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依那木の主02

 ここの空に太陽が昇ったところは見たことがない。けれど灯りを必要としない程度には周囲の様子を伺うことができた。鬱蒼とした針葉樹の森を割る一本の石の参道。森との境界は等間隔で立ち並ぶ、苔に覆われた石灯籠。地表に這うシダの絨毯と、針のように細い葉から成る天蓋で囲われた世界は深い緑色でしっとりと濡れている。萌黄や若草が連想させるような新緑の息吹はそこになく、厳かで静かなその色は苔生した石段を進むごとに深みを増していった。


 長い階段を登り終えたのはそろそろ足が棒になろうかという頃だった。


「つ、いたぁ……」


 千春は、石段の終わりを示す終の鳥居に手を付いて喘いでいた。一方、荷物有り休憩無しで同じ道程を辿ったはずの柊崎は欠片も息を切らした様子はなく、注意深く周囲を観察している。体力の差やら運動不足やらを痛感しつつもひっそり顔を歪めた。


 表参道――ヒルズやブランド店が軒を連ねる大通りのことではなく、鳥居の内から続くあの石段は既に領域の内側だ。長さも自由自在、何なら葦原だってバッサリ省略だって出来ることを知っている。顔パスの千春がいるというのに梃子でも省略する気配がない。同行者を連れてきたことに対する意趣返しのつもりか。


「お待たせしてすみません。行きましょうか」


 息が整うまで待たせてしまった彼に一言侘びて、丸まっていた背を伸ばした。二人の行く手には小さな社がひっそりと佇んでいる。額に滲んだ汗を冷した風は注連縄の紙垂を揺らして抜けて行き、肺の奥まで届く空気はどこまでも冷えている。澄んだ静謐の満ちる神域は密やかに息づいていた。


 緩やかな流線の瓦屋根は斑に色を変え、支える柱には小さな亀裂が幾筋も走っている。長い年月雨風に晒されて色あせた社は、古びたという修飾がぴったりだろう。けれど腐朽している様子はなく、古い注連縄にも飛び出た藁や紙垂の欠けはない。周囲には枯れ葉一つ見当たらず、しっかりと掃除が行き届いていて、長い間丁寧に手入れされていることが伺える。


 玉砂利を踏んで社に歩み寄るまでの間、柊崎は何を問うこともなかった。けれど、賽銭箱の裏に回った千春が社の戸に手をかけたのには流石にぎょっとしたらしい。


「おい」

「大丈夫ですよ」


 何を憚ることなく格子戸を開け放って中に踏み入る。続いて渋々ながら戸を潜った彼の、息を呑む音が後ろから聞こえた。


 戸の先に祀られた御神体はない。それどころか社の中ですらなく、朱塗り鳥居の参道がどこまでも続いている。周囲は何の気配もしない真っ暗闇。けれど鳥居と足元に敷かれた石畳、そして自分と柊崎の存在だけははっきりと視認できる。


 潜ったはずの格子戸は、ぱたんと閉まる音だけを残して既に消えている。景色だけは自然的だった表参道とは違い、この裏参道は明確に異界の姿を象っていた。


「いつからだ」


 柊崎がそう聞いてきたのは、時折混ざる二人以外の足音に「そっちに意識は向けない方がいいですよ」と釘を刺した時だ。


「何がですか?」

「ここへの出入り」

「あぁ……上京してからですかね」


 元々日本津々浦々を転校ばかりしていた千春は、上京以来何やかんやを経てここを拠点にするようになったのだ。一番のメリットは自宅に押し掛けられることがなくなったことだろう。妖怪を相手にすることは昔からやっていたけれど、真夜中に寝室の窓を叩かれることも少なくなかったのだ。相手側も頼みやすくなったのか舞い込んでくる依頼の量はぐっと増え、時折混ざっていた害意が届く回数はぐぐっと減った。千春に至るまでにある程度跳ね除けてくれているらしい。


「日常生活に支障は出てないのか」

「それはまぁ、基本的に夜行性ですしね」

「無職なのもそれが理由か」


 陽の光が弱点というわけではないものの妖怪が活発に行動するのは基本的に夜。つまり彼らに合わせて行動すると翌日にこれでもかと響くのである。


「まぁ、理由の一端ではあるというか」


 とはいえ、千春は可能な限り生活基盤を侵さない範囲でと線を引き、学業や仕事に致命的な支障を来さないよう心掛けていた。だから退職した直接的な原因ではないのだが、それを詳しく説明する気もないので答えはぼかしておいた。


 そんな毒にも薬にもならないようややり取りをしている内に、道の先へ門が現れた。


「見えましたよ」


 数寄屋造りだか武家造りだったか、瓦を敷いた立派な門構え。両側に続く塀の終わりは見えない。呼び鈴もなければ表札もない門に近付いて格子戸をガラリと引き、再び一変した世界の明るさに目が眩んだ。


 筆で引いたかすれ雲が散る青空の下、門に負けず劣らず立派な家屋が建っている。陽の光を艷やかに返す烏の濡れ羽のような屋根瓦と、腰高まで杉板を張った漆喰壁。門からの路を成すのは大きな敷石と竹を編んだ透かし垣で、竹垣の向こう側には青々しい庭木が茂る。大ぶりの枝葉に遮られて建物の端は見えないものの、門から玄関までの空間だけで立派な屋敷だと見てとれる。


 時代劇なんかで町民が暮らす長屋に比べると、一部は二階建てだし面積もずっと大きい。かと言って大名や華族が住むような屋敷にしては小さ過ぎるらしい。一般庶民の千春にしてみれば、掃除を手伝う度に広い! 多い! 長い! と文句を言いたくなるぐらい部屋も一部屋に敷いてある畳の枚数も多ければ、敷地からして馬鹿みたいに広いのであるが。


「あれ、閉まってる」


 門から続く踏み石の先、玄関戸にはしっかりと鍵が掛かっていた。家主が不在にすることは滅多にないし、そもそもこの家を施錠する必要もなく。つまりこちらじゃないということらしい。最初から貼り紙でもしといてくれればいいのに、とぼやきながら玄関の左側に逸れた。念の為、柊崎の手はまだそのままに竹垣の切れ目へと身体を滑り込ませる。


「ちょっとごめんね」


 声をかけると大きく広がっていた樒の枝が独りでにずれ、水で濡らしたような瑞々しい緑の中に白い玉石を敷いた小径が一筋現れた。


「裏に回りましょう」

「わかった」


 靴の下で玉石がじゃりじゃりと鳴る。行く先を秘するように配された生垣や植木。その隙間を縫ってニ、三度曲がった小径の先が不意に開けると、そこには敷地の端が見えないほどの広い庭園が広がっていた。


 苔むした岩組の山から流れ込む滝に、鮮やかに揺らめく鯉の背。石灯籠の向こう、朱い太鼓橋を渡った先には離れの茶室。豊かな自然の匂いをはらんだ風が抜けると、下草の露が陽の光を弾いてビー玉のように煌めいた。


(今日は片付いてるなぁ)


 これ以上ないぐらいの見事な日本庭園を前に、千春が抱いたのは庭師業の人に聞かれたら青筋を立てて剪定鋏でどつき回されそうな感想だった。しかしその散らかり様を目の当たりにすれば全く以て仰る通りと手のひらを返されるはすである。何故かというと、ここの主は色んなことにすぐ影響されるタイプだからだ。万里と那由良が訪ねてきた時は花見酒がしたいと騒ぎ、満開に枝垂れる桜の下に湧かせた大きな池へ屋形船を浮かべていた。


 現に今も、涼しげに揺れる青葉の合間で一際鮮やかに紅葉がちらついている。燃えるような秋の色は季節を外れて色付いたわけではない。というか、そもそもこの場所に季節のような時間の流れは意味を持たない。


 朝焼けに振り返れば宵の口、瞬きの間に木種は大樹へ。山茶花は青梅雨に濡れ、月来香は朧月夜に花開く。季節が混在し、時の巡らない四方四季の庭。匙加減は主の気分一つ。


 その気ままなあの子はどこだろうかと視線を走らせたのと、声がかかったのは同時だった。


「遅かったのう」


 声の出処は家屋の長い縁側で、板張りに小さな人影が腰掛けている。その顔に浮かぶ愉快であると言わんばかりの笑いに、自然と唇が尖った。


「たまちゃんが遠回りさせたからでしょ」

「偶には目を鍛えとかんとな」

「むしろ身体の方ですけど」


 いつもなら化物道の入口と門の出口が繋がって一歩で領域内のところ、その何百倍も歩かされた。それも慢性的運動不足の現代人の足腰に優しくない道程で。溜息混じりの苦情を素知らぬ顔で受け流した彼女は、裸足の先に引っ掛けた下駄を天気を占うが如くぶらんっと飛ばした。丸みを帯びた履物は思ったよりも長い距離を飛んで、千春の足元まで転がってくる。全く行儀の悪いことだ。


「こちら柊崎さん」


 ひっくり返った下駄を拾い、隣を手で示す。


「あちら、たまちゃん。柊崎さんが会いたがっていたおひぃ様です」


 柊崎が会釈するのを待ってくるりと手を返す。先にいるのは可愛らしい顔立ちの童女だった。子供の姿をした人ならざるものの代表格といえば座敷童だろうか。けれど彼女の装いは小紬や赤いちゃんちゃんこではなく、裾を絞った黒袴と袖の無い上衣で、羽織った艶やかな着物を肘の辺りに引っかけている。


「ふむ」


 彼女の、蜂蜜を煮詰めたような濃金の瞳がすぅっと細くなる。二つに分けた濡羽の髪が身じろいだ拍子に肩から流れ、髪を括る朱玉と紐の飾りがしゃらりと鳴った。


夜行衆(やぎょうしゅう)か」


 聞き慣れない言葉に首を傾げていると、注釈は横から入った。


「CCPの前身組織だ」

「そうか、また名が変わったか」


 人の世の移り変わりとはなんと目まぐるしい。彼女がけらけら笑うと、朱を刷いた眦が三日月のように細くなった。外見に不釣り合いな喋り方は、年寄りの一言で片付けられないような古い時代の気配を纏っている。


「ここは壺中の芳園、依那木(いなぎ)の地」


 庭に投げ出された、日焼け知らずの青白い足がぷらりと揺れる。だらけた姿勢も乱れた衣服も人を出迎える態度のお手本からは程遠く、普段ならば小言の一つ二つは呈している。三食甘味が食べたいと駄々をこねた時、夜通し飲み明かした時、空にした酒瓶に囲まれて寝こけていた時と、呆れたことは数知れず。


 けれど、この時ばかりはその立ち居振る舞いに口を挟むようなことはしない。


「儂は三珠(みたま)。よう来たな、現し世の客人よ」


 彼女が領域の主を名乗る時、如何なるものでもその振る舞いこそが正しいのだ。


 彼女の名を聞いて瞳が僅かに見開いた彼は眉間を寄せ顎に手を当てて、稲荷の鳥居、三珠、と口の中で何やら呟いている。やがて弾かれたように顔を上げた。


四ツ尾天御狐(よつびあまみつね)、か……?」


 まさかそんなはずは。そんな声色を帯びたそれを「違う」と跳ね除けた三珠は、にやりと笑って指を三本突き出した。


「三本、増えとるぞ」

「七尾……」


 お手本のように絶句した柊崎は、肺がまろびでるのではないかというほと深く息を吐き出した。思わずそちらを見遣れば、「意味がわからん何で把握してねーんだよどいつもこいつも目ぇ開けたまま寝てんのか」と何やらブツブツ零した後、ギロリとこちらを睨めつけた。


「お前……知ってたなら先に伝えろ……」


 すみませんと口先では謝ったものの、過失ではなく故意だった。じゃあ元神使の妖怪のところに行きますね、たまに平安時代の話とかしますけど見た目は小さな女の子ですから、などと説明して大人しく着いて来る相手じゃないことは既に把握している。万が一にでもお仲間を引き連れいざ討伐なんてことになっては後が面倒くさい。


 頭痛を堪えるように眉間を押さえる彼に少しばかり申し訳なさを感じつつも、目論見が成功したことにふぅと息を吐いた。


「その名を呼ぶとは若いのに勤勉じゃな。伝聞には何と?」

「昔、禍神堕ちした大蛟を喰った神使だと」

「なんじゃ、つまらんな」

「事実ではないのですか?」

「まぁ間違っとらんか。そのせいで神格を剥奪されてな、今はただの半成り隠居妖怪よ」


 口調も改めんでよいと言われ、もの凄く微妙そうに顔を歪めた彼を尻目に三珠の鼻がくんくんと鳴る。途端、少女の顔が喜色に染まった。


「うむ、良きものの匂いがするの」


 相変わらず好物センサーは敏感である。そもそも柊崎との顔合わせは急遽ねじ込まれたものであって、千春の本来の目的は別にあったのだ。


「茶を淹れてきてくれんかの」

「いいけど、弥千夜(やちよ)さんは?」

「使いに出しとってな。儂では湯が湧く前に茶器が無くなってしまう」


 彼女の言葉で、気紛れの度に犠牲になってきた食器が思い出される。当然ながら客人に淹れさせるわけにもいかず、消去法で自分しか残らなかった。


「ということなので、少し外しても大丈夫ですか?」

「……あぁ」


 柊崎に持たせたままだった紙袋を受け取って、ちょっと行ってきますねと声を残し。片足の下駄を置き靴を脱いで縁側に上がった千春は、ふと足を止めて小さな耳に口を寄せた。


「二人にして大丈夫だよね?」


 先日の呪面騒ぎの顛末は伝えてある。万里たちのことで助けてもらったことも、柊崎が同行することになった時に慌てて伝言を飛ばしたので伝わっているはずだ。それでもわざわざ確認したのは、彼女が人理の外側で生きる存在であり、祓い人に見つかった時は連れてくるといいと言っていた本人だからでもある。


 対妖怪の専門家である祓い人を前に、三珠が祓われてしまうとはこれっぽっちも思っていない。むしろ気掛かりなのは柊崎の安全だ。連れてきた本人が何を言うかという話だが、危ないから止めましょうと説得したのにそんな危険な奴なら尚更放っておけるかと引き下がらなかったのは彼の方である。その剣幕が後を尾けて単身乗り込みかねないものだったので同行した方がマシだろうと判断しただけで、その身を彼女に差し出すために連れてきたわけではないし面倒事をくしゃりとやってもらいたいわけでもない。彼らには感謝しているのだから。


「なんじゃ、信用がない」

「変なことしちゃ駄目だよ。色々助けてもらったんだから」

「では疾く湯を沸かすことだの。儂が戯れる前にな」


 再度打った釘がけらけら笑う彼女にちゃんと刺さっているのか自信はない。けれど暗に下がれと言われてしまえば従う以外の選択肢もない。できるだけ早く戻ろうと勝手知ったる回り廊下を踏み、足早に厨へと向かった。

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