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狸のお囃子01

 直ちに自分で降りるか引き摺り降ろされるか。選ぶ余地のない選択肢を与えられ、自力で地面を踏ませてもらった千春は公園内のベンチに座らされていた。ここまで千春を引っ立ててきた柊崎は眼前で腕を組んで仁王立ちし、背後に見覚えのある派手めな青年を従えている。その顔の不機嫌さは前回の非ではなかった。


 もう関わるつもりもなかった千春はこんなに早く再会したことに驚きを隠せない。そもそもここは彼らが事務所を構える岐坂市ではなく、隣り合う市をもう一つ超えたところにある町である。そしてこの場所も名前こそ公園だが住宅街の一角にあるような剥き出しの地面に遊具を二つ三つ置いたスペースではなく、遊具広場の他に木々の間を抜ける散歩コースや魚の泳ぐ池があったりする広い緑地だ。迷子を探すのにも一苦労しそうな広さにも関わらず、ピンポイントで顔見知りが身を潜める樹木を特定するなんてどんな嗅覚をしているのか。けれども、もしかして戌年ですか? なんてとてもじゃないが聞ける雰囲気ではない。


「で?」


 逆光で顔が見えないのが怖い。なのに眉間には皺がくっきりはっきり刻まれているのがわかって更に怖い。


「で、とは」

「この期に及んで何が聞きたいのかわからないとでも抜かす気か」

「……その、探し物をしていまして」

「そんな雑な言い訳が通用すると思ってんのか」


 相変わらずの容赦のなさでばっさりと切り捨てられた。かと言ってこちらの事情を全て明らかにするのは憚られるし、どうやって打破したものか。悩んで口篭る時間の分だけ目に見えて降下していく機嫌。


 現状と後始末と手間と損益。色んなものを乗せた天秤がぐらぐら揺れる。なんだか、とても面倒くさい。いっそ。


「あの」


 物騒な方へ舵取りしかけた千春の思考に、幼い少年の声が割り込んだ。ぎしっと動きを止めた千春とは対象的に、出所を探す為に辺りを彷徨った彼の視線がやがて下に落ちる。


「わたくしからお話しても……?」


 声の主は、柊崎から千春を庇うような位置にちょこんと立っていた。ずんぐり丸々とした体と太い尾が二つずつ。


「……化狸か」


 唸り混じりの声を拾ったのか、丸い耳をぴくぴくと動かしながら頭を下げたのはどこの里山でも見かけそうな一匹の狸だった。尤も、藍色の風呂敷包みを背負って短い後ろ足で立っている点を除けばであるが。その背に隠れているもう一匹も同じく臙脂色の風呂敷を背負っている。


 二匹の狸に一番興味を示したのは千春でも柊崎でもなかった。


「へぇ、化狸」


 藍色包みを背負う方の頭上にぬっと現れた大きな手が、クレーンゲームさながらに狸を掴み上げた。


「実物初めて見たわ」


 すげぇと笑ったのは相変わらず派手な柄物の上着を着た、呪面と相対して腕の山を作り上げた彼だった。突然持ち上げられた狸は景品のぬいぐるみかと思うほどに固まっている。


「兄さま!」


 縋る少女の声を発したのは隠れていた臙脂色を背負うもう一匹だ。尻尾をぶわりと膨らませ、持ち上げられた狸を取り戻そうと飛び跳ねている。


「にっ兄さま、兄さま……っ!」

「やめろ」

「いって!」


 涙声の懇願を受けて彼が狸を降ろすより先に、その明るい色の頭に手刀が叩き込まれた。その派手な音からして割と容赦のない勢いで。


「はっ倒すぞ」

「手ぇ出す前に言えよ!」

「にいさまぁぁ」

「だ、大丈夫だから」


 それぞれにぎゃあぎゃあ騒ぐ彼らを前に、千春は心の中で頭を抱えていた。


(出てきちゃったかぁ……)


 柊崎達に見つかってしまったあの時、実はぶら下がっていた木の上にこの二匹もいたのである。再度枝によじ登って着地体勢を整える際に、とりあえず少し隠れておいてほしいとお願いして一人で降りたのだ。個人的に面識があるとはいえ妖怪と祓い人をいきなり対面させて戦闘に突入しても困るし、妖怪と関わっていることを知られると面倒だなと思ってのことだ。前者についてはやり取りを見る限り杞憂だったようだけれど。


「これ以上、千春様に庇っていただく訳にはいきません」


 どうにか地面に降ろされた狸は千春のために出て来てくれたのだ。それが純然たる善意からだということはよく分かる。視線の鋭さが増したことに気付いているのはそれが突き刺さっている千春だけだろう。どのみちこれ以上誤魔化すのは無理か、と頭を切り替えて狸に場を譲った。


「わたくしは屋島の万里(ばんり)と申します。こちらは妹です」

「な、那由良(なゆら)と申します」


 促されて兄の背から出てきた妹狸もぺこりと頭を下げた。人間が怖いのか景品にされるのを警戒しているのか、兄の背に隠れたいのをどうにか堪えつつ、ふかふかの尻尾をくるんと脚の間に巻き込んでいる。


「……柊崎だ」


 律儀に名乗り返した仁王立ちの柊崎とベンチの上に立つ二匹の狸。絵面だけはとても面白いな、とその傍に立ちながら千春は思った。ユーリと呼ばれた彼は少し離れた所に座り込んでいる。頭を叩かれたことに不貞腐れている様はコンビニ前にたむろっているようにも見えて、あちらの絵面は治安が悪かった。


「屋島なら太三郎の一族か」

「はい。当代の太三郎は私の祖父です」

「…………知ってたのか」


 急にぎろりと睨まれて、相変わらずの圧の強さに少し腰が引けた。


「知りませんでしたけど」

「知りませんでしたけどじゃねーんだよ。太三郎狸は日本の三名狸の一角で、四国の化狸の総大将だぞ」

「はぁ」


 だぞ、と言われても知らないものは知らない。名乗られてはいたが屋島という姓なのだなと思っていたし、聞いた今でも財閥の跡取り息子みたいなもんかな、ぐらいの感想である。そんな千春に舌を打って苛立ちを表しつつ、柊崎は説明の続きを促した。


「それで、太三郎の孫狸が何の用で東京にいる」

「本所の狸囃子で笛を披露するためです。当代一の笛方である母がお役目を頂いていたのですが、先日野犬に襲われまして」

「……そうか」

「頭から食べて事なきを得たのですが、食べ合わせが悪かったのか体調を崩し……長旅できる状態ではなくて」

「…………そうか」


 同じ話を聞いているので、返事まで時間のかかった気持ちはわかる。


「わたくしの笛の腕がまだ未熟ということもあり、共に代役を務めることになった妹と上京したのです。ですが……」


 人に化けて遠路遙々やってきた日本の首都。太陽を背に隠すほど高い天楼、切れ目のない車列。そしてそこかしこに溢れる音と光と人の波は、自然に囲まれた屋島で育った二人にとってあまりにも刺激が強過ぎた。特に初めての長旅で、それもお役目を果たさなければと気を張っていた那由良が、段差に躓いた拍子に元の姿に戻ってしまったのだ。


(那由良!)

(に、兄さま……!)


 幸いにも周囲に人気はなかった。しかしパニックになった万里は、ぶわりと尻尾を膨らませた妹を腕に抱えて駆け出した。人間に見つかってはいけないという身体に染み付いた教えが、この場所から一秒でも早く離れさせようとしたのだ。緊張と動揺に溺れそうになりながら土地勘のない場所を駆け回り、やがてどうにか落ち着いたのがとある路地裏だった。光が遮られるほど狭く薄暗いそこに人間の姿はなくほっと息を吐いたのも束の間、物陰でぎらりと光る無数の瞳に気付く。


 そこは野良猫達の縄張りだった。人よりも獣に近い二人の本性を敏感に感じ取った猫達は、縄張りを荒らす敵を迎撃すべく牙を剥いたのだ。


「襲ってくる猫からは何とか逃げることができたのですが」


(大丈夫か? 怪我は……)

(……が……)

(那由良?)

(笛が、ない……)


 呆然とする那由良の手元、母に持たされた臙脂色の風呂敷に、枝に引っ掛けたような切れ目が入っていた。胸に抱え込んだ妹に傷はなく安堵していたのに、背負う包みには飛び掛かって来る猫の爪が届いていたというのか。風呂敷の惨状と那由良の呟きが繋がって血の気が一息に引いていった。


(まさか……)


 腕利きの老狸が一つずつ削り出した代物。手製のそれは数こそ少ないが代わりの利かないほど貴重というわけでもない。起伏の穏やかな気の良い狸だ、失くしたことを咎められることもないだろう。屋島に帰ればまた作ってもらうことはできる。でもそれでは駄目だ。今でなければ役目を果たすことはできないのに。


 あれがないと。どうすれば。戻って探さないと。守らないと。でもどこを通ってきたのか。戻れない。戻らないと。僕が。あれがないと。僕が、守らないと。呆然とする妹を腕に抱え途方に暮れた万里の脳裏に、ある言葉が蘇ったのはその時だった。若い頃に一人旅をしたという叔父は普段から屋島の外の話を聞かせてくれるのだが、初めての長旅に立つ兄妹を見送りにきてこう言ったのだ。


 どうもこうもならなくなったらな、岐坂のおすずのとこに行くといいぞ。


「おすず? 誰だそれは」

「昔の恩人だと叔父は言っていました。ですが誰に訊ねてもおすずさんの居場所はわからなくて……」


 笛と、それから誰か。為す術もなく、それでも探さなければとどのくらいウロウロ彷徨っていたのか。店先にぶら下がっていた提灯がべろりと舌を出し、岐坂ならおすずじゃなくておひぃ様だろうと呟いた。その化け提灯曰く、岐坂のおひぃ様に悩み事を相談すれば立ち所に解決するという。土地勘のない兄妹狸に余程同情してくれたのか、通り掛かった馴染みのすねこすりへ道案内まで頼んでくれた。


「お会いできたおひぃ様に事情をお話ししたところ、千春様にご助力いただけることになったのです」

「……その、おひぃ様とやらのことは後で詳しく聞く。今は省いていい」


 じろりと目を向けられてすいっと視線を逃す。後者はともかく、前者は明らかにこちらに向けられていた。万里が丁寧に順序立てて説明するほど、追い込み漁の如く千春の逃げ道が無くなっていく。しかし微塵の悪意もない彼の話を無理矢理遮るのも罪悪感があるというか心が痛むというか。


「千春様に事情をお話したところ、例の路地裏に心当たりがあると仰られるので同行をお願いしまして……野良猫に事情を話すと、少し前に烏が何かを掴んで飛んていったと教えてくれて」


 一旦言葉を切った万里が何故かこちらを向いた。そのつぶらな瞳が心なし輝いているように見える。すこぶる嫌な予感。


「あのね、」

「千春さまはすごい方ですね。人間があれほどまでに獣や化生と渡り合うとは知りませんでした」

「ほぅ」


 間に合わなかった千春を貫く視線が更に鋭利になった。心が痛むとかそんなことを言っている場合ではなかった。視線に質量があるのなら千春の身体はすでに刺し傷だらけで瀕死の重体である。もうホントこれ以上は勘弁してほしいと、無理矢理話の主導権を奪い取った。


「まぁその、はい! なんやかんやで烏の所在を突き止めたので返してもらいに行ったんですけども!」


 きらきら光る波間柏の貝殻と引き換えた袋の中には何も入っていなかった。光り物好きの烏が欲しかったのは万里達の祖母が丁寧に金の糸を織り込んだ金襴の笛袋だけで、中身には興味がなかったらしい。その烏にどこを飛んてきたのか聞いて、その軌跡の下を歩き回って情報を求め、どうにかこの広い公園に落下したことがわかって棲み着いている妖怪に片っ端から聞き込んで回った結果。


「この辺の妖怪が拾ったって話を聞いたんですが、数が多くてどの子かわからなくて」


 色んな子に声をかけている内に木登りをする羽目になり、御用を改められて今に至る──という説明を聞き終えた柊崎は長い長い溜息を吐いた。


「囃子はいつだ」

「今日の日没です」

「……本所の狸囃子ってことは墨田区の馬鹿囃子だな」


 それは今でいう墨田区の辺りに江戸の頃から伝承されている、本所七不思議と呼ばれる話の一つ。どんなに追いかけても遠ざかる音の主は絶対に見つからない。そのまま追い続けて夜が明けると見たこともない場所にいる、という話だ。何かに誘い寄せられて行方不明というのはありふれた怪談話だが、狸囃子においては翌朝には正気に戻っている。妖怪絡みにしては割と軽めの被害かなと思う千春とは対象的に、柊崎は何やら考え込んでいる。


「そんなにやばい感じですか?」

「事前にわかれば排他結界を敷くことはあるが……万が一行方不明になっても一晩に限るので致し方ない、という声もある」


 だが、と言葉を切った柊崎の顔は渋いままだ。


「ここ数年の渋谷の乱痴気騒ぎあるだろ」

「乱痴気……?」

「十月の、月末のアレだ」

「……あぁ、ハロウィンですか」


 何の話かと思ったが時期を聞いて合点がいった。発祥はヨーロッパのどこだったか、秋の収穫を祝い、家に帰ってくる家族の霊を迎えて悪霊は追い出すという収穫祭とお盆を混ぜたような行事だ。日本では仮装の要素が特に注目を集め、コスプレをして練り歩く一大イベントと化している。オバケの仮装で悪霊を驚かすというのが本来の目的だが、各々好きな衣装なのでキャラクターのごった煮感が凄まじく、化物が出たと小妖怪達が騒いでいた。しかし仮装の完成度は非常に高いので、こっそり行列に参加した妖怪は正体がバレるどころか囲まれて写真を撮られたとはしゃいでいた。


 その一方で問題も多い。時期の前後にワイドショーで取り上げられるのを千春も何度か観ている。人間とは斯くも、と妖怪が引くぐらいその惨状は凄まじかった。


「毎年羽目を外し過ぎた奴らが補導やら逮捕やらされているが……複数人が一晩行方不明になった年があった。そして、それを上回る人数が朝まで踊り続けていた」

「それは……気分が昂ぶって自主的に踊っていただけでは?」

「誰か止めてくれと泣き叫び、押さえ付けようとした男三人を振り払ってステップを踏み続けた奴もいるらしいぞ。どれだけ陽気なリズムでも俺は御免だな」

「私も遠慮したいです」


 そんな地獄のダンス大会と化した騒ぎについて、万里には心当たりがあったらしい。


「先代の大鼓方だった淡路の氏族のことだと思います。稽古のし過ぎで当日に太鼓の膜が破れ、狸囃子に参加できなかったと聞いています」


 額を押さえて息を吐く柊崎。なるほど、楽器の欠けた狸囃子を聞くと朝まで踊り狂う、と情報を追加していた千春はふと首を傾げた。音響機器も使わない太鼓や笛の音がそんな遠くまで届くものだろうか。


「あれって渋谷ですよね? 墨田区からはちょっと離れてませんか」

「最近は夜も明るくどこもかしもこ人間だらけで、開催地には化物道が選ばれていると母から聞いています」

「あぁなるほど……」


 化物道はこの世にあってこの世ではない。事象の狭間、世界のあわいに存在する場所とそこまでの道程の総称だ。領域の主が道を閉じてしまえば招かれた者しか入れない安全地帯となり、人間の立ち入らないそこは専ら妖怪達の棲家になっている。化物道を通るととても遠い距離を三歩で跨ぐこともあれば隣町に行くのに一週間かかったりと、その出入口は現実の地理と必ずしも一致しない。


 つまり、本来であれば追いかけた人間が一晩行方不明という被害だったものが、楽器を欠くと朝まで踊り狂う者が続出する。それが何処と繋がっているかもわからない化物道の中で開催されようとしている、と。単なる失せ物探しが、なんだかとんでもないところに繋がっていた。


「行くぞ」


 これは何がなんでも見つけなければと入れ直した気合が柊崎の言葉でしゅるりと抜けていった。はて。聞き間違いかと彼の顔を凝視したらと何だと睨まれた。何だと聞きたいのはむしろこちらの方である。


「あの……行くぞ、とは?」

「楽器の欠けた狸囃子が催される可能性があると知って放置すると思うか」

「……つまり」

「ハロウィンでも何でもない日に発生する集団幻覚紛いの騒動を無事に収束できるというなら一任してやってもいいが?」


 問い掛けの形で言葉を投げてきたくせに、千春の返答を待たずにとっとと行くぞと歩き出した。どこで息継ぎしてるんだろうなどと考えたせいで反応が遅れたのだけれど、ばさりとジャケットの裾を翻した彼は端から答えを聞く気はなかったらしい。


 いざとなれば逃げる手段はあるものの。


「これはまた、面倒なことになったのでは……」


 思わず溢れた心の声に、何か言ったかと先を行く柊崎が振り返る。彼の情報に地獄耳と書き加えた千春は、何でもありませんと慌てて後に続いた。

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