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再逢の季06

 前を行く彼らも前から歩いてくる彼女も、小走りに追い抜いていく彼も立ち止まって笑う彼女達も。その全員が漏れなく制服姿の高校生。がやがやした喧騒が街中より幾らか高い声で成っているような気すらする。


 視界の端にちらつく赤い紐につられて目を落とすと、もっと下の方で紺色のプリーツがはためいていた。受け入れ難い現実に膝から崩れ落ちそうになるのを、肩にかけたスクールバッグの紐を握り締めて堪える。励ますようにストラップの御守りがちりんと鳴った。


「なんでこんなことに……」


 そう零すと耳元から反論が返ってきた。


『何でもすると言っただろ』

「言ってませんけど!? これ本当に大丈夫なんですよね!?」


 小さな柊崎が肩の上に乗っている、なんてことでは当然なく。千春が小声で噛みついたのは髪の下に隠したインカムだ。


『これ以外の案があるなら聞いてやるが。あの役に立たない似顔絵だけでどうするつもりだ』

「うぅ……」


 痛いところを突かれて言葉に詰まる。彼の言う通り記憶から書き起こした似顔絵はどこからどう見てもただの能面で、それを頼りに宿主を探すなんてことはできない代物だった。何とも言えない顔でそれを受け取った柊崎と加賀美から、であればと提示されたのが高校潜入プランである。最初に聞いた時は角砂糖の摂り過ぎで脳が溶けたのかと思った。


 最も、千春がそれを聞いたのはつい先ほどのことである。昨日は準備があるからと一旦帰され、本日改めて事務所を訪ねると着替えを渡され碌な説明もないまま更衣室に放り込まれたのだ。


『服のサイズを確認しただろうが』

「確かになんでそんなこととは思いましたけど! 上着とか作業着とかそういうことだと思ったんです!」

『想定の甘さを改めるいい機会になったな』


 しれっとこちらに責任を押し付けているが、何をどうしたらほぼ初対面の女性に制服の着用を強要してくる輩を想定できるというのか。というか、そんな気配を事前に察知できるなら訪問する前に通報している。


 兎も角、そんなこんなで制服姿の千春が立っているのは例の高校の敷地内であった。


(私は早まったんだろうか……)


 そう後悔しても後の祭り。姿見の自分に下したアウト判定はばっさり却下され情け容赦なく放り込まれたが、よく考えずとも不法侵入である。まして社会経験もある立派な成人女性が制服姿で高校潜入など、教育委員会の怒髪天を突くような所業。百万歩譲って服装は趣味で押し通せるかもしれないが、ニュースで女子高生(成人)のレッテルなど貼られた日には恥ずか死ぬだろう。


 せめてもと、ある程度生徒が捌けるまでは門を監視し、そこから出てくれば後を尾ける予定だった。しかし千春の願い虚しく下校する生徒の中に対象の姿はなく決行されたのがBプラン、つまり校内捜索である。潜入するのはもちろん相手を目撃した千春だ。柊崎は念のために校門前へ簡易結界を敷く準備をして敷地外で待機している。加賀美は学校側に話を通しに行っているというが、こんなオカルト話を信用する教師がいるか? と未だに半信半疑である。というか、作戦立案者が揃いも揃って安全地帯にいるのは一体どういうことなのか。


(もし逮捕されたら羞恥プレイを強要されたことにしよう……実名報道で社会的に道連れにしてやる……)


 恨み節が強めなのは、意を決して着替えた千春に対し何も言わずに目を逸らしたことを根に持っているからでもある。だからと言って加賀美の「とてもお似合いですよ」という感想もどうかと思うけれど。


『いつまでチンタラしてるつもりだ。報酬分はせかせか働け』

「……わっかりました!」


 半ばやけくそで返事をした千春はざりりとローファーで地面を踏み、帰路を辿る人の流れに逆らって校舎の方へと歩き始めたのだ。



 大体、見つけろと言われても一体どこを捜せというのか。千春の記憶に残っているのは制服とせいぜい髪型ぐらいだ。それも肩よりは下で染めていないという、校則に縛られる高校生には極々ありふれた髪型である。言うまでもなく顔は能面だったので手がかりはゼロに等しい。


(無茶振りが過ぎる。口も悪いし顔も怖いし)


 万が一にも声を拾われないように心内でぐちぐち言いながら、人が捌けてすっかりと冷えきった廊下を歩いて行く。時折すれ違う生徒達はこの後の予定を相談しながらけらけら笑っていて、喜ぶべきか落ち込むべきかこちらを気にする様子もない。教師が歩いてきた時はヒヤリとしたがやはり気付く様子もなく、むしろ社会人経験からお疲れさまですと言いそうになって余計なボロを出すところだった。


(つ、疲れる……)


 一階、二階と順に巡り、再度階段を上った千春は緩急のある緊張に疲弊しきって壁に凭れていた。廊下から覗いた教室の中にちらほらと生徒の姿はあるものの、友達と喋っていたり課題をしたりしている普通の生徒ばかりで目当ての存在は未だ確認できない。


 各クラスの教室が並ぶ教室棟が終わったら管理棟に向かって、特別教室棟と図書室も別棟で一つずつ。その次は活気溢れている体育館が二つに武道場と部室棟の運動場。思い浮かべた建物の広さにげんなりと肩を落とす。


 いっそ能面姿でラクロスでもやっていてくれたら疲れも吹き飛ぶかもしれない、なんて馬鹿げたことを考えてどうにか身体を起こした時、それは突然に訪れた。


「っ……」


 ざわり。湿気を多分に含んだような、それでいてどこまで冷えきった嫌な風。敏感に感じ取った背筋が粟立つ。何度も浴びた経験のある、寒気にも似たそれが吹いてくる方向を向けば目当ての存在はすぐに見つかった。それから、その奥の影も。


「……見つけました」


 一呼吸整えて、インカムに呼びかけると応答はすぐに返ってきた。


『どこだ』

「教室棟の向かいの棟です」

『特別教室棟か。確かなんだな』


 何が、とは言われなかった。


「間違いないと思います」


 向かいの校舎の硝子越し、こちらからでは空き教室に佇む彼女の横顔しか確認することはできない。例えその横顔が年相応の少女にしか見えなくても、あれは人ならざるものだと千春の感覚が訴えていた。信じてもらうには根拠が薄いと自分でも思っていたのに、柊崎からはわかったと返ってきた。


『加賀美を急がせる。許可が下り次第すぐに向かうからその場から動くな』

「え、追わなくていいんですか?」

『当たり前だ阿呆。持たせた護符でもどんだけ保つかわからない相手だぞ、見つかって追われでもしたらどうする。その場から見える範囲で追尾しろ』

「いや、でも」

『でももヘチマもあるか。接触するな認識されるな刺激するな。少し不通になる、大人しくしてろ』


 意外なほどキッパリと断言した柊崎は、その場から動くなよと再度釘を刺した。


「あの」


 呼びかけに宣言通り応答はない。きっと加賀美に連絡しているのだろう。


「……よし」


 会話の相手がいなくなった千春はもう一度窓の外に目を向けて、次の瞬間には走り出していた。真新しい上履きを昇降口とは真反対に向け、校舎の突き当りを左に曲がって建物同士を繋ぐ細い渡り廊下を駆け抜ける。


 幸いにも教師に見咎められずに辿り着いた建物は、特別教室が並んでいるだけあって教室棟よりも格段に人の気配がない。足音も息遣いもよく響いた。柊崎と呪面、どちらにも気付かれる前に見つけなければと、整えた息を殺し殊更慎重に足を進める。


 教室内を窺いながら廊下を進んでいた千春の足は、ある教室の前で止まった。


(いた)


 並んだ机、消し残しが目立つ黒板、掲示物の少ない壁。部屋の全てが夕焼けに濡れる中、人影は二つ。廊下に背を向けて机に腰を預ける男子生徒とその奥に立っている誰か。窓から差し込む黄昏で陰って顔は見えないけれど、制服から女子生徒だということはわかった。


 女子生徒の影がゆらりと蠢く。ふわりと髪が靡いて、その腕が、指先が伸びて男子生徒の顔へと触れる――その寸前で力任せにドアを滑らせた。


「うおっ!?」


 レールを飛び出さんばかりの勢いでバンッと叩き付けたのはわざとだ。教室に満ちていた異様な空気を掻き消すにはそんな荒業に頼るしかなった。頻繁に清掃が行われるはずの場所には似付かない、閉め切った廃墟に停滞するような埃っぽく黴臭い匂いが鼻をつく。


「な、なん、」


 肩を跳ねさせ振り返った男子生徒は見られたことに動揺してか、ガタガタッと派手に机を押し退けながら彼女から距離を取った。夕焼けの中でも見分けられるほど耳の先まで真っ赤になっている。その挙動から伝わる動揺と混乱に、申し訳なくも小さく息を吐いた。青春を邪魔してごめんよ青少年。でも間に合ってよかった。


 ゆらり。夕焼けを背負った彼女が揺れる。


「今は、取り込み中なのだけど」


 抑揚のない声を発したはずの唇は、緩い弧を描いたままぴくりとも動かなかった。唇も頬も眉も瞼も、睫毛の一本ですら震えない。静止画のように止まっている全ての顔のパーツの前で、髪だけが柔らかく靡いている。


 ――いや、全てではなかった。瞬きすらしない瞼の下、眼球だけがきょろきょろと忙しなく動いている。


「……そこの男子!」


 指先に染みてきた緊張を追い出すつもりで声を張る。それからつかつかと早足で二人の間に割り込んで、未だ呆然としている男子生徒を背に庇うように位置取った。彼を逃がすことが最優先事項だ。自分も戦線離脱できれば尚のこと良い。


「担任が君を呼んでいるそうです。職員室に行ってください」

「は? なん、」

「緊急なので迅速に!」


 可及的速やかに立ち去れ! 念じながら肩越しに振り返る。良い雰囲気をぶち壊された彼は怒り狂っても不思議ではなかったが、千春の勢いに気圧されてくれたようだ。男子生徒はぼやきながらもドアの方へと歩いて行った。


(これでなんとか)


 ガララ、と適切な音でドアが滑り、やや荒めな足音が遠ざかっていく。無関係の彼を逃がせたことに緊張が緩んだ、その一瞬。


「ならば、お前で、い、い」


 やたら近い場所から聞こえた、千切れかけの糸を何本も束ねたような歪な声。はっとして視線を戻した千春の鼻先に顔があった。距離にして吐息一つ分、口元にだけ笑みを滲ませて穏やかに微笑んだ少女の顔。


「っ……!」


 思わず仰け反ると、距離を詰められたわけではないことがわかった。彼女は一歩も動いておらず、顔があるべきところから白い粘土のようなものが伸びているのだ。その先端に彼女の顔をそっくり彫った面がある。


 目を見開く千春の前で、面の縁に指がかかった。細く白い女の指は誰もいないはずの裏側から出ていて、まるで誰かが面を外そうとしているようだった。ぷうんと一層強くなった黴の臭いが高らかに警鐘を鳴らす。


 これはよくない。絶対によくないやつ。


「てやっ!」


 咄嗟にしならせた右手で面の横っ面を叩き飛ばすと、ぶちんという太い繊維を纏めて千切ったような音がした。壁に当たった面がからんと床に落ち、張り手の反動を食らった千春も椅子を巻き込みながら倒れ込む。


「いっ、たた……」


 呻きながら起き上がる千春と入れ替わるように、棒立ちだった女子生徒ががくんと崩れる。どしゃりと床に伏せた彼女の無事を確認するよりも早く、視界の端でかた、と動いた何かに目が引っ張られた。


 かたかた、かたかた、かた。床の上で小刻みに震えていたそれが、すぅっと宙に浮かぶ。ついさっきまで少女であったはずの顔は、全くの別人へと様変わりしていた。


「やっぱり見間違えてなかった……」


 木から削り出したとは思えないほど滑らかな表面。額の上の方に墨で引かれた眉も、僅かに見える黒い歯も現代のそれとは違う。切れ長の目元、鮮やかな紅を引いた口元。表情を形作るパーツは僅かに弧こそ描いているものの、表情の一切が削げ落ちていた。


 かたかたと、ぎこちなく周囲を確認するような面のうごきがぴたりと止まった。面を向けた方を追った先には倒れ伏したまま動かない女子生徒がいる。捕食者に見据えられても、固く閉じた彼女の瞼は上がらない。


 するりと空を滑り始めた面を、反射で掴んでいた。


「あっ」


 驚いたのは千春だけではなかったようだ。面の方もまさか顔面を鷲掴みにされると思っていなかったようで、ぴたりと動きが止まる。


 いやどうするこれ。壊せば止まる? 駄目だ後で説明できない。合流されても困る。離したらあの子が危ない。――かくなる上は。


 膠着した数秒の間にフル回転させた脳味噌は危機的状況からの退避を訴えた。そして、この場に於いて一番危険なのは意識のない彼女。


 つまりどうしたかと云うと、大事なポーチを引っ張り出して空になったスクールバッグへ捕獲したものを叩き込み廊下へ飛び出すという、敵前逃亡(敵といっしょ)を行ったのだった。

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