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「ねぇ、君知ってる?愛ってさ、すっごく甘くて幸せにしてくれるんだって」
「ママからきいたんだぁ」
※※※※
聖暦3567年ウィステリア13年
春の月 半ば頃
エルトリア洲にて
「お嬢様、旦那様がお呼びでございます」
「父上はなんと?」
「私の存じ上げるところではございません。誠に申し訳ございません」
「わかったわ。ご苦労」
窓を開け、ベランダに出ると広がるのは、バーロン家の誇る庭園であった。
空は青く、2匹でじゃれあう鳥がなんと愛らしいことか。
この広大な庭園に春の訪れを知らせているようだった。
視界に入る黄金色の髪を耳にかけながら、少女はその光景を眺めていた。
だが、その顔に微笑はなく。その目は遥か遠くを覗かせていた。
風の音にも、鳥の声にも、耳をピクリともさせない。
リスが足元を駆け抜けたことにも体が反応することはなかった。
寂しさで眉を下げることもなく、はたまた喜びで顔をほころばせることもない。
それは一瞬のことで、ベランダから中へ戻り、手袋を手に取った。
慣れた手つきではめれば、つい先程まで無関心であったことが嘘のように外を名残惜しそうにみつめながら部屋から去っていった。
ーーーコンコン
「閣下、エヴァナ・セレクト・ラ・ド・エース=バーロンでございます」
「入れ」
ガチャっと音が響いた。
「遅くなり申し訳ございません」
「この程度ならば気にしなくてよい」
エヴァナは、父がソファに腰掛けるのを待って自分も腰を落ち着かせた。そして、ふぅと息をつけば、目の前にいる父と向き合った。
「最近の調子はどうだ。少しはよくなったのか?」
「ええ。もう軽く走ることができるくらいには、良くなりました」
「そうか。初めて病気が悪化した時はどうなることかと思ったが、病状が改善してよかった」
ーーー15年前
エルトリア州に高貴なる新たな生命が誕生した。その誕生は州民を沸かせ、1週間にわたる誕生祭が開かれた。3年前に、事件が起こってから久しくみない賑やかさであった。
人々は、飲み合い、しゃべり合い、抱き合った。
まるで、日の光が現れたように。
その新たな生命につけられた名は、『エヴァナ・セレクト・ラ・ド・エース=バーロン』。
州侯 レオ・ジョシュア・エイブラハム・ド・エアリー=バーロンの待望の娘であった。
しかし、それから1年たち、あることがわかってしまった。それは、エヴァナの持つ病気だった。その報せは、州中にまわり、彼らはまた4年前の悲劇が繰り返されるのではないかと噂した。
そんな中、エヴァナは闘病生活を物心がついた頃から送り続けていた。
そして、12年後。エヴァナが12歳になったとき。彼女の身体に異変が現れた。病状が急激に悪化し、息をすることもままらない状態になったのだ。
州侯の屋敷内は、エヴァナの病状の悪化に戸惑い、自分たちも移ってしまうのではないかというものまで現れてしまった。それを知ったバーロン侯は、不届き者をおいだし、名高い医師を呼びつけた。
幸い死には至らなかったものの、それでもエヴァナの病状は悪く部屋から一歩も出ることができなかった。
3年間新たな闘病をつづけ、少し走れるようになったのが2週間ほど前であった。
「それなら、学園へ通うことができそうだな」
「はい。しっかりと生活を管理すれば学園は通えると思います。ただ、体が弱いのは情けないながらも事実ですので、剣術などの体を動かす授業は免除させてもらいたく思います」
「あぁ、学園にも話を通しておこう。だから、無理はするな。体が重くなれば早退してきなさい。我がバーロン家の名誉など気にしなくて良い」
「はい。肝に銘じます」
レオは、眉間を寄せた。
しかし、それは一瞬のことで次の瞬間には柔らかな表情に戻っていた。
「忘れるな。私たちはお前を愛しているということを」
エヴァナはうつむいた。
なにが愛だ。愛など存在しない。愛していると言って自己満足を得ているだけではないか。
私は、愛されてなどいない。
私は、愛など持っていない。
私は、愛など知らない。