学校の怪談
夏といえば、という切り出しから始まって連想するものは何だろうか。
お祭り、実に健全である。
出店の大して美味しくない食べ物に、すぐに死ぬか巨大化する金魚、染色されたひよこに、絶対に当たらないくじ引き、意味もなく心躍る花火大会。
まさしく少年時代の思い出だ。
しかし今回は違う。
ならば海やプール。
普段着よりも露出多めでドッキドキ。
なんてことにはならない、傷に悪いから水着禁止の私にそんなものを楽しむ余裕はない。
そもそもインドア派で紫外線は敵だ。
だとしたら、そう怪談である。
肝試しに心霊スポットでわーきゃーと騒ぐ迷惑行為のあれ。
せめて遊園地に行って有料で楽しんで来いと思いつつ、つい最近近場の心霊スポットを騒がせた身としては何も言えない。
そう心霊スポット。
幽霊の目撃談が残るいわく付きの場所。
それは壁を一枚隔てた向こう側のようにも見えて、その実人々のすぐ隣にある。
こんな話を聞いたことはないだろうか。
子供の幽霊は、人が集まる場所を好むと。
今回はそういうお話。
夏というのは学業に向いていない。
暑さで体力を奪われ、冷房で体温を奪われる。
身体に悪いという話ではなく、眠くなるという話だ。
陽炎揺らめく風景を余所に、ひんやりとした部屋で窓から差し込む生暖かい空気を感じていると眠気を抱くのだ。
ついでに春は言葉の響きからして眠くなるし、秋は涼しい中で温かい恰好をしているから眠くなるし冬は冬眠という言葉が全てを物語っている。
つまり年中眠いわけだが、体力のない私にとって夏は最悪ともいえる季節だ。
そんな私の眠気を一瞬で吹き飛ばす千秋さんもここしばらくは夏バテでダウンしている。
炎天下の車内に放置したソフトビニールの人形みたいに溶けている。
おかげで心休まる日々を過ごしていた。
「せんぱーい、ここ空いてます? 空いてますよね、先輩ぼっちだから! 」
冷房の効いた食堂で熱々のカレーうどんを食べるという贅沢を邪魔する存在が現れた。
と、ゲームのようにナレーションをつけながら声の主を睨みつける。
「ぼっち言うな、ちょっと社交性と身体が欠けてるだけだ」
「そういう笑えない冗談言うからぼっちになるんですよー」
「ぐぅ……」
せめてぐうの音だけは出しておく。
「それで先輩! 」
「待ちなさい、冬香。まず同級生なんだから先輩というのはやめて、お願いだから」
空町冬香、名前に冬とついているのに冬眠しない女。
そして夏だろうが春だろうが秋だろうが元気な女だ。
私は事故でこん睡状態だった時期があるから大学入学が遅れたのだ。
「じゃあ春奈」
「はいよろしい、んで? 」
このやり取りは、実は10回を超えている。
もはや恒例の挨拶といっても差し支えない。
「えーと、白い服でカレーうどんってチャレンジャーだね」
違うだろ。
何度でも言う、違うだろ。
私の至福の時間を邪魔してまで伝えたかったことがそれならば怒るぞ。
「冗談はさておき」
本題に入るまでが長いのが彼女の悪い癖だ。
曰くそういうスタンスこそが社交性の現れというが、これはこれで社交性が足りていないと思う。
私達二人を合わせて割ったらちょうどいいかもしれない。
いや、悪化する可能性もあるけれど。
「春奈にお願いがあってね、ほらなんか一時期噂になってたじゃん? 霊感少女だっけ」
外観や事故の件でそう言った噂が立っていたのは事実だ。
傷口を隠すために髪を伸ばしていたし、幽霊とぶつかりそうになって何もないところを避けて歩いている所を見られたりしてそんな噂が立った。
「貞子みたいな女って」
「それは陰口でしょ」
「井戸で皿数えてそうとも言われてたよ」
「もはや悪口よね……」
「掛け軸にはなれないなんて冗談も飛び交ってたよ」
最悪の冗談である、人のこと言えないけれど。
しかし本筋から脱線する娘っ子である。
成人式を控えているだろうにこの調子で平気なのだろうか。
「そこで本題、霊感少女に調べてほしいことがあるの」
「霊感少女言うな」
「あぁ、少女じゃないか」
よし帰ろう、午後の授業はすべて放棄して帰ってシャワー浴びてふて寝しよう。
今夜は枕を涙で濡らすのだ。
「時給は1300円で」
「詳しく」
貧乏学生はつらいのである。
事故の保険やら賠償やらで多額の金銭を得たけれどその大半は親が握っているし、無理言って一人暮らししている為お小遣いも少ない。
ついでにオカルト道の師匠であり、拝み屋をしている千秋さんの所でアルバイトをしているのも内緒なので毎月お金のやりくりには悩まされている状況だ。
「えっとね……」
ちょくちょく脱線したが彼女の話はこうだった。
今現在私たちが通っている大学には付属校がある。
正式名称、東京都立梅華大学付属第三高校という無駄に長い名前の学校だが通称梅大三高、冬香の卒業校でありエスカレーター式に進学したという。
卒業後も後輩とも密に連絡をとっていたそうだが、どうやら最近体調を崩してしまったらしい。
季節外れのインフルエンザ、しかも肺炎を併発する程の重態で入院中だそうだ。
だというのに、入院中の後輩が学校で目撃されるそうだ。
時間も場所も関係なく、ある時は朝礼中に学校の屋上で、ある時は授業中の食堂で、またある時は深夜に職員室で。
本人が病院から一歩も外に出ていない事は確認されているが、目撃者の数があまりにも多くこのままでは内申にも影響が出るかもしれないという話だ。
実に胡散臭い話である。
学校の七不思議レベルの、子供が考えた怪談みたいだ。
トイレの花子さんの方がまだ分かりやすい。
「それで、何をどうしてほしいと」
「霊感女にその一件を調べてほしいんだよね」
少が取れてしまった、なるほど喧嘩を売っているのかこの女。
しかしざっくりしすぎである。
千秋さんへの依頼だってもう少しまともな内容だ。
「具体的に言うとね、これに参加してくれないかなぁって」
そう言って彼女が差し出してきたのは一枚の用紙だった。
目を通してみると私の嫌いな言葉がこれでもかと言うほどに書き連ねられている。
『学生の青春、夏を謳歌しよう肝試し大会』
そんなふざけた見出しから始まり、二人の女性がデフォルメされた幽霊に囲まれている絵、そして詳細内容と日時が記されていた。
どうやら件の梅大三高で小規模な肝試しをやるらしい。
よく見れば主催は梅大オカルト研究サークルと書かれている。
なんともまぁ、以前の肝試し合コンに続いてオカルトの好きな大学だ。
しかも責任者の欄には【超心理学研究科:星野昇】と写真付きで教授の名前が記されている。
この教授、学内でも有名な変人だ。
「ねぇ、お願い! 私たちの後輩を助けると思って! 」
こうも下手に出られると断りにくいが、私の手に負える問題とも思えない。
どうしたものか……できれば使いたくない最終手段があるにはあるのだが……。
「そのバイト代、2人分出せるなら……どうにかできるかもしれないけど」
「う……2人分か……」
やはり厳しいか、単純計算でも二倍の費用だから無理もない。
「私の取り分を減らせばあるいは……」
「おい今なんて言った」
「仕方ない、でも出来高で金額変わると付け加えさせてもらうよ」
……まぁ、それは仕方のないことかもしれない。
取り分云々というのは武士の情けで聞かなかったことにしてやろう
「というわけなんですよ」
商談が済んだので改めて千秋さんに相談することにした。
うだるような暑さの中、扇風機と30円のアイスで夏を乗り切ろうとする私の師匠。
彼女ならばあるいはと思ってだった。
「やだ」
二文字で断られてしまった。
「夏バテで食欲ないし、校内って禁煙だし、そもそも大学生のノリがうざいからヤダ、夜は眠いからヤダ、そもそも働きたくないからヤダ」
どうしようもないほどのダメ人間である。
というか夜こそ行動的になるくせに何を言っているのだろうか。
「挙句の果てにピンハネされてるじゃん、出来高制とか上前はねられるだけじゃん、どうせこんなのガキ共の悪乗りか集団催眠の一種だろ……」
「でも内申に問題出るとなるとさすがに……」
「普段素行の良い奴は大抵の悪行が許される、それが学校だよ。講師陣はこれ幸いと難癖付けてるだけでしょ」
学校との縁が薄かった私には何とも言えない。
しかし不思議と説得力のある話だ。
さてはこの人経験者だな、それも内申が良かった側の。
「……しかしまぁ、気にならないわけでもないか」
お?
「ドッペルゲンガー、名前くらいは聞いたことあるだろ? 」
「自分にそっくりな誰かで、会ったら死ぬっていうあれですよね」
「そうそれ、この事件がオカルト現象ならその類だと思うけど……ドッペルゲンガーの話は少ないから本物なら見てみたいという気持ちがないわけでもない」
「少ないんですか? 」
「本物はね、大半が他人の空似か枯れ尾花」
「はぁ……」
幽霊なんて、というかオカルト関連全部そんなもんだろうにと思うけれど言わぬが花か。
特に千秋さんの機嫌は天候と同期している。
気圧が不安定なこの季節、余計な一言が雷雲を呼びかねない。
「しかしこの時給も魅力的ではあるな……」
お、意外と乗り気かもしれない。
上手く突けば落とせる可能性もあるぞ。
「最近仕事がなかったから懐がさみしくてなぁ……」
「夏は書き入れ時なんじゃないんですか? 」
「そうおもうだろ⁉ でもこの時期あいつらクソ元気なんだよ! 蚊みたいにブンブン飛び回って
チューチュー仕事吸い上げていきやがるの! 素人同然の下手糞共が! それで大惨事になったりやっすい金で私らみたいな本職が引っ張り出されるの! 」
あ、やべ地雷踏んだ。
「そのくせこっちに回される仕事は大半が思い込みで面白いところだけ来ないし! 本当に夏は最悪の季節だ! 」
夏が最悪なのは同意するけれど、仕事で文句を言えるほど私は深みにはまっていない。
というかオカルト業界もなんだかんだ大変なんだなぁ。
「それにほら、なんだ、夏の特番。あれも数が減って私らの仕事だけ減って手間だけ増えて……もう本当に自嘲しない同業者も、それを垂れ流す放送局も、デマに踊らされるクレーマーも、夏もみんな滅びたらいいのに……」
あぁ、この人がここまでいじけるという事は相当なんだろうな。
就職するときは普通の会社にしておこう。
「挙句の果てに弟子がこんな仕事持ってくるし……」
いかん、矛先がこっち向いた。
「まぁまぁ、一服いかがです? 」
本格的に拗ねる前に落ち着かせよう。
タバコ吸っている間は静かな人だから一本吸わせれば落ち着くだろう。
「……甘い煙草は嫌いだ」
「ガソリン臭い煙草よりもましだと思います」
売り言葉に買い言葉。
後悔先にたたず。
後の祭り。
「こちとら金がないんじゃ! 」
「だからって八つ当たりしないでください! 」
「糞暑いんだよちくしょう!」
「年中長袖着てる身にもなってください! 」
「やかましい! 暑苦しい! 」
「なにをー! 」
「やるか! 」
それから一時間近く、不毛な口論が続いた。
日が沈んで涼しくなり始めて、そして互いの胃が空腹を告げたので仲良くラーメン屋へ向かう事になった。
「それで、結局この仕事はどうするんです? 」
「……夏場の数少ない稼ぎだから、やる」
「じゃあ報告はこっちでしますから、遅刻しないでくださいね」
「わかった」
ご飯食べてる時も静かになる、子供みたいな生態しているなこの人。
「もう無理」
「早いですよ」
肝試し大会参加10秒で音を上げた千秋さんの腕をつかむ。
正直な話私も来たくはなかった。
うっかりしていたが学校という施設はバリアフリー化されていないのだ。
大学ともなればエレベーターやエスカレーターがある、しかし高校以下の学校というのはそういった設備がない。
故に、私は杖を持つ必要がある。
なくても生活に支障はないし、散歩道くらいに舗装されていれば無用だけれど如何せん階段の
昇り降りがきつい。
うっかり転げ落ちたら八番目の七不思議になりかねない。
「大学生の青春オーラで殴られてる」
「慣れます」
「十代の肌が光って見える」
「三十路になってから言ってください」
「タバコ吸いたい」
「私もです」
ガソリン臭い煙草でもいいので今は身体を苛めたい気分だ。
なんでもいいから身体に悪いことをしたい。
今なら千秋さんと胸襟を開いて語り合える気がする。
「お、春奈! 」
「……冬香、元気だね」
泣き面に蜂とはこのこと、大学生のリア充オーラと青春オーラにタコ殴りにされている中で
元気印とのエンカウントはきつい。
本当に吐きそうになるほど、つらい。
「えーと、そちらは……誰さんかな、うちの大学の人じゃないよね」
「千秋、春奈の介護と思って」
色々と突っ込みたいことはあるけれど、面倒だからいいや。
「一応全容は聞いているけど、そちらさんからも説明してもらっていいかい」
「はい、いいですよ! 」
この元気印は本当にもう、そしてこのダウナー師匠は本当にもう。
二人の温度差に体調崩しそうです。
「後輩の露美ちゃんっていう子がインフルで、そっちは治ったんですけど併発した肺炎が結構重症らしくて今も入院中なんです。でもその子を学校で見たって人が沢山いて、でも病院から出ていないのはお医者さんのお墨付きで」
「春奈……ちょっと」
冬香の説明を聞いている千秋さんが二日酔いのような表情で私の肩を掴んだ。
始めてみるレアな表情だ。
「この子、きつい」
「私も苦手なタイプですけど頑張ってください」
うんざりした表情で冬香の説明を聞き終えた千秋さんは、それはもう仏のような表情でした。
「結局友達の友達レベル……本格的にハズレ退いたかな」
「あたりの可能性は? 」
「一等賞以外ハズレ同然……いらない二等賞はハズレと同義……はずれたら寝込む位つらい」
「そうとうキテますね」
「今脳内で三途の川謄写してる、奪衣婆と賢生翁が一緒に手招きしてる」
たしか三途の川の手前で死者の罪を測る人達だっけか。
衣類をはぎ取って木にかけてそのしなり具合が罪の重さと比例するとかなんとか。
「私は冬香と話すとき鳥獣戯画が躍ってますよ」
そんな話をしているとようやく肝試し開始となった。
教授が注意点について延々と話しているが、参加者たちはどこか上の空といった様子だ。
「はーい、グループ決めのくじ引きはこっちでーす」
主催者の一人がそう言って神の箱を手にしている。
何人かのグループで動くのだろうけれど……困ったな。
ここで千秋さんと離れたら誘った意味がなくなるし、私の身体では見知らぬ誰かと一緒にというのは難しい。
「あ、春奈は私と一緒ね」
うげっ、という言葉をギリギリで飲み込んだ。
くじを引く前に冬香が私の腕をつかんでそう言ったのは、まぁ依頼者だからだろう。
「……千秋さんは介護なのでグループ決定です」
せめてもの道連れだ。
死なばもろとも。
「まぁ……しょうがないか」
諦めたように帽子を被りなおしてから千秋さんはそう言った。
ここでごねる意味もないから素直に従ったのだろう。
「じゃあ1番のグループからスタート、梅大三高の七不思議に関する場所で待機しているメンバーがいるから彼らの証明を貰ってね」
つまり肝試しスタンプラリーか。
それにしても七不思議、またいかにもな単語が出てきた。
「冬香、七不思議の内容知ってる? 」
「詳しくはないけど知ってるよ」
それは実にありふれた怪談だったが、誰がどこで捻じ曲げたのか伝言ゲームのように支離滅裂な変質を遂げていた。
その中でもまともなのは音楽室で勝手に鳴り響くピアノと血まみれのトイレくらいだろうか。
他はタイトルのない黒い本が図書室に置かれているだとか、
廊下に不定形の化物が出現するだとか、深夜0時に校庭に人魂が出るとか、屋上から女生徒が飛び降りる姿が何度も目撃されているとか。
どこかで聞いたような、それでいてセンスのない誰かが脚色したようなものばかり。
しかし一つだけ見逃せないものがあった。
旧学生寮へと繋がっている渡り廊下に置かれた鏡に触れるともう一人の自分が現れるという物。
これだけは妙に具体的な内容であり、そして今回の一件と類似した内容となっている。
「これ、どうなんでしょう」
「ハズレだったら七不思議になぞらえた悪戯ってところかね」
一人テンションを上げている冬香を放置して千秋さんとこっそり相談する。
他の七不思議に関してはどうでもいい。
というか半分は霊現象ではないと言い切れる内容だ。
「この図書室の本って気になりますね……」
「私は不定形の化物、こういう妖怪みたいなのは見た事ないから居るなら会ってみたい」
結局のところ本命は見なければわからない。
だから私たちの興味は別の七不思議へと向いていた。
図書室の本、どんな内容が描かれているんだろうかと気になる。
「では4グループ目、出発してください」
そうこうして内々に盛り上がっている間に私たちの番が来た。
正面玄関から中に入るとランタン型のライトが道を作っている。
いかにもな雰囲気だが歩くのに支障のない光量だ。
「最初は……音楽室かな」
冬香を先頭に私は千秋さんの隣を陣取る。
右手に杖を持っているので右側だ。
「春奈って本当に杖使うんだね、初めて見たよ」
「そりゃまぁ、普段は必要ないし」
リハビリのおかげもあって日常生活に差し支えない程度の運動能力はある。
短時間なら走る事もできるけど、
後から痛みが襲ってくるので運動はウォーキング程度にとどめている。
大学の授業も極力激しい運動をしないで済む物を選んでいるので成績も上々、とまではいかないが悪くはない。
そんな他愛もない会話をしながら廊下を歩き続けるとポロンという音が聞こえてきた。
「チェックポイント役が弾いてるのかな」
それは紛れもなくピアノの音だったが、調律が悪いのか弾き手が下手なのか、時折音が狂っている。
どこかで聞き覚えのある曲だけど、これはなんだろう。
「これゲームで聞いたことある……千秋さんわかりませんか? 」
「ベートーヴェンの月光」
あぁそれだ、ゾンビのゲームで主人公が弾いていたっけか。
「よく知ってますねぇ」
「クラシックなら一通りわかるよ」
冬香の軽口に、千秋さんは何でもないように答えた。
多芸な人だと思っていたけど音楽にも関心があるのか。
そういえば音楽は絵画に並んで怪事件が多いんだっけ。
「悪くないチョイスだけどここは暗い日曜日とか引いてほしかったな」
「クラシックじゃないですね」
私にはわからない世界だが、冬香はわかるらしい。
困った、私だけ置いてけぼりだ。
そう言った情報は自分なりに調べているけれど、興味ではなく必要に駆られてというもの。
そのせいで私が知っているのは有名どころの、それも特に狭い範囲の事でしかない。
言うなればトイレの花子さんレベルの物を数点記録しているだけだ。
超弩級のメジャーしか知らない、あるいは知っていても即座に引き出せない。
「なんです? 暗い日曜日って」
「聞いた人が次々自殺したって曲、今度聞かせる」
「それは遠回しに死ねと言っているわけじゃないですよね」
「ネットでも出回っている曲だからブラック企業よりも安全よ」
ジャンルの違う物を並べられても困るけれど……しかしそうか、なら千秋さんの殿様商売している事務所と比べれば幾分か心臓に優しいのだろう。
「さて、此処か」
ライトに導かれてたどり着いた音楽室ではいささか古いCDプレーヤーで再生された月光と、肥満気味の青年が出迎えてくれた。
ピアノの音じゃないのかと肩透かしを食らった気分である。
「はいハンコ、次はここを出て真っすぐね」
だいぶ適当な案内を受けて音楽室を後にする。
薄暗くてわかりにくいが、4グループ目ともなると疲れてきているのだろう。
それからに多様な対応を5回繰り返して、遂に目的の場所へとたどり着いた。
旧学生寮へと繋がる渡り廊下、此処を抜けて学生寮から外に出ればゴールとなる。
道中は何もなく、それこそ私達拝み屋としては非常に珍しいことに幽霊の影すら見ることなくここまでたどり着いてしまった。
学校という場は霊のたまり場になっていると聞いていたけれど、場所によるのだろうか。
「これか」
いつの間にか千秋さんが渡り廊下の端っこに立てかけられた布の塊を覗き込んでいた。
先程までは鈍重だった癖にこういう時だけは素早い。
「……確かに、これは曰く付きの品なんだろうけど……でもなぁ……」
ぶつぶつと呟きながら布を捲ったり、裏からのぞき込んだりと忙しない。
しかしその動きは、決して鏡そのものに触れないようにしているのが分かった。
「……試してみるか」
ふと、そんなことを言った千秋さんは布を取り払った。
覆い隠された姿見鏡はライトに照らされてその姿を見せたわけだが。
それは姿見鏡ではなかった。
正確に言うならば昔は鏡だったのだろう。
けれど今は鏡が外されて台座となっていた枠だけが残されているに過ぎない。
「これって……」
「見ての通り、触れられる鏡はない。たしかに霊的な何かは感じるけどドッペルゲンガーを生み出せるほどの力はないね」
つまりハズレという事か。
なんてことも考えたが、そうではないらしい。
「なるほどねぇ……」
布を片手にした千秋さんは楽し気に笑みを浮かべている。
この人がハズレを引いて笑うはずがない。
ハズレを引き当てたらそれがどんな大物であったとしても真っ先に舌打ちするような人だ。
「物理法則や質量保存なんてのは無縁の世界だけどね……それでもこれは異常だよ、春奈」
「異常って、がらくたにしか見えないんですけどね」
思わず伸ばした手を、二方向から掴まれた。
一つは千秋さん、ニヤニヤとチェシャ猫のような笑みを崩さぬまま手首の辺りを掴んでいる。
もう一つは冬香、肘の辺りを触れるようにして捕らえていた。
「それ、何か気持ち悪い……」
そういう冬香の手はかすかにふるえていた。
元気印の彼女がここまで弱々しく見えるとは、
一緒に行動していたのが異性であればころりと落とされていたかもしれない。
私も思わずきゅんとした、本当に不覚。
「その感性は大切にすると良い」
そう言いながらも手を放してくれない千秋さんだったが、腕を引いて見せるとあっさり話してくれた。
冬香だけがいまだに私の腕を握っている。
「しかし……これ欲しいな」
「駄目です」
オカルトグッズはなんであれ欲しがる人だ、ここで止めておかないと本当に持ち帰りそうだし、あるいは後日構想して引き取るくらいの事はやりかねない。
すでに事務所の一角に曰く付き鏡コーナーが出来上がっているというのに。
「見たところ外されたのは最近かな、様子からして鏡そのものは別の場所に保管……最悪の場合処分されてるかもしれない」
「その場合ドッペルゲンガーはどうなるんでしょう」
「力の源が無くなったなら自然消滅するでしょ、台座も焼却すれば完璧に消えるはず、だからほっといても問題の子が退院するまでにはどうにかなるでしょ」
それから小さく、私にだけ聞こえるように小さな声で耳打ちされた。
「そもそも別件」
何やらうすら寒い物を感じながら、千秋さんはさっさと帰ってラーメン食べに行こうと先に進んでいった。
台座にはしっかりと布をかけなおしておいたので後続組や、主催者たちが困るようなこともないだろう。
そう思い、私達も後に続いて外に出る事にした。
それからは何事もなく、肝試しも終わり夜中に余分なカロリーを摂取して日付が変わるころには全員が帰路へ着いた。
後日、冬香に頼み件のドッペルゲンガー後輩のお見舞いに行ったが経過確認さえ終わればすぐにでも退院できるほど回復していた。
むしろここまで長引いたことが不思議だという医者のお墨付きもあり、過不足なくバイト料を貰った私と千秋さんは事務所で帳簿に記録をつけていた。
「それで、結局あれって何だったんですか」
「んー? どれ? 」
「ドッペルゲンガー」
今しがた記録をつけているのに忘れていたとでも言わんばかりに手を叩いた千秋さんは煙草に火をつける。
「よくある思い込みと生霊、以前依頼してきた肝試しの子とは真逆と思えばわかりやすいか」
肝試しの子、合コンを断った私を恨んで呪いをかけてくれと言い出した同級生か。
所謂呪詛返しを行った相手でもあるが、霊感が一切ないせいで影響を受けずにいたという彼女の真逆、つまり私や千秋さん動揺高い霊感を持っているという事だろう。
「最初はお見舞いに来た誰かが、誰さんのそっくりさんを学校で見かけたって話でもしたんでしょ。それを真に受けた本人は入院中生霊を学校へ送ってしまった」
千秋さん曰く、ドッペルゲンガーに会うと死ぬというのは生霊説が有力だからだそうだ。
すなわち自分の生霊を視認できるほど強く、そして近くで発生させると魂が抜けてしまうからだという。
今回の一件は思い込みと噂の両方が媒体となり、先天的に高い霊感を持った人物が生霊を作り出してしまったのだろうという事だ。
特に女子高生、思春期という精神的に不安定な時期とインフルエンザで肉体が不安定な時期が重なり、つまり偶然が幾重にも重なりあって出来上がったものだったという。
鏡が取り外されて噂の根幹が崩れた事で力の行き場がなくなり、生霊を生み出すこともできなくなった露美なる少女は無駄な力を使う事もなくなり無事快方へと向かったのだろうという事だ。
「まぁ半分は当てずっぽうだけどね」
そう言って笑う千秋さんだったが、何を隠しているやら。
あの時たしかに笑みを浮かべていたのを覚えている。
たかだか生霊を見たくらいであの笑みは出てこないだろう。
そして今帳簿を、私と彼女の二人でつけているのが何が起こったのかを物語っている。
「届くのはいつごろです? 」
「明日の午後指定」
なるほど、明日は忙しくなりそうだ、まずは置き場所の確保から始めなければいけない。
せっかくだから入り口近くにでも置いておくべきか。
帳簿を閉じて上着を脱いで、ついでに千秋さんの前に灰皿を置いて掃除機を手に取った。
せめて届いた鏡の設置は、交渉して買い取った本人にやってもらうとしよう。