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依那木の主04

 厨から盆を手に縁側に戻った千春は、ここを離れた時と変わらない二人の姿に小さく息を吐いた。おもてなしマナーの点でいうと、曲がりなりにも客人を庭に立たせたままなのは減点だと思うけれど。


「遅かったの」

「お湯沸かしてたからだけど、たまちゃんはなんで煙管吸ってるの。食べないの?」

「なに、食前の一服よ」


 少女の指先でくるりと回った煙管がしゅるりと消える。種も仕掛けもない手品を披露した三珠が、今思い出したと言わんばかりに庭の向こうへと視線を投げた。


「ぬしはいつまで突っ立っておる。早よう上がって来ぬか」


 許しを得た柊崎が手招きに応じてこちらに歩いてくる。何故か足取りは少しふらついているが、手足は揃っているし意識もはっきりしていそうだ。


 屋敷の主が縁側で食べると言うので人数分の箸と皿、湯呑みと急須、一組の徳利と猪口を板の上に並べてから重箱の蓋を開けた。蝋色の漆器の中に詰まっていたのは黄金色のいなり寿司だ。


「んん、いつ嗅いでも良き匂いよ」


 狐の好物は油揚げというけれど三珠もその例に漏れず、特にいなり寿司はリクエストされる手土産の上位へ常にランクインしている。万里達にもお裾分けしようと思って多めに作ったら三段の重箱にみっちりと詰めることになってしまった。まぁどれだけ残っても彼女の胃にペロリと収まるだろうなと、一段分だけを広げる。


「柊崎さんも食べますか」


 とは言いつつも社交辞令的に声をかけただけであって、当たり前のように遠慮されると思っていた。こんな状況で喉を通ると思うのかと脳内のイマジナリー柊崎は首を振ったが、現実の彼は意外にも「食べる」と手を差し出してきた。


「えっ」

「なんだ」

「あ、いえ、その、私が作ったやつですけど」

「知ってる」


 手作りが駄目なタイプではないらしい。こちらから声をかけた以上渡さないわけにもいかず、左様ですかと口の中でもごもごしながら皿を渡した。綺麗な箸使いで持ち上げられたいなり寿司が柊崎の口の中へ消える。そのタイミングで三珠がにやりと笑った。


「ふむ、黄泉戸喫(よもつへぐい)か。それもよかろう」


 黄泉戸喫とは日本という国を生み数多の神々を産んだとされる、伊邪那岐と伊邪那美の神話に出てくる言葉だ。火の神を産んだことで死んでしまった妻に会うため、地下深くの黄泉へと向かった伊邪那岐は、黄泉の国の扉の前で共に地上へ帰ってくれるように呼びかける。しかし伊邪那美はすでに黄泉の食べ物を口にしていて地上に戻ることはできないと言った。黄泉は死者の国、異界の食べ物を口にすると現世には戻れない、という話だ。


 眉間を寄せた柊崎は、口の中のものを躊躇いなく飲み込んだ。


「作ったのはこいつなんだろ。それともなんか仕込んでんのか」

「冤罪です。もー、なんでそんな意地悪言うかな」

「儂の食い扶持が減ってしまう」

「あと二段あるでしょ、お腹壊すよ……」


 底なしの旺盛な食欲には呆れるが、一方で柊崎の皿に乗せたはずのいなり寿司も気付けば消えていた。彼の予想外の食べっぷりに驚いていると、嚥下した柊崎の顔がきまり悪そうに歪んだ。


「消耗してんだよ」

「あー……その、お疲れさまです……」


 原因の一端を担っている身なので余計なことは言うまいと千春も箸を取り、いなり寿司を口に運んだ。黄金色の揚げを一口囓ると甘い出汁がじゅわりと溢れる。奥歯で噛み締めた米粒は絶妙な塩梅の酸っぱさ。混ぜ込んだ人参と椎茸と蓮根にもしっかり味が染みていて、鮮やかな緑に茹で上げた枝豆はとても色映えが良い。祖母から受け継いだ五目いなり寿司、我ながら今日もよく出来ている。


「おかわり食べます? 取りましょうか」

「……頼む」


 労いの意味も込めて取り分けていると、何個目かわからないいなり寿司を腹に収めた三珠が猪口を呷った。警察官が見たら泡を食って補導しそうな光景だ。幸いなことに咎める者はこの場には居らず、不良幼女は空になった器に徳利から酒を注いだ。


「団三郎が来てな」

「ん、誰? お客さん?」

「佐渡の団三郎、屋島の太三郎、淡路の芝右衛門。日本三名狸だ。覚えとけ」


 すかさず補足が飛んでくる。へぇそうなんですかと相槌を打ちながら咀嚼していると、覚えとけと再度念を押された。聞き流しているのが筒抜けなのは柊崎が鋭いのか、千春がわかり易いのか。とりあえず神妙な顔で頷いておいた。


「太三郎の孫の、娘の方が妙な笛を吹いとったらしいの」


 化狸達はその話題で持ち切りだったらしい。団三郎狸は笛の正体を知りたいが故に、顔馴染みの三珠のところに立ち寄ったのだとか。なるほど、厨にあった新潟の大吟醸は手土産だったのか。


「まぁ要領の得ん話では何もわからんでな。尾を膨らませて帰ってったわ」


 その化狸も、訪ねてくるのがもう少し遅ければ詳しいことがわかっただろうに。何せ当事者が二人もいる。


「その笛ね、オカリナっていうんだよ」


 河川敷に到着する間際、座席を倒した後部座席に散乱する楽器の山から、これなら吹けます! と喜色満面の那由良が選び取ったのは小さなオカリナだった。粘土を捏ねて焼き上げたものではなく、空洞を持つ天然の石に孔をあけて磨き上げた石の笛。


「なるほど石笛か。であれば狸の囃子にはお誂え向きであったろうな」

「石笛だといいことあるの?」

「さて、どうであったか。のう、柊崎よ」


 脈絡もなく水を向けられた柊崎は皿と箸を置き、ぐいっと湯呑みを呷った。


「本来の囃子ってのは縁日を盛り上げるだけのBGMじゃない」

「と、仰いますと?」

「囃子の語源は「囃す」という説がある。彼方に座す神を囃し讃え、祈りを伝え、来臨を乞う。拍子、楽器、舞踊なんかは神の気を引いて気分を良くさせる演出の一つだが、それ自体に神儀的な役割を併せ持つ歴としたまじないの一種なんだよ」


 淀みない回答に、何故かつまらなそうに口を尖らせたのは水を向けた本人である。どうやら仕損じた彼を揶揄う腹積もりだったようだ。さては千春が席を外していた間に、柊崎を気に入るような何かがあったらしい。それが彼にとって幸か不幸かは、三珠から齎される無理無茶難題の度合いによるだろう。


 それにしても彼の頭には広辞苑でも搭載されているのだろうか、とお茶を啜りながら思った。随所に顔を出すワンポイント妖怪豆知識、知識不足を察知すると自動で注釈が入るサポートの手厚さといい、AI端末の方が近いかもしれない。Hey柊崎、呼び掛けたら張り倒されそうだ。


「そもそも笛自体が神と交信できる呪具として扱われることが多い楽器だ。日本は自然崇拝が根強いからな、昔から木石の笛を用いて神を下ろして御霊を鎮めてきた実績がある」


 那由良に合う楽器が中々見つからなかったのも形や大きさのせいだけではなく、霊的な場で奏でるには人工的に製造された物は相性が悪かったのだろうと、彼は考察を括った。


「若い者には負けてられんと、どいつも張り切って撥を振っておったんだと」

「七変化合戦も凄かったよ」

「さもありなん。次の囃子はさぞ気合の入ったものになるだろうよ」


 さぞ楽しい宴だろうと早くも心待ちにする千春と三珠。


「勘弁しろ……」


 その傍ら、柊崎だけが一人顔をげんなりさせている。これにはしっかりと理由があった。


 囃子に惹かれた者が行方不明になるという本所の狸囃子。事前に場所も時間も把握できていた今回は、狸囃子の被害が出ないように予め手を回していたらしい、のだが。


「結界を重ね張りしたにも関わらず、都内でわかっているだけでも二十三人が行方不明だぞ。古狸の冷や水にしたって加減を知らな過ぎるだろ」

「全員見つかったんですか?」

「朝には全員の所在が確認できた」

「それは良かった」

「良いわけあるか。本部は後始末に忙殺されてる」


 狸は夜通しどんちゃん騒ぎをし、人間の方は後片付けに奔走し徹夜明けのまま仕事に突入。正反対な夜を過ごす羽目になってしまった人達には気の毒だけれど、それを触発したのがあの二人の演奏だと思うと自然と口の端が弛んでしまう。


「見事な囃子であったな。いい酒の肴になった」


 愉しげな三珠がゆらりと回したお猪口の中で、とろみのある水面がとぷんと揺れる。きっと、夕暮にどこからともなく聞こえてくる祭りの喧騒のように、狸が踊る化物道で奏でられた囃子は位相のあわいを縫ってこの庭まで届いたことだろう。



 往路と違い、屋敷の門から化物道の外側までは三歩で辿り着く。出口は電柱とフェンスの間で、金網の向こうを角張った電車が駆け抜けていった。


「もうこんな時間かぁ」


 向こうで過ごしたのは体感で一、二時間。化物道に入ったのは午前中だったけれど今はもう夕方と呼んでも差し支えないぐらいの時刻になっていた。これも三珠の匙加減なので今日はそういう気分だったのだと思うしかない。


 この後には予定を入れていないし、胃は酢飯でそこそこ満ちている。夕飯の支度はいつもより遅くなっても大丈夫だろうから焦る必要もない。味が染みるまで時間のかかるものにしようかな、煮物かおでんとか。それか肉か魚を漬け込んでもいいな。冷蔵庫に何入ってたっけ。


「明日、時間を取れるか」

「あぁ、はい……」


 既に心が食卓の上まで飛んでいた千春は半ば無意識に生返事を返し、それからはっと我に返って身構えた。何をぽやぽやしてるんだとか、話を聞かずに返答するとはどういう了見だとか、そういう叱責が飛んでくると思ったのだ。けれど彼は千春の態度を咎めることもなく、ただ静かに事務所に来れるかと聞いてきた。


「呼び出すのはこれで最後にする」


 その、腹を括ったと言わんばかりの妙に神妙な面持ちが引っ掛かって、架空の予定を告げようとした口がついうっかり「わかりました」と答えてしまったのだった。

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