ツーリング仲間
ツーリング仲間
真鍋のおかげでガキ大将と取り巻き2人は食堂から去り目の前には何故かその仲裁に入った男がどっかりと座る。
「何だよ休み明けそうそう」
「それはこっちが聞きたい」
そう言うと俺のテーブルを挟んで目の前で昼食を摂り始める。
「そう言えばおまえバイク乗ってんだって?」
「そうだけど」
「今度ツーリング行かないか?」
「真鍋さんバイク乗るの?」
「俺が1年遅れたのは事故って足を怪我したからだよ」
「運転が下手だから?」
「ちげーよ、いわゆる右直事故だよ、俺は悪くねーの」
「それでよく復帰できましたね」
「たまたま運が良いというかバイクはお釈迦になったが体は足の骨折で済んだからな」
「いや普通1年てかなりの怪我でしょ」
「ああ~足の大腿骨が逝ったからな…」
事故って入院したことがある人なら分かるだろう、大腿骨骨折は半年は入退院を繰り返すほど面倒な骨折だ。
体の全体重を支えるための骨が1本の為、治療中はほぼ動かす事ができない。
2ヶ月ほどで退院したとしても、無理な運動をすれば又手術をしなければならないほどこの骨の治療には時間がかかる。
「そのせいで半年棒に振ったんだよ」
「それでも懲りないんでしょ」
「まあな」
恥ずかしそうに頭をポリポリとかきながら学食のカレーをぱくつく。
「それでどうよツーリング行かないか?」
「かまわないけどそれには俺の友達にも聞かないとだな」
「何だボッチかと思ったのに友達居たんだ」
「誰がボッチだ!だれが?」
「お~すまん」
「俺の方がボッチだな」
「真鍋さん一人か、ならそれほど面倒は無いと思う、で?バイクは」
「Z2」
「マジ!」
彼は16歳で免許を取りそのガタイで750ccを乗り回すいわゆる俺たちからみれば奇跡の年だ、そう俺達より1年前に16を迎えた1年先輩にはバイクの3段階規制が無かった。
彼は普通にバイク免許を取っただけで大型バイクまで乗れるのだ。
まあ法改正のこういう変更点は結構うらやましい場合が多い例えばさらに10年以上前に車の免許を取った人は全員がバイクの免許も付いてきたという話もある。
さらにさらに戦時中に旧陸軍で戦車を運転していた爺ちゃんは全部(大型特殊二)乗れたりしたらしい。
「事故って半年入退院したら単位足りなくなって留年したからな」
「事故ったバイクは?」
「SS750だ」
当時最速といわれたSS750勿論KAWANAKIのバイクで今では300万円以上で取引されていたりする。
但し部品が無いので修理するのは至難の業だ、当時の最速を誇ってはいたが良くエンジンが焼き付く事でも有名だった。
バイクのエンジンも車のエンジンもピストンがありそのピストンは合金製だがエンジンが高温になると金属は溶けてしまうことになる、冷却する為のヒダがエンジンには刻まれていたりするがそれでも当時のエンジンは焼きつきやすく、この後からは水冷エンジンが多くなってくる。
勿論それでも焼きつく事はありえる、だから社外製品でオイルクーラーなどというものも売られていた。
「保険が降りたんでそのまま金を少し足して買ったんだよ、でもSSより重いんだよな」
「ああ確かに」
「竜のバイクは?」
いつの間にか呼び捨てだが、まあこの男はそう言う感じがなんとなく似合う、そのうちこちらも呼び捨てにしてやろう。
「俺のはHAWK250だよ、たぶん一緒のツーリングじゃ付いていけないかもな」
「いやいやおれはそんなにスピードは出さないぞ」
「SS750に乗ってた人が何言ってんだか」
「だからスピード出し過ぎたわけじゃないんだよ、普通に走ってたら前から来たやつが急に曲がりやがったんだよ」
「そりゃ災難だ」
「だろ、今は安全運転だよ」
「それなら一緒に行けるかもな」
この日から彼とはバイクの話で盛り上がる、良く聞くと彼は金持ちの息子だったりする。
なんとそのガタイで医者の息子だと、親の病院は兄と姉が継ぐということで放蕩息子として育てられたが。
本人も親の後を継ぐ気など全く無く勉強も好きではないため、進路は好きに決めろといわれたらしい。
俺はどこかのヤクザか土建屋の息子かと思ったが、こういうミスマッチは結構有るものだと今でも思う。
まあ彼はその親の七光のお金の部分を有意義に使い好きなバイクを購入し事故って又違うバイクを購入したという事。
保険だけは最高額までかけてあったらしく、車両まで全額保険が降りたのだが同じバイクは縁起が悪いと当時の憧れZ2を手に入れたのだという。




