不幸の手紙が招く、本当の不幸とは?
本エッセイでは、小中学生の間で昭和に流行した「不幸の手紙」について考察したいと思います。
差出人不明の封書に入っている、「この手紙と同じ文面の手紙を、複数の他人に再送しろ」という趣旨の手紙。
これが不幸の手紙の最大公約数的なイメージですね。
始末が悪いのは、この不幸の手紙には「期日内に手紙を回さなかったり他人に秘密を話したりしたら、あなたに不幸が訪れる。」という脅し文句まで書いている所なんですね。
分別のある大人なら一笑に付してしまう他愛の無い内容なのですが、純粋で多感な小中学生達にとってはそうでもなかったようです。
手紙の文面を真に受けてしまった子も少なくなかったようで、恐怖に怯えてしまったり実際に不幸の手紙を再送してしまったりと、本当に大変だったようです。
まあ、実際に不幸の手紙を再送した子の中には、恐怖は感じていなかったものの面白半分で便乗してしまったという例もあったようですが。
そんな不幸の手紙は、インターネットやSNS等の普及した昨今では完全に廃れてしまった感がありますね。
とはいえ不幸の手紙は、「ドラえもん」や「ちびまる子ちゃん」、それに「地獄先生ぬ~べ~」といった小学校が舞台の漫画やアニメなどでも取り上げられた事があるので、「実物を手に取った事はないけれども、存在は知っている」という方も少なくないと思われます。
一定人数に手紙を回さなければ不幸が起こる。
この文面に根拠は全く存在しません。
ところが見方を変えてみますと、不幸の手紙に起因する不幸は確かに実在するんですね。
本エッセイは、不幸の手紙が実際にもたらす不幸を考察する事で、その危険性を改めて確認する目的のために執筆致しました。
第一に考えられる不幸は、「自分の個人情報を知る人間が不幸の手紙を送付した」という不幸です。
自分の手元に不幸の手紙が届いたという事は、住所や名前といった個人情報を相手が知っているという事になりますね。
卒業アルバムを始めとする各種の名簿を第三者が悪用しているとも考えられますが、住所や名前を知っている人間といえば、クラスメイトや同級生といった親しい間柄を思い浮かべますよね。
そんな親しい人間が、不幸の手紙みたいな迷惑行為に手を染める人間だったとしたら?
あんまり良い気分がしませんよね。
‐送り主だって、不幸の手紙を恐れて冷静な判断が出来なかった。
そう言って弁護出来るかも知れません。
しかしながら、不幸の手紙のメカニズムをもう一度思い出して下さい。
不幸の手紙を止めた人に災いが降り掛かる。
これは裏を返せば、「誰かに不幸を押し付ければ自分は助かる」という事になるんですね。
我が身可愛さから自分に不幸を押し付けてくるような人間が周囲にいて、「この人だったら不幸になって良いや!」と思われている。
こうした考えから疑心暗鬼になって人間関係がギスギスしてしまうのは、紛れもなく不幸だと言えますね。
第二に考えられる不幸は、レターセットの浪費という不幸です。
不幸の手紙が送られてきたという事は、そのために切手や便箋や封筒といったレターセットが消費されたという事でもあるんですね。
レターセットの身になって考えてみますと、「受け取った人が嫌な気分になる手紙に使われた」という事は、この上ない不幸だと思うんですよ。
便箋や封筒を製造した文具メーカーや、それらを販売した文房具店、そして郵送に携わった郵便局だって、良い気分はしないでしょうね。
そして第三の不幸は、「不幸の手紙」という嫌な記憶がもたらす不幸です。
いくら不幸の手紙に直接的な効力が無いとは言っても、「あなたは不幸になります。」なんて言われて喜ぶ人はいないでしょう。
そして不幸の手紙に書かれているネガティブな文章が記憶に残ると、それが暗示になってしまう事も考えられます。
例えば、不幸の手紙を貰った後に起きた些細な不幸を、不幸の手紙に結びつけてしまったりですね。
タンスの角に小指をぶつけてしまったり、楽しみにしていたテレビ番組の録画を失敗してしまったり。
普段なら「そういう事もあるさ。」と笑って済ませられる些細な不幸でも、「もしかしたら不幸の手紙のせいなんじゃ…」と結びつけてしまったら、それからずっと不幸に注目してしまうかも知れませんね。
そうしてネガティブな事ばかりに注目していると気分も塞いでしまい、注意力散漫で些細なミスを繰り返したり、免疫が低下して体調を崩したりと、さらなる不幸を誘発する原因ともなり得るのです。
昔から「病は気から」と言いますが、不幸もまた気の持ちようなのですね。
以上のように、仮にオカルト的な効力がなかったとしても、不幸の手紙は沢山の人に悪影響をもたらします。
そしてそれは、不幸の手紙を書いた当人も例外ではないのです。
不幸の手紙を相手に送り付ける行為は、刑法第222条の脅迫罪や各都道府県の迷惑防止条例に該当する犯罪です。
そのため、不幸の手紙を送付した事が発覚したら、お巡りさんのお世話になるのですね。
前科がついて当人も大変ですが、家族や友人知人にも多大な迷惑が掛かってしまいます。
そうした社会的制裁も勿論ですが、不幸の手紙は言霊信仰的にも脳科学的にも危険な行為なのです。
言霊信仰の世界では、ネガティブな言葉は自分自身に跳ね返ってくるのですね。
実は、この考え方には科学的な根拠があるそうです。
人間の脳の潜在意識は、口にした言葉を「自分の事」と捉えてしまうのですね。
そのため、もしも不幸の手紙で「あなたは不幸になります」みたいなネガティブな文章を書いてしまうと、脳の無意識は「自分が不幸になるんだ」と捉えてしまうでしょう。
古人曰く、人を呪わば穴二つ。
他者に対する悪意を込めた言動は、自他問わずに沢山の人に迷惑をかけてしまうのですね。
同じ手紙を書くにしても、誰かに迷惑をかける不幸の手紙ではなく、暑中見舞いや年賀状を始めとする季節の挨拶状の方が、よっぽど多くの人が幸せになると思うんですよ。