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依那木の主05

 明けて翌日。通算三度目の訪問となる柊崎相談事務所には柊崎と加賀美、そしてデスクに座るユーリが居た。雑誌と漫画とゲーム機という、凡そ職場とは思えない私物の置いてあるそこが恐らく自分の席なのだろう。


「お邪魔します」


 何度か出入りしたこの場所に揃う全員と一応の面識はあって、得体の知れなさやアウェイ感はやや薄れた。未だに残る妙な緊張感は、その全てが何らかの騒動に絡んでいたからだったからだろうか。あの日と同じくにこやかな加賀美に応接ソファへ通され、向かいには柊崎が座った。スーツ姿なのでビジュアルも全く一緒、強いて挙げるなら不機嫌さと不信感が鳴りを潜めているような気がする。


 柊崎は挨拶も前置きもなく本題に入った。


「ここで働く気はないか」

「はい?」


 てっきり説教だなと身構えていた反動か、彼の言葉の意味を一度で理解できなかった。聞き間違いかはたまた言い間違いか。そう思ってリテイクをお願いしてみるも、聞こえた言葉は一言一句違わなかった。こちらの耳にもあちらの口にも異常はないようである。


(えぇ……?)


 千春は予想していなかった台詞に拍子抜けて、それからへらりと笑ってしまう。それが気に食わなかったのか、柊崎は眉を顰めてへらつくなと言った。耳に馴染みのない言い回しは、恐らくへらへらするなと言いたいのだろう。


「呼び出すのは最後って言いませんでしたっけ」

「職場になったら自主的に来るだろ」

「屁理屈じゃないですか……」


 最初から話の内容を知っていたら来なかった。彼もそれをわかっていて事前に伝えなかったのだろうし、三珠の時に千春も同じことをしているので文句は言えない。言えないが交渉のボールは今こちらにある。なので文句の代わりに不承、と貼り付けて蹴り返した。


「お断りします」

「承服しかねる」

「えっ」


 しかし間髪入れずに蹴り返され、動揺が口からまろび出た。


「しょ、え、えぇ……?」

「理由の如何による」

「り、理由?」


 断ったらそこで終了、まさか認められないとは思っていなかった。冷静に考えると内定辞退を企業側が拒否したようなもので、何某かの法律に抵触していそうな所業である。けれど暴投球をモロに食らった千春はそんなことにも気付かず、混乱のまま就活時代の記憶を引っ張り出していた。


「り、理由は、ですね……」


 自分で言うのも何だけれど適性は間違いなくあるし、勤務地は住居と同市内。あとは何だ、志望の業界じゃないとか? いや、職務内容とただ被りしていることを個人的にやっていてその言い分は絶対通用しない。やっぱり無難に他社から内定が出たことにしようと脳内会議を打ち切ったのに、口を開くより先に先手を打たれた。


「明日は面接でしたね。少なくともそこと同等以上の条件をご用意できると思います」


 何故ご存じなのか。求人に応募していることも、ましてや条件や待遇を誰かに話した覚えもない。しかしこれ以上突っ込んでなるものかと、喉元まで込み上げてきたものをぐっと飲み込んで大きく首を振った。


「条件だけで選んだわけじゃないので」

「あぁ、仕事にやりがいを求めるタイプなんですね。その面ではそこらの一般事務に負けないと思いますよ」

「それはそうでしょうけど……でも就職先は自分で探しますので、どうぞお構いなく」

「そう仰らず。これも何かの縁ですから」


 いや全然めげないなこの人。人当たりの良い微笑みを携え、捏ねくり回した屁理屈をぼこすかぶん投げてくる。


「こ、今回はご縁がなかったということで一つ」

「まだ不採用通知を積み上げるつもりか? その内雪崩れるぞ」

「余計なお世話ですけど!? そもそも私は、」


 しつこい上に失礼極まりないなという苛立ちに、企業側はお祈りメール一通だったくせにという過去の八つ当たりも混じったせいか、言うつもりのなかったところまで滑り出た。慌てて続きを飲み込むも、目を瞑ってくれるような相手ではない。


「そもそも、私は?」


 ゆっくりと繰り返されて観念する。


「……祓い人が、好きじゃないので」


 好きじゃないからそう名乗りたくないし、そちら側に属したくない。これが、この場所で口にすることが憚られた嘘偽りない本音だ。主語が大き過ぎるのは自分でもわかっている。誓って彼らを貶めるつもりもない。けれど自分の職業を貶されるのは気分は良くないだろう。気まずさを感じながらちらりと窺った柊崎は、一見したところ気を害した様子もなく顎に手を当てていた。


「要は気持ちの問題ってことか」

「まぁ、はい……そうなりますかね」

「なら今から説得する」

「は?」

「一言一句聞き逃さずしっかり頭に刻め。まず、だ」


 待って。ちょっと待って。説得って何。千春の制止が形を成すより、彼が口火を切る方が早かった。


「今日に至るまで、お前が祓人に見つからず妖怪お悩み相談室をやってこれたのは単に運が良かっただけだ。幾つかの偶然が偶々重なって奴らの目が向かなかった、ただそれだけの話だ。そもそも自分の特異性に自覚はあるか?」

「じ、自覚?」

「あるわけないだろうが万一あると主張したいならもっと頭を使え。見知らぬ場所にほいほい乗り込んでくるな。出会って間もない人間に軽々しく手の内を明かすな。秘匿性の高い場所にあっさり連れて行くな。そもそも気軽にトラブルを吸引するな。契約を介さないどころか、種族を選ばず妖怪と交渉してあまつさえ使役するなんて荒業は使役系の異能者にもできないんだぞ。置き忘れた危機管理能力を直ちに回収してこい」


 つらつらつらつら。立板を流れていく水の勢いが鉄砲水ぐらい強い。どこで息継ぎしてるのかという長台詞に危うく押し流されそうになったが、その中のある言葉がざらりと耳に残って千春をささくれ立てた。堪らずに口を挟む。


「あの、私は使役しているわけじゃ」

「お前がどういうつもりかは関係ない。周りから見える事実の話をしている。幾ら親しかろうが信頼を築いていようが、第三者がお前たちの関係性を考慮することはない。加えて高位妖怪の庇護だ。それも元神使なら神格剥奪されたって低級神よりよっぽど力が強い。何が半成りだ、領域の主が隠居老人気取ってんじゃねーぞ……」


 柊崎は頭痛を堪えるように頭を押さえた。最後の溜め息が殆どを占めていた辺りは、説得というより恨み節のようだった。


「お前は、あんな領域を五体満足で行来できることがどれだけのことかわかってるのか。そこらの祓人なら立ち入った端から喰われるような場所だぞ」

「柊崎さんだって、無事じゃないですか」

「それも証明の一つだ。俺という異物を拒絶どころか容認するほどにあの場所はお前を認めている。もう一度聞くが、自分の特異性は理解できたか?」

「それは……まぁ、はい」


 これだけ懇々と自分の異質さを説かれて、できませんとは言えなかった。普通ではない自覚は当然あったし、でもそれは一般人にとっての話で、まさか同じと思っていた側にさえも馴染まないとは思っていなかったけれど。


「お前は祓人について学ぶべきだ。どんな力を持ちどういうやり口で何をするのか」


 祓人――千春が祓い人と呼んでいた彼らに、苦手意識を持った切っ掛けは何だったかもう覚えていない。彼らを見かける時、そこは決まって惨たらしく痛ましい場所だった。やめておくれと逃げ回る小妖怪が切り捨られ、穿たれて崩れていく彼らの怨嗟さえも刃の一振りで塵に帰す。


 ――手を出すことは、どう転じてもその一端を担うのだということ。その覚悟があるのなら貴方の思うままになさい。


 脳裏に響く、凛とした声が割って入ろうとする身体を何度も戒めた。覚悟ができなくてごめんなさい、助けられなくてごめんなさいと物陰に身を隠し、せめてどうにか逃げ延びてと祈ることしかできない。苦手が嫌悪に塗り替わるのに時間はかからなかった。


 人間相手なら通り魔紛いの所業が、妖怪に対しては功徳と称えられる。害獣駆除と何が違うのかと問われれば答えられない。いつか誰かが受けるはずだった禍を取り除いたと言われれば反論できない。千春だって彼らに害されたことは数え切れないほどある。


 けれど困り果てた時、助けてくれたのもまた彼らだった。途方に暮れた時、寄り添ってくれたのも彼らだった。


 ――また泣いているのかい。目が溶けてしまうよ。

 ――ほぅら山荷葉だ、珍しいだろう。

 ――そうだ、また鬼遊びでもしよう。


 言葉を交わして誼を結べる千春にとって、彼らはただの事象でも行きずりに発生する不可思議な現象でもない。大切な、得難き隣人だ。


「私は」


 落ちた視線の先で、割り切れない心が膝の上の拳を硬くする。脳裏を掠めていく、封筒に散る四季の花と便箋の縁を這う緑の葉っぱ。きっと柊崎たちは違うのだとわかっていても、それでも。そう名乗ることを受け入れられない。


「祓い人には、なれません」


 頑なに繰り返した千春の耳に溜息が届いた。それはまるで、聞き分けのない生徒に手を焼く教師のようだった。別に呆れられたって構わない、嫌悪されてもいい。これで交渉は決裂しただろうし、そうなったらお互いにもう用はないのだから。


 そう思ったのに。


「なれとは言ってないだろうが」


 腰より先に顔が上がり、こちらを見据えていた青鈍色の視線に射抜かれた。


「学ぶべきだと言ったんだ。どれだけの規模でどんな騒ぎの時に出張ってくるか、それを知っているだけでも違う」


 逃がすために、あるいは逃げるために。千春の事情など一つも説明していないのに、お見通しと言わんばかりに先を続けていく。


「そうは言っても、お前が本能と脊髄反射に逆らえない奴だということはこの間の件でよくわかっている。嘘の下っ手くそな迂闊者だということもな。遠からず、いや早々に何かやらかすことは間違いない」

「迂闊者って……」


 求めようとした訂正は尻すぼみになって結局喉に詰まった。不名誉な認定に意義申してできないぐらいにはやらかした自覚がある。柊崎は、不服そうに口を噤んだ千春を鼻で笑って先を続けた。


「その時に俺が事態を把握できていれば何かしらの手が打てる。ここの所員だったらもっと話は早い。こちらの指示で動いた、それだけで済むからな。あとはそうだな…… 狸兄妹の件で身に沁みただろうが、問題解決のための人手と資金は幾らあっても困らない」


 問題解決のための、人手と、資金。口の中でオウムのように繰り返す。訳がわからな過ぎて、千春のことを指しているのかと思った。二十代無職の資金力に何を期待しているんだ? 人手って一人なんですけど? 妖怪の手なら妖手? と、ひとしきり疑問符を浮かべ切って、ふと気付いたのだ。彼は今、千春がここで働くにあたって得ることのできるメリットを提示しているのではなかったかと。


 であれば、今の言葉は。


「続けて、いいんですか……?」


 意図せず零れた呟きに、地を這う低い声が返ってくる。


「事前に釘を刺してやったにも関わらず前提から取り溢すとはいい度胸だな」

「あっ、すみま、せ……」


 脊髄反射で下げかけた頭の中でぎゅんっと記憶が巻き戻る。遡った数分間の映像はまだはっきりくっきり鮮明で。


「異議、異議ありです! それについては何も言われてませんよね!?」

「言ってませんね」

「ですよね!?」


 すっと出された助け舟に大慌てで乗り込んだ。救いを与えてくれた加賀美はあの時のように珈琲を置いて、今日は柊崎の後ろに控え立つ。彼が席を外したことにすら意識が行かないほど動揺していたらしい。いつの間にか、室内には淹れたての珈琲の匂いが満ちていた。


 柊崎はきまり悪そうに視線を反らした。


「順を追って話すつもりだった。茶々を入れるな」

「責任転嫁がひどい……」


 彼が珈琲に手を伸ばしたので、千春もいただきますとカップを持ち上げる。冷えていた手のひらがじんわりと温まっていき、ふくよかな珈琲の香りが鼻の奥を撫でた。


 差し込まれた休憩が飽和しかけていた脳を整理していく。話通しの彼も、例によってぽいぽい砂糖を投げ入れた珈琲なのか色の付いた砂糖水なのかわからない液体を呷って喉を潤していた。


「ここまではお前の話だ。ここからはこちらの都合を話す」


 お互いがカップを置くのを待って、柊崎は再び口火を切った。

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