決めるのは私
ダクエル要塞を攻めるオークの軍勢は日没とともに兵を引き、リーエン一行には要塞の一室が与えられた。戦闘の後始末や明日への備えでバルシドが多忙を極めるため交渉の詳細は明日に回された形だが、猶予ができたのは好都合だ。彼が〝王国〟から独立するに当たり、どのような形で協力するか詰めておく必要があった。
監視の目がないのを確認したソアルが甲冑を脱ぐ。無数の銀槍を飛ばし城壁を越えたオークを撃退した〝天騎士〟のうわさは瞬く間に要塞中へ広まり、好意的な声をかけてくる兵もいた。意外なことにソアルもその声に応え、短くはあるが会話を交わしていた。その場面だけを切り取れば、どう見ても立派な騎士だった。
「ソアル、君さ」
「はい、何ですかリーエン!」
ぶんぶん振られる尻尾が幻視できそうな即答だった。
「いや……今日はよくやってくれた。明日もこの調子で頼むよ」
「もちろんです。任せてください!」
慣れない交渉で疲れ果てているリーエンとは対照的に、ものすごく楽しそうだった。正直、気楽そうでうらやましい。装備と荷物を降ろしてベッドに腰掛け、衣服やブーツを緩めて息を吐く。ようやく人心地つけた気分だった。
気を抜くと寝てしまいそうだ。軽く頭を振り、眠気を追い払ってから切り出す。
「早速だけど明日の交渉の話をしようか。辺境伯の協力を取り付けたのは望外の収穫だけど、内外の勢力から彼の手先と思われるのは避けないとね」
「他人からどう思われようと、放っておけばいいのではありませんか?」
隣のベッドに寝転がったザイアユーネが言う。
この魔人、リラックスし過ぎではないだろうか。
「そうだね。目的の達成と名望の獲得、二者択一ならどっちを優先すべきは明白だ。けど、どっちも取れるなら名を取っておくに超したことはない。それが目的に近付くことにもなる。ザイアユーネなら、それくらい簡単にやってのけるだろ?」
「わたしとリーエンなら、ええ、当然です」
枕を抱えたザイアユーネがにやっと笑って答える。
「じゃあ状況を整理しよう。さっきも言った通り、人族でも指折りの軍事力と政治力を有する辺境伯と協力関係を結べたのは幸運だった。この繋がりを他の勢力に知られていないのも利点となる。ザイアユーネの目的を達するためには一定の勢力圏の確保が絶対条件だから、これは大きな一歩と言っていい」
確認しながら、じわりと実感が湧いてくる。
リーエンたちがこれからするのは、国盗りに他ならない。どう立ち回っても敵を作るのは避けられないだろう。ならば敵は少なく、味方は多いに越したことはない。魔人を柔軟に取り入れようとしているバルシドとは友好関係を結ぶべきだ。
「けど、勢力圏が大きく塗り変わることでまずい事態も予想される。具体的には人族の最大勢力である〝王国〟の弱体化だ。王都と海岸線の防衛を担っていた〝天騎士〟と国境のダクエル山脈を固めていた〝人領の盾〟が離反すれば諸王連合の侵略を防ぐのは困難だ。最悪、国を売ってでも助かろうという輩が出てくるはず」
傀儡が立てられるだけならマシな方で、四分五裂して諸族の領地に組み入れられてしまえば、この世界から純粋な人族の領地と呼べるものがひとつ残らず消滅してしまう。バルシドが諸族との融和を図るなら、彼が治める国は広義での魔人国家となるからだ。ザイアユーネについては言うまでもない。
城壁で矢玉の雨が降り注ぐ中バルシドと交わした会話でも、人族の弱体化は望ましくないという点では合意できた。問題は、そのために支払うコストを誰がどう負担するかだった。バルシドは将来の計画について次のように語った。
「我らが守る十三の要塞と砦の内、半分を放棄もしくは譲渡する。また一部の街道を約定を結んだ諸族に解放する。浮いた戦力は街道および村々の防衛に充てる。狼藉者は出ようが、各々が領主の仕事とは何であったかを思い出す契機になろう」
皮肉と軽蔑の滲む口調に、交渉の余地はないと思い知らされた。
軍勢はともかく、冒険者や商人は〝人族の領域〟と〝人外の領域〟を行き来できるようにする、とバルシドは言っている。当然、軋轢は生まれるだろう。騎士団や自警団のような防衛力を持たない街や村が食い物にされるのは想像に難くない。
だが彼の言にはうなずける部分もある。ダクエル要塞を除く十二の砦は攻め入ろうにも道がなく、落としたところで〝人族の領域〟へ抜ける道もない。かの偉大なゴブリンによる〝ガブニエルのダクエル越え〟の例もあれば不可能とまでは言わないまでも、大規模な軍勢で攻めるのは非現実的と言っていい。
事実、砦に詰めている兵は必ずしも精兵とは言い難いが、ここ数十年で砦が抜かれた事例はない。それでも砦が維持されているのは〝人族の領域〟の絶対堅守というお題目、そして〝穴があると不安〟という漠然とした気分が中央にあるからだ。
そうした気分が最前線で矢面に立つデアホルン家に伝わらないはずもない。バルシドの〝王国〟に対する絶望は彼一代のものではなく、デアホルン家が長年に渡って心の内に溜めこんできたものがいよいよ噴出したと見るべきだろう。
「情に訴えてもバルシドは説得できない。国境をがっちり守って行き来を制限することで交易の利があると示せればいいんだけど、問題は〝人族の領域〟に諸王連合が欲しがる産物がロクにないことなんだよな……くそ、どうしようもないな」
現在〝人族の領域〟になっているダクエル山脈とエイデン半島はそもそも流刑地として使われていた辺境の地だ。さほど土地が豊かなわけでもなく、希少な鉱物が産出されるわけでもない。この状態で交易を開始すれば一方的に富が流れ出る。
考えこむリーエンの顔を、隣のベッドからザイアユーネが見上げる。
「なぜそのようなことを気にかけるのです? バルシドやそれ以外の有象無象がどのように動いたところで、わたしたちの障害とはなり得ないでしょう?」
「なぜって……あまねく人を救うって言ったのは君だろ?」
「はい、言いましたよ? ……それと関係あるのですか?」
お互いに首をかしげる羽目になる。なにか齟齬がある気がする。
違和感が明確な形を取らないので、懸念される事態を再び説明する。
「……ソアルが王都を離れ、バルシドが自領の防衛と拡張に戦力を振り向ければ、人族の防衛力は弱体化する。海岸線からの侵略に加え、冒険者を始めとする諸族の勢力が〝人族の領域〟へ侵入してくる。そうなれば死人が出るのは避けられ――」
「ああ、そんな些末事を気にしているのですね?」
得心がいったとばかりにザイアユーネが顔を輝かせる。
「安心していいですよ。わたしは貴方に無理難題を押しつける気はありません。全ての人族を今すぐ救ってみせろなんて言うつもりはないですよ?」
「でも、少なくない人が死ぬ。彼らは死ぬべき罪を犯したわけじゃない」
そうでしょうか、と魔人は首をかしげる。
「自分で自分の身を守れないのは罪であり、死は当然の帰結です。また種としての生存をソアルやバルシドといった個人の武に頼るのなら、人族は彼らを味方にし続けることにもっと腐心すべきでした。貴方もそう思うでしょう、リーエン?」
貴方も、とザイアユーネは強調する。
勇者をむざむざ見殺しにした人族への負の感情が刺激される。
そんな自分自身を直視するのを避けるように、話題をそらす。
「……君の計画では純血の人族が重要なはずだ。人族至上主義を掲げる〝教会〟がなくなれば、三世代もあれば全ての人族が魔族となる。それでもいいのか?」
はぐらかすリーエンを咎めもせず、ザイアユーネがにっこり笑う。
「リーエンがそんなに長くわたしと一緒でいてくれるつもりなのは嬉しいけれど、ええ、問題はありません。三世代もかけるつもりはありませんから」
数十年も経たずに自分は寿命で死ぬし、それよりずっと前に老衰で使い物にならなくなるだろうという言葉は飲みこむ。柳に風だといい加減に理解できてきた。
「心配しなくても、侵入者が増えたくらいで簡単に人族は全滅しません。幸いにも人族は少数では大した脅威になりませんし、純血の人族は他種族にとっても色々と利用価値がありますから。リーエンは少々悲観的過ぎるようにわたしは思います」
そういうところを見こんだのですけれど、と彼女は付け加える。
「リーエン、やはりこの女は邪悪です。殺しましょう」
ベッドに飛び乗ってきたソアルが言う。冗談めかしているが、本気が滲んでいるのが恐ろしい。ちなみにリーエンの寝台は部屋の真ん中だ。選べるなら端が落ち着くのだが、なぜか位置を巡って二人が喧嘩を始めたので結果としてそうなった。
「黙りなさい犬ころ。わたしに手を貸すと決めたのはリーエンです。貴方はリーエンに手を貸すのですから、わたしたちの手足となって働けばよいのです」
「だとしても言い方がムカつくんだよ、あんた!」
「はいはい、落ち着こうね」
ソアルの頭を撫でる。たちどころに機嫌を直す様子はやはり犬っぽい。
ザイアユーネの言葉はむしろリーエンに刺さっていた。確かに彼女への協力を申し出たのは自分自身だ。であれば、人族の被害を減らそうと心を砕くのは目的達成のためには不要な回り道なのかも知れない。
悩むリーエンを見つめて、ザイアユーネが問う。
「……リーエン、もしかして人死にを減らしたいのですか?」
「いや、そう思ってたけど、君が不要だと考えるなら――」
そう、ザイアユーネの言う通りだ。目先の人命を救っても、人族を救うことには直結しない。緩慢な滅びに瀕している種族を救うには、犠牲は覚悟しなくては。
「構いませんよ?」
「え?」
あっさり肯定されて、かえって戸惑う。
「リーエンの望みは、わたしの望みでもあります。わたしたちは、もうとっくにそういう関係でしょう? 遠慮なんてする必要はどこにもありません」
そこまで絆を深めるようなイベントがあっただろうか、と訝しむ。
「まあ、君がそう言うなら……」
「でも、いいのですね?」
リーエンが続きを口にする前に遮って、身を起こしたザイアユーネが言う。
「わたしの仲間として、〝魔人の勇者〟の斥候としてではなく。リーエン。貴方が、貴方の意志で再びこの世界の行く末に関わって。本当に後悔しませんか?」
ひとつひとつ。区切るように。念を押すように。
彼女の言わんとするところを、遅れて理解する。
それはきっと、ザイアユーネと出会う前のリーエンなら取らない選択肢だ。
勇者を死なせたことで己の非才と無力、傲慢な思い上がりは痛感した。表舞台から去ると決めた自分なら、能動的に人を救おうなどと考えはしなかったはずだ。
同時に、また思い上がっているのではないかという恐怖が身を包む。ザイアユーネにおだてられて、今度こそ自分は人族を滅ぼそうとしているのではないか。
「うん……そうだね。いつか、後悔するかも知れない」
口にして、その通りだと思う。後悔するともしないとも、今の時点では言い切れない。成功すれば調子に乗るし、失敗すれば反省や改善点ばかり思いつく。自分はそういう俗っぽいありきたりの人間だとリーエンは知っている。ザイアユーネは二人でなら何でも可能だと言うけれど、手痛い失敗の可能性は常にある。
けど、彼女と同じ道を進むのなら、どこかで覚悟を決める必要がある。誰かに言われるがまま、自分の意志を持たずに世界が変えられるわけがない。どうせいつかはそうなるのなら、最初からそうした方がきっと上手くいくに違いない。
なんだ。自分は思っていたよりもザイアユーネに、美しい〝魔人の勇者〟に毒されていたのだとようやく気付く。なら、決断を先延ばしにしても意味は無い。
「でも、そうしたい。うん、救える命は救いたいんだと、私は、思う」
自然に、そう口にできていた。
なぜだか、泣きそうな気分になる。
「くそ、こんな風になったのは君たちの……ザイアユーネとソアルのせいだ。二人が持ち上げるから、私でもできるかも知れないなんて思っちゃうんだ」
「ええ。できますよ、リーエン。わたしたちなら、何だって」
「当然です。リーエンの邪魔をするなら、どんな強敵だって僕が倒しますよ!」
照れ隠しの言葉を素直に肯定されて、赤面するのを隠すのが大変だった。
翌日の交渉に向けていくつかの確認をしながら、夜は更けていく。
もう一度だけ。やれるところまでやってみよう。




