狸のお囃子04
明けて翌日。都民とはいえど区外に住む千春はあまり使うことのない、一日に百万人が乗り降りする駅の東口にいた。例によって柊崎とユーリの姿もあって、それに混じる小さな影が二つ。
「本当に、お世話になりました」
そう頭を下げたのは利発そうな少年だ。その横で、もっと年下の二つ結びの少女もぺこりとお辞儀をする。この子供達はあの狸の兄妹が人間に化けた姿である。
「何とお礼を言えばいいかわからないくらいです。皆様には返しきれないほどの恩を受けました」
頭を上げた万里は、千春の傍らに立っていた彼らの方に向き直る。
「柊崎様にも、ユーリ様にもお世話になりました。加賀美様にもよろしくお伝えください」
「いい。こっちにも得るものがあった」
気にするなと手を払った彼は、先ほど万里に子供用のレターセットを渡していた。文通しようという訳ではなく、狸囃子の開催日時や何かあった時の連絡手段としてらしい。それを羨ましそうに見ていた妹に渡された方はもしかしたらただの文通用かもしれない。渡した側も表情こそ渋々だったものの、葉っぱ模様と花柄のものをそれぞれ用意している辺り気配りが細やかだなと思った。思っただけで口には出さなかったけれど。じろりと睨まれたのでもしかしたら筒抜けかもしれないけれど。
「あの、風呂敷のお礼も」
「伝えておく」
那由良が腕に抱える臙脂色の風呂敷包みにあったはずの裂け目は消えていて、これは加賀美が繕ってくれたらしい。それもただ縫い合わせただけではなく梅の枝の刺繍が刺してあって、その小技に思わず二度見した。
「千春さま」
とてとて駆け寄ってきた那由良が両手を差し出す。
「千春さまに差し上げたくて」
「これ……」
思わず言葉に詰まった。ふっくらとした子供の手のひらに乗っていたのは、今回の騒動の原因となった彼女の笛である。中に入り込んでいた小さな石を取り除いたのは九十九から小さな箱を受け取っていた加賀美だった。楽器の手入れに使う専用の道具で異物の除去には成功したものの、内側が傷付いてしまい妖力を乗せることができなくなったそうだ。それでも大切なものには違いないだろうと千春が断るより早く、那由良が言葉を重ねた。
「屋島に帰れば新しい笛を作ってもらえます。それに、わたしにはこれもあります!」
彼女の首元の、紐を通した子供の手ぐらいの丸い石。満月に似た乳白の滑らかな表面には幾つもの小さな孔、先端には息を吹き込むための口が空いている。それはよく見かける雫の形をしたものではないけれど、柔らかで牧歌を連想させる音を奏でる小さなオカリナだった。
いやでもと狼狽える千春を横目に、柊崎が万里へ問い掛けた。
「狸の笛を人間が使うとどうなる」
「調子はつけられないと思いますが……千春様が吹けば周囲の人間を操るぐらいはできるかもしれません」
「……使う状況は選べよ」
「えっ」
渋面の忠告が想定とは違う方向性で、思わず聞き返してしまった。
「受け取っていいんですか?」
「個人間の礼のやり取りに一々口を挟むつもりはない。というか、どうせ妖怪から何か貰うのはこれが初めてじゃないだろうが」
あっ藪蛇、と直ちに口を噤んだ。探られて痛い腹は隠すに限る。同時に断り切れないことを悟り、那由良の手から笛を受けとれば子供特有のまろい頬がぱぁっと明るくなった。
「ありがとう。大事にするよ」
「はい!」
「これはお礼ってわけじゃないけど、よかったら新幹線の中で食べてね」
空いた那由良の手に持っていた紙袋の一つを掛ける。覗き込んでも艶々とした蜜柑しか見えないけれど、その下にはタッパーが入っている。
「わぁ! ありがとうございます! 蜜柑、あっ、おあげの匂い……もしかしてうどん……」
「うどんは無理かなぁ」
お揚げはお揚げでも酢飯を詰めたいなり寿司である。長い移動になるのでお弁当にでもなればいいと思ってタッパーに詰めて、家にあった蜜柑もついでに乗せたのだ。楽しみです! と跳ねて喜ぶ那由良の手からすっぽ抜ける前に、振り回したら駄目だよと窘めた万里が紙袋を取り上げた。
手の空いた那由良を呼んだのは柊崎だ。
「ちょっとこっちに来い」
「はい!」
「妹を借りる。お前も来い」
「へいへい」
呼ばれた彼女は一体どこで懐いたのか、最初は怖がっていた柊崎の言葉に元気よく返事を返してついて行く。強面のサラリーマンを様付する幼女の組合せは通報されかねないのでユーリも一緒だが、彼で不審レベルがどの程度下がるのかは未知数だ。
残された千春は、同じく残されて壁を背に立つ万里の前に移動した。行き交う人から、そしてそれに混ざる人でないものから遮るためだ。まさか目に留まることはないだろうが念を入れておくに超したことはない。
「千春様」
雑踏に溶けてしまいそうな小さな声で呼ばれた。顔を向けると妹から預かった紙袋を抱え、足元のタイルに視線を落とす万里の旋毛が見える。
「昨日のことで確信しました。那由良の笛の腕はいずれ、母に……屋島一の吹き手に並び立つでしょう」
初めて手にした楽器を思いのまま奏でることのできる才覚。誇り高い老狸にも認められる演奏の腕。そんな石の塊で笛が吹けるものかと馬鹿にしていた他の狸達も、音色を聞いた途端に掌を返して褒めそやしたという。
「僕は、それがとても誇らしくて嬉しくて……なのに、素直に喜べなくて」
小さくて可愛い妹。産まれたばかりでもよたよたと後を追ってくる妹を守ってやらねばと、幼いながら思ったことを万里は今でも覚えている。
月光の下、笛を吹く那由良にその面影はなかった。
「このまま追い抜かれて、いつかは置いて行かれるのだろうと……そう、思いました」
「うん」
「僕が守る必要は……いつか、なくなってしまうんでしょうか」
瞳を伏せた少年と俯いた子狸の姿が重なる。寄る辺なさげなその顔に喪失の色を見つけて、目線を合わせるように少しだけ身を屈めた。子供の、大きくて丸い瞳が頼りな下げに揺れている。
「私も兄がいてね。まぁあんまり会うことはないんだけど、でも妹側の気持ちは少しわかるよ」
もう長く顔を合わせていない。飛んでくるのは様子伺いのメッセージ、たまに混じる写真であちらの近況を知る。遠いけれど近いところにいる、千春にとってはそんな存在。那由良にとってはきっと。
「守ってくれるとか頼りになるとか関係なく、あの子にとって万里くんはとても大好きなお兄ちゃんだよ。万里くんにとっては違う?」
「……僕は」
「那由良ちゃんが頼ってくれなくなったら可愛くなくなるかな。置いて行かれたら嫌いになる? 守らなくていいぐらい強くなったら、もう君には必要ない?」
「いいえ!」
反射で否定を返したのだろう。千春の言葉をゆっくりと噛み砕いた万里は、「いいえ」ともう一度首を振った。
「何が出来ても出来なくても、那由良は僕の大事な、大事な妹です」
噛み締めるように呟いて、やがて顔を上げた万里は「でも、頑張りたい」と言った。
「頼りになれる兄でいたんです。那由良が大変な時は僕が助けになりたいし、一番に頼ってほしい。頼ってくれたらそれに応えたい。御役目だって那由良に全部任せたいわけじゃなくて、でも、自信がないんです。今の僕じゃまだ足りない」
「うん」
「だからもっと精進します。笛だけじゃなくて変化の術も練習して、出来ることを増やして強くなって……太三郎の孫は兄も妹もすごいのだと、僕も証明します」
――証明したい。
強い意志を示した彼女のように、穏やかながら揺るぎない決意を滲ませる万里。その顔からはあの時浮かんでいた自責の念や自信のなさは消えていた。いつかの日、当代の太三郎として手紙をしたためる時が来るかもしれない。そしてその傍らには屋島狸随一の笛方がいるのだろう。そんな未来の可能性を描きながら千春も笑った。
「応援してる。頑張って」
「はい!」
彼らが戻ってきたのはそれから程なくしてからだ。行きは三人、帰りは二人。一人足りない代わりにユーリがペット用のキャリーバッグを抱えていた。中を覗くと、ピンクのクッションの上で丸くなる子狸が「ふわふわです!」とホスピタリティの高さに喜んでいる。これもまた九十九が用意した物らしい。往路でのことを思えば、気力を使い切った復路はもっと悲惨なことになるだろうとのことだ。確かに眠りこけている内に変化が解けたりでもしたら車内に突如狸が現れることになり、芋づる式に子供が失踪したと騒ぎになりかねない。
妹の安全を確保する代わりに降車までしっかり気を引き締めなければならない万里は、柊崎から切符の説明を受けている。
「車掌にはこの切符も見せるんだ。乗車券は二枚とも見せて妹の座席に荷物を置けばいい。乗車は23番線、岡山で乗り換えろ。乗り継ぎがわからなければこのメモに書いてある」
「わかりました」
「喋る時は周囲に気付かれないように小声で。中を改められそうになったら犬でも猫でも好きな方に化けろ。間に合わないなら狸のような犬で押し通せ」
「はい!」
「……その時は人の言葉で返事するなよ」
「ええと、わん!」
眉間の皺を一本増やした柊崎の指摘に、ゲージの中から可愛い鳴き声が返ってくる。かーちゃんかよという不用心な感想には手刀が。同じことを飲み込んだ千春の頭部は無事だった。そうこうしている内に迫ってくる新幹線の発車時刻。まだ時間は十分にあるものの、不慣れな兄妹が万が一乗り場に迷っても大丈夫なように早めに送り出すことにした。
「本当に、ありがとうこざいました!」
言いながら万里が駆けて行く。その腕に大切に抱えられたケージの中からも「ありがとうございました!」と声がして、すれ違った数人が出所を探して視線を彷徨わせていた。
「喋るなと言っただろうが……」
「はは……」
額を押さえた柊崎とひらひら手を振るユーリと三人並んで改札向こうに消えて行く少年を見送ってほどなく。「柊崎さん」と呼べば真横の、やや上の方から視線が落ちてきた。
「いつから準備してたんですか」
「何の話だ」
「とぼけなくても。公園で聞き込みしてた時ですか?」
電話一本で現れた九十九が何者かは最後までよくわからなかったけれど、あの量と種類を短時間で用意するのは楽器屋でも難しいと思う。移動時間を差し引いたら準備の時間なんて殆ど残らないだろう。それこそ事前に手回しでもしない限り。
元よりシラを切り通すつもりはなかったのか、彼はあっさり「そうだ」と認めた。確信があったので驚きはないものの、ここまで妖怪に協力的な祓い人がいるなんてという意味ではとても予想外だった。同時にこの人は信用しても大丈夫かもと判断した自分の勘の良さを盛大に褒めたくもなった。もしもこの先、万が一自分でどうにも出来ないことが起きてしまった時、誰かを頼ることで解決できるのなら客としてあの事務所のドアを叩くかもしれない。
ちらりとも想像することさえなかった選択肢が自分の中に増えたのを感じながら、身体の向きを変えて柊崎を真正面に捉えた。
「私だけでは解決できませんでした」
両手を揃えて腰を折り、ありがとうございますと下げようとした頭が何かに引っかかる。はて? 状況を理解する間もなく、誰かの手の甲に額を押されて元の位置に頭を戻された。
「あの……?」
上がった視線の先でこれでもかと顔を歪めている柊崎が、何故か舌打ちを一つ挟んでから口を開いた。
「俺が手を回したのは狸囃子を正常に執り行いたかったからで、それはこちらの都合だ。お前から礼を言われる筋合いも受け取る謂れもない。念の為に言っとくが金も取らないからな」
「えっ、いやでも、元々私が受けた依頼ですし」
「失せ物探しというお前が請け負った仕事は達成されてる。その笛が使い物にならなかったのは別の話で、そうでもなきゃ手を出すつもりはなかった。そもそも人の仕事に介入してる時点で感謝される所業じゃない」
「そのおかげで最悪の事態が回避できたのでは……?」
「結果だけ見ればそうとも言える。だとしても助かったのはお前じゃない、子狸共だ」
立て板に鉄砲水の勢いでつらつらと挙げられた理由を一旦飲み込んでみる。しかし納得できるかは別の話でなんなら理解もできていない。
「……お礼ぐらい、快く受け取っていただけませんかね」
「あいつらから散々受け取った」
「私も、感謝、してますしっ」
「いらん。持ち帰れ」
ぐぐっと頭に力を入れても柊崎の手はピクリとも動かない。ならばと横に移動すればすかさず張り付いてきた。なんでこんなに守備が堅いのか。凄腕DFの如き守備力を発揮する柊崎は、千春からの感謝はてこでも受け取らない腹積もりらしい。
「あんたら何やってんだよ……」
柊崎の肩越しにユーリの呆れ顔が見える。確かにいい大人が壁際とはいえ往来の多い場所でやることではない。しかし舌にまで乗せたのに無理矢理飲み込まされた感謝がどうにも胃の辺りにわだかまっているのだ。きちんと始末が着いていないように感じてどうにも据わりが悪い。それに何故か、張られた意地は張り返せという妙な対抗心も生まれている。
ぱっと後ろに引いた千春は、腕が伸びてくる前に指を揃えた右手を額まで挙げた。礼を示せるのはお辞儀だけではないのである。もどきだけど。
「ご協力に心の底から感謝申し上げます! それでは!」
言い逃げた者勝ちと、返品される前に立ち去ろうとした千春の前腕ががしりと掴まれる。
「?」
何の手違いかと思ってぶんっと振って見るが解けない。むしろ逃すまいと示すように力が増した。
「柊崎さん……悔しいからって大人気ないですよ」
「お前こそ怪訝な顔で実力行使に出るな。何勝手に帰ろうとしてるんだ」
「いやだって、もう話は終わったんじゃ」
「一言も言っていない。礼を言って終わりにしてやろうって魂胆が丸見えなんだよ」
「別に何も企んでませんけど……」
「喧しい」
ぴしゃりと撥ね付けた柊崎に腕を引かれ、バランスを崩した拍子に大きく二歩距離が詰まる。ほぼ真上からこちらを射抜く青鈍の瞳。そこにきょとんとした自分の顔が映っている。
「後で詳しく聞く。そう言わなかったか」
「あぁ」なのか「えぇ」なのか、潰れて形にならなかった呻き声が喉の奥から漏れてしまった。確認することはできないが、音を立てて血の気が撤退していく顔面が痛恨の色で塗りたくられていることは想像に難くない。
(こ、昏倒はマズイよね……!?)
逃げ切るとして相手は二人。柊崎が倒されてユーリが黙っているわけがない。運良く二人とも無効化できたとしてもこの往来で二人も立て続けに意識を失ったら騒ぎになるのは間違いない。下手を打つとちょっとあちらでお話を、どころか一帯封鎖もあり得る。何より、絶対に逃すまいとするこの拘束を振り解けるとも思えない。気付いた時には前も後ろもしっかりと詰んでいる。
(私の馬鹿……!)
嘆いても時は既に時遅く。片手の自由を奪われた千春は逃亡を図ることもできず、再び連行される運びとなった。




