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狸のお囃子02

 緑地公園内の整備された散歩コースから外れた一角、下草の生えたそこには毬栗が幾つも転がっていた。季節外れの塊を根本に転がす広葉樹の葉は長楕円形だが刺々しくギザつく栗の木のそれとは違う。そもそもコース外とはいえ頭上から毬の塊を爆撃してくる樹木を公共施設には植えないだろう。つまりこれはただの毬栗ではない。しゃがみ込んだ千春はその内の一つを指先でつついてみた。


「ちょっとお話しませんか」


 毬栗に喋りかける不審者の言葉に当然ながら返事はなく、黄緑や薄茶色など早熟な毬を纏う塊はぴくりとも動かない。わざわざ擬態しているのだから言葉一つでそれを解くわけがないのはこちらも承知の上だ。


「昨日、このくらいの横笛を拾った子を知らないかな? 教えてくれた子にはこれをあげちゃいます」


 早い者勝ちだよと開いた手の上には剥いた胡桃。香ばしく炒ったその匂いを嗅ぎとったのか、幾つもの毬栗が千春の方へとひとりでに転がってきた。足元に集まってきた毬がもぞもぞと動いて、やがて開いてキュウと鳴いた。見た目は針鼠によく似ているが背追う針は長く、身体自体は小さくて片手のひらにすっぽりと乗るぐらい。木の下を通る人間目掛けて落ちていく悪戯好きの小妖怪だ。


「こんにちは」


 ただ可愛いだけではなく、丸まっている時に無理矢理開かれると怒って仲間と穴だらけにしてしまうという怖い一面もある。栗を拾う時は胡桃を置いて一旦離れ、戻った時に胡桃の周囲に移動している毬栗には触らないようにと昔から伝わる地方もあるらしい。


 好物に浮足立つ小妖怪の様子を伺いながら千春は小さく頷いた。


(これなら大丈夫かな)


 人外と交渉するときはまず先に対価を提示する、というのは師の教えだ。相手に任せていたら手足だの目玉だの肝だの記憶だのと、とんでない対価を要求されかねない。そして相手に差し出されたものを受け取ってしまってからでは、仮に要求された対価が釣り合わないとしても断るのは非常に骨が折れる。だからこそ、予めこの品に釣り合うだけのものがほしいとこちらから提示して縛りを課すのが一番安全なのだ。反故にできるだけ力の強い妖怪やそもそも話の通じない輩などもいるので全ての人外に通用するわけではない。それでも、約したという事実は後の足掛かりとしてとても重要だし、毬栗鼠のように力の弱い妖怪にとっては対価を受け渡した時点で拘束力が生じる。


 キュイキュイとそわついていた内の一匹が怖ず怖ずと近付いてきた。


「君が教えてくれるの?」


 どうぞと差し出された胡桃を胸に抱えた毬栗鼠がキュルリと鳴く。けれど千春は、人の言葉を話せない妖怪とは凡その意思疎通しかできない。


「音の鳴る棒を拾った者がいるそうです」


 代わって通訳してくれるのは、千春の肩に乗っている万里だ。


「ここから東に進んだ辺りに住んでいるそうです」

「東側かぁ……もう少し詳しい場所って教えてくれるかな」

「ええと、池向こうの、幹にウロのある楠だそうです」


 池を越えた先、ウロのある楠。これなら探すことができそうだ。お礼と一緒に胡桃の欠片を幾つか置くと数匹の毬栗鼠が寄り集まって剣山のような塊になった。安堵の息を零した万里を地面に降ろし、連立ってその場を離れる。


「手がかりが見つかって良かったね」

「はい……千春様には何とお礼を言えばいいのか……屋島にいらした際はぜひ声をかけてください。一族総出でお迎えさせて頂きます」

「あはは、それは凄そう」


 化狸は妖狐と並んで化かすことに秀でた妖怪だ。総出の幻となると花見と夏祭り、運動会とクリスマスと正月がいっぺんに来るぐらいよく分からないお祭り騒ぎになりそうだ。妖怪は昔気質であればあるほど祝い事の加減を知らないものだから。


「屋島かぁ。海が近いよね」

「はい。美味しいものも沢山ありますが、なんと言ってもうどんですね」

「あぁそっか、香川だもんね」


 香川だから讃岐うどんだろうか。コシが強め、ぐらいの情報しか持たない千春と違って、とても美味しいんですよと万里は力説した。


「屋島狸の好物で、特に麓にあるうどん屋がとても美味しくて」


 父や母やたまに祖父と、人に化けて店を訪れるということにも驚いたが、うどん屋を営む夫婦は屋島寺が化狸の本山と知った上でうどんを振る舞っていると聞いて耳を疑った。何でもうどんを食べている最中に元の姿に戻ってしまった狸がいて、騒ぐでも恐れるでもなく食べ辛いだろうと子供用の椅子を用意したという。更に、葉っぱを変化させたお金で支払おうとした不届き狸に拳骨を食らわせたと聞いてちょっと引いた。なんともまぁ肝の据わりが良すぎるご亭主だ。孫二人と来店する老人が化狸の総大将だと知っているのだろうか。狸の変化を見破れたってことはまさか元祓い人だったり、なんて詮無いところまで想像をしてしまった。


「亭主が腰を痛めてしまってからは出前を止めていて……だから、あの祝いの宴でも食べることができなくて」


 楽しそうに揺れていた万里の尻尾が、少しだけ下を向く。


「祝いの宴?」

「母の、狸囃子への参加を祝う宴です」


 本所の狸囃子への参加は名誉なことなのだと万里は言う。呼び招かれる化狸はその一族で最も優れた奏者で、送り出す前日に盛大な宴を開くのだと。


「母の好物が出ないと知った那由良は、一人で山を降りました」

「それは、うどん屋さんに?」

「はい。僕達がそれに気付いたのは、うどんを買っていった子はもう帰っているかと、亭主から屋島寺に電話があったからです」


 紅緒さんとこの下の子、一人で来たけど家に帰ってるかい? そう尋ねた亭主は、その子供は一杯のうどんを持ってもう随分と前に店を出て行ったと言う。子供の足でも、子狸の歩みでもとうに辿り着くほどの時間が経っていた。


(万里はあっちで酒を運んでたな)

(じゃあ店に行ったのは那由良の方か)


 慌しく宴の準備で駆け回っていた万里は、誰かがそう言っているのを偶然聞いて思い出した。何か話したそうに後を付いてきた妹に、手が離せないからあとでと返していたことを。


「もうすぐ日が暮れきるのに那由良はまだ帰っていなくて、僕は麓への道を下りながら探しました」


 縺れそうになる二本の足で石段を駆け下りる。けれど道を半ばまで下っても妹の姿はない。通り慣れたこの道を今更間違えるとも思えない。怪我をしたんじゃ。襲われたんじゃ。人間に捕まったんじゃ。膨れ上がる心配とは裏腹に、頭の中には嫌な想像ばかりが駆け巡る。


 万里の、形こそ人間を模しているがその何倍も優れた聴力が微かな吠声を捉えたのはその時だった。


「屋島は僕達化狸の棲家ですから、襲ってくるような獣はその気配を感じて滅多に近寄らないんです」


 本能の強い生き物であるほど余程の理由がなければ近寄らない。例えば気配を感じ取れないほど腹を空かせているとか、獲物を追う内に入り込んでしまったとか、そんな余程の理由。思い当たる理由の全てがざわざわと胸を騒がせ、堪らずに道を逸れた。


 道の外側は参拝客が通らないために手入れもされておらず、鬱蒼と繁った枝葉の天蓋が僅かな日暮れの光さえ遮って本通りよりも深い宵が満ちていた。そんな木々の間を小回りの効く本来の姿で駆け、獣の気配と鳴き声を頼りに森の中を抜けた万里はやがて見つけた。涎を垂らして木の根本を周る二匹の野犬と、枝の上で震える小さな狸。


(那由良!)


 考えるより先に叫んでいた。だから、その後に頭から押し寄せてきた命令の山に身体が固まってしまった。那由良。逃さないと。変化を。那由良が。助けを。身動きの取れない万里が化けるより早く、標的を変えた野犬の牙が突き立てられるよりも早く、万里の後ろから飛び出してきた大きな獣が野犬の頭に齧り付いた。


「化けた母と野犬ではそもそも勝負になりません。残っていたもう一匹も恐れて逃げていきました」


 母の胸に抱かれた妹はいまだ震えていて、それでも腕の中の風呂敷包みを手放すことはしなかった。


「母のことも、笛のことも……那由良は自分のせいだと思っています。でも、そうじゃない」


 僕が。掠れた言葉を一旦飲み込んで、何かを振り払うようにふるふると頭を振った。


「那由良は、いずれ母に並ぶ吹き手になると言われています。少し気の弱いところはありますが……母は御役目を継ぐつもりがないので、次の太三郎は妹かもしれません」

「そっか」


 千春の打った相槌を最後にどちらとも口を閉ざす。万里が見せた小さな綻びは、少し離れた所で待機する二人と一匹の所に戻るまでにはすっかり元通りになっていた。


「兄さま!」


 男性陣から少し距離を取っていた那由良が真っ先に気付いて駆け寄ってくる。妹の元に向かう万里の後を追って、柊崎達へ聞き込みの顛末を報告した。


「というわけで、次はそこに行ってみようかと思ってます」

「わかった」


 今後の方針を伝えた柊崎からはあっさりと了承が返ってくる。捜索の手段についてはひとまず追及しないつもりらしく、とても有り難い。しかし、ならば部下にもその姿勢を徹底させてもらえないだろうか。


「……」


 じぃっ、と感じる視線は柊崎とは違う方向に鋭利だった。説明を終えてもずっと、なんなら経緯を話している途中くらいからずっと見られている。ガンを飛ばされているというかメンチを切られているというか、とにかく得体の知れないものを警戒しているといった感じだ。ひたすら無視し続けられるほど千春の面の皮は厚くなければ辛抱強くもない。かといってメンチを切り返せるほどの度胸もないので律儀に訊ねることしかできなかった。


「あの、何かご用ですか」

「異能持ちじゃないって聞いてたんだけど」

「その通りですけど……」


 千春の答えに納得するでも追及するてもなく、あっそと呟いた彼はふいっと視線を外した。二言三言交せば解消するぐらいの疑問なら最初からぐっと飲み込んでおいてほしい。こちらへの興味が失せたようなので追及はしないけれど。


「終わったか。行くぞ」


 二人のやり取りが終わるのを待っていたらしい柊崎に先を促された。終わるのを待つぐらいなら仲裁に入っていただきたい。あの視線に気付いてないわけがないしそもそもあなたの部下でしょうよ、と間違っても口には出せないので心の中で盛大に文句を言っておいた。



「こんにちは」


 ぐるりと池の縁を回った先、ウロのある楠の根元に挨拶と胡桃の欠片を置けばほどなくしてぼとりと落ちる音が一つ。その内にころころと転がり始め、しかしすぐに止まったのは胡桃の傍から人間が立ち去らないからだった。


「笛、じゃわかんないか……音の鳴る棒を拾ったのは君?」


 その質問に飛び上がった毬栗鼠は泡を食って楠のウロの中へ飛び込んだ。棲家にしているらしいそこをそっと覗き込めば落葉と小枝が敷かれた空間の奥に丸まる妖怪の姿があった。抱き込んだ何かを奪われまいと背中の針を懸命に逆立て剣山のようになっている。


「無理に奪ったりしないよ。少し見せてほしいだけ。これは食べていいから」


 両手を開いて敵意がないことを示し楠の根本に胡桃を置いて三歩下がる。しばらくして顔を出した毬栗鼠が恐る恐るながら降りてきた。その小さな妖怪が抱きかかえるようにして持っている棒。細い竹に小さな孔が七つ、少し大きな孔が離れて一つ。予め見せてもらった万里の物より僅かにべっ甲の色味が強いそれは、人間が使うものよりもずっと短い。那由良の笛です、と肩の上で小さな囁きが漏れる。


 見つかったという安堵を感じつつ、ここからが本番だと気合いを入れ直した。


「その笛と私の胡桃、交換してくれないかな」


 がさりと剥き胡桃の詰まった袋を揺らす。しかしキュッと鳴いた毬栗鼠は短い手で笛を抱えてそっぽを向いた。胡桃と交換はしないらしい。好物とはいえ消耗品と嗜好品は釣り合わない、予想の範疇だ。


「あぁうん、そうだよね」


 じゃあこれは? そう言って取り出したのは銀のホイッスル。丸いタイプではなく細い棒型で、那由良の笛よりも小さい。小妖怪に警戒されないようにと少し距離を取っている二人にはトートバッグから出したように見えているはずだ。実際にはその中のポーチから引っ張り出している。


「これじゃいや? そっかそっか」

 

 笛を抱えた腕は頑なに緩まないが小さな瞳はこちらに釘付けになっている。お気にこそ召さなかったようだが興味は引けた。ならば品数で勝負である。


「どれがいいかな」


 手応えを感じた千春は次々に楽器を取り出して並べていった。マラカス、タンバリン、ハンドベル、ホイッスルなど、どれも赤ちゃん用の小さい物で簡単に音が鳴るもの。サンバホイッスルや汽笛笛、でんでん太鼓などの変わり種も。


 少し離れた場所から呆れた声が飛んできた。


「何でそんなもん持ち歩いてるんだ」

「流石に持ち歩きませんよ。昨日、万里くんの話を聞いて用意しておいたんです」

「チンドン屋かお前は」

「私の話聞いてました?」

「つーか、その鞄どんな容量してんだよ……」


 ユーリの台詞は気付かなかったことにして、楽器を並べ切ってこんなもんかと頷く。


「どれでもいいよ。好きな楽器と交換しよう」


 初めて見るだろう品ばかりを並べられた毬栗鼠は目に見えて狼狽えている。恐る恐る匂いを嗅ぎ、前足で小突いたり体当たりで音を鳴らしたりして、やがて一つを選んだ。


「それでいいの?」


 ピロロ。百均のピロピロ笛で返事が返ってくる。キラキラしたメッキテープの模様と、紙の部分がくるくると伸び縮みするところが気に入ったらしい。三叉の紙筒が気の抜けた音と共に伸びては縮む。小妖怪の肺活量は身体の見かけによらず多いということを初めて知った。


「じゃあこれと交換ね」


 新しいおもちゃに夢中の毬栗鼠が忘れ去っている笛を拾い上げる。肩に乗っていた万里に渡すと、ありがとうございますと言ってそれを待ち侘びる妹の所へ駆けて行った。


(これで一件落着かなぁ)


 ユーリの何か言いたげな視線を黙殺しつつ、使わなかった楽器をさっさと仕舞っていく。ご機嫌の小妖怪にありがとうと告げてから合流した千春はそこで漸く、彼らの様子がおかしいことに気付いた。


 狸の兄妹が愕然と立ち尽くしているのだ。二匹を囲む二人の顔も険しい。何があったのかと訝しむ千春の視線の先で、那由良が笛に息を吹き入れる。しかしすぐに口から離し、また口を当て。それを何度か繰り返した彼女の口から、ぽつりと零れた。


「音が、出ない」


 ピロロ。草木のざわめきと鳥の囀りに間の抜けた笛の音が混ざる。はっきりと聞き分けられるほどにその場は静まり返っていた。


「……」


 重い沈黙を破ったのは、那由良をひょいっと持ち上げた柊崎だった。持ち上げられたことにも気付かないほど放心している子狸を千春の腕の中に下ろした彼は、そのまま視線をスライドさせた。


「お前は歩けるか」

「あ……あるけ、ます」


 その答えを受けて、やはり同じように持ち上げた子狸をユーリに渡す。落とすなよと釘を刺し、短く息を吐いてこう言った。


「一旦事務所に戻る。お前らも来い」


 否を唱える者はいなかった。

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