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再逢の季08

 程なくして、立ち上がれる程度に机と椅子が片付けられた。よっこらせと傍の椅子を支えにして立ち上がる千春を尻目に、柊崎はジャケットの懐から取り出した何かを壁に備え付けの手洗い台へ突っ込んでいた。


 蛇口から落ちていく水の音が聞こえる。何で急に手を洗い始めたのか、とその背中をぼんやり眺めていた千春の鼻先に何かが突き出された。


「な、なんですか」

「拭け。顔が埃まみれだぞ」

「えっ」


 思わず手を当てた頬は言われてみればいつもよりざらついているような。目の前には角の揃ったネイビーのハンカチ。布地の色が濃いのはしっかり濡れているからだ。


 借りるか借りないか。二つの選択肢が現れたものの、ここまでやらかしておいて今更遠慮してもしょうがないかと有り難く受け取った。自分の顔を映せるものが見当たらなかったのでとりあえず満遍なく顔を拭っていく。と、突然持ち主がハンカチの返却を要求してきたのでどうやら汚れは落ちたらしい。洗って返しますとの申し出はばっさりと却下されてハンカチだけ回収されてしまった。


「あの、ありがとうござ」

「待機してろと言っただろ」


 感謝すらも遮られてしまったが、今回については自業自得とも言えるだろう。ここからは申し開きの時間だ。考えておくはずだった言い訳は、あれやこれやで頭から吹っ飛んでいた。


「その、インカムを落としまして、拾っている余裕がなく」

「ほぅ。しっかり応答があったはずだが別人だと言い張るわけだな」

「えーと……」


 用意もなくその場凌ぎで渡り合うには相手が悪過ぎる。しかし指示は無視しましたと正直に申告すればお説教が追加されそうだし、かといって上手く誤魔化す方法もない。


「あはは……」


 なのでへらりと笑っておいた。柊崎の眉間を見る辺りそんな考えはお見通しのようだったが、千春の惨状を考慮してか溜息一つで我慢してくれた。


「怪我は」

「特には……」

「怪我は」

「……打ち身ぐらいですかね」


 骨に異常はなさそうだ。無傷というわけでは勿論なくそこかしこ、特に制服で隠れている辺りからジンジンという痛みを感じる。しばらくは痣が残るかもしれないけれど貫通したわけでもなし、この程度は無傷の範囲である。


「護符は」

「へ? あぁ……」


 ごそごそとスカートのポケットから引っ張り出した符は潜入の前に持っておけと渡された物だ。白い長方形の紙に黒墨で文字だか模様だかよくわからないものが書いてある、護符と言われて十人が十人思い浮かべるようなベタな奴。


 言われるまで忘れていたがいつの間にやら真っ二つに破れていた。どのあれで破れたんだろうとあり過ぎる心当たりを思い出す。感触としては宿主との縁を物理的に引き千切った初撃か、鷲掴みにした辺りか。どちらにしろ面との干渉を防いでくれたのはありがたいなぁと感謝する千春とは対称的に、柊崎の顔は更に渋くなった。その皺って頭蓋骨に食い込んでませんかと心配になったが、誰のせいだと言われそうなので黙っておいた。


「何をどうした」

「子面にされそうな男の子を逃がしました。あとで状態の確認をお願いします」

「それで?」

「それで、とは」

「それで?」

「…………宿主から面を剥がして、というか引き千切って? 鞄に入れて連れ回しました。向こうも怒って机とか椅子とかを飛ばしてきたんであの箒で応戦したんですけど、押し負けてああなりましたね……」


 改めて列挙してみると、接触するな認識されるな刺激するなという禁則事項を全て踏み倒している。自分でも改めてやらかしてるなと思ったぐらいだ。報告を聞いた柊崎は何かを堪えるように目を閉じ、ついでに頭も押さえた。


 この場にいるのは三人。一人は気絶していて、柊崎が黙り込んでしまうと申し開きを終えて沙汰を待つ千春も黙らずをえない。遠くで何かが破裂している音が聞こえるくらいには静まりかえっていて非常に居たたまれない。


「あの、」

「……お前の記憶力は小学生から進歩してないのか」

「はい?」

「子面が増えればいずれ補足できると言っただろうが」


 何の話かと首を傾げたが、続いた言葉には覚えがあった。それは潜入にあたって幾つか受けた説明の一つだったのだ。


 子面に憑かれると意思が希薄になって無気力になり、やがてはそんな人間が集団で現れる。加えて、親面より纏う擬態の精度が低いので比較的簡単に見分けがつくらしい。そうして見つけた子面から親面とを結ぶ縁を辿ればいずれ本体を見つけられると言われた。


 言われたけれど。


「柊崎さんはやりたくないのかと思ってましたけど」

「はぁ?」


 柊崎は怪訝な顔をしたがむしろ不思議なのはこちらである。その説明を受けた時だってくっきりはっきり我は不本意であると顔に書いてあった。言い方だって最終的に子面を利用するつもりである、というよりは最悪でもこの手段があるから無茶はするなと釘を刺す言い回しだった。


「だから私に協力させたんだとばかり」


 現在職無しの身といえど社会人経験を少なからず積んでいる。協力を要請された時からずっと、この件に千春を介入させたのはとてもイレギュラーでリスキーなことは察しがついていた。被害者の系統からして性別以外の拘りを持たない代物に、その唯一の拘りに合致する千春を近付けることそのものが加賀美の提案を渋るくらいには危険であることも。


 標的に成り得る部外者という大きなリスクを渋々ながらも引き込んだ理由をもしかしてと察したのは、子面を利用した捕獲方法を聞いた時だった。何もせずに待つということは子面が増えるということで、即ち面が誰かを喰うということで。


「目視で補足できるってことにそれだけの価値があったとは思うんですけど。ハイリスクな手段をとってでも、面が増える前にどうにかしたかったのかなと」


 ついでに言うなら、その言動が柊崎への信用を少しだけ引き上げた。加賀美の言い振りからしてすでに関係なくなった件に対して面が子を増やすのを待つか、身元不明信頼関係ゼロの部外者を臨時とはいえ雇うかで後者を選んだ柊崎のことが、少なくとも人外への向き合い方については大丈夫かなと感じたのだ。引き換えにされたのが自分の安全だとしても。


「……勝手に人の心情を慮るな。的外れもいいところだ」


 苦虫を丹念に裏漉ししたような顔でそう言われてしまえば、勘違いでしたかすみませんと言うしかない。でも多分、そんなに的は外していないような気がする。


「仮にそうだったとしても、こっちの指示を無視して特攻していいわけあるか」

「それについてはお詫びのしようがなく……ほぼ脊髄反射だったので指示を思い出す暇もなかったというか」

「要は考え無しに突っ込んだんだろうが」

「あはは……」


(あれ)


 笑って誤魔化す千春へ胡乱気な視線を寄越した青鈍の瞳の奥に、何かがちらりと揺れる。けれどその正体を探す前に、行くぞと踵を返されてしまったので慌ててその後を追った。



(うわぁ……)


 声こそ出なかったものの自分の顔が引き攣っているのがわかる。合流した加賀美に女性教師を任せ、二人が向かった裏庭はとんでもないことになっていたのだ。


「まだ生えんのかよ。もう飽きたわ」


 一人や二人分では到底足りない艶めかしい女の腕が、二の腕の途中辺りからぶっちりと千切り取られて山のように積まれている。どう控え目に見積っても猟奇殺人現場である。どういう仕組みか出血はないものの、本体から分断されてもなお鮮魚よろしくピクピクと動いていて別の意味でもヤバい。一方で本体は事件現場でよく見る黄色いテープでぐるぐる巻きにされ、寿司折り状態で片手から提げられている。千切り残しがテープの隙間から垂れ下がっていてこちらもヤバい。


 その状態で尚抗う気配を感じたのか、その惨状を作り出したであろう彼は面倒くさそうに舌を打った。波止場で黄昏れてるようなポーズで、船のロープを繋ぐ杭ではなく腕の山を踏み締めているのは女性の腕に執着するシリアルキラーではない。多分。


「暴れんなっつーの」


 抵抗を試みた寿司折りをビタンッと地面に叩き付けたのは、事務所の入口ですれ違った派手な風貌の彼だった。面の腕を引っこ抜いて窓から叩き落としたのも彼のようで、容赦なく腕狩りをしたことがこの惨状から窺える。柊崎曰く、荒事に備えて近くで待機していたらしい。


(あの扱いが許されるなら水没ぐらいは許されたかな……)


 先ほどまで緊迫した中で相対していた呪面がよく跳ねるスーパーボールのように叩き付けられるのを眺めていると、スマホを操作していた柊崎が顔を上げた。


「もうすぐ本部の奴らが到着する。後はこっちでどうにかするからその前に帰れ」

「帰っていいんですか?」

「いいも何も、さっき俺に言ったことを説明するつもりか? 身柄を要求されてもいいなら勝手にしろ」

「迅速に帰宅します」

「最初からそう言え。……些細なことでも、何か不調を感じたら名刺の番号に連絡しろよ」


 耳鳴りや気怠さの他、意識に自分以外の思考が混ざるなど具体的な例を挙げられ、多分大丈夫だなと思いつつ頷いて。


「次からは料金を請求するからな」


 続いた二の句に首を傾げた。


「次、とは……?」

「何か困ったことがあったら、ということですよ」


 首を傾げた千春の呟きに答えたのは、いつの間にか背後に立っていた加賀美だった。被害者二人を保健室に運んでこちらに合流したらしい。とても仕事が早い。


「そもそも柊崎さんが佐倉さんを呼び出したのは、必要なら保護するつもりだったんです」

「保護?」

「加賀美」


 不機嫌に遮った柊崎の顔にでかでかと「余計なことを言うな」と書いてある。しかし、隠すようなことじゃありませんしとあっさり流した加賀美が穏やかに微笑んだまま続けた。


「先日はああ言いましたけれど、自分のことにも化生のことにも気付いていない一般人という可能性もありましたからね」

「はぁ」

「CCPは若手育成にも力を入れていて、無所属の異能者の保護もその一つなんです」


 加賀美曰く、自分の能力を制御できない異能者は年齢が低いほど多いという。未熟な能力は要因を問わず暴走して他者を害することもあるため、異能の操作を身に着けるまで、もしくは責任能力の生じる年齢までCCPの保護を受けることができるのだそうだ。


「佐倉さんは異能をお持ちでないということでしたし、この点については問題ないでしょう。そして異能の有無に関わらず、見える者というのは他者から排されがちです」

「それは、そうですね」

「その点に於いても、貴方はその目が映す存在と適切に向き合えているように見えます」

「ありがとうございます……?」


 まさかあの尋問にそんな意図があったとは。思い返してみても、初っ端から詰問口調でとても保護する気がある言動ではなかったと思うけれど。保護しますと言われても簡単に帰れると思うなよの副音声が聞こえかねない雰囲気であったと思うけれど。


 兎にも角にも、加賀美の話を掻い摘んで纏めてみると。


「心配してもらった上で及第点を頂いた、と……」

「聴覚神経は繋がってるか? どこをどう聞いたらそうなる。無所属の見える人間を監視下に置くべきか検討した結果、不要だと判断しただけの話だ」


 言い方が違うだけで意味は一緒では、とは柊崎の眉間の皺の深さを慮って口には出さなかった。それに仏頂面で腕を組むその人が第一印象通りの人間ではないということは、この短い付き合いでも何となく察している。何はともあれ一段落した雰囲気を感じて、そこでふと思い出す。


「柊崎さん」

「……なんだ」


 彼らと出会うことになった切っ掛け。そもそもあの事務所を訪ねることになった理由。そこにどんな思惑が絡んでいようと千春が落とした物を柊崎が拾って交番に届けてくれた事実は変わらず、それどころじゃなかったとは言えどそれについてのお礼をずっと言いそびれていた。


「あのバッグ、拾ってくれてありがとうございました。とても大事な物が入ってたんです」


 一日遅れの謝礼を受けた柊崎は僅かに目を見開き、新たな皺を眉間に刻んだ。


「いつの話をしてる。時差ボケか」

「お礼を遮った人の台詞じゃないと思いますけど」

「こっちは自分の都合で動いた。礼を言われる筋合いはない」


 ふんっと鼻を鳴らした柊崎は腕を組み、明後日の方向に視線を飛ばした。


「俺の指示を無視した件はともかく……報酬分は役に立ったと判断できなくもない」

「はぁ」

「人が礼を述べてるのに何だその気の抜けた相槌は」


 どこに謝意が含まれていたのだろうか。ありがとうございます以外に感謝を示す語彙を持たない千春は、言語の壁を痛感しながら大人しく口を噤んだ。


「それと、安全を保障しておきながら危険に晒した件については謝罪する。悪かった」

「いえそんな、私が勝手に動いたせいなので、むしろこちらが謝罪するべきというか」

「それはその通りだ。山より高く海より深く悔いた上で今後の行動を改め二度とないようにしろ」

「アッ、ハイ」


 どこをとっても自業自得なので滅相もないと両手を振れば鮮やかに手のひらを返されて身を竦めた。


 危険手当を目一杯つけてくれるという報酬は後日振り込みになるらしい。失業中の身としてはありがたくも、積極的に突っ込んでいった自分が喜んでいいものかという申し訳なさも感じつつ。千春はあの事務所へ戻らずにここで解散となる。


「最後にちゃんとお礼が言えてよかったです」

「……そうか」

「はい。お疲れさまでした」


 もう会うことはないだろう彼らに頭を下げると加賀美からは会釈が返ってきて、柊崎にはすっ転ぶなよと再度釘を刺された。最後まで名前のわからなかった腕刈り中の彼は離れたところで何かをリフティングしていて、とりあえず頭だけ下げておいた。


 こうして、千春の少しだけ不可思議な臨時アルバイトは終了した。



 世間は狭いと言うけれど、こちら側はもっと狭い。だから、こうなる可能性が全くないとは思っていなかった。


「……」

「…………その、お久しぶりです」

「俺の記憶違いでなければ久しぶりと言うほどの期間は空いてないと思うが?」


 そのご尊顔の渋さはくるりとひっくり返っていてもよくわかる。正しく述べるなら、地につけるべき足を枝に引っ掛けぶら下がっているのは千春の方だが。まさかこんな言い逃れようのない体勢で再会するとは。


「その体勢に免じて今問い質すのは一つだけにしてやろう」

「お気遣いどうも……」

「それで? 人気がないとは言え、公共の場で何をしている」

「木に登ってます……」

「そんなことは見ればわかる。どうやら人間を辞めて猿になったようだが、お粗末なのは木登り芸だけじゃなく頭の方もだな」


 相変わらずの独特な罵倒も切れが良いようであるが、千春が伝えたいことはただ一つ。


「とりあえず、降りていいですか……?」


 ひらりとまた一枚、薄く色付いた花びらが二人の間を舞った。

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