空気が悪い
「ねえねえ、カンタの暴露動画みた?」
「うん、あれやばいよね」
「タバコに飲酒に男遊びでしょ? 可愛い顔してやることやってんのね」
「もうアイドル終わりじゃない?」
週明けの月曜日、教室に行くと妙な雰囲気であった。
俺は葛之葉と一緒に登校してそのまま自席で週末の出来事を語り合っているときに、クラスメイトの嫌な口調が聞こえたのであった。
「ていうかさ、響って性格悪いんでしょ? やってそうだもんね」
「本人出てこないんだって。今日も登校しないんじゃないの?」
「なあ君たち、クラスメイトの陰口はやめよう。ほら、冴子先生の授業は予習しないと大変だから」
流星がクラスの空気を調整しようとしている。いかんせん陰口を叩いている生徒の数が多すぎてうまくうまくいかない。
「で、そこのケーキ屋はやっぱり少し変わっていたんだ。絶対何か秘密があると思うんだけどな。葛之葉?」
「――あ、ご、ごめん。なんか空気が変だから周りが気になっちゃって」
「だよな……。何があったんだ? 響が性格悪いのは今に始まった事じゃねえだろ」
「う〜ん、なんだろうね」
周りを見渡すと、困り顔の流星と目があった。流星は小走りで俺達の方へと駆け寄る。
「おはよう、滝沢、それに葛之葉さん。……あのさ、響さんの事って何か聞いてる?」
「響? そういや最近休んでるよな。仕事が忙しいんだろ」
葛之葉は俺の背中に隠れる。大きい小動物みたいだ。
「あ、配信とかテレビみない人なんだね滝沢は」
「見えねえな」
「あのね、配信で響さんが飲酒や喫煙、それに男遊びが酷いっていう暴露があってね……」
流星が俺にかまっていると教室のざわめきが一層すごくなる。
知り合いの有名人の暴露話。俺にはわからん。それの何が楽しいんだ?
「大麻もやってんじゃない?」
「あぁ、クラブのVIPとかで?」
「パパ活もしてるかもね」
「まみたん……幻滅だよ……」
「てか、マジでムカつかね? アイドルならそんな事すんじゃねえよ」
流星が苦い顔をしている。自分ではコントロールできない領域になっていた。
「お、おはよ……」
その時、可憐が一人で登校した。いつもなら響と一緒だ。二人は響が引っ越してからも連絡を取り合っている仲だ。
クラスメイトは一瞬だけ可憐を見たが、すぐに自分たちのグループで会話を再開する。
なんだか変な空気だ。
誰も可憐に挨拶を返さない。可憐と目があった。俺は普通に笑顔で手を上げて「おう」と返事するのであった。
少しだけ可憐がほっとしたような顔をする。
流星が小声でつぶやく。
「……嫌な雰囲気だね。響さんと一番仲が良かった可憐さんも噂に巻き込まれているみたいだね」
クラスメイトの声を拾い上げると、可憐も遊びや飲酒、パパ活をしているんじゃないかっていうものがあった。
可憐はこっちに来るかと思ったが、自分の席へと座る。流星は可憐のフォローをするために俺達から離れた。
「響さん、大丈夫かな? あんまり話した事ないけど噂だけで判断するのはちょっと……」
「五回目だ」
「え?」
「こんな騒ぎになるのは五回目なんだよ。あいつはずっと性格が悪かった。小学校の頃、転校するまでに同じような事が起こった。流石に配信されるみたいな大事じゃねえけどよ」
元々あいつは性格が悪い。敵を作りやすい。きっと芸能界でも敵がたくさんいるんだろうな……。あいつ友達できたのかな?
「ど、どうすればいいのかな?」
「そうだな……」
俺が口を開こうとしたその時、響が教室に入ってきた。
「……なに見てんのよ」
教室のざわつきが止まった。誰も響と視線をあわせない。響は眉間にシワを寄せて深い溜め息を吐いた。
「あっそ、ここも私の居場所じゃなかったのね……」
身体を震わせながら言葉を吐き捨てる。
そして、唇を強く噛み締めて教室から出ていく。
「あっ、ひ、響! 待ってよ!」
可憐だけが響の後を追うのであった。
****
響が出ていった後の教室は大騒ぎだ。
「あれ見た? やばいよね?」
「もうアイドル終わりじゃん」
「ファンの子たち可哀想〜」
「滝沢君の件もヤバかったもんね」
「いきなり嘘告白とかしてさ、ドン引きだよね」
「可憐も一緒に企んでたんでしょ? あの二人最悪〜」
「退学するんじゃないかな。だってタバコと飲酒でしょ?」
流石にそろそろHRが始まる時間だ。冴子先生が来てしまう。
「ねえねえ滝沢君、良かったね。響さんが痛い目にあってさ」
「……はっ?」
隣の席の委員長が俺に笑顔でそう言ってきた。
「だって、意地悪されてたじゃん。やっぱりそういう事すると天罰下るんだよ。えへへ、性格悪い人いなくなったからみんなで仲良くしようね」
クラスメイトが委員長の言葉に同調する。
「お、そうだな。滝沢も一緒にカラオケ行こうぜ!」
「馬鹿にして悪かったな。お前別に悪い事してねえのにな」
「滝沢くん、あとでメッセージ交換しようよ」
「響って性格悪すぎるだろ」
――俺は同年代の女の子と喋るのが苦手だ。男子ともうまく喋れない。
理由はわからん。きっと未知の生命体のように思えるからだ。
「や、それはおかしいだろ? なんで響の話も聞かずにその結論になるんだよ? なんで響を除外するんだよ?」
「え、滝沢くん? なにがおかしいの? だって、響さんの事嫌いじゃなかったの?」
「おっ、滝沢が普通に喋ってるぞ」
「委員長可愛いからな」
「てか、本当は喋れたんじゃない? 響と可憐がいなくなったから大丈夫になったんじゃないかな」
「きっとそうだよね。あの二人キモいよ」
――罪の意識の欠片もない悪意。
ああ、そうか。高校生っていうのは精神が発展途上なんだ。クラスの空気を読んで、それに倣う。それが一番楽な生き方だ。
そうすれば苦しくない。いじめられない。寂しくない。仲間はずれにならない。
「……俺が異世界に行きたいっていうのを馬鹿にしてたんじゃねえのか?」
俺はポツリとつぶやく。委員長はその言葉が自分に問いかけられたものと勘違いした。
「やだなー、別に関係ないでしょ。男子ならゲームとか漫画好きだもんね。そういう気持ちにもなるんでしょ」
「俺は別に馬鹿にしてねえよ」
「おう、俺もだぜ」
肯定、肯定、肯定、肯定、肯定………………。
空気感だけの軽い言葉。
俺はただみんなと仲良くなれればいいと思った。だから、ここで頷けばみんなと仲良くなれる空気感だ。
非常に簡単な事だ。人間関係で思い悩んでいた事が馬鹿らしく思えるくらい。
「だけどな……、違えんだよ……。その中に可憐と響が入ってねえだろうがよ!!!」
突然の俺の雄叫びにクラスメイトが息を飲む。
俺は委員長を鋭く射抜く。
「響が嫌いだと? 誰がそんな事言った。俺はあいつの『元友達』だ。嫌いでもなんでもねえよ。勝手に人の感情を決めつけてんじゃねえよ!!」
俺の言葉が止まらない。
「確かに響は性格が悪い。すげえ悪い。冗談で嘘告白しちまう程だ。だけどな、性根は腐ってねえんだよ。あいつが馬鹿にするのは俺だけだったんだよ。すごく真面目なんだよ。あいつがガキの頃、どんだけ必死でアイドル目指していたか知ってるか? ガキなのに毎日夜中まで歌とダンスのレッスンしていたんだぜ。疲労で倒れても、レッスンが苦しくても愚痴の一つも言わねえ」
ダンスがうまく出来なくて泣いていた。足が動かなくなるまで練習を続けていた。
それだけアイドルになりたかったんだ。性格はクソ悪いけど、真面目で努力家なんだよ。
俺が甘やかしたから、厳しく反論しなかったから性格がネジ曲がっちまったんだよ。
「それにあいつは基本的に男が嫌いだ。俺の事が一番嫌いだけどな。だから友達はいなかった。小学校の頃の話だけどな。人間はそんなにすぐに変わらねえ。再会して人目見た瞬間、こいつ性格悪いなって思ったよ」
子供の頃の響の言葉を思い出す。引っ越す前の響は何故か少しだけ優しかったんだ。
『わ、私ね、ら、来週引っ越……、ううん、なんでもないよ。あのね、絶対アイドルになるからね』
『おう、わかってんよ。そのために練習してんだろ』
『うん、アイドルになったらきっとパパも見てくれると思う。だから絶対なる』
『パパ?』
『……いなくなっちゃたんだ。……アイドルになったらお給料もらえるからママも助かるし、もしかしたらパパが私に気づいてくれるかも知れない』
『そっか、俺応援するぜ! アイドルになったらサインくれよ!』
『やだ。文哉はもう絶交してるもん……。未練、残したくない……もん……』
そして、響はひっそりと引っ越した。
俺と響は別々に道を歩む。
思考が教室に戻る――
クラスメイトたちの表情はほんの少しだけ罪悪感があった。
ならまだ遅くない。誰もが間違える事なんてあるんだ。俺は間違えてばかりだった。
もう間違えない。
「空気読むのなんてやめろよ。人を見下して優越感に浸るのやめろよ」
馬鹿にされたとしても、嫌な奴だったとしても、あいつは俺の元友達だ。
クラスメイトが静まり返る中、委員長だけが首をかしげていた。
「……で、でも、滝沢くん、この前響さんとはもう友達にならないって言ってたよね。む、矛盾してない? なんで味方するの? 性格悪いなら本当にしてるかも……」
俺はゆっくりと首を横に振る。
「あいつとは友達でもなんでもねえ。情になんてほだされねえ。……味方とかじゃない。ただ、クラスメイトを少しは信じてあげろよ……。じゃないと――悲しいだろ……」
教室の外で鼻を啜る音が聞こえた――
ここから完結まで一旦感想欄は閉じます。
よろしくお願いします。