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「ちょっと待って下さい、月子まで…! 朝子様が私に対して…その、どんな気持ちであれ! 私は…彼女に対してそんな気はありません!」
私とドグラスで話が盛り上がっていると、慌てたようにヴィンセントが声を上げた。
その慌てっぷりに、最初は照れ隠しか?と思ったが、何度も「私は朝子様に恋愛感情はありません!」と強く言われたら流石に信じざるを得ない。
でも…あれ? ヴィンセントは朝子姉のことが好きじゃなかったの?きっと気があるものだと思っていたけれど…。
「でもヴィンセント様も朝子姉も見つめ合っていたと言うじゃない」
「話をする時くらい、相手の目を見るのは礼儀でしょう!」
「でも好きでもない女性をお姫様抱っこして部屋まで連れて行くなんて…」
「仕事ですからっ! 私の仕事は聖女様を常にお守りし、仕え、従うことです! その程度なんてことはありませんし、他の者達だってそうしているでしょう!」
未だ納得いかない私に対し、彼は「あれは仕事なので、常に笑顔で聖女の傍にいることを心がけています」と強く言う。
ふうん、まあ……護衛騎士というものも大変だな…。
「でもその理屈だと、‘私と寝なさい’と命令されればそうするってことでしょね?」
畳みかけるように言えば、ぐっと詰まるヴィンセント。
隣でドグラスは、「月子、あまりいじめないでやって」とやんわりと言っているが、別に私はいじめていない。単純に疑問に思うだけなのだ。
「でも聖女である朝子姉の護衛の方々って、朝子姉の結婚相手になる可能性があるんですよね? 今は部屋まで姫様抱っこで運べとか、常に控えているとかその程度かもしれないですけれど…、断りたくても断れない命令をされる可能性もあるってことでしょう?」
「……………いや、それは……否定しませんが………」
「ヴィンセントさんが朝子姉に恋愛感情がないということはよく分かりました。けれど朝子姉は本気ですよ。それは姉をよく知る私だからはっきり言えます。朝子姉は狙った獲物は逃さない主義です。はっきりと口にすることは滅多にないですが、男性から好意の言葉を引き出すのはとても上手です」
「……………」
「ヴィンセントさんは仕事の関係だと思っていても朝子姉はそうじゃない。それを本当に理解していないと、後々後悔することになりますよ? まあ…そういう関係になっても別に構わないと、命令であれば何だって従えると言うならば何も言いませんが、そうじゃないならば早めにその考えを伝えておかないと駄目ですよ」
「…………」
ヴィンセントもドグラスも無言で私を見る。
私の考えがこの世界では通用しないことはよく分かっているし、身分が高い方々は大変だなという程度しか思わないけれど、こうして親しくなった人たちが自分の意思に反することを強制されるのは気の毒だし、避けられるならば手助けしたいと思ってしまうのは当然でしょう。
はあとヴィンセントは溜息をついた。
「全くその通りなのですが…、生憎、私は朝子様の前で自分の意見が言える身ではありませんよ…」
「うううーん……大変ですね、ヴィンセントさんも…」
ご愁傷様ですと言えば、ヴィンセントさんは苦笑した。
「参考までに聞きたいのですが、月子から見て、その………、朝子様は…、私のような者のどこを気に入って下ったと思いますか?」
「え、顔?」
即答すればドグラスが声を上げて笑って、ヴィンセントさんがちょっと不服そうにしている。
「顔…ですか……」
「まああとは親切にしてくるところとかですかね? 護衛の人達は全員、朝子姉には親切ですが…やはりヴィンセントさんが朝子姉に一番多く関わっていますよね? リーダーですし」
「ええ…まあ…」
「顔を合わせる回数や会話が多ければ多い程、親近感を持つのは当然ですよ。それに姉は優しく接してくれる男性が好みです。ヴィンセントさんは朝子姉の好みにドンピシャだったんですよ」
「………、あまり…嬉しくはないですね……。‘聖女’様の伴侶になることを求める男性も多いですが…、私は騎士のままでいたいので…」
ん? どういうことだろうと首を傾げれば、代わりにドグラスが説明してくれた。
「聖女の伴侶になる方は聖女のサポートに回ることが前提となります。騎士ならば騎士を辞めて、聖女の仕事の補佐に回るわけで…」
「それは…、今の仕事を辞めろっていうことですか?」
「有体に言うならばそういうこと」
「……なるほど…。気にならない人もいるかもしれませんが、自分の仕事が好きな人からすれば辛いかもですね…」
ヴィンセントはこっくりと頷き、ドグラスは更に説明をしてくれる。
「とは言え、聖女の仕事の補佐というものの位置づけは非常に曖昧だ。仮にヴィンセント殿が朝子様の伴侶とれば騎士を辞めざるを得ないだろうが…、聖女を守る騎士の仕事も聖女の補佐だろうと言う人たちもいる」
「…その通りだと思いますけれど…。うーん…色々と面倒な決まり事があるんですね…」
私の口出す領分ではないので早々に考えることを放棄した。所詮私は余所者にすぎない。
「あ、ですが…! 私が朝子様になんの感情も持っていないということはきちんと納得して頂けましたか?」
何やら焦った様子のヴィンセントが私に詰め寄ったので、少し引き気味に頷けば、良かったと言って笑う。
そんなに朝子姉が好きだと思われていたことが嫌だったのかな?身分の高い人たちは人の噂話で花を咲かせるっていうしね、色々と大変だなとしみじみと同情していれば、隣でドグラスが楽しそうに笑っている。なんだって言うのさ…?
「その話はさて置いておいて…。ところで、本日の月子とドグラスは一体何をしているのです? ただの勉強というわけではなさそうですか?」
私達の手元を覗きこんでヴィンセントは首を傾げた。
机の上はドグラスが引き出してくれた私の記憶が書かれた紙で埋まっているが、私達が話していたのはそれを使ったある計画のことだ。
「私の世界の知識を、この世界にも広めてみたらどうだとドグラスさんの提案でして」
するとヴィンセントが真面目な顔になった。
「…ほう…?月子の世界の知識を…?それは興味ありますが…。でも一体どういうことですか、ドグラス?」
「ヴィンセント殿、月子は医術系の知識が豊富だ。僕もびっくりしたのだが…」
何を隠そう私は医者になるために勉強を重ねていた。国家資格の為に日々勉強漬けだったのだから、医術系の知識が豊富と言われても当然だろう。
私の知識の記憶を引き出すと、当然だがドグラスもそれを見ることになる。彼はそれに興味を示した。
私もついつい得意げになってあれこれ教え、そして彼からもこちらのことについて教えてもらう日々を過ごしていると、互いに気付いたりすることがあったわけで。
「ドグラスさんからこの世界について色々聞きましたけれど、あまり医術が発達していないみたいですね。だからこそ、朝子姉のような‘癒し’の力を持つ聖女が求められると」
「ああそうだ」
ヴィンセントは頷く。
「聖女は必ず異世界の人間で、でもどんな世界の、どんな人物が選ばれるのか分からないと。しかも十年に一度の時もあれば、二年に一度の時もあって時期もバラバラだと。完全に神の気まぐれだと聞きました」
「ああ、そうだな」
「故に、聖女がいない時は、民は非常に苦しむと聞いています。けどそれはどうかなって思って……。聖女が現れるまで何も手を打たないなんて、全て聖女任せなのは良くないと思ったのです。 ‘癒し’の聖女がいなくても、人々が困らないように医療系の知識は持っておくべきですよ」
怪我人の治療とか、簡単なことは流石にこの国の人々だってできる。
しかし私の世界にいた手術なんてものは当然なく、ましてやその発想もない。身体が悪くなったら「聖女」サマに治してもらえればいいって考えだもの。
でもそれってどうなのかな?聖女がいなくなったら、人々は何もしないってこと?しかも朝子姉が全ての国民を端から端まで癒せるとは思えない。人口どれだけいるか知らないけれど、そんな事は無理だろう絶対に。
ドグラスは私と同じ考え方だった。
そもそも「聖女」に会えるのは身分の高い人達で、平民やそれ以下の身分の者達は会えるはずもないと。けれど知識を持っていれば、ある程度は対処できるはずだと。
私とドグラスの考えを伝えれば、しかしヴィンセントは少し渋い顔をした。
「月子の言い分も分かるが……。聖女がいることで、王宮は箔を付けたいのだ。王宮の目的は、‘人々を助ける’ことではなく、‘聖女が王宮にいる’という事実を世に広めることなのだ」
成程、よく分かりました。通りで、‘癒し’の定義が曖昧だと思ったのだ。
朝子姉は‘癒し’の力で人々を治していると言っていたけれど、どんな病人が対象でどんな病気を持った人達と会っているのか、そこが疑問だった。
「だから…月子とドグラスのやろうとしていることは…、月子の世界の知識を広げて人々の自立を助けようとする行動は………、もしかしたら王宮の反発を招くかもしれない。病気で苦しむ者達を助けようとは王宮は思っていないのだから」
「……腐っていますね、王宮って。最低だ。自分達さえよければいいって事ですか」
「…月子…。その発言、誰かに聞かれたら…」
「聞かれてもいいですよ。私、異世界人ですし。この世界のルールに従う気はありませんから」
「……しかし」
「今の話を聞いて理解しました。ドグラスさん、世の中に私の医療と医術の知識を広めてやりましょう!医者の使命は、病気で苦しむ人々を助けることです!」
変な火がついた。私は他人に対してクールで、基本的に個人主義で勝手な奴だって自覚しているが、しかしこの手の話になればついつい熱くなってしまうことも重々分かっている。助かる命がそこにあるのに、わざと助けないでいるなんてことは、私の内にある仕事魂が許さないのだ!
そう言いのけてガッツポーズでやる気満々で宣言すれば、ドグラスは無表情でパチパチと手を叩き、ヴィンセントは目を丸くさせていた。
「…あなたみたいな女性、初めて見ましたよ…」
「それはそうでしょうね。この世界では、女性はお淑やかなのでしょう?私は規格外ですよね」
「ええ…まあ…」
苦笑しつつも、妙に優しい目で私を見つめるヴィンセントがいて、思わず何も返答できなかった自分がいた。
この人、もう少し自分の美貌を自覚すべきだ。そんな目で笑ったら女はコロっと好きになる。姉もきっとそうだったのだろうなあ…と溜息をついてしまう。