奥多摩珍騒動③
犬神、または狗神と呼ばれる呪術。
千秋さんは呪い関連のグッズこそ集めているが、呪いそのものを語ることは少ない。
何か理由があるのだろうけれど、それを詮索する気も無く今までなぁなぁにしていた。
だが今回は違う。
「あの、名前とか作り方とかは聞いたことあるけどどういう物なんですか?」
「呪いって言うのは大きく分けて3種類、人によっては4種類と分類することが多い。今回はその代表例の使役型だ。他はあとで説明してやるが、犬神は藁人形と同じと思ってくれていい」
「藁人形ってあの五寸釘の?」
「そうだ。あれは霊や神様に傷や痛み、病と言った物を相手に運んでもらう呪法だ。問題はその難易度……というか術者の力量によって左右されるという事だが犬神は違う」
「違うって……犬神も才能とか無いと使えないんじゃないですか?」
「使えないんじゃない。作れないだけだ」
そう言って視線を鋭くする千秋さん。
まるで忌むべきものを……いや、実際忌むべきものなんだろうけれど千寿氏とその家をじっと凝視している。
私でも気分が悪くなるほどの空気だ。
千秋さんがそれを感じ取れないはずもなく、そしてより鋭敏に、より深くその実情を理解しているのだろう。
「犬神筋というのがある。これは過去犬神を使役、あるいは作ったことがある者の血筋を意味するんだが、千寿氏の家もそれにあたるようだ。問題は使えるが作れないという点だ」
作れないのはいい事なのではないか、と思う。
私が知っている犬神の作り方は首だけ地面に埋めるか、あるいは丈夫な鎖で犬を繋いで届かないギリギリの範囲に餌を置き、そして餓死する寸前にその首を切るというものだ。
詳しく調べたわけではないが、このくらいの情報が出回っている程度には有名だと思う。
「使う事ができるのと、作れるって言うのは大きな差がある。例えばそうだな……ゲームを作っている人間は裏技や正しいアイテムの使い方を知っている。当然だ、それを踏まえてデザインしたんだ。だが一般人のプレイヤーはどうだ? 試して、工夫して、とにかく考え抜いてその使い方や裏技を知る」
「つまり……正しい使い方がわからない?」
「そうだ。一口に犬神、いや呪いと言っても得手不得手がある。相手が元は生きた動物だったというならなおさらだ」
「もしかして……使い方を間違えたって言いたいんですか?」
「そうだよ。呪いを使う者ならよくあることだが呪詛返しだなこりゃ」
煙草に火をつけて周囲の異臭を追い払うように手を振る千秋さん。
真似て煙草に火をつければ少しマシになった気がする。
……それでも臭いけどさ。
「犬神に対処する方法はいくつかあるんだが、返されるのは基本的に珍しい事じゃない。というよりも犬神の対処法が帰すことなんだ」
「返すと帰す?」
「犬神をけしかけた相手の家に行って食料とかを渡して、そんで犬神にも帰ってもらうのさ。それが正式な作法。だからこそ呪詛返しなんてくらった場合の対処法なんか知らんよ」
「……嘘ですよね」
「本当のこと話してないだけで嘘じゃない。というか普通呪詛返しに対する防衛策ってのは呪術師が持ってて当然なんだ。カードゲームで例えるなら手札だな。どんな方法で帰ってくるのか予想、あるいはあらかじめそのルートを決めておいて逸らしたり晴らしたりってのを自前でやる。けど素人はそれを知らないで手札も何もなしにやるから対処できなくなる。そうなったら……」
千寿氏の事をチラリと見る。
こちらの声が聞こえるとは思えない距離にいるが、時折視線を感じるのだ。
それも千寿氏からだけではなく、私達の周囲から。
まるで何かに取り囲まれているような……そんな感覚だ。
「なんにせよそうなったら外敵治療は無理だ。本人の意志で跳ねのけるなりなんなりするしかない」
「じゃあこの仕事は……」
「やるまでもない。上手く行くわけがない。だというのに帰してくれるような気配でもないな。最悪犬神大量に送り込まれるぞ」
まぁ負けるとは思ってないが、と強気な発言をしている辺り余裕はあるのだろう。
だがそれは事務所にいればという前提であり、もっと言うなら事務所に山積みになっている呪物を利用しての事だろう。
であれば、それらを失った今は無防備、千秋さんの言葉を借りるなら手札が無いに等しい。
「ちなみに……どんな症状が出るんですか?」
「狐憑きと同じだよ。よく飯を食うようになったり犬のように唸り声を上げたり、とにかく正気じゃなくなる。死に際は犬にかまれたような跡が出るなんてことも聞くね」
「それを聞いてますます関わりたくなくなりましたよ……私これでもハンデ抱えてますからね? 荒事とか無理ですよ?」
「私だってか弱い乙女だ。犬神に憑かれてリミッター外れた相手なんかとまともにやり合えるわけないだろ」
か弱い乙女がこんなきな臭い仕事しているはずが無いだろう、と思ったがブーメランになるのでやめておいた。
けど実際問題今回はどうにもならないという結論が出ている。
逃げ道まで塞がれているのは本当にどうしたものかと思うが、何か方法は無いのだろうか。
「一応手段が無いわけじゃないけど……穏便に済む方法が少なすぎてなぁ」
そんな事を言う千秋さんは頭をガシガシとかきむしりながら何かを考えているようだった。
何か私にもアイデアを出せればいいのだが……。
「そういえばさっき呪いには種類があるって言いましたよね。他はどんなのですか?」
「あ? あぁ、代表的なのはさっき言った使役型だが、無差別型と条件付き無差別型だな」
そう言って地面にカリカリと何かを書き始める。
図のようだがいまいちわかりにくいな……。
「まず無差別型ってのはトリガーとか何もなく範囲内にいれば誰もが受ける呪いだ。一方条件付き無差別型は範囲内に入った相手を選別して、条件に見合う相手だけを呪うものだ。後者で有名なのは一時期流行ったコトリバコだな。ありゃ女子供を無差別に呪い殺す呪物だ。実在するかどうかは私らの界隈でも時折議論になっているが、そういう怪談が生まれた以上に多様な呪物が作られるのも時間の問題だ」
「コトリバコって……ネットロアですよね」
「呪いにせよなんにせよ、その存在が確認されて初めて効力を発揮する。特に人の恐怖心なんかを煽ればいっぱしの都市伝説だ。口裂け女が原因で地方自治体が対処をしたなんてのは有名だがありゃ逆効果でな。こういうのは放置して風化させるのが常套手段、最善手はそもそも話を語らせない事だ」
かたれば障る、というのは千秋さんの口癖だ。
語るなのか、騙るなのかはわからないがそれが原因で呪いや霊現象、時には妖怪騒動が発生するというという。
つまり誰かが適当に考えただけの話であっても、それを信じて怖がる人がいれば実体化するという事らしい。
「話を戻すが、さっきのが二つ目だ。三つめは……説明も含めて凄く難しいんだがあえて名付けるなら発生型だ。自然に発生したにせよ、何かしらの要因で生まれたにせよ、人知の及ばないところで生まれたものがこれだ」
「……すみません、よくわからないんですが」
「要するに私の呪物コレクションだな。以前肝試し大会で学校から撃ってもらった鏡あるだろう? あれと同じで偶然か必然か、勝手に生まれて呪いを宿しているものの事だ。有名な物だと所有者が次々不幸似合うブルーダイヤモンドとか、座った人間が必ず死ぬバズビーズチェア、あとは日本だと徳川家に仇成す妖刀村正の伝説なんかがその類だな」
「……あれ? 村正って有名な刀匠の関係で数多く出回ってたから結果的に徳川家と敵対する人がよく持ってたってだけじゃ」
「それで村正は呪われているっていうのは呪いの自然発生ともいえるだろ? あぁ、あとあれ、ムラサキカガミとか。これは条件付き無差別型にも含まれるから分類なんて実際するだけ無駄なんだが、まぁ使役型だけ覚えておけばいい。これは呪詛返しが効くからな」
その言い分だと他は呪詛返しが効かないという事に……なるんだろうなぁ。
実際にコトリバコとか、村正とか、ムラサキカガミなんてのに呪詛返しが効くとは思えない。
あるとしたら身代わりとかそういうのだろうか。
……身代わり?
「千秋さん、犬神って人にだけ害をなすんですか?」
「いや、家畜にも被害を与えるって聞くな。変わった話だと犬神に取りつかれた鉈は使い物にならなくなるって言うが……呪いを他の対象に映せと?」
「無理ですか?」
「はっきり言って難しい……が、他に手立ても無いんだよなぁ。本来なら事前準備が必要だし、それこそ呪術師の手札で先んじて用意しておくものなんだが……」
「カードゲーム特有の逆転のカードみたいなの無いんですか?」
「そりゃあるにはあるが……今は身を守るので精一杯だな。ったく、そもそもなんで犬神なんか使ったのか理解できない。強いカードほど返された時は厳しくなるんだぞ。アルティメット巨大化とかパワボンサイエンリミ解とか、シリンダー使われたら終わりだしミラフォでもきつくなるってのに」
うん、後半の言葉はまるで意味わからなかったが、今は身を守ることに集中するべきだというのは理解した。
ならば、なおさら手札を増やしておいた方がいいだろう。
「すみません、千寿さん。この辺りに鉈を売っているような、ホームセンターみたいなの無いですか?」
「少し遠出することになりますが、それでも良ければ……」
千秋さんと一瞬目を合わせ、そして頷き合う。
「準備のためにもそこに行きます。千寿さんは先に家で待っていてください」
「万が一に備えて家に入っていない私達だけで行った方がいいはずだ。鉈を含めて必要なものを用意したらすぐに戻ってくる。そうだな……明日の昼までには」
「わかりました。迎えなどは……」
「結構だ。気を悪くさせるかもしれんが、あんたの送迎だけでも結構な問題だった。場所もわかったから明日まで耐えてくれ。確約はできないが、できる限りのことはする。ただしこちらも命懸けだからな。無理だとわかったら撤退させてもらうが構わないな?」
バチッと、千寿氏と千秋さんの視線がぶつかり合った。
双方一歩も譲る気が無く、下手をすればこの場で勝負が始まりかねない……そう思った瞬間私達を取り囲んでいた気配の一つが掻き消えた。
「いいでしょう。少なくとも貴方を敵に回すのは得策ではなさそうだ。あなたは、ね」
こちらに視線を向けてきた千寿氏、その眼は白目が無いように見えた。
……ん? これって私だけ危険なパターンじゃ……。




