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「なぁ、知ってるか。またやったらしいぞ」
「マジか。やべぇなぁ。怖い世の中だぜほんと」
「全国各地で起きてるっていうんだから、いつ狙われてもおかしくないしな」
「やめてくれよ。寝れなくなっちまうだろ」
「現実逃避はよくないぞ....したいけどな」
東京都渋谷区
ある小さな居酒屋にて
2人の中年男性が話していた。
「あー、それか。おっかないよな。なんだって全国で殺人事件が起きてるんだからなぁ」
2人が話している途中にもう一つの声が入ってきた。
「おぉ、大将」
「へい、おっさんセットビール2本」
ドンという音を鳴らしながら、居酒屋の店主は、2人をみる。
「気をつけななぁ。ニュースによれば、男性が狙われているらしいからな。ビールで酔っ払って通り魔に会うなよ」
そういって、店主は、豪快に笑った。
つい2人も笑ってしまう。
「なにゆってんだぁ。この俺様の飲みっぷりを知らんのかね?」
「いくら飲めても酔っ払ってしまったらぁ関係無かろうが!」
「チッチッチッ。その引き際を見定めるのは、経験という名のビールの本数だぜ?今まで飲んできたビールの量を舐めてもらっちゃあ困るなぁ?」
そんなしょうもない話を店主と片方の中年男性が続けていると、奥から大きな女性の声が聞こえた。
「おい、男ども。そんなしょうもない話をするんじゃない!少しくらい真剣に考えな!あとあんた、仕事や仕事!そんな話せんと仕事に戻りな!」
その一喝は、男達を従わせ、尻を思いっきり叩いた。
わいわいとうるさかった店主は、静かに店の奥へ引っ込み、中年男性は目を明後日の方向に向けながら話を変えた。
その様子に女性ーー女将は、満足したように頷き、仕事へと戻った。
2人の話は変わり、家庭関連の話になった。
「なぁ、最近の嫁さんの様子はどうよ?いつもみたいに元気にやってんのか?」
「ん?あぁ、相変わらず元気だぞ。子供も素直に従ってるみたいだしな」
「おーおー、お前んとこはちゃんと躾がなってんだなぁ。俺んとこはうるさくて動物園のようだ」
「ははっ、想像しかつかんな。次男坊がもう小3だっけか?ちょうどやんちゃな年頃だな」
「ほんと大変。っていってもそれは、嫁が、だがな」
「お前が家事するとかなんか想像したくもない」
「おいおいそれはどーゆー意味だよ」
「さあな」
「さあなって、おまえ...」
さあなといった男は、ニヤリと口角を上げた。
その顔に、もう片方の男はため息をつく。
「そういえば、お前んとこは長女が高校生だっけ」
「ああ。おかげさまで高校受験はなんとか乗り越えられた。次は、2番目だな。あと2年か...」
「んなの、一瞬だぜ。明日には2年経ってるぞ」
「いや、1日だ」
「なんなの、つまんねえなぁ。それはそうと、高校かぁ。おまえ、反抗されてんじゃねえの?」
「そんなわけあるか。親子仲は至って良好だぞ」
「ほんとかぁ?」
「当たり前だ」
「はぁ、お前はほんと頑固よなぁ。その上生真面目。なぁんで俺、こんなやつと何十年も付き合ってんだろ」
「ただの腐れ縁だ。それ以上でも以下でもない」
「冷めたやつだな。なんかこう、熱い男の友情とかないのかよ、こう、さ、抱き合ったり手を握って決意確かめたり」
「やめろよ、気持ち悪い」
「はいはい、わかりましたよ~だ」
ーー数時間後
ある小さな居酒屋から二人の男が出て行く姿があった。
二人は、そのまま近くにある大型ショッピングモールへと姿を消した。
「付き合わせて悪いな」
そう、一人がいうともう一人が答えた。
「気にすんなって、幸田。いつものことだし。で、今日はどんなごっつい本を買うんだ?」
その言葉に、幸田と呼ばれた男はギロっと目をもう一人に向けた。
「白崎、お前、俺がどんな本買うと思ってるんだ?」
「え?そんなの決まってるだろ、よくわからんぶっとい本をかったとこしか見たことないぞ」
白崎と呼ばれた男は、当たり前という顔で答える。
それに対して、幸田はため息をついた。
「ああ、そうかい。俺に対する認識とはそんなものか。もう少し頭を働かせようとは思わないのか」
「んなの思うわけないだろ」
はぁとため息をつきながら、二人は書店へと入っていった。中は、棚が列を成しており、壁は全て本棚となっていて、ごく一般的な大きな書店であった。
幸田にとっては、仕事から家へと帰る途中に寄ることのできる唯一の書店である。暇があれば本を読む幸田にとっては都合のいい場所であった。数十人が店内を見て周り、立ち読みしていても、余裕のある広さなため、人目につかず本を眺めることができることも理由の一つだった。
店内の入り口近くに置かれている本は、大抵がその時期に人気を得ている作品である。
この頃は、ある小説が中高生はたまた大学生の女子から莫大な人気を得ていた。
「あぁ、この小説か」
「知ってるのか?」
幸田の呟きに対して、あまり本には詳しくない白崎が首を傾げながら問うた。
「まあ、な。上の娘が欲しがってからな。娘曰く、甘々の恋愛小説らしい。中世ヨーロッパ時代の文明技術を持つ魔法と剣の異世界が舞台なのだとか。あるあるだけど面白いって鼻息荒く語ってたな」
「へぇ、恋愛小説ねぇ。さすがJK。俺には、どこが面白いんだかわかんないな!」
「同感だ」
「こんないい歳したおっさんにわかってもらっちゃ困るか」
そう、白崎は笑いながらいった。
「買ってあげなくていいのか?娘さん、欲しがってんだろ?」
「買いたければ、小遣いで買いなさいって言ってあるからな。構わん」
「そうか。厳しいのう。ちょっとぐらい甘やかしたりなよ」
「甘やかしすぎたら困るだろう?」
「それもそうだけどさぁ。たまには親の愛のこもったプレゼント欲しいんじゃない?」
「はぁ。わかったから。あまり物も買わないし今日ぐらいならいいだろう」
「そうそう、初めからそう言えばいいんだよ」
そんな会話をしながら、幸田は、本の表紙に手を触れた。
本のカバーは、ハンドカバーで、ザラザラとしていた。あらすじを聞いただけでは、ハンドカバーなんてつけるほどのものではないなと思いつつ本の裏に指をかける。
表紙は、見事な黄金の髪を纏った美女が男性に支えられ、草原で夕陽に照らされている絵だった。
このような風景は、本だから成立するのであって、現実では、特に日本では、到底起こり得ないだろうなと思わせた。
本屋からでると二人はやっと帰路に着いた。
星が点々と輝いていて、綺麗ではあるが、街の光に邪魔され、美しいと感嘆することなどできなかった。
男二人、夜空の下を歩いていてもロマンを感じることなどない。
娘とデートしたいな、なんて外面からは思いもつかないようなことを考えてる幸田に、白崎が話しかけた。
「なあなあ、あそこ、誰かいないか?」
「何を言ってるんだ?こんな夜中に人が歩いてることなどほとんどないだろう。もしいたとしても気にすることじゃあないだろう?」
「いや、だって、なんか怖いじゃんか」
「怯えすぎだろ、幽霊じゃああるまいし。それほど怯える必要はないだろう」
「じゃ、じゃあさ。なんでこっちくんの?なんか鬼気迫るかんじの雰囲気でてるじゃん」
「はあ?ーーっ!」
幸田は、咄嗟に白崎の手を掴み反対方向へと走り出した。
不幸にも大型ショッピングモールを出てから結構な距離を歩いており、すぐに人が多いところへ行けることはできそうになかった。また、お酒を飲んでいたということもあり、足がしっかりと動かない。全速力の半分も出すことができず、人の多いところへは間に合いそうになかった。
白崎は、何が何だかわからず、ただ唖然とした顔のまま、幸田に必死についていくだけだった。
後三百メートルで、人通りの多い道へ出るというところの小さな短いトンネルの下。
電車が通り大きな音が響き渡った。
ガタンゴトンという音が辺りを支配し、一瞬のことのはずなのに、数時間にも感じられた。
騒音に支配され、暗闇で覆われたトンネルの中、たった一つの光が煌めいた。
騒音が消え去り、残ったのは、弱々しい悲鳴と泣き声だった。
白崎に言われ、目に見えたのは、月明かりに照らされ反射した銀色の光だった。
それは、まるで死神のようで、死が訪れることを悟ってしまった。
だから、死に逃れるために必死に走った。
しかし、天が見逃してくれることはなかった。
星空が、綺麗だった。
あぁ、もう終わりなのか。
もう少し、もう少しでいいから、この空を眺めていたかった。
光が散乱し星と空のくぎりがわかりずらくなる。
死が、迫っていた。
あとほんの少しこの空をみよう。
今まで見たことがないほどに綺麗な星空を。
本当に、綺麗な夜だ。
ーーーあたりに響いたのは、神様が天から降りてくる衣擦れだった。