初心者のすべり
初心者のすべり
板とストックは結局剛士に借りたので、スキー場でレンタルしなくても良くなった、剛士様様だ。
だがすぐに滑りに行けるのかと言うとそれはまだ早い、ここでしなければいけないことがもう一つある。
スキーブーツと板とのセッティングである。
剛士の車にはそのための簡単な工具が積んであった、さすが毎年スキーに来る人たちは違う。
スキーのビンディングはマイナスドライバーで簡単に調節可能だ。
まずは靴に合わせてかかとのアタッチメントを調節する、これがちゃんとしていないと靴がすぐ外れてしまう。
剛士の新しい板はすでに調節してあるようで、まずは俺が貸してもらった板から先に調節してもらった。
「このぐらいかな」
貸してもらった板は190センチ、身長よりやや長いがこの板は3年前に剛士が使用していたものだ。
かかとのビンディングをやや前にずらすとしっかりブーツが止まるようになった。
次に解放値の設定、どのくらいの重さがかかれば外れるのかを設定するのだ。
上級者ならば8以上だが初心者は4か5ぐらいがちょうどよい、但しこの解放値は体重との兼ね合いもあるのであまり緩くしてしまうとすぐ板が外れてしまう事もあるので。
自分の足骨の頑丈さに自信があるのならば7ぐらいに設定しても構わない。
「思いっきり足をひねってみて」
「こうか?」
バチン
「どう痛くない?」
「ああなんともないよ」
前と後ろは別々に設定できるが初心者は前後同じ解放値で良いだろう、慣れてくるとスキーする時の体重のかけ方で前後違う解放値にすることもあるが、始めは同じにしておくとよい。
「よしこれでいい、次はミクちゃんの靴を合わせよう」
当然ながらミクが借りる板は175センチと短い、昨年まで剛士の姉が使用していた物だ、白地にカラフルな模様の入った板だが、結構使い倒しているようで裏面には傷も多かった。
だが表面はフィルムが張ってあり模様は色あせてはいない。
「これでいいかな」
ミクの借りた板の解放値は5、もちろん体重は俺ら男子より20k以上軽いから解放値も普通で十分。
「じゃあこれに一日券入れて腕に付けて」
渡されたのはパスケース、腕に付けるようになっており1日券を入れると透明なフィルムから中の文字が見えるようになっている、そう電車のパスケースのスキーバージョン。
「へー」
「スキー場によってはシールなんてとこもあるけど今回は2日券だから」
「へーそうなんだ」
俺たちは事前の用意を終えると板とストックを持ちスキー場最初のリフトへと進んでいく。
そこには最初のペアリフトがありすでにスキー客が並んでいたが、俺たちは初心者なのでその前にしなければいけないことがある。
剛士先生の登場だ。
「じゃあ板を履いたらまずは方向転換の方法から」
片方の板を高く上にあげ足をひねる、この形はバレエと同じだ。
(確かシャッセとかいう)
股関節が硬いと少し難儀するが、女の子は簡単にこれをこなす、俺は少しぎこちなく剛士の言う通り足を上げ前後逆に向ける。
「では今度は反対の足を先ほどの足と同じ方向に持ってくる、そうそうこれで方向転換は完了」
「おお~」
「ゲレンデは斜面だから、これができないとどんどん谷の方へ進んでいく初心者もいるからね」
「ははは、そりゃ大変だ」
(笑い事ではない、本当にそういう人がいるのだ)
そこからは板を履いたままストックを使って前に進む、最初のリフトは係員も初心者にはしっかり対応してくれるのでミクがよたよたと進んでいくと係員がボタンを押してスピードを緩める。
当然俺が横に座り彼女をサポートしようとするが、それは初心者である俺にも中々難しい行為だった。
剛士は先にお手本を見せるべく、まるでそれが当たり前と言うようにリフトに吸い込まれて行く。
最初のリフトを降りると今度はそこから2本のリフトが伸びて居た、一つはシングルリフト、もう一つはペアリフト。
俺とミクは初心者のため最初はこの初心者用ゲレンデで滑ることにした、見るとそこを滑っているのはほぼ全員初心者の様だった。
「じゃあ今度はこのゲレンデを滑って下りてみよう」
「は~い」
昨日靴を調整する為俺は内側にスペーサーをかましてある、まあボーゲンならば何も問題ないがパラレルをしようと思うならばこの時代のスキー靴にはまだ部品が足りないことを思い知る。
スペーサーは片足に2枚ぐらい必要だと言う事。
だがボーゲンはさほど難しい技術ではなく俺もミクも数回滑り降りるとどんどん上達していった。
「たのし~」
「ああ」
「慣れてきた?」
「ああボーゲンだとつまらなくなくなってきたよ」
「え~私はボーゲンでもいいけど」
「まあまあ、そう焦らあずゆっくりね、じゃあ次はやや足を閉じて両足同時にブレーキかけてみよう」
そういうと剛士が先に滑り出しお手本を見せる、その姿は実に恰好が良い。
彼のスキー板はほぼ同じ隙間のままブレーキを掛けられるらしく、片方が大きくずれたりと言う事がまるでなかった。
それを目の前で見ながら付いていくとどんどん離されて行く、そして時折剛士は俺達を待つため止まって後ろを向くのだ。
「そうそう、なんだりゅうちゃんもミクちゃんも結構バランス感覚い良いじゃん」
「はあはあ、いやいやそうでもないんだが」
「あ~たのし~、コツが分かってきたみたい」
「マジか、俺の方が覚えるの遅いかも」
「いやいや俺が初めて滑った時は最初のリフトはコケてばかりだったよ」
「それって小学生の時だろ」
「まあそうだけど、実は子供の方がスキーって楽なんだよね」
体重が軽く身長が低い為安定して滑ることができる、但しちゃんとカント調整がしてあればの話、子供は覚えるのも速いからね。
「じゃあそのまま下まで滑って下りてみよう」
「は~い」ミク
初心者のためスピードを出すのはやはりまだ怖い、だがブレーキを掛けるコツを覚えるとそこからはどんどん滑りも良くなって行く。
ミクは徐々にスピードを上げいつの間にか俺より前へと行ってしまう。
俺は少し悔しい気持ちを覚えミクに付いていこうとスピードを上げた時それは突然起こった。
「うわっ!」
ドサッ
そうカント調整が甘いブーツを履きスピードを上ようと板をそろえたのが原因だった、2枚の板は外にエッジが立ち、その結果X状にクロスするとそのまま新雪の中へ俺は顔面からダイブすることに。
もちろんその拍子に靴が板から外れることになる、片方の板だけ外れてしまいかなり恥ずかしい恰好になる。
はるか先の方ではミクが笑いながら手を振っている、めっちゃ恥ずかしい。
「くそ~マジかよ」
だがそのぐらいの事は大したことでは無い、今後何十回と同じように付けたり外れたりを経験するのだから。
斜面の途中で板を履くのはかなり慎重にしないと行けない、履くときの角度も気を付けないと板を履いたとたんに滑り出すからだ、もちろん明後日の方へ滑り出さないように両手のストックにはかなりの力が込められる。
(やっぱり足は揃えられないな、気を付けないと)
その間約10分ぐらい、その前に立ちごけはしていたが板は外れなかったため、これがビンディングをセットした状態から板が外れる最初の転倒経験になった。
かかとのビンディングにも雪が詰まっているのとふわふわの雪の上では中々リセットできなかったりする。
全てが初体験であり全てが経験となって行く、俺の頭の中ではうまく行かない口惜しさと恥ずかしさで埋まっていくが、なぜかこの雪が頭を冷やしてくれるから不思議だ。
(こりゃブーツ選びはもっとしっかりしないといけないな)
なんとなくしっくりいかないブーツに腹を立てながらもその後は何とか下まで滑り降りてきた。
すでに剛士とミクはリフト前で待っており、ねぎらいの声をかけてくる。
「ドンマイ、やっぱりカント調整?」剛士
「ああ、もっと内側に詰め物しないといけないみたいだよ」
「後で車からとってこようか?」
「いやそれは明日でいいよ、今はそれよりこの状態でもちゃんと滑れるようにしたい」
「分かった」
剛士の車には予備のスキーグッズがいくつか置いてあった、カント調整用のスペーサーやら板の裏に塗る蝋やエッジを磨くシャープナーなど、俺たちは初心者なため今回はスキーの裏面に蝋を塗ることまではしなかったが。
上級者になるとスピードを上げ滑りをよくするために、スキー板の裏面には蝋を溶かして塗っておくのだ。
固形のままでも少しは効果があるが、本当は溶かして塗っておく、そのための道具も色々あったりする。