第2章「バージンロード」第40話
いつもありがとうございます!
ちあきさんが教えてくれた森の奥の湖。
別館から西の方向に離れたところにあるその森には大きな湖があって、そこはカノンちゃんの隠し場所だそうです。
子どもの頃からずっとカノンちゃん一人しか使ってない場所で、知っているのはカノンちゃんの後ろ盾である楠さんと担任だったちあきさん、そしてもう一人のカノンちゃんのお友達だけ。
でも知っている楠さんでさえあまり来ない湖で、普段カノンちゃんの独り占めだそうです。
「結構生い茂った森ですね…それになんだか妙な気配も…」
それなりに険しい山道でしたが、田舎育ちの私にとってそれくらいはなんともありませんでした。
でもそれより森に入ってからずっと誰かに見られているような妙な視線が感じられて、私は何度も周りを振り向いてしまったのです。
もし先の巫女さんたちの誰かが後を追ってきたのであれば、そのまま一旦引き揚げて一緒にちあきさんの方に戻るつもりでしたが、
「誰もいませんね…」
振り向いたそこにあるのは森森とした静寂の森だけで、人影なんて全く見当たらなかったのです。
悪巧みをしている人ならいくらでも力で抑えられましたが、そもそも許可もなく勝手に「楪神社」に入ってうろちょろする人はいないということを知っていた私は、そのまま妙な気配を気にしつつ、前へ進むしかありませんでした。
「そろそろ着いたようですね。」
森に入ってしばらく歩くと、やがて目の前に広がる新しい景色。
どこまでも続きそうだった樹の海が途絶えたそこには、清らかできれいな大きい湖が広がっていたのです。
まるでお空を映している鏡のように、それともお空をそっくり水の中に写したように、かつて見たこともない清らかさを見せつけているきれいな湖。
湖の周りを大きな楠の木が囲んでいて、その荘厳な自然の美しさには何度も魅了されてしまう。
でも何より私の心を強く撃ち抜いたのは、
「天使の歌声…」
向こう側で歌を歌っているオレンジ色の髪を持ったきれいな巫女さんの素敵な歌声でした。
その歌声はまさに天使の歌声。
そんなに信心深い自分ではありませんでしたが、それでもそう思わざるをえないほど素敵なカノンちゃんの歌声はもはやこの世のものではありませんでした。
耳が蕩けそうに甘くて、そっと包み込んでくる優しさに私は温もりさえ感じてしまう錯覚をするほどでした。
歌で皆と繋がりたい、幸せにしたいという皆と世界の幸福を願う優しさがいっぱい歌を心を込めて楽しそうに歌っているあの時のカノンちゃんはこの地上に降り立った天使様に間違いないと、私は心よりそう思ってしまったのです。
私の存在にも気づかないほど歌うことに夢中になっていたカノンちゃん。
でもそんなカノンちゃんの歌に私もまた何をしに来たのかさえ忘れてしまうほどカノンちゃんの歌に魅了されていました。
だから私はカノンちゃんの歌が終わった時、
「最高でした!月島さん!」
素晴らしい歌を聞かせてくれたことにお礼を言わざるをえなかったのです。
「な…なんですか!?あなた…!どうやってここに…!」
向こうで拍手喝采を送る私のことにやっと気づいて、今のが全部見られていたと思ったように慌てて立ち去ろうとしたカノンちゃん。
そんなカノンちゃんのところまで一思いに飛び立って、彼女の手をギュッと握りしめた私は、
「私、感動しました!」
自分が感じたありったけの感動をそのまま率直にカノンちゃんに打ち明けてしまったのです。
「ど…どうも…という先いたところから結構離れているのに立ち幅飛びとかするんですか…?
それに着地の時にすごく揺れてましたけど…」
「揺れるって何がですか?」
っと聞く私の胸をしばらくじーっと見つめた後、
「…何でもないです…」
なんだか完膚なきまでに叩きのめされたという敗北感に満ちた表情でそのまま目を逸らしてしまうカノンちゃんでした。
「そ…それよりどうやってここが分かったんですか…?
もしかして尾行とかする人なんですか…?」
「ち…違います…ちあきさんから教えてもらっただけで決して尾行とかでは…」
「あき先生が?」
っと問い詰めてきたカノンちゃんに、自分がここを知ったのはただちあきさんからカノンちゃんの居所を教えてもらっただけで、決して迷惑をかけるつもりではないと、私はありのままのことを話してあげましたが、ちあきさんの名前を聞いた途端、
「相変わらずおせっかいな人…」
カノンちゃんは全部分かってしまったと、意外とあっさり納得してくれました。
「勝手に教えちゃダメって言ってたのに…」
「不躾に訪ねてきてごめんなさい、月島さん。
でも私はもっと月島さんのことを知って、友達になりたいです。」
ちあきさんが約束を破って勝手に自分の隠し場所を教えてしまったことに剥れているカノンちゃんに私はまずちあきさんは本当にカノンちゃんのことを気にして私にここを教えてくれて、悪気はなかったという事実を話してあげました。
そして少しでもカノンちゃんに寄り添うために、ありのままの気持ちを打ち明けた私は、
「一緒にお茶でもしませんか。」
持ってきたお茶とお菓子をカノンちゃんと一緒に楽しむことにしたのです。
「け…結構です…!それともうこっちには来ないでください…!」
「ええ…!?」
でも相変わらずカノンちゃんのガードは硬く、小さなほころびも見せてくれませんでした。
「そう言わずに少しだけでも…!って足早っ…!」
っと私から引き止める暇もなく、凄まじい速さで森の中に消えてしまったカノンちゃんの背中を見て、
「巫女さんたちは皆足がすごく速いんですね…」
私はちょっぴり切ない気分になってしまったのです。
でも、
「おはようございます❤月島さん❤今日のご機嫌はいかがですか❤」
その翌日も、
「こんにちは❤月島さん❤今日もいい天気ですね❤」
その翌日も、私からのカノンちゃんへの求愛は尽きることなく、それからもずっと続いたのです。
カノンちゃんは、
「お…おはようございます…」
って感じで依然としてそっけない態度で私に接しましたが、私はあの日、あのきれいな森の奥の湖でカノンちゃんの歌を聞けて本当に良かったと、ほんのちょっとだけ彼女の一面が分かったような気がして以前より強く彼女と友達になりたいと思うようになりました。
こんな私に対してカノンちゃんは自分の秘密が見られたと感じて、今まで以上に距離を取ろうとしましたが、
「合唱部…ですか。」
一度だけ、私の大学の時の話に興味を示してくれたことがありました。
「ええ。私、地元でも聖歌隊をやってましたし、大学でも合唱部をやってたんです。
友人に誘われたのが一番の理由ですけど、私も歌うのが好きですから月島さんとなにか共有できるものとかあるのかなと思うんです。」
「そ…そうですか…」
それまで私のことをずっと避けていたはずのカノンちゃんが珍しく自分の話を真剣に聞いてくれて、これなら自然と友達になれるかもと思った私は、
「やっぱり大事なのは相手のことを理解しようとすることですね。」
仲良くなりたい相手にいかに寄り添えるのかが鍵となるという大事さを改めて再認識したのです。
相手が好きなのは何?相手が考えて、感じていることは?
そして自分にはそれを尊重してあげられる姿勢ができているのか、毎日自分に問いかけて自分を省みなければならない。
共感と感情の交流、相手を知ろうとする努力と飾らない自分をもって信頼感を与えることをたゆまないこと。
それはきっとこの先の道における大きな鍵になると、私はそう確信しました。
でも、
「…彼氏ですって?どうして男なんかが好きなのか、私には全然分かりませんけど…」
カトリーナちゃんややっちゃんの時と同じく、何故か私はカノンちゃんからもゆうくんとの交際に関しての理解は得られませんでした。
「皆で広場で歌ったり、大会に出たこともあります。
月島さんのように歌が上手というわけではありませんが、歌うことに喜びを感じるのはきっとそんなに違わないと思います。」
「お…大げさです…」
っと私からの褒め言葉にツンとした態度で照れたりするカノンちゃんでしたが、
「でもありがとうございます…」
本当は内心私から認めてもらったことが嬉しかったと思います。
やっちゃんとマリアちゃんがお仕事で留守になって、私の話し相手はここにいる間、私達の世話をしてくれるカノンちゃんしかいませんでしたが、私にとってはカノンちゃんとの距離を縮めることができたとても有益な時間でした。
私達から距離を置いていた最初と違って歌という小さな共通の関心事で、カノンちゃんは少しずつ私に心を開いてくれて、私はカノンちゃんと色んな話をすることができたのです。
私は自分の全てをカノンちゃんに話してあげました。
自分がかつて「異物」として人々に疎まれ、忌まれた「災の民族」である「魔術師」であること、私の先生「エンシェントエルフ」のフリーン様のこと、「連合」の開拓計画「グランドフォール」のこと。
そして、
「よりよい世界のため…」
この旅にかけた自分たちの思いも。
「今はまだ未熟で足りないことだだらけの、子供っぽい夢物語に過ぎないかもしれません。
でも私はいつか生まれる自分の子供たちには、そして皆にはもっといい世界で暮らして欲しいです。
無益な争いのない、種族などに関わらず皆が笑顔で安心して暮らせるより良い世界。
それが私達が目指しているところで、そのための小さな力になるのが私達の目標なのです。」
粗削りの拙い夢。
自分でも漠然過ぎて、笑われても仕方がないと思いましたが、
「黒江さんは本当にいい人ですね。」
カノンちゃんは私のことをばかにするところか、むしろすごいって出会って初めて笑顔を見せてくれたのです。
そして初めて自分の心を打ち明けてくれたカノンちゃんは、
「今まで避けてしまってすみませんでした。」
まずそれまでの私に対する自分のそっけない態度のことを謝ってきました。
自分はあまり人付き合いがいいタイプではない。
口下手でいつも好き勝手に振る舞って、おまけにプライドも高くて周りにうまく溶け込めないと、至って自分自身のことを冷静に話したカノンちゃん。
でもカノンちゃんの歌を聞いた時、私はそんなカノンちゃんこそ誰よりも世界の安寧と皆との結びを強く望んでいると、そう実感したのです。
「神社の皆は好きです。たとえ自分が皆い嫌われているのを知っていても私にとってここはどうしても守りたい私の居場所です。
ここの皆は私を育ててくれた恩人なんです。」
人付き合いが苦手で、すぐ喧嘩をする気難しくて荒っぽい自分でも戦争孤児だった自分を偏見なく受け入れてくれたここはかけがえのない場所だと、初めて素直な気持ちを話してくれたカノンちゃん。
たとえ誤解されたまま終わってしまってもその気持ちに変わりはないと、カノンちゃんはここの皆へのありったけの愛情を表してくれました。
「そして私にはもう一人の恩人があります。」
っと自分の過去の話を少しだけしてあげますというカノンちゃんに、私はちあきさんからカノンちゃんの話を聞いた時より更に彼女のことを理解することができました。
赤ん坊だったカノンちゃんを楠さんに預けたのは今は社会からすっかり姿を消したオーガ。
カノンちゃんの恩人であるその人たちは人間には人間の掟があると、二度とカノンちゃんに会いに来なかったのです。
でも自分を助けてくれた人たちへの感謝の気持ちだけは今も相変わらず大切にしていると言ったカノンちゃんは愛する人たちへの感謝と世界の安寧を願う気持ちを歌で表現するようになったのです。
人知れずに毎日自分を恩人が姿を消したその森へ行って、いつか皆が結ばれますようと願いを込めて何年も歌うことを続けてきたカノンちゃんの世界に対する姿勢は私達とそう変わらないもので、
「だからやっちゃんは…」
私はようやくやっちゃんの言ったことの意味が分かるようになったのです。
「もし皆がつながることができたら私みたいに辛い思いをする子もいなくなるかもと思いまして。
もっとも神社の皆に嫌われている私がこんなことを言うのもなんですが。」
っと少し寂しく笑ってしまうカノンちゃんでしたが、
「いいえ。月島さんは本当に優しい人です。」
私は優しいカノンちゃんだからこそあんな温かくて素敵な歌ができたと、心からそう思いました。
強がっていつも自ら皆との距離を置こうとするカノンちゃん。
でも本当のカノンちゃんはとても寂しがり屋さんで、心から皆のことを真剣に思う優しい子でした。
そんなカノンちゃんを見て、私は本気でこう思いました。
「絶対月島さんとお友達になってみせます!」




