血の気が引いていくのを実感した。

 原付バイクじゃないんだから、と声を大にして言いたい。

 呪いの継ぎ接ぎよりも、そもそも車検を通っているのかを問いただしたい。

 いや通しているんだろうな、通っていなくとも、この人ならその程度のルールは捻じ曲げる。

 方法は山とあるのだ。


 私見だが車はこの世で最も人を殺している道具の一つだと思う。

 銃の製造で呪われたウィンチェスター家ほど特設的な呪いは無くとも、ローマ時代の戦車から数えて馬車に自動車と、どれだけ代を重ねても死者を出すような事故は起こっていたはずだ。

 つまりは、それだけの数の死者を出してきた物品。

 性能が上がり、速度も重量もある現代の車を見れば致死率も上がっているのではないか。

 多くの自動車会社が搭乗員を守るために工夫を凝らしているのは知っている。

 万が一の際に被害者のダメージを抑える工夫をしているのも知っている。

 どころか事故が起こらないように自動ブレーキまで開発しているのも、CMでよく見かけた。


 でもそれだけの事。

 どれだけ頑張っても被害者は出る、私のように。

 死ななくても生涯付き合わなければいけない傷を負う事も珍しくはない。

 つまるところ、一度でも事故を起こした車というのは大なり小なり怨念がこもっている事になる。

 そして霊魂や怨念を取り払う事を頼む業者がいてもおかしくない。

 千秋さんの性格ならば、怨念のこびりついたパーツを一つ譲ってもらえるならば二つ返事で仕事を引き受けるはずだ。


「……車の整備は楽しかったですか? 」


「それなりにね、しばらくは受けないけど」


「しばらくってどれくらいですか? 」


「えーと、あと一年くらいかな」


 ちらりと、窓の淵に目を向けてからそう言った。

 すでにわき見運転を注意する気にもなれない。

 幽霊だの手形だの謎の霧だの、とにかくオカルティックな某共が視界を塞いでしまっているのだから何も見えないのだ。

 しかしあと一年、という事は次の車検だろう。

 窓の淵を見たのは次の車検時期の確認か。

 なんにせよだ、頼む業者も問題だし、受ける千秋さんも問題だ。

 というかこの車に関わった人間は一人残らず問題しかない。


 自分の事は棚に上げて、どいつもこいつも、と声を大にして言いたい。

 棚に上げる部分はそんな千秋さんと深く関わりを持っている、という点だというのは、言わぬが花か。


「さて、到着だ」


 ようやくやっと遂に、どの言葉を選べばいいかわからないが目的地のようだ。

 三途の川を見ないで済んだのは僥倖、とはいえこれで車に対して二つ目のトラウマが植え付けられたのは確実だろう。

 とにもかくにもこの幽霊車の旅も終えて、帰りは絶対に電車を使おうと決める。

 無理だろうけど、無理やり乗せられるだろうけど、深淵並みに引きずり込んでくるだろうけど。


「それで……ここはどこです? 」


 でろんと垂れ下がった幽霊を押しのけて車外に出てみたものの周囲には何もない。

 山道半ば、二車線の道路が伸びているが他には何もない。

 夜景が綺麗ともいえない、さすがに見飽きた。

 だからどう言いつくろった所で、目的地ではなく通過点にしか見えないのだった。


「今回の依頼は珍しい物が見られるから受けたんだ、時間的にもぴったり……というには少し早すぎたかな」


「珍しい物って……千秋さんがそんなことを言う方が珍しい気がしますよ」


 伊達に師匠を名乗っていない千秋さんである。

 海千山千のオカルト現象と遭遇して、数多のオカルトグッズを取り揃えて、ある意味では裏家業ともいえるこの界隈で名をはせた猛者だ。

 そんな彼女が珍しいというのならばそれはもう相当なのだろう。

 しかし、それにしては場所がおかしい気もする。

 今いる場所は山の中腹、それも人の手で舗装されて人造7自然3程度の割合になってしまった山道だ。

 幽霊はこういった場所を好まない、というよりはこういった場所に現れる理由がない。

 いわくの無い土地に寄り付くことは少ないので、いるとしたらそこで死んだ人くらいだろう。

 だからここにいるとしたら大昔の、人の手が入る前に命を落とした誰かという場合が多いが、珍しい物でもない。


 ならば舗装後に事故死した誰かか。

 とはいえ、千秋さんの車ではないが事故でうまれた幽霊なんてのはそれこそ当たり前のようにいる。

 道端で花が添えてあったら5人はいる。

 そのくらいよく見かける。


「んー、見ればわかると思うけど……私もまだ3回くらいしか見た事ないから断言はできないんだよな。海で見る事はあっても陸じゃあまり見ない類だから」


 海で見る事はある、どういうことだろう。

 真っ先に思い付いたのは人身御供。

 海へ捧げものとして生贄をというのはよくある話で、その霊魂が土地に縛られるのも、ままある話だ。

 山も同様、生贄を捧げるという行為はなかったわけではないし、舗装のために人を生き埋めにしたという記録も残っている。

 けれど……珍しいものではないと思う。

 私程度の新米でも和洋折衷様々な幽霊を見てきた。

 ヨーロッパの騎士らしき人や、貴族のような衣装の男性、ドレス姿の少女に、近所のおばあちゃん、侍に、殿様らしき人物、軍人らしき人に、犬や猫。


 それこそ街で知人を見かけるような割合で幽霊と遭遇している。

 千秋さんと知り合ってからはその回数が爆発的に増えたが……だめだ、想像が追い付かない。


「……降参です、理解が追い付かない」


「こればっかりは経験と知識だからね」


 どちらも私には足りていない、当然と言えば当然だ。

 数年間の昏睡とリハビリ生活で一般常識さえ疎い。

 同級生と比べても知識が少ないと自負している。

 だがそれがハンデだとは思っていない節もあるから痛しかゆしという所だろう。

 彼らが携帯電話の高速メール打ちからフリック入力へ移行する際にした苦労を私は知らない。

 ネットサーフィング中にいかがわしいサイトに飛ばされたこともない。

 インチキ通販に引っかかったこともなかったし、架空請求の被害もない。

 故に世間から隔離されていたことは悪い事ばかりではなかった。


 足りない知識は補えばいい。

 現代社会で調べて分からない事は少ない。

 それこそ国家機密だったり、規模が小さすぎて取り上げるほどでもなかったりという不要な情報だ。

 今回の場合は後者だろう。

 どこにでもある話、取り上げるまでもない小さな悲劇で生まれた幽霊、そんなところだろうか。

 だとすれば事件じゃない、大なり小なり人が死ぬような事件は世間をにぎわせる。

 しかしここに来るまでに見かけた標識、そこに書かれた住所には見覚えがない。

 ならば事故か、しかし歩道がない。

 対人事故ではないのだろう。


 周囲を見渡して、気になる点はなさそうだ。

 ガードレールにアスファルトの地面、コンクリで補強された崖にガードランプ。

 よく見ればコンクリの一部に傷がついているとかその程度か。

 自分の事故の記録を見た事があるけれど、修繕後もそれらしい跡が残るらしい。

 人為的な物に事故の痕跡、他にも注意書きの看板なんかが用意されることもある。

 それらがないという事は、地名が変わっている可能性もある。

 でも……やはりわからない。


「わかったことは? 」


 千秋さんがそう尋ねる。


「事故かなとは思ったんですけど……痕跡とかないですし随分前の出来事が原因ですか? 」


「いんや、ここ数年……えーと、2年前くらいかな」


 あぁ冬の出来事だからプラス半年くらい、と付け加えたまま千秋さんは煙草をくわえた。

 火をつけないのは幽霊が嫌がるからだろうか。

 私も一本差し出されて、そのまま受け取って同じように咥える。

 思わずポケットの中に入れたライターに手を伸ばしていたことに気づいて、自分が毒されている事に気づいてしまった。

 もう苦笑するしかない。

 煙草は魔除けになるという事を理解した上で、仕事なのだから霊を遠ざけるようなことは避ける、けどいつでも対処できるようにという目的で咥え煙草だ。

 というよりも、内臓の機能が常人より弱い身で煙草を咥えたら火をつけるという動作に慣れてしまったことも問題だと思う。


「私の人生、寿命が短くなる一方ですね」


 思わず、八つ当たりもかねて千秋さんに話を振っておく。

 無言で何かが来るのを待ち続けるよりは有意義だ。


「長くなる奴がいたら人間じゃないね。いや、いたら一度会ってみたいかも……」


 なるほど言われてみれば確かにそうだ。

 だけど事故に幽霊にタバコに酒、挙句深夜のこってりラーメンやスリルドライブ。

 どう考えても私は長生きできないだろう。

 別に望んでいるわけでもないし。

 しかし私は前世でどんな業を背負ったのだろう。

 事故直後は両親の下にそんなことを言う宗教団体がいくつも押し掛けたそうだけど、というか私が目を覚ましてからも押し掛けてきた。

 神の導きがあって救われたのだと。


 正直に言ってしまえば、そんな導きはなくてよかったと思う。

 さっくりあの時死んでいればつらいリハビリも、失った青春に思いをはせる事も、17歳から3年かけて6年分の知識を詰め込んで高卒認定や大学受験の苦労をすることもなく楽になっていたかもしれない。

 そう考えた事は何度もある。

 だからといって現状に満足はしていないし、過去に思う所がないわけでもない。

 その上で私が言える事は、どうあってもこの師匠に、千秋さんには出会っていただろうと。


 あの時私が死んでいたら幽霊になっていたと思う。

 土地に縛られた地縛霊、それも悪霊の類になっていたはずだ。

 それほどに幼かった。

 肉体ではなく精神の問題だが……そうなっていたら私と生活圏を重ねていた千秋さんが見逃すことなく私を捕まえていただろう。

 生きている今にしたって逃げきれていないのだから間違いない。

 千秋さんから逃げようと思った瞬間には背後にいるのだ。


 旅行中に呼び出されてバックレようと思った時に「私千秋さん、今あなたの後ろにいるの」と電話口から言われた時は本気で心臓が止まるかと思った。

 実際はただの冗談でその場にはいなかったが、ホテルに戻ったら部屋の中でゲームして帰りを待っていた。

 魔王かはいよる混沌みたいな存在だと思う。


「そろそろかな……念のために車に乗ってなさい」


「念のためって……」


 嫌な予感しかしない。

 この人が念押しするときは大抵碌でもない事が起こるものだ。


「別にこのまま外にいてもいいけど、トラウマとかが心配ね」


 予感が予言に進化しそうな勢いだ。

 そう思いながらも助手席に乗ろうとして、地響きを感じた。

 なんだろう、こんな感覚前にも体験したような気がする。

 デジャヴとは違う、もっとこう、身をもって知っているような感覚。

 日常的に感じているけれど、何か強い思いが内側から湧き上がって悲鳴になって漏れ出しそうな嫌な感覚。

 先程までの雑多な幽霊が抱かせる嫌悪感とは違う圧倒的な恐怖がそこにある。

 そんな予感がする。

 巨大な何か、そして人間なんて一瞬で屠ってしまうであろう強大なそれが近づいている。


「……乗りな」


 静かに告げる千秋さんの声が珍しく真剣だったのもあって、私は正気を保つことができた。

 一人でいたら泣きわめいて崖から落ちていたかもしれない。


「さぁ、来たよ……世にも珍しい幽霊、この山の主ともいえる存在、わずか二年という短期間でこの山に住む霊達の頂点に上り詰めた化物が」


 地響きが増していく。

 車体がぐらぐらと揺れる。

 何が来るのか、八割の恐怖と二割の好奇心を胸に山道に目を向けると黄金に輝く二つの目が合った。

 巨大、その眼だけでも私の顔面くらいの大きさだろうか。

 なんという事だろう。

 まごう事無き、化物ではないか。

 ガタンガタンと音を響かせながら近づいてくるそれを私は見つめる事しかできなかった。


「3」


 千秋さんが呟いた、何の数字だろう。


「2」


 いや数字じゃない、これは。


「1」


 カウントダウンだ。

 眼前にまで迫ったその存在、それが自分たちにぶつかるまでのカウントダウン。

 ……いやまてこの化物見覚えあるぞ。

 ここまで近づいてはっきり分かった。

 というかここまで近づかなければ理解できなかった。

 ぶつかったら死ぬということは変わらないけれど。


「0」


 終わった、と思った。

 不思議な事にそれは私達をすり抜けていった。

 つられて視線を向けた先では銀色に光るコンテナを積んだトラックが崖を飛び越えてふっと姿を消していった。


「……なんです、あれ」


「幽霊船ならぬ幽霊トラック、二年前にその辺りから落ちて亡くなった人がいてね……その霊魂がトラック諸共現世をさまよっているのさ」


「そんなんありなんですか? 」


「さもありなん、幽霊だって死んでも服を着ているんだから」


 ありなんですね、しかし……あの既視感はそういう事か。

 トラウマといったのは幽霊がトラウマになるのではなく、私のトラウマが呼び起こされるということか。

 なるほどなるほど、ふざけんな。


「克服しているとはいえですね、こんな仕事に連れてくるとかあんた正気ですか! 」


「正気でやってられっかこんな仕事」


 あっけらかんと言い切りやがった……。

 いやまぁ狂気の沙汰の権化みたいな人だけどさ。

 大事故で死にかけた人間にトラックの幽霊と正面から向き合わせるとか鬼畜の所業ですわ。


「さて、帰るか」


「は……? 」


「いや、珍しいもの見れたし調査完了ってことで」


「いやいやいやいや、今ので終わりですか? 」


「うん、終わり。山道で特定の時間に幽霊トラックが出るから調査しろというのが今回の仕事。発生地点と収束地点、時間に規模が分かったから十分だねぇ」


 千秋さん曰く、地響きはラップ音やポルタ―ガイストと同じようなもので、事故が起こった時間場所と発生のタイミングは一致しているらしい。

 またライトはついているがその意味を成していないとのことだ。

 たしかに眩しいとは感じなかった。

 それだけでも危険度は格段に下がるというが、いきなりトラックが現れたら危険な事に変わりはないはずだ。


「まぁ早めに対処するように伝えておくさ」


「そうしてください、犠牲者が出る前に……」


 実に危機感のない人だ。

 それにしてもトラックの幽霊か……。

 都市伝説の類で幽霊を乗せたバスや、黄泉の国に連れていく電車の話があるけれど似たようなものなのかもしれない。

 千秋さんの言った通り幽霊船も同じような物なのだろう。

 でも、だとすると、ふと嫌な想像が頭をよぎる。

 私の霊感は非常に強い。

 だからこそ、人と幽霊の違いは一目でわかる。


 だけど、もしもその違いに気づけなかったら。

 例えば街中を走る一台の車が、本当は幽霊なのだとしたら。

 大学の知人が本当は死んでいるのであれば。

 少し背筋の寒くなる想像をして、それを振り切るようにして、シートベルトを締めようとして、いつものカチリという手ごたえがなかったことに気が付いた。

 だめだ、トラウマが原因か怖いことを考えてしまったせいか、体が言う事を聞いてくれないのだろう。

 そう思って手元を見ると見知らぬ女性の髪を掴んでいる事に気づいた。


「ひぃっ! 」


 不意打ちはダメだってば。


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