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再逢の季03

「お口に合うといいんですが」


 手に持ったトレーからカップを置いたのは先ほど応対してくれた、比較的にこやかな方の彼である。


「あ、ありがとうございます……」


 カップを持ち上げると暗褐色の水面がたぷんっと揺れる。少し悩んでシュガーポットの角砂糖を一つ溶かした珈琲は程よく苦くて酸味は弱め。専らお茶ばかり飲んでいる千春でも美味しいなと思った。


「あの、美味しいです。ありがとうございます」

「それはよかったです」


 折角なのでもう一口とカップを傾ける。その様子を眺めていた男性がにこりと笑った。


「自白剤入りですから」

「んぐふっ」


 押し出そうとした本能と口からスプラッシュマウンテンしてはならないとした理性がせめぎ合う。失態を晒してなるものかと無理やり飲み込んだらマズイところに入った。


 爆弾を落とした当の本人は、盛大に咳き込む千春を見ながら冗談ですよと微笑んでいる。この状況下のその発言で何が和むと思ったのかは知らないが、その尖ったユーモアセンスは二度とこちらに向けないでほしい。


 柊崎の前にもカップを置いた男はそのまま彼の隣に座り、加賀美(かがみ)と名乗った。


「この名刺はインクを使い分けてまして。普通の方には事務所名と所長名しか見えないんですよ」

「はぁ……?」


 向けないでほしい願った傍からぶっ飛んだことを言い出した。何言ってるんだこの人。裸の王様でも不敬罪を持ち出して首を跳ねるのではなかろうか。


「一般の方でも身近に化生がいたり、何らかの霊障を受けていたりすると見えることがあるんですが」

 

 胡乱げな千春を笑うように「失礼しますね」と伸びてきた指が例の一文に触れると、艶の走った黒インクがぷくりと膨れた。思わず息を呑んだ次の瞬間に艶は消えていて、印刷された小さな文字は紙の上に行儀良く並んでいた。


 言葉を失くした千春をくすりと笑った彼の、亜麻色の髪がさらりと揺れる。それよりも濃い紅茶の瞳がレンズの向こうですっと細くなって、流氷のような冷ややかさを帯びた。


「読めるということは依頼人か同業の方、ということですが、その反応からすると本当に何もご存知ないようですね」


 珈琲をもう一口、しかし何故か無味無臭だったのでカップを置いた。かちゃりと音が鳴ったのは断じて手が震えていたからではない。


「いや、あの、読めるとか同類とか全然意味がわからないというか」

「警察に預けたメモにも同じインクを使ってる。読めないならそもそもお前はここにいない」

「……幽霊とか、妖怪とかいるわけないと思うんですが」

「見える奴しか読めないと言ってるだろ、二度言わすな。次は何だ? 実は取り憑かれて困ってるとでも言うつもりか」

「否定するならもう少し早くしておくべきでしたね」

「ぐっ……」


 彼らは北風と太陽のように異なったアプローチで同じ目的を果たそうとしている。身に纏う色彩も浮かべる表情もまるで正反対なのにどちらも圧が強い。急拵えの鋼の心臓は、ゴミ収集車に飲み込まれるアルミ缶から同情を向けられん勢いでボコベコとへしゃげていく。


 無意識の内に手が首元まで伸びていた。指の腹に伝わってくる脈が速い。


(どうしよう)


 頭の中では砂嵐の如く後悔が吹き荒れていた。一般人があの名刺を渡された時の正しい反応って何? 「そんなのいるわけないじゃないですか」「頭大丈夫ですか」もしくは「数珠なんて買いません」か? どちらにせよ素直に読み上げてしまった時点でルートは確定、無知を装ったぐらいではリカバリーし切れなくなってしまった。


 思わず俯いて、逃げたいと零した心の声を慌てて自分で打ち消す。千春が何者であるかを探ろうとする向こう側の人間があれを持っている。まだ逃げない、逃げるわけにはいかない。


 厚かましく行こうと決めた千春は相対する二人の内、柊崎へと顔を向けた。何となく、加賀美より話を聞いてくれそうな気がしたのだ。


「も、諸々のお話の前に、返して頂くことはできますか」


 尋問を受ける立場から通る願いではないとわかっていても、お願いしますと頭を下げずにはいられなかった。返してもらってトンズラしようなんて今はもう思っていないし多分無理だ。絶対逃してくれない。それでも立ち向かうための支えが欲しくて、その一心で頭を下げた。


 膝の上に揃えた両の拳を捉える視界の外側で、どちらかが立ち上がった。コツコツと離れていき、やがて戻ってきた靴音がすぐ近くで止まる。顔を上げろと促され、目の前にぶら下げられていた物を見て思わず両手を差し出した。


「ほら」


 手のひらにとさりと落とされると、使い込んで柔らかくなった緋色の布が波打って織り込んである銀糸がきらりと光る。こっくりとした緋布を撫でた指の腹に感じるのは同色で刺した麻の葉模様。ころりと丸いらっきょう玉に力を込めれば、ぱちんと耳に馴染んだ音がした。


「……ありがとう、ございます」


 千春にとって何より大事な、大事なもの。手元に戻ってきた赤い布地のポーチを握り込めば、鈍金色のがま口がゆるりと光を返した。しょうがない子ね、と背中を撫でられるように心の強ばりが解れていく。


「口は開けてない。中の物に不具合が起きていたら自分の不注意を恨め」


 元の位置に腰を降ろした柊崎の言葉を聞いて、ぱちくりと目が瞬いた。


「あ、開けなかったんですか……?」

「他人の持ち物を漁るように見えるとでも? 持ち主に用があっただけだ」

「そう、ですか」


 中を探られるのはまだいい。もし分解されでもしたらと気が気ではなかったのに、そもそも口すら開けなかったなんて。彼らは持ち主を引っ張り出す手段以上の価値をこれに見出さなかったらしい。


 胸に抱えたポーチの存在に、心の底から安堵の息が溢れた。しゅるんと気の抜けた千春の背をソファの背凭れが柔らかく支えてくれる。ポーチが戻ってきたことで精神的には大分持ち直したといってもいい。しかし置かれた状況は何一つ変わっていない。慣れた手触りの布地を無意識に撫でながら、甘いものが欲しいと思った。初対面の男性二人に詰められるこの状況を見れば熊も秘蔵の蜂蜜を譲ってくれるだろう。


(とはいえ)


 茶菓子を要求するほど厚かましくはなれないし自前の菓子を広げるほど図太くもなれない。なので、この場摂取できる糖分であるシュガーポットの中の白い立方体をもう一つ放り込むが、温い珈琲では溶けきらなかった砂糖がじゃりじゃりと舌に残った。それを流し込むためにカップを呷る千春を、男達は何も言わずに待っていた。鈍色と紅茶色、二色二対の視線。こちらを探ろうという意図を含んだそれに晒されながら、中身を飲み下した千春は改めて居住まいを正す。


 どこまで白状してどこからを誤魔化すか、線引きのためにはとにかく情報を得なければ。


「先に、そちらのことを伺ってもいいですか」


 そう考えた千春は、まず相手に素性の公開を求めた。初対面の相手に全てを曝け出そうと思えるほど、人の善性を信じてはいない。まして同じ側にいたとしても、立場や思想が違えばいとも容易く敵対することだってある。


 幸いにも、その要求が棄却されることはなかった。


「Commission of Countermeasures Paranormal」


 流暢な英語は柊崎の口から飛び出したものだが、多言語に対応していない千春の耳では二単語目までが限界だった。


「頭文字を取ってCCPと呼ばれることが多いですが、正式名称は超常現象対策局と言います。ここはその岐坂(くなとざか)支部です」

「混乱を避けるために一般公表こそされていないが、神祇庁に監督される歴とした公的機関だ。科学では解明できない超常現象の解明を責務とし、幽霊や妖怪と呼ばれる存在との間に発生する様々な問題解決を主な仕事としている」


 CCP。対策局。神祇庁。政府。超常現象。盛り過ぎた小説の設定かと疑うような単語が次から次に横滑り、慌てて捕まえた端から頭に押し込んだ。聞き覚えのあるものとないものが織り交ぜ座られた二人の説明を噛み砕いて飲み込んで、しっかりと落とし込むには少しばかり時間がかかった。


 待って待ってちょっと待って、それってつまり。


「祓い人の、国家集団……」


 祓い屋、拝み屋、祈祷師、霊媒師、化生斬り。古くは陰陽師など様々な呼び名を持つ彼らは、異能を用いて人外者と渡り合う者達のことだ。インチキや自称霊能者などのニセモノが多くて胡散臭いと思われがちだが、向こう側を知る者達の間では主に祓うことを生業とする職業として認知されている。古くから異能者を輩出している一族が家業にしているほか、個人が副業にしていたりすることもある。


 上京してからのことを思い返してみると、田舎より祓い人を見かけることが多くなったのは確かだ。微妙な立ち位置を自覚している千春は、都会はたくさんいるんだなぁぐらいの認識で積極的に関わるようなことはせず、むしろ回れ右で回避していたぐらいだ。それがまさか国に属して組織立って活動しているなんて。


「おや。そう呼ぶということはまるっきり疎い、というわけでもなさそうですね」

「あ、はは、なんででしょうね……」


 ぎしりと身体を軋ませる千春の様子を観察する穏やかな目元。真っ直ぐに見返すことができないのはその瞳がちっとも笑っていないからである。人当たりが良さそうに見えるこの人も、やっぱりただの優しげな人ではない。


 これ以上余計なボロを出してたまるかと、千春は話を変えることにした。


「く、国の機関ってことは、ここは役所みたいなものですか」

「少し違いますね。この事務所は個人を取りこぼさないように置かれた、個人向けの相談窓口のようなものです」

「相談窓口」

「CCPは司法或いは行政への通報や相談などから化生が関わっていそうな件に介入しますが、被害の全てが無差別で広域的に影響があるものではありませんから。もちろん他の地域にもありますよ」


 要は警察や役所への相談に交じる人外案件が本部からも回ってくるが、主に個人からの依頼を受けているということらしい。その本部とやらがどこにあるのかは知らないけれど、その仕組みには納得がいった。困っている人がいたとして存在すら認知されていない機関に駆け込むことはできないだろうし。その反面、心霊現象に関する相談事を役所の窓口で相談なんかできるだろうかとも思うが、千春には関係のないことである。


「こちらのことは教えた。次はそっちの番だ」


 説明を加賀美に任せて黙り込んでいた柊崎がじろりと視線を寄越す。聞き逃げは許さないと言わんばかりの目付きであるがそこは安心してほしい。立ち向かう相手のことを知り、こちらもオープンする手札の準備を終えたところである。

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