奥多摩珍騒動⑤
それから数本の鉈とかを担いでえっちらおっちらと千寿氏の家に向かった。
田舎は日を遮るような建物が無いから日差しが暑かった……が、出された麦茶に手を付けようという気にはなれなかった。
なんというか、生臭いんだよね。
ただの麦茶のはずがテーブルの上に置かれているのに異臭を放っている。
千秋さんも手を付けようとしないし、私もそれに倣う。
「さて、早速ですが……今回の犬神、誰に呪いを返されたかお聞きしても?」
剛速球、160㎞ストレートでぶっこんだ千秋さん。
この業界駆け引きも多いけど、同じくらいドストレートに話をぶつける事も多い。
死者生者問わず。
「……千寿家はいくつも家があります。いわゆる宗家と分家というやつです。今回うちの孫娘が式を送ったのは宗家の次男坊、千寿家全員を揃えても彼より優れた術師はいないでしょう。今なお犬神を作れるのは彼くらいなものです」
「よし、帰るか」
「ちょ、千秋さん!?」
「いや、真面目にこの仕事は引き際が重要だからな? 犬神作れるような奴相手の呪い返しとかおまけがついてるに決まってるだろ。それを黙っていたこの爺さんが悪い! それにそんなのと縁を結びたくない! なにより装備が不十分で、男女でやり合ってる時点で嫌な予感しかしない!」
「5000万円支払いましょう」
「金の問題じゃない。命がかかってるって言ってるんだ。人生もかかっている。そんなはした金……というか金銭でどうこうできる話じゃない!」
驚いた。
あの千秋さんがお金を、それも5000万という大金を蹴ってまで帰ろうとしている。
それくらいにやばい相手なのだろうというのは察しが付くし、縁を結びたくないというのも同感だ。
ただ気になるのは……。
「なれば、あなた方にこれを送ることになります」
そう言って千寿氏が口笛を吹いた。
いや、口笛と呼ぶには掠れた音……なんだろう、麦茶から漂っていたのと同じ生臭さが部屋全体に広がったようだ。
「はっ、やっぱりそう来るよな。じゃ、これでどうだ?」
そう言って千秋さんは懐から取り出した鈴を鳴らす。
ただそれだけで生臭さがいささか弱まったような感じがした。
「それは?」
「鈴の音には魔除けの効果がある。煙草と違って誰にでも聞くわけじゃないが、動物相手ならある程度はな」
そんな方法があるのか……そういえば神社とかでよく鈴守り売ってるな。
由来は違うかもしれないけど、そう言う事なのか?
「最悪の場合に備えて用意していたものもあるが、それを使ったらどんなことが起こるやらッて感じでなぁ。まぁ一種の爆弾なんだが、使われたくなけりゃ今回の仕事は縁が無かったと思った方がいいぞ」
そう言って旅行鞄から取り出したのは水晶玉だった。
だがおかしい、その水晶玉は向こう側を映すことなく、千秋さん自身を映している。
「……因果を捻じ曲げるような代物ですか。うちにも多くは有りませんな」
「ま、その場しのぎにしかならないのは分かっているがな。対処法と道具だけはやる。というかそっちの方が詳しいだろ? 犬神を封印した鉈は郵送してもらえればこっちで引き取ってやる」
「その方法は既に試しました。しかし、孫娘の力によって鉈を折られたのです。また我らにもそれなりの影響を及ぼすため部屋に近づくのも難しく……」
「最初は誰にやらせた」
「この辺りでは有名な悪ガキですよ。鉈を孫娘の部屋に持って行くだけでいい、日給は10万だと言ったところ飛びつきました」
「そんで鉈を折られたと。当然それ以外も被害はあったんだろ?」
「両腕を折られ、首元に噛みつかれ、そして内臓を損傷するけがを負いました」
「あぁ、うん、手遅れだな。今更どうにもできない」
「……我が家で補完している呪物、式、資産、全てを差し出すと言っても受けてもらえませぬか」
その言葉に千秋さんがピクリと動いた。
資産はともかく、呪物とかそっちに惹かれたな?
私はやりたくないしすぐに帰りたいんだけど……。
「私は犬好きでな、正直犬神筋とは関わりたくないと思っていた。その思いは今でも変わらないんだが、うちの事務所はペット禁止でな。さてさてどうしたものか」
「まさか受けるとか言いませんよね」
「正直この話持ってきた婆さんに関わる問題でもあるから、口ではあぁ言ったけど逃げ道なんてないんだよ……」
小声で話しかけると、更に小さな声で返ってきた。
つまり……さっきまで逃げるとか引き上げるとか言ってたのは値段交渉だったのか……あきれた。
「呪物は内容によるな。下手に引き取ると本当に呪われかねないものもある。吟味させてもらう事になるがいいか」
「もちろんです。不要なものがあればこちらでその筋の店に売り現金に変えましょう」
「それと資産はいらん。さっき提示した5000万、それともともとこの話を持ち込んだ婆さんに仲介料を支払ってもらう。それでいいなら、できる範囲の事はしてやる」
「わかりました」
「あぁ、あと今後一切私達に関わるな。それが順守できなければ、例え人づてであろうとこっちに話が着た瞬間契約違反として……」
「その先は言わずとも」
んん? なんか妙な話だが……。
「私らの約束事ってのは言霊だのなんだの含めて破ると酷い目に合う。そこに上乗せをするってのが霊能者のやり口なんだ。今後個人で仕事を受ける時があるかもしれないから覚えておけ」
そう言って千秋さんは鉈を担いで、片手に鈴を持ち煙草に火をつけてから家の奥に向かって歩き出した。
より臭いが濃くなる方へ。




