響
教室の扉が勢い良く開けられた――
「はっ? 文哉の癖に何言ってのよ。はぁ……別に私はあんな配信何も思ってないわよ」
静まり返る教室に響が戻ってきた。
響の目が赤い。だけど瞳はまっすぐ強い意志を携えている。
「おま、泣いてんのに何言ってんだよ」
「はっ? 別に泣いてなんかないよ。勘違いしないでよね。キモいからさ。てか、性格悪いって言いすぎよ」
「本当の事だろ」
「……はぁ、私は自分に正直なだけよ」
クラスメイトたちは響の負のオーラに圧倒されていた。全くもって性格が悪い。
「大体ね、私があんな事するわけ無いでしょ。タバコの匂いなんか大嫌いだし、お酒なんて絶対飲まない。……この世界で嫉妬なんて当たり前だから。誰に言われようと私はトップアイドルを目指すよ」
「あっ、やっぱやってなかったのか。安心したぜ……」
「ふ、文哉、信じてるって言ってたでしょ!」
「いやさ、四年間でもしかしたら変わったかも知れねえと思ってな……」
「私は変わらないよ。文哉の異世界話は聞きたくないしね。今までもこの先も」
「てか、困ってんなら手助けしようか?」
「いらないわよ。こんな事くらい自分で解決出来なくて何がアイドルよ」
アイドルってそんなに色々出来るのか? なんか凄えな……。
響はスマホを取り出して小さくため息を吐く。
「……はぁ、私が魅力的すぎるからいけないのよね。……別に嫉妬や陰口ごときで自暴自棄になったりしないよ」
クラスメイトたちから否定の空気を感じない。
むしろ響に好感を抱いている印象だ。
性格破綻者は魅力的に見える、という説がある。
響を見ていると本当にそうなのかと思う。
本人を目の前にすると、魅力が悪意を圧倒する。それは不思議な力だ。神秘と言ってもいいだろう。
響が背中を向けて教室を出ようとする。……授業は出ないんだな。
「なんかわからんが頑張れよ」
「……文哉も自分の道を極めなさいよ」
「おう、お互い頑張ろうぜ」
ん? そういや可憐ってどこ行ったんだ? それを聞く前に響は教室を出ていったのであった。
****
文哉の願いは異世界に行くこと。そこに響という異物は必要ない。響はトップアイドルになるという夢がある。そこに文哉という異物は必要ない。
小学校中学年の頃、響はよくわからない気持ちを覚えた。仄かな恋心。幼馴染である文哉に対してだ。響はそれを理性で全否定した。なぜなら響が目指すアイドルには恋人なんて存在してはいけない事だからだ。
響は理性と毎日戦っていた。ある日、文哉に嫌われたら楽になるのではないか? と思った。
すごく馬鹿な事だと思う。だけど、それしか方法がないと思った。なぜなら心の中の優先順位が文哉が最上位となっていたからだ。
文哉の事を馬鹿にする響。段々と距離が離れていく。距離の遠さの分だけ心が痛くなった。
文哉が一番大切にしていること。異世界。それを否定する。それが一番嫌われる。
虚無に思う時もある。普通に友達として仲良くしながらアイドルを目指せばいい。幼い響は不器用で生真面目で、そんな事出来なかった。
『トップアイドルになれば、パパがどこかで私を見てくれる――』
強すぎる理性が心を破壊する。
自分の想いを捧げる―――
それが響の力の源でもあった。
レッスンの苦しさが心の痛さを中和してくれた。
女子から性格が悪いと言われて嫌われた。
男子からは思わせぶりな態度を取っていると言われて嫌われた。
文哉はそれでも響と距離を縮めようとする。
異世界に行きたいという文哉の妄想は現実味を帯びていた。それがわかった時、響は心底恐怖した。文哉はこの世界からいなくなろうとしている。
孤独がアイドルへの糧となる。
だから、響は引っ越した時も全然悲しくはなかったはず――
なのに、響はハンカチを握りしめていた。
自分の心の弱さを呪いたくなった。
***
『――もう遅いんだよ』
文哉にそう言われた時、響は悲しさとともに吹っ切れる事ができた。
文哉は勘が鋭い。響が嘘をついているのを見抜くことが出来る。響はそれを知っている。
だから、言葉と行動の中に嘘と真実を忍ばせる。……そうすれば呆れられて嫌われるから。
響が文哉を見間違えるはずがない。
行動にはすべて意味がある。
文哉は一般の人と感覚がズレていた。
響と可憐がいたからいじめに発展しなかった。冗談でいじられる程度で済んでいた。
もしも、二人が教室をコントロールしていなかったら確実にいじめに発展していただろう。
なぜなら文哉は異端だからだ。異世界の事だけじゃない、集団生活が壊滅的に合わない。
文哉は響たちのせいでクラスメイトから馬鹿にされている、という認識を持っている。それは間違いない。
文哉と同じような人が現れない限り文哉には友達ができない。断言できる。
なぜなら、中学入学してすぐの時、可憐が病気で一ヶ月学校を休んだだけで……、学級崩壊が起こり、クラスメイトの半数は精神が破壊されたからだ。
文哉が異世界に行きたい、と言うことを隠したとしても、人は本能で異物を排除しようとする。
他のクラスメイトが行き過ぎる行動を取ろうとしたら、響たちが全力で止める。
それとは別に――
文哉の大切な人になってはいけない。文哉からもっと嫌われなくてはならない。そうしないと大変な事になりそうな予感がする。これは響のアイドルとしての勘だ。
この学校に転入したのは本人の意思ではない。
事務所を通して何か大きな力を感じたのであった。響は自分が文哉にとって大切な人にならないように決意した。
……響は文哉が葛之葉さんと楽しそうに話している姿を見て安心する。
悲しくなんてない。文哉の傷を癒やして欲しい。それが響の望みだからだ――
……
…………
『もしもし……、うん、そう……、わかった。これで全部収まるね。相手のアイドルは社会的に殺すよ。……わかったよ、ボス。ちゃんと学校に通うから――』
数件の電話で事態は回復の兆しを見せる。あとは響が記者会見を開けば全てが丸く収まる。
……今は教室には戻りたくない。トイレで時間潰そうかな。
悲しくなんてない。嫌われているのは慣れている。だから、響も可憐もざまぁ対象になればいいんだ――
***
「……もうすぐ避難訓練の時間だ。なぜ欠席者がいる。特に連絡なかったぞ」
教壇に経っている冴子先生はお怒りモードであった。喜んでいるのは流星だけである。
結局、響と可憐は帰ってこなかった。どうしたんだろうな?
可憐は病気持ちだ。再発してそこら辺に倒れていたら大変だ。
「冴子先生、俺探しに行こうか?」
「いや、欠席扱いで構わん。お前らは避難訓練の準備をしろ」
「準備っていってもな、避難するだけだろ?」
冴子さんは俺の言葉を無視して時計を見る。
「……おかしい、そろそろ定刻なはずだ。理事長は時間に厳しいお方だ」
「てか理事長って誰になったんだよ。朝礼もねえから知らねえよ」
「ああ、この後の全校集会で挨拶をする予定でな。……劉老師って言えばわかるか?」
「……えっ、マジで? ちょ、待ってくれよ⁉」
あまり思い出したくない中国の頃の記憶が蘇る。
「安心しろ、劉老師は心優しい人だ」
「いや鬼畜だろ……。てか、始まらなくね?」
流石にこれだけ時間が過ぎるのはおかしい。
教室は少しざわついている。葛之葉と目があった。スマホがブルブルと震える。
『響さんと可憐さん、心配だね。一緒に探しに行こうか。なんかね、すごく嫌な予感がするんだ。匂いが変なの――』
と、その時、可憐からメッセージの通知が来た。
何気なくそれを見ると――
全ての感情が停止した。
――自分がどんな顔をしているかわからなかった――
「……おい、滝沢? お前すごい顔してるぞ。ロンドンでもそんな顔してなかったぞ」
「あーっ、冴子さん、ごめん。俺保健室へ行くわ。葛之葉わりぃ、一緒に付いてきてくれね」
「――うん!」
葛之葉は俺の空気が変わったのを一瞬で気がついた。
教室を足早に出ると、向かう先は屋上だ。
可憐からのメッセージには――
『君の大事な人を捕獲した。葛之葉と一緒に屋上まで来い』
可憐と響が縛られている写真が添付されてあった――