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それから二日三日は、こちらの生活や習慣に戸惑うばかりで慣れなかったが、流石に一週間も経てば大抵のことは一人でできるようなった。
私に与えられた部屋はかなり広く、そして豪華だ。廊下には護衛が立っているというのだから申し訳なくなる。聖女様の妹君なのでぞんざいな扱いはできませんと言われ、国賓か!ってくらいのおもてなし。(いや実際はそれに近いものだろうけれど)
しかし私はこの豪華な部屋を与えられるだけに値する仕事をやっているわけではない。姉と違って、私にはこの世界で何かを求められたわけでもないのだから…。
「と言うわけで暇なので。私、勉強がしたいのです」
「べ…勉強ですか…」
じっとしているということは無理だ。一週間は生活に慣れる為に時間を使ったが、それが落ち着くと時間を持て余してしまった。
そこで素直に勉強がしたいと告げれば、よく私の世話をしてくれている侍女のヘレナと、たまたまこの日の私の護衛係だったヴィンセントにそう伝えれば、目を丸くさせられた。(私なんぞ護衛なんてする必要がないのにと言っているのに、朝子様の妹君ですからと強く言われて、仕方なく護衛されているが…)
何やら私に言う言葉を選んでいるであろう二人に畳みかけるように、自分の心の内を全部吐き出してやった。
「私は朝子姉と違ってこちらですることがありません。そして私が今一番したいことは勉強です」
「……勉強……」
「はい。こう見えても大事な試験を控えているのです。ですから困るのです、何も勉強しないというのは!そもそも仕事もやる事すらないのでものすごく暇なのです!私の性格上、暇なのは無理なのです!」
「え…えっと、つまり…月子は勉強しなくてはならないと。試験のために…?」
「その通りです。けれども何も持ってきていないのです。考えれば考える程、朝子姉に腹が立ちますけれど仕方ないですね。ともかく勉強したいのです。本か教本か…。そういうものはありませんか?あ、図書館とか」
どうせこっちとむこうの世界では学問内容は全く違うのだろうけれど、何もやらないでいるよりかはいいだろう。あと半年、せめて習った事を忘れないように書き出しをしておきたい!
「そうですか…勉強ですか…。いや、ちょっと驚いただけです。朝子様はそのような事は仰ったことがございませんので」
ヴィンセントがそう言うと、ヘレナもこっくりと頷いた。
「聖女様はお忙しいですからね…。それにお勉強と言いましても、学術的なことよりかは貴族の方々が学ぶような作法とか…」
「社交界に出るとなると、どうしても必要ですからね」
姉は私と違って勉強が嫌いだったからそれはそうだろうと思ったが、敢えてそれには何も言わず。
「私は社交界とやらに興味はございません!私はこう見えて、勉強に忙しい学生なのですよ。半年も何もできないのは結構致命的なのです!ですから…私を助けて下さい!何かありませんか」
はっきり願望を伝えれば、ヴィンセントは暫く何かを考えていたが、ややあってパッとひらめいた顔をした。
「もしかしたら…うん、この方法が使えるかもしれませんね!月子、これから私と一緒に来てくれますか」
「勿論です!よろしくお願いいたします!」
「それにしても、勉強をしたいと言った女性は初めてですよ」
廊下を歩きながら、ヴィンセントは苦笑顔で私に話しかけた。
「そうなのですか?それは‘女性は勉強するものではない’とかいう風習がこの国にあったりするからですか?」
「昔はそういう風潮がありましたね。近年では男女平等の教育を!とか騒がれておりますので、徐々に勉強する女性も増えました。しかしやはり学問は簡単ではありませんしね…。大抵の人は、あ、これは女性だけには限らず、ですからね? ほとんどの人間は生きていくのに必要最低限度の、基本的なものしか学びません」
「なるほど」
「かくいう私も学問はあまり好きではなくて…。もっぱら剣を振るっている方が性に合っていましたよ。ですから月子が自分から勉強したいなんて叫んだ時は、私と違う人種だと笑ってしまいそうになりました」
楽しそうに笑うヴィンセントの笑顔にどきっと胸が跳ねる。うう…美形は得だよね。笑うだけで他人の心をざわつかせることができるから…。
「そしてこれから行くところは…、ある魔導士の部屋です」
「魔導士…、ですか!」
いかにもファンタジー的な響きに少しだけワクワクする。「聖女」もいれば「魔導士」もいて当たり前かもしれないが、私からすれば「魔導士」の方がよりファンタジー要素が強い!
「ドグラスという男です。私の友人でもあるのですが…少々変り者でして。しかし月子とは気が合いそうですね」
クスクスと笑うヴィンセントに、「もしかして馬鹿にしていますか?」とわざと目を吊り上げてみれば、「いえいえ、感心しているのですよ」と更に笑った。
そして連れて来られた魔導士・ドグラスという男のところ。
彼の部屋は沢山の本と、怪しげな道具で満たされており、ドグラスという男はそんな物の中で埋もれるようにして何かをしていた。
ヴィンセントが私の紹介をすると、胡散臭げな視線を寄こして来る魔導士。
「聖女の妹…?いつ来たの?」
じいっと私を見つめると、ヴィンセントは溜息をつきながら「一週間前だ。なぜ知らないんだ」と小さくぼやく。
「生憎だがヴィンセント殿。僕は世界のありとあらゆる知識を集めるのにとても忙しいから、スキャンダル的な話題には全く興味がないのだよ」
「聖女の妹君の事はスキャンダルでも何でもないような…」
「それよりも要件を早く言って?僕の時間を無駄にしたくないから」
ぼさぼさ髪の魔導士・ドグラス。細身で、どこからどうみても不健康そうだ。しかしきっと頭の良い人なのだろう。それは部屋の中にある膨大な数の本と書類が物語っている。
ヴィンセントはちらりと私を見て苦笑い。
「ドグラス、こちらの月子の希望なのだが、どうやら勉強をしたいということで。で、お前の力を借りたい」
「…は?よく意味が分かりかねるが…?」
ヴィンセントはそのドグラスと私に向かって、ある提案をしてきた。
「月子、こちらのドグラスは‘他人の記憶を引き出す魔導士’なのですよ」
ん?どういうこと?と目を丸くさせた。他人の記憶を引き出すとは…。
「そのままの意味です。ドグラスは‘記憶’というものを集める魔導士で、それ故にこの王宮の書籍関連は全て彼の管理下にあります。私達が忘れていたり、頭の中で眠っている記憶を全て正しく引き出し、それを本にすることができる魔導士です」
な…なんと!そのような能力の魔導士とは!え…なにそれ、すごく羨ましい能力だ。
「あ、笑いましたね。やはり興味を持ってくれましたか」
ニコニコわらったヴィンセントは更に話を続けた。
「月子は勉強をしたいと言いましたが、しかし月子の世界の学問とこちらのそれとは異なると思うのです。ですからこちらの学問で月子が満足するかどうかが分からなくて…。ですから、月子の頭の中にある‘記憶’を、まずは本に書き出してみたらどうです?新しい事を学べなくても、今まで学んできた事を復習することはできますよ」
すごい…!それができるならば本当にありがたい!半年間復習に費やせるならば!そして私の思い出せない事までも引き出してくれるならば…すごく嬉しい!
「ドグラス、あなたも異世界の学問とやらに興味あるでしょう?協力して下さいませんか」
ドグラスも異世界の学問内容に興味を持ったのだろう。快く引き受けてくれた。
結論から言えば、ヴィンセントのこの提案は私にとってもドグラスにとっても大変有り難いものとなった。
私の今まで勉強してきた内容はドグラスが全て魔法で取り出してくれて、真っ白な紙に次々と写されていく。勉強した内容を忘れてしまう事を一番恐れていたので、これは大変助かった。紙に写された内容を毎日見直して復習していけば、半年後、元の世界に戻っても苦労することはないだろう。
そしてドグラスにとっても、向こうの知識は興味深い内容だった。あれこれ質問して来るのはいつものことで、必然的に私はドグラスの部屋に入り浸り、そしてヴィンセントはそんな私達を面白そうに見物しに来るのだった。